まだ眠たげな雪解けの村

─ 今、私の目の前に立っている人は、絵本の、空想の世界から抜け出たような人で、その出逢いは奇跡の筈で、、、彼女はこう名乗ったのだ


「んん?私?私はマリーよ。───



この出逢いから遡ること数時間前、


まだ山の端には雪が残り、冬のお寝坊な陽は登っていなかった。そんな朝方にアリスは母親に見送られて村を出たのであった。辺りは薄暗く、いつも庭のように遊び回っていた村から伸びる小道も何故か新鮮なものに見える。アリスは村全体が見渡せる丘の上に来ると、自分の生まれ育った故郷、フルースの村を振り返った。納戸色に薄く包まれていた村は西の端から顔を出し始めた太陽の陽を浴びて徐々にいつもの色彩に染め上げられていく。村の隅々まで彩りが戻るのを眺めていると、アリスは村の入口の辺りで手を振っている人影に気付いた。


「あれはきっとお母さんかな」


とアリスは小さく呟く。娘の姿が丘の向こうに消えてしまうまで見送るつもりなのだろう。アリスは小さく微笑むと手を大きく振り返し、丘の向こうへと元気よく歩みを進めた。やっと待ちに待った旅立ちの一歩だ。


それからの旅は暫く平穏そのものだった。初めの目的地『スクイーズ』の街は馬車に乗って何度も行ったことがある街で、そこまでの道程も岐れ路の殆どない単調なものだ。少しばかり遠いけれど、この森を抜けた先の平野なのだからすぐ着くだろうとアリスはとても気楽であった。それでも馬車に揺られているだけだったいつもと違い、一人ぼっちで行く道は段々と心細くなっていくものだ。そろりそろりとアリスの心に入り込んできた不安は徐々に膨らんでいく。最初は鼻歌交じりで誤魔化していたが、突然小道の脇の茂みがカサリと小さく音を立てた。リスや小鳥、或いは野ねずみくらいの小動物が隠れていたのだろうが、ただアリスはと意識してしまったのだ。それからアリスは少しだけ周りの音を気にするようになり始めた。よく聞こえるのは小鳥が囀る音。それに紛れてカサカサと辺りの草むらを何かが揺らし、時折キー、キー、と言ったネズミのような鳴き声も聞こえてくる。そうやって音に敏感になってると、少しだけ大きな動物の立てるガサリという音は何十倍にも大きく感じられてより一層不安を掻き立ててくるものである。鬱蒼と生い茂る、とまでいかなくても普段は陽射しを遮り快適に感じさせてくれる木々も、今は薄暗い中から無数の無機質な視線を投げかけてきているようで恐しい。


「な、なにも出たりしないわよね…?」


不安からポツリと漏れた言葉にアリスはすぐ後悔することになる。だってのであり、ましてやそれを口に出してしまえば当然の帰結として出会わない筈がなくなってしまう。いわばであった。それはアリスの想像した通りにのそりと茂みから現れるとゆっくり立ち上がる。空でも覆ってしまうのではないかと思えるそれは、体長2mを超える巨大な熊だった。唸るような鼻息で睨みつけてくる熊に、アリスは竦み上がってしまい足が思うように動かない。

だから、余裕のなくなってしまっていたアリスにはいつの間にか辺りに花びらが舞っていることに全く気付けなかった。そして今にも襲いかかってきそうな熊の鼻先で花びらが集まって、ふわりとその人が魔法で姿を現してようやく気付いたのである。

宙に、まるで花が咲いたみたいだった。

花のように鮮やかな装いの彼女は、大木のコブのような杖の先を振り上げて熊を顎の下から思いっきり殴りつける。熊が怯んだうちにくるりと宙を舞って離脱をすると、アリスの前へ華麗に着地する。


「うん、大丈夫そうね!間に合って良かったわ。」


屈託のない笑顔でいう彼女に、アリスはただ呆然としているしかなかった。だってそれは ─


「じゃ、ちょっと危ないからは下がってて。

さてと…、今夜の熊鍋ちゃん?逃がさないからね…!!」


飢えた狼のような眼の彼女からはぐううとお腹のなる音すら聞こえてきそうだ。その様子に熊の方がビクリと若干後ずさっていた。そして彼女は獲物を追い詰めるようにジリジリと近づいていくと、突如またふわりと花びらを散らせてその姿を消す。そして熊の真後ろに現れた彼女は少し遅れて振り返ろうとした熊の顔面に全力で杖を振り抜く。仰け反りながら悲鳴をあげた熊はそのまま脇の茂みに慌てて逃げていくしかなかった。


「あ!逃げるなぁ!あぁ…、今夜のおかずがぁぁ…」


本当に逃がす気などなかったのか彼女はガックリと項垂れる。そんな様子にアリスは少し引きながらも歩み寄って、ペコりとお礼を述べた。


「あ、あの助けてくれてありがとう…、」


そして、、アリスにはもう分かっていることを、それでもちゃんと確認せずにはいられなかった。と。そしてドキドキとして仕方のないアリスの胸中など知りもしない彼女がさも当然のように答える。



「んん?私?私はマリーよ。


』。」

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