03 『メイドォール』

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 その店の中は朝だというのに、充分過ぎるほどの照明が点けられていた。両脇にある高い雑居ビルのせいである。

 店内はよほど丁寧に掃除されているのだろう。やや濃い茶色の木目調の床が照明に反射して光り、暖かな雰囲気が作り上げられている。加えて壁紙もべージュで、雰囲気作りに一役買っていた。

 入口に目を転じれば、レジカウンターがある。右手にはカウンター席が8席設けられており、中央部はテーブル席が少ないながらも、ゆとりを持って配置されている。左奥の隅には唯一、逆コの字型のボックス席があった。

 川のせせらぎや小鳥のさえずりの自然の音に、ゆったり演奏されるハープが一体となった音楽が、天井近くにあるスピーカーから流れている。

 イスに座り、顔をカウンターの上に置いているボブカットのメイドがいた。その音楽のせいなのか、腕がだらしなく伸びきっている。


「ヒマだねー、萌(もえ)ちゃん」

「そうですわね」


 萌と呼ばれた女性は、やや流し気味に応じた。

サボっているメイドと同じ濃紺のワンピースに、フリルのついた純白のエプロンを身につけている。頭には黒髪が映えるよう、真っ白なカチューシャと、肘のあたりまでの長さがあるシルクの手袋をしていた。

 白い肌で均整のとれた顔立ちをしている。高い位置でひとつに結われた髪を、首の後ろに落としていた。細身でしなやかな肢体をせっせと動かし、掃除をしている。


「何かおもしろいことないー?」

「ないですけれど……成実(なるみ)さんも店内の掃除をしませんこと?」

「えー、それはヤだよ。ほかにない?」

「成実さん。すぐ掃除を嫌がるのは、およしになったほうがよろしいかと。とはいえ、そうですわね……」


 ドアが開くと同時に、入り口の呼び鈴がチリンチリンと響く。


「すいませーん!」


 黒のタンクトップに同色のブルゾンを羽織ったジーパン姿の男が立っていた。

 成実の目が、入店してきた男をとらえてさらに大きく見開かれる。童顔でやや丸みを帯びたアゴには、テーブルの木目の跡がついていた。が、本人はいたって気にするふうもなく、席を立ち、両手を挙げて喜んだ。


「おー、ガタイのいい細マッチョのあんちゃん!」

「あら~いいですわね~。ただ……」

「全体的に暑苦しそう」


 呼吸を合わせたかのようにふたりの声が重なる。


「すいません!」

「わあっ?」


 いつの間にか目と鼻の先まで歩み寄っていた男に、ふたりの驚いた声が重なった。


「すいません、俺、前野豪篤っていいます! 店長さんはいますかッ?」

「店長ですかー? 今日はまだ来てないよね?」

「ええ、まだですけれども……」

「そうですかー……それにしてもすごい、ふたりとも本当の女性みたいですよね!」


 豪篤に満面の笑みで褒められたふたりは、まんざらでもなさそうに照れ笑う。


「いやいや、そんなぁ」

「お褒めにあずかり、光栄です」

「あー、俺もこうなれるのかなー」


 成実の体が驚きでビクッと跳ねた。


(働く気満々っ?)


 萌が成実にささやいた。


(でも、顔は悪くないですわ。今でこそ整えてない眉毛やヒゲのせいで台なしですけれども)

(ふむふむ。言われてみれば確かに……中性的な顔立ちだし、この細マッチョくんは化けますねぇ、萌さんや)

(ふふふ)

「あのー、ここで待たせてもらってもいいですか? 食器洗いでも掃除でもなんでもしますんで!」


 豪篤がこぶしで胸をたたく。

 萌がとんでもないと言わんばかりに、手を振る。


「お客様にそんなことをさせるなんてできません。今、コーヒーをお淹れいたしますので、少々お待ちください」

「そーですよっ。私の隣にささ、どうぞどうぞ!」


 成実がオーバーな身振りで豪篤を隣席に誘う。


「んじゃ、お言葉に甘えて」


 豪篤が成実の隣に座ると同時にコーヒーが差し出される。黒い表面に白いハートが浮かんでいた。いわゆるラテアートというやつだ。


「おお、これはすごい! メイドさんって魔法使いみたいですね!」


 目を丸くしている男に、ふたりは苦笑した。


「なんなんだ、さっきから騒々しい」


 厨房からスラッとした長身の女性が出てきた。


「あっ、郷子(さとこ)さん」


 成実が郷子さんと呼んだ人物は、奥二重に細く高い鼻、ややとがったアゴがクールな印象を与えた。前髪をアシンメトリーにし、右目側が横顔が隠れるほど長くカーテンのようだ。後ろ髪はクセッ毛なのかわざとなのか、所々の毛先が外にハネている。四角い眼鏡をかけており、静かな登場の仕方から、とてもクールな印象を思わせた。


「店長さんですかッ?」

「違います」


 郷子は豪篤の質問にぶっきらぼうに即答すると、成実と萌を交互ににらんだ。


「さっさと注文を取れよ」

「じゃあ、副店長さんですかッ?」

「違います」


 郷子は豪篤を見ることもなく再度即答。


「これはお客さん?」


 ふたりに質問を投げつける。


「これって……俺!?」


 無視を決め込んだ郷子の代わりに、萌が説明する。


「いえ、うちでバイトしたいとのことでいらっしゃったそうです」

「バイト? うちなんかのちっちゃい店に? ……さては、テレビでやってた店と間違えたな」

「あれ、テレビでやってた店と違うんですか?」


 豪篤は不思議そうに郷子を見上げている。

 郷子は初めて男と目を合わせた。その目は好意的ではなく、冷めているものだった。


「あそこの店の名前は『メイドル』うちの店は『メイドォール』。しかも『メイドル』は隣町」

「マジですかッ? どうりでこっちのほうがかわいい人が多いと思った」

「……は?」


 郷子はまじまじと男の顔を観察する。とてもうそを言っているようには見えなそうだ。


「ほら、これですよこれ! この裏表のない言い切りっぷり! メイドになったら彼は化ける可能性ありますって!」

「人のことを素直に褒められる人に、悪い人はいないかと」


 ふたりは口々に男を褒める。どうやら相当気に入ったらしい。


「そうは言っても、私にこいつをどうこうする権限はないからな」


 豪篤から視線をはずし、踵を返して厨房に戻ろうとした瞬間、出入り口のドアが開いた。


「あ、店長! おはようございまーす!」


 いち早く成実があいさつをする。


「おー、成実くん、おはよう! みんなもおはよう!」


 小奇麗な白いワイシャツに、ネクタイをした青年がこちらに近づいてくる。

 歳は20代中盤から30代前半と言ったところである。身長は豪篤よりも多少低いぐらいだが、細身のために高く見えた。

 涼やかな目に、ひげのない清潔感のある顔。髪は茶色に染めてはいるが、顔立ちのおかげでチャラチャラした感じはしなかった。


「あれ、この暑苦しそうな青年は?」

「バイト志望の方です。そういえば、名前は――」

「前野豪篤と申します! 以後、よろしくお願いいたします!」


 萌の言葉をさえぎって、豪篤は元気ハツラツに自己紹介をする。


「ああ、よろしく。僕は店長の島(しま)だ。ところで君は厨房志望?」

「いえ、メイドさん志望です!」

「え?」

「え?」

「マジで?」

「マジです!」

「あっそう……んん!?」


 豪篤の大まじめな言い切りっぷりに、島はあっけに取られる。

 見かねて成実が島に耳打ちをする。


(店長店長、ちゃんと顔を見てくださいっ。ヒゲと眉毛をなんとかして化粧をすれば、中性的な顔立ちと合わさって大化けすると思うんです!)

「……そう言われてみると確かに……」


 島は興味津々に顔を近づけ、豪篤の顔をまじまじと眺める。


「よーし、わかった!」

「店長さん!」


 豪篤の充分すぎるほどの期待が込められた口調に、島は力強くうなずく。豪篤の両肩をがっしりつかみ、さわやかな笑顔で、


「出直して!」

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