読後ホシ味掌編
彩藤 なゝは
1. ヤバい人 in 動物病院
行きつけの動物病院にはヤバい人が来る。
その人は20代前半くらいの若い女性で、一見するとヤバい感じは全然ない。
ろれつが回ってないとか、身なりがボロボロだとか、挙動不審で目が血走っているとか、そんなことは全然ない。
むしろ長い黒髪はサラサラで、皺のない清楚な服を素敵に着こなし、背筋をピンと伸ばして落ち着いた振るまいをする。
それがより一層、彼女のヤバさに違和感というスパイスを加えている。
平日の朝、俺はまさにその動物病院にいた。
決して広くはない待合室。病院の出入り口側を向いた椅子に座り、コロ(飼っている柴犬)の頭を撫でながら呼びだされるのを待っていると、視界の端に女性の姿がうつった。
例のヤバい人だ。
彼女は艶やかな髪をサラりと動かしながら、いつも通りの落ち着いた雰囲気で病院の中に入ってきた。
右腕を腹部、左腕を胸部の前に回し、まるで何かを抱えているかのようなポーズをとっている。
そう、ポーズだ。
彼女の腕の中には何もない。
あえて言うなら空気、もしくは概念。
彼女はそのまま受付に行き、両腕を数センチ上げながら「この子の検査に来ました」と言った。
彼女は架空のペットを連れ、架空の検査を受けにこの病院へやって来るのだ。
「は、はい。そちらでお待ちください」
受付の看護師さんが少し言葉をつまらせながらそう応えた。
あまり刺激しない方がいいという判断なのだろう。
この病院は彼女の奇行に付きあっている。
しかもよっぽど慎重に対応しているのか、イマジナリーペットの検査にそこそこの時間をかけているので、彼女の後に診察待ちをしている人間にはいい迷惑だった。
彼女は俺から少し離れた椅子に座った。
と言っても、この待合室はあまり広くないので2mほどしか離れてない。
コロのことを気にするフリをしつつ、チラリと彼女の方を見る。
彼女は自分の胸元に目を落とし、左手で宙を撫でながら「大丈夫だよ〜、すぐ終わるからね〜」と呟いていた。
全然大丈夫じゃない。来る病院間違えてますよ?
なんて失礼すぎる自覚はあるけれど、そう思わずにはいられない。
いったい彼女には何が見えてるんだろう。
何度かここで出くわすうちに少しは慣れたが、それでもヤバい人が近くにいるのは怖いし緊張する。
ついつい他の人の反応が見たくて周囲を見渡した。
受付の看護師さんは、最初こそ緊張したように見えたが、今はいつも通り手元の書類に目を通している。
さすが彼女の妄想に付きあってるだけあるな。
待合室にいる来院者は、俺と彼女以外だと1人だけだった。
それは猫を連れた不良っぽい少年で、彼女のさらに向こう側に座っていた。
少年はあからさまに引いた顔をしてチラチラ彼女を見ている。
そりゃそうだよな。
なんだか仲間ができたようで安心……というより、お化け屋敷で異常に怖がってる人を見て冷静になるような気分だ。
少年よ、彼女は暴れたりするような人じゃないから、そんな目で見る必要はないぞ。
「あ!」
彼女が急に声をあげた。
両腕は開かれ、下をキョロキョロと見回している。
な、なんだ?
「どうしました?」
看護師さんが訊いた。
「ご、ごめんなさい! ボーッとしてたらレンが腕から抜けだしちゃいました!」
初めて見る焦った顔で彼女がそう応えた。
こういうイベントもあるのか?
こんなの初めてだ。
大人しくしててくれよ……。
彼女が四つん這いになって、まるで眼鏡でも探すように手を床へ這わせ始める。
看護師さんもそれに参加した。
ほんとよくやるよ……。
……ん?
でもどうしてこんな探し方なんだろう。
まるで本当に見えないものを探すような、
ヴヴヴーーーーッ!
きゅ、急にコロが唸りだした。
彼女と看護師さんの奇行に驚いたのか?
でもまさかコロが人に唸るなんて……、
いや、違う。コロは彼女たちが這っているところとは別の場所を見ていた。
俺が座っている椅子の下だ。
「コロ、どうし──ヒッ!?」
突然、俺のふくらはぎを何かが擦った。
そこそこ大きな、生物の動き。
おそるおそる椅子の下を覗く。
何も、いない……?
いや、コロはまだ唸っている。
すると、ズボンの布が不自然に動いた。
まるで何かに当たったように。
それと同時にまた擦る感覚!
な、何だ!?
怖い……!
けど気になる。
気になる気になる気になる。
気づけば俺は、椅子の下に手を伸ばしていた。
指が何かに触れる。
床じゃない。
椅子でもない。
しゃあ何だ?
わからない。
だって何もないんだ!
何もないのに、確かに俺の指は何かに触れていた。
……不思議だ。
恐怖や戸惑いも確かにあるのに、大丈夫という漠然とした思いも強くなっていく。
それは今まで、何度も彼女を見ていたからかもしれない。
おそるおそるだが、椅子の下に両腕を入れ、ソイツを抱き上げた。
コロよりやや小さいくらいだろうか?
ザラザラした触感。少し柔らかく、少しひんやりしている。
激しくはないが身体をよじっているのを感じた。俺の手を何かがペタペタ触れている。
俺はソイツの身体を安定させるため、右腕を身体の下に入れて支え、左腕でホールドする形をとった。
気づけば彼女と看護師さんが心配そうな顔でこちらを見ている。
「あの、これ……いや、この子」
そう言ってソイツ──おそらくレン──を差し出すと、彼女は困り眉ではにかみながら「あ、ありがとうございます!」と受けっとった。
そんな俺を「よくやるよ」という顔で少年が見ていた。
読後ホシ味掌編 彩藤 なゝは @blackba7
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