05 変身からの別れ


「はい、完成ー。鏡を見てみな」


 イスに座らされ、なすがままだった豪篤。渡された手鏡で自分の顔を映してみる。


「これが……俺?」


 あれほど不評を買っていた太い眉毛が整えられ、すっかり柳眉になっていた。次に不評だったヒゲも、全部そり落としただけですんだ。

 角度のついた柳眉の下は切れ長の目。鼻も高く、肌はそこそこ黒いものの、ニキビやほくろがひとつもない綺麗な顔。そこに、買ってきた黒髪ロングのカツラをつけてセット。うすめの唇に薄桃色の口紅を引く。

 すると、暑苦しそうな雰囲気を全身から発していた男はどこへやら。今度はクールな雰囲気を発しそうな美人ができあがったのだ。


「本当なら、毛抜きで残さずヒゲを引き抜きたかったんだけどなー」


 彩乃は口をとがらせる。


「一生女装生活するわけじゃねーし! かんべんしてくれよ……」

「あ、そう。そこまで言うんならやめるけど。でもやっぱ、私の目に狂いはなかった」


 小さくガッツポーズをする彩乃。変わり果てた自分に当惑している豪篤に、意地悪気味に提案する。


「いっそのことカツラをはずして頭もツルッツルにしちゃう? 尼さんメイドなんて、そういるもんじゃんないし」

「バカなことを言うなよ! 俺は真剣なんだ!」


 手鏡から目をはずし、豪篤は彩乃に非難をぶつける。

 彩乃は笑ってごまかす。


「はいはい、ごめんねごめんね。あ、そうだ。今度からその格好のときは女言葉ね。そうしないと、働いてたときにうっかり出ちゃうよ。それで興ざめして来なくなっちゃうお客さんもいるんだから、気をつけないとね」

「うう……まあ、そうだな。でも、やっぱ恥ずかしいな……」

「そりゃ、素でやれば8~9割の人間は恥ずかしいでしょ。そこは、アンタにはなさそうだけど、演技力よ」

「演技力?」

「そう。自分が好きだったり、興味があるキャラをアニメや漫画や映画から選ぶ! しゃべり方とか声の抑揚とか表情とか体の動き――とにかく、見てまねて覚えることだね」

「なるほどな」

「脱毛は自分でしなよ。そこはどうしても面倒見切れないからさ」

「除毛クリームがあるから、次こそは大丈夫だ」

「服のコーディネートは私も協力するから、絶対に自分の独断でしないこと。必ず、私に相談すること」


 ふと、彩乃は豪篤の目の前に立つ。それから目を合わせるようにしゃがんだ。


「これから荊(いばら)の道だよ。覚悟はできてる?」

「ここまで来たんだから、やってやるさ! ……じゃなくて、やってやるわ!」


 あまりにもおそまつな女声に、彩乃は噴き出してしまった。


「し、仕方ないだろ!」

「あはは、ごめんって」


 立ち上がった彩乃の視界に、壁かけ時計が写りこんだ。


「もうこんな時間か……ちょっと夕ご飯の買い物に行ってくるね」


 カツラを取りはずしながら、豪篤はうなずいた。


「ああ、行ってらっしゃい。のど飴をたくさん買ってきてもらえると助かる」

「オッケー。お安い御用よ」


 彩乃はカバンを持って玄関へ向かおうとする。


「あ、姉貴!」


 呼び止められて彩乃は振り返った。


「ん? どうしたの?」

「いろいろとありがとうな」


 豪篤は頭を掻きながら照れくさそうにしている。

 彩乃も活発そうな笑みを浮かべると、


「たったひとりの弟だもん。協力したり助けるのはあたりまえだよ」


 そう言い残し、玄関へ歩みを進めていった。




 * * *




「まずは脱毛からだな」


 豪篤は脱衣所で全裸になり、彩乃からもらったクリームを持って浴室に入る。


「えーっと、脱毛したい部位にクリームを塗って3~5分放置。そのあとに、付属のスポンジを使って洗い流すだけか。へー、これだけで毛が落ちるのか」


 感心しつつクリームをとりあえずは両腋に塗る。アロエの成分が入っているのか、それらしき匂いが浴室内に広がった。

 そのまま腰を下ろして座禅を組む。自分の勘じゃあてにならないので、数を数え始めた。

 中間の時間にあたる4分間はクリームにつけておいたほうが無難だろうと思い、4分を秒に置き換えて240まで律儀に数えた。


「よし、どんなもんかな」


 豪篤の声がふるえている。それもそのはずである。2月に入り、寒さはピークに達するこの時期に、全裸で浴室にいるからだ。肌という肌から鳥肌が立ち、体が自然とふるえてくる。

 毛を落とすというよりは暖を取るために、体をふるわせながら立ち上がる。シャワーヘッドをつかんでお湯を出す。

 空いた手でスポンジを持って濡らし、腋の下を上から下におそるおそるなでる。


「おお、これはすげえッ!」


 見れば、毛がごっそりと一気に抜けている。シャワーに流されて排水溝に流れていく毛もあれば、スポンジに残っている毛もあった。

 もう片方の腋も同じようになでて毛を落とす。両手を上げて確認すれば、思春期に入る前の懐かしい光景が目の前に浮かんできた。


「ああ、そういえばこんなんだったな……」


 少しの間感慨にふける。


「よし! 次は足をやって、それから――」


 顔をわずかに下にかたむける。


「悲しいけど、俺はやるんだッ!」


 グッと歯を食いしばって、近くまできている別れの悲しみに耐える豪篤だった。




 * * *




「ただいまー」


 夕食の買い出しから帰ってきた彩乃は、リビングのテーブルの上に、ビニール袋を置く。


「……どうしたの?」


 ソファに黒のジャージを着て仰向けで寝転がっている豪篤。遠い目をして天井を見るともなくも見ている。


「この世で悲しい別れをしたんだ」

「なんのことよ」


 豪篤は無言で起き上がる。両足はひざ上までまくり、上はわざわざ上着とシャツを脱いで両腋を見せた。


「おおー、綺麗さっぱりじゃない! 足なんか引き締まってほどよく細くて長いんだから、ストッキングやニーソックスを穿けば、そこらの男はイチコロよ」


 豪篤のそこそこ割れている腹筋を触りながら、彩乃は褒めちぎる。しかし、豪篤はあまりうれしそうではない。


「ああ」


 察した彩乃は咳払いをすると、豪篤の両肩に手を置いて諭すように言った。


「ズボンの下のことは残念だったね。でも、これは一時的な別れ。永久脱毛をしたわけでもあるまいし、そんなに悲しまないこと。必ずやつは帰ってくるんだから」


 優しげな姉の言葉にハッとなる。


「姉貴……そうだな。初めてのことだったから、このままじゃないかって感傷的になっちまってた。ありがとう! 胸のつかえが取れた気がする」

「うんうん。ま、これが荊の道のひとつなんだよ。男の要素をできるだけ捨てて、女の要素を取り入れる――このことがいかに難しいか……。まだ、後戻りできるけど?」


 豪篤は強く首を横に振る。整えられた顔が自信に満ちていた。


「大丈夫、心配しなくてもいい。毛という毛を落とした俺に、もう怖いもんなんてない! 吹っ切れたよ……なんでもどんとこい! って感じだ。そうだ、姉貴!」

「何?」

「俺もう、タンクトップを着るのやめるわ」

「勝手にすればいいじゃん」


 彩乃は口調とは裏腹に優しく笑った。

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