第295話 錯誤8

決して八城の父親は厳格ではなかった。

仕事から帰って来て服を裏返して脱いでは、よく母に怒られていた。

あらゆる意味で細かい事を気にしないと言えば聞こえは良いかもしれないが、八城の父は子である八城から見てもズボラな人間だ。

だがそんなズボラでも、清濁併せ持つ父が八城は好きだった。

父であり尊敬していた人物だった。

「俺の父なら俺が諦めた最初の一回で……自分が後悔しない様に助けたんです、だからきっと……俺は確かめたいんだと思います。俺は尊敬する父の子供だから」

自分にもそんな勇気があるのかもしれない。

淡い期待に変わりはない。

ただそれでも、もしかして父なら……と、八城はそう思ってしまうのだ。

納得は得られないだろうと、答えになっていない答えだと知りつつも言葉を締めた八城だったが、玉串はそう思わなかったらしい。

一つ神妙に頷き表情を和らげた。

「そうですか、なら八城さんが不在の間の子供達のケアは私と看取草さんで食料調達に関しても、今日から少しずつ調達していけば数日間であれば子供達の食料には十分に事足りる筈です。私の結論として、八城さんは信用に値する人物だと考えます」

言葉を返した玉串に今下も深く頷いて見せた。

「未熟さと若さと心情は、何よりも信用できる材料かもしれないね……分かった、私の方も彼を信用するとしよう」

今下はニコッと笑ったと同時にソファーから勢い良く立ち上がり、机の上に広がっていた食料貯蔵量と配給スピードをグラフにした紙を八城へと見せた。

「では、実務の話へ進むとしよう。目下の問題は子供達の水と食料の確保だ。まぁ水に関して然程問題はないのだけれど、子供達の食料は早急に調達しなければいけない。このグラフを見て分かる通り、この避難所は人の数が多い。だから貯蔵量に比べて消費スピードが早いんだよ」

それはつまり、このままのペースでいけば、この避難所は破綻するという事だろう。

「いや、我々も外に出ての物資調達をしてはいるのだけれどね、如何せん外ヘ出ての物資調達は危険が伴う。だが外に出なければ食料事情の逼迫は目に見えている。だからと言っても避難民に強制する事も出来ないのがこの避難所の現状なんだ」

右肩下がりのグラフは、この避難所の問題を暴きだしている。

そしてこの問題が表面化すれば、この避難所は統率を失うのだろう。

「散々な結果なのは見て分かる通りだ、だが私達が住人に無理強いしようものならここは『避難所』という名目を失う事になる。私の言っている意味は分かるね?」

最初に『避難所』などと命名した人間はこの名前の響きの意味を考え直した方がいいだろう。

避難所という名前がそもそも悪い。

避難しただけではどうにもならない。

生きていく上で必要な物は自身のみで揃える必要があるのは言うまでもなく、共同体としての生活であるのなら誰もがリスクを背負う事が前提条件だった筈だ。

だが、そうはならなかった。

代表と副代表がそうさせなかったのか、それとも住人が望まなかったのかは分からないが、一部の人間だけが外に出てリスクを負い住人の生活を支えているのでは手が回らないのは必然だ。

「そこで八城くん、実戦経験を積んだキミにだからこその頼みがある」

嫌な予感しかしない言い回しだが、八城も子供の保護の条件をのんでもらっている立場上拒否権はないのだろう。

八城は嫌な顔を浮べる事もなく、続く言葉は八城の予想通りだ。

「キミも疲れているのは百も承知だ。だが逼迫している状況を打破できる可能性を遊ばせておくのも惜しい。八城くんキミと野火止さんには大変申し訳ないが、今から物資調達へ出立してもらいたい」

そう今下が笑いかけて小一時間後の事だ。

八城と一は揃って真夏の炎天下に放り出されていた。

八城は憎々しげにさながら熱々の鉄板の如く空気を歪めるアスファルトを睨みつけながら無人の町に立っていた。

八城の抱える目下の問題はこれで全て消化され、一つ胸を撫で下ろしたのも束の間また一つ問題の種はやってきた。

「八城〜早くなさないな〜置いて行くわよ〜」

気温の暑さに流石の一華もやられているのか、そんな間の抜けた声に顔を上げれば、そこには十名前後の年齢幅のある男女が揃っていた。

誰も彼もが怯えた表情を隠す事も出来ず、一華と八城の周りに集まりながら八城の指示を待っている。

「じゃあ皆さん、とりあえず次に行きましょうか……」

先頭に立つのは八城と一華の二人だ。

他の住人に戦闘は無理だろうと八城が判断したのは避難所へ逃げるまでのごく僅かな時間だけしか感染者と対峙した事のない住人ばかりだからだ。

今下からも、より安全に出来る限り犠牲を出す事なく進める様にとの事だった。

避難所周辺地区の量販店や商店は粗方探り尽くしているらしく周辺地区の民家からの食料調達が主となる。

八城たちは避難住民を使い、民家内の食料を迅速にかき集め玄関前に袋に入れて置いておき、終わった印として緑色のテープを玄関前に貼っておく。

後で玄関前に置いてある食料品を回収班が持って行き玄関のテープと重なる様に一枚のテープを貼り、バッテン印にすればその民家は食料品の回収が終わっている事が分かるという仕組みだ。

その間、八城と一華が何をやっているかと言えば外で感染者に囲まれない様に見張りをしながら、その時間を待っているだけだったりする。

かれこれ三時間弱、感染者の姿を見ないまま休憩に入る。

視界の開けた自然公園の木陰に全員で入り昼食を取りながら、未だ天辺近くに居座っている太陽を八城は恨めしげに見つめていると、一人の男が歩み寄って来た。

「八城さん、どうされたんですか?」

そう尋ねて来たのは、誰とも知らない中年に差し掛かった男性だった。

少し痩せた頬と、額の汗を拭いながら此方に水を差し出して来る。

「ありがとうございます、頂きますね」

水分補給はしたばかりで特に喉が渇いている事もないのだが、便宜上好意として受け取って喉の奥に流し込む。

「いや〜いい飲みっぷりですね、流石は子供達を助けてくれたヒーローだ」

吹き出しそうになる口元を抑え、ヘラヘラと笑う男を見やる。

「ヒーローって……やめて下さいよ、俺は別にそんな大層なもんじゃないですから」

「いやいや、何をおっしゃるんですか!此処にいる皆八城さんの事を言ってますよ。私だって、この食料物資の手伝いは八城さんがいるから参加している様なものですからね!」

熱さで頭が回らないが、男の引っかかる物良いに八城は苦笑いを浮べつつもこの男が悪い人種でない事は理解できた。

「安心して頂いているのなら良かったです。それに皆さんも迅速に作業を進めてくれているので俺としはやる事が無い位です」

和やかに談笑をしているのは八城だけではない。

周りの大人達もそれぞれに談笑を広げ、時に笑い合うほどの余裕を見せていた。

「いや〜しかし、以外と感染者は居ないものなんですね〜もっと囲まれたり、逃げたりを繰り返すもんだと思っていましたけど」

この男の言う通り、物資調達に出て三時間ほど経過しているが、未だに感染者には一度たりとも遭遇していない。

幸運と言えば幸運だが、彼らの集中力と警戒心は最悪の状態だと言っていい。

そして、そんな時にこそ来るのだ。

見晴らしが良く、多くの人間が集まって声を出せば必然的にやって来る。

地平の陽炎の隙間に影が集まり蠢けば、感染者はもう直ぐそこまで迫っているのだ。

だからこそ最も警戒を緩めない……いや、緩める事を知らない一華だからこそいち早く気が付いた。

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