第294話 錯誤7
明朝、二つ並んだベッドの右側で八城は目を覚ます。
部屋を隔てるアコーディオンカーテンが遮っている窓の向こうからは僅かに光が差し込み今日も無事に朝が訪れたのだと言う実感を瞼に受けて、未だに起きて来ない看取草を起こさぬ様にベッドから降り支度を整える。
夏夜の籠った空気で微かに汗ばんだ服を脱ぎ替えの着替えに腕を通す。
戦いが始まる憂鬱と隣り合わせだった一ヶ月だったが、隣に看取草が居るだけで心境は転じている。
隣で寝ている筈の看取草へ視線を移すと、楽しげに見つめる看取草と瞳が合った。
「なんだよ?もう起きてたのか?起きてるなら黙って見てるなよ」
看取草は幸せそうに笑って八城の身支度に首を傾げた。
「おはよ、八城。もうどこか行くの?」
「部屋の隙間から手紙が落ちててな、今下さんに呼ばれてるんだ」
手紙の内容は、目が覚め次第昨日話をした部屋に集まって欲しいという旨が書かれていた。
「直ぐに話し合いは終わる、出来るだけ早めに戻るから少しだけ待っててくれ」
「ふ〜ん、分かった……」
含みのある笑みと返事を返す看取草に八城は看取草を見返した。
「なんだよその返事、俺なんか変な事言ったか?」
「別に〜……でもなんか、八城女の人の扱いが上手くなったな〜って思って。昔の八城ならそんな気のきいた事言ってなかったよ」
昨日の夜で格段に心の距離が近づいたのは確かだ。
思っていた事を吐露した事でお互いに無駄な気を使わなくなり、八城も看取草も格段に言いたい事を言える様になった。
「そうか?だけどそれは看取草もだろ?お前だって高校に居た頃と比べたら男の扱いが上手くなったよ」
「私の場合、男の扱いじゃなくて八城の扱いだけどね」
「なら俺も同じだ」
挨拶代わりの軽口を叩き合いながらズボンに家から持って来た最後のベルトを通し、支度が完了する。
「これ、今日の分……一応飲んでおいて」
看取草から手渡されたのは一華が看取草に渡してたフレグラだ。
一度見れば忘れない特徴的な紫色の丸薬。
この丸薬を見るだけで微かな高揚感すら感じるのだから、この薬の効果は本物なのだろう。
「ありがとう、行って来る」
朝一で手渡された高揚感と共に八城はフレグラを一息に飲み込み、部屋を出る。
東に面するガラス張りからは朝日が麗々に差しこみ、昨日の夜の不気味さからは予想もつかないほど校内を明るく照らしだす。
廊下を進み、階段を降りて一華が入っていた部屋の前を通過すれば、扉は開いたまま無人の部屋が広がっている。
だが一華の行方など特段気にする事なく八城は部屋の前を通過し、昨日話し合いが行われた部屋の前へ到着した。
一呼吸置いて扉を開ければ、そこには予想通り代表である今下と副代表である玉串、そして一華の三人が集まっていた。
「やぁ、八城くん昨日はよく眠れたかな?」
昨日と変わらず、柔和な笑みで部屋へ迎え入れた今下と、軽く会釈を返す玉串は居住まいを正す。
「さて、早速で申し訳ないがキミの答えを聞かせてくれるかな?」
話し合いという手紙の内容で大体の察しはついていた。
なんなら八城が話し合える内容など、ひとつだけなのだから。
「こちらの要求は変わりません。子供達の保護と俺と一華の体力回復までの数日の滞在が出来れば十分です」
駆け引きなどは最初から頭にない。
出来る限り率直に自身の意思を伝えると、今下は悩む様に口元を覆い隠した。
「そうか……なるほどね」
八城の言葉を吟味した後にソファーへ深く腰掛け、今下は山の天気の様に表情を変え険しい顔を見せる。
「キミは昨日も子供達の保護をして欲しいと我々の避難所へ要求していたね、私個人としては構わないと言いたい所だが、ここの避難所の代表としてなら答えは否だ。申し訳ないが避難所へのメリットも無しに子供達を受け入れる事は出来ない」
予想通りと言えば予想通りだろう。
外の状況を知っている人間からすればいつ助けが来るかも分からない。
全ての物資を出来る限り温存したい筈だ。
それも、物資供給が期待できる大人ならいざ知らず、外に出す事も出来ない子供では論外だろう。
「ちなみに何が問題となるのでしょうか?」
「当面の問題は誰が彼らの物資を調達するかだろうね。ここの食料物資も心許ない状況だ。それに孤児の彼らには心のケアも必要になって来る。そしてここには誰も人を助けられるだけの余裕を持った人間は居ないんだよ」
今下の言葉も予想通りだ。
代表として、無為な戦力ともならない、誰も責任を負えない子供などお荷物なだけだ。
避けるべきリスクであるなら、代表として今下は首を縦に振る事はしないだろう。
であるなら、この避難所が子供らを受け入れて余りあるメリットを八城は用意できる。
「それなら問題ありません」
昨日、今日と今下は言っていた。
この避難所において有事の際に戦う為の戦力が必要なのだと。
であるならば、八城が提示できる答えは一つだ。
「俺は目的を果たしたら必ずここに戻ってきます。そしてここに戻って俺が残った子供達の面倒を見ます、それなら問題ありませんよね?」
八城の言葉に渋い顔を見せる今下が考えている事は分かる。
メリットとして十分だと今下は言った。
仲間を助けた事で八城の実力が証明されているとも言っていた。
なら残るは信用の問題だ。
『東雲八城』という人間がどれだけ彼らに信用されているかだ。
一度手の届かない場所に送り、戻って来ないかもしれないリスクを取ってまで『東雲八城』をこの避難所が必要とするかによって、この先の答えが決まって来る。
「キミを信じる……と言いたいが……状況が状況だ。はいそうでかと言って納得出来る話ではない……玉串は今の八城くんの言葉をどう思うかな?」
「八城さんアナタは必ず、戻って来るのですね?」
今下は珍しく意見を玉串へ求めると、玉串は眼鏡をクイッと上げ八城を試す様な厳しい眼差しで見つめ、八城も決意の視線を玉串へ返す。
「俺の目的は父親との合流です。仮にこの先で父親と合流できたとしても何処かに身を寄せる必要があります。それに、父親が生きているのなら、それはつまり他の生存域で身を寄せ合っている避難民が居る可能性が高いという事です。もしかしたらその他の人たちともこれから生きていく上での連携が取れるかもしれません」
出来る限りの有用性を示したつもりだったが、玉串の険しい視線は未だに八城を捉えて離さない。
「身を寄せるにはこの場所が適しているのは理解できます。父親を探すというのも肉親であるなら当然でしょう。ですが一つ……可能性の話をしましょう。八城の父を捜すと言っても、この一ヶ月間で多くの人間が犠牲になっている事は外から来た八城さんの方がよくご存知の筈です。ですので、この際ハッキリ申し上げますが、八城さんのお父様が生き残っている確率は極々僅かであると思われます。それに生き残っていたとしても八城さんが目指す『九十九里附属小学校』に居続けるとも思えません。それでも、八城さんが危険を犯して行く理由をお聞かせ下さい」
看取草からも何度となく聞かれた動機。
八城が父親を捜す理由は単純だ。
この騒動が始まって、八城は誰かに会いたかった。
恐怖と焦燥感を共感できる人間が欲しかった。
一日の終わりには会話をして、仲の悪い妹と風呂の順番とテレビ番組で言い争う家の中は機能を停止した様に静まり返り、それでも八城の静かな時間は否応無しに続いている。
もう、八城のよく知る退屈な日常は続かないのかもしれない。
緩慢に過ごした家族との日常はもう二度と訪れない。
ただそれが分かっていても諦めるには目にするしかない。
八城には爆発的な動機付けなど無い。
激情に突き動かされる程、八城は感受性豊かに育ってなど居ない。
ただそれでも、家族を大切に思う程度には育ってきたつもりだ。
「俺は……俺はただ……」
静まり返った室内に寂しげな八城の声だけが響き渡った。
「俺は、確かめたいだと思います……俺は逃げました。目の前で子供が……食い殺されるのを見て、見て見ぬ振りをしたんです。俺の父親は小学校教諭をしてます。そして俺の知る父なら多分……助けるんです……」
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