第293話 錯誤6

気まずい雰囲気の中、二人だけの部屋で取り残されたものの何も喋ろうとしない看取草の無言の圧力を前に一秒でも早くこの場から逃げ出す為の打開策を巡らせる。

「あ〜えっと……俺は別の場所で寝るから!ほら、お前だって俺と一緒だと何かと勘違いされるかもしれないしさ!」

焦る八城を前にして看取草はムクれ顔から一変、心底呆れたとため息をついた。

「そんな事出来る訳ないじゃん、夜廊下に出ていいのは夜間巡回の人と代表の今下さんと副代表の玉串さんだけ。八城が出て行ったら不審者と間違えられて捕まっちゃうよ、それに……」

そう口を濁らせた看取草は指を絡ませ急激に顔を赤らめる。

そして、意を決した様に看取草は高校時代と変わらない真っ直ぐな熱を帯びた瞳で八城を。

「……それに、私は八城とならどうなっても……いいもん」

看取草が不意に零した言葉は八城の些末な思考など軽く吹き飛ばす程の衝撃だった。

意味を伴い決断をすべき問いというのは少なからずあるが、看取草から発せられた決定的な言葉は八城の思考を大きく揺さぶった。

高校時代なら、もっと劇的な場面で雰囲気を伴った場所で聞く言葉だと思っていた。

いや、今でもそんな稚拙な事を思っていたからこそ、八城はこうして動揺しているのだろう。

だが八城の動揺を知ってもなお、看取草はもう止まれない。

「八城はどう?私とどうなっても良いとは……思えない……かな?」

返答への不安気を前に看取草の揺れる視線になんと返答をすればいいのか、決めあぐねていると、看取草は感情を誤魔化すように笑って見せた。

「あっ……急にごめんね、こんなタイミングで私狡いし……今日の私良くないよね……」

戸惑う八城の表情に看取草は返事を求めてないと両手で顔を覆い隠すが、八城の口は反射的に言葉を発していた。

「いや……そうじゃない。そうじゃなくて……少し驚いただけでお前とどうこうなる事が嫌って訳じゃないんだ!ただ……」

八城の思考は纏まらず、この気持ちを口に出していいのかも分からない。

故に何処までも言葉を濁す八城に対し看取草の何かが切れた。

「なんでよ!なおさらじゃん!嫌じゃないなら私と一緒にいればいいじゃん!なんでこんな場所でも折角会えたのに!私は八城だけだよ!八城は違うの?」

誰の中にも不安はあるのだろう。

子供は隠す事を知らず、大人は迂闊にも隠す事が上手い。

大前提として誰もが『不安を隠している』という事を知っている必要がある。

不安がないのと隠しているのは全くの別物だ。

隠せるからこそ大人だと言う人間も居るが、これは少し言葉が足りていない。

相手が隠している事を知っていて、自身の不安も隠せてこそ大人なのだろう。

だから時として人は多くの間違いをする。

そして往々にして子供より多くの大人がこの問題を間違える。

隠しているから、不安が無い物だと思うのだ。

自分勝手な思い込みで、決めつける。

言わなければ分からないが、言わずとも自身に当て嵌めれば自ずと答えは出る筈なのに、こうして言葉にされて驚いているのだから滑稽だ。

「……八城はなんで私を助けてくれたの?ここに居てもずっと誰も居なかった……不安だったよ。それでもさ!みんなで協力しないと生きていけなかったから!何も出来ない私が出来る事は笑顔でいることだけだから!誰も居ない事に慣れて取り繕って……寂しさをようやく忘れられて!でもそんなときに八城は突然来てくれて!」

道理でおかしいと思ったのだ。

物資調達という実務は看取草の適正とは大きく外れている。

看取草はどっからどう見ても、体力のある方じゃない。

腕っ節も強い訳ではなく、足も速くない。

奴らに見つかれば逃げ切る事は困難を極めるだろう。

最初こそ人手不足で借り出されているのだと思ったが、それは違う。

彼女は自分から志願したのだ。

最も危険が存在する外の世界へ自ら踏み込んだ。

何故か?

その理由は聞くまでもないのだろう。

「なんで!?ねえ!?なんでなの!?居なくなるならどうしてまた私の前に現れたの?なんで助けておいて私を置いていくの?私はもう全部だよ!全部あの場所で諦められそうだったのに!なんで八城は私を助けたの?なんで置いていくなら助けたの!?ねえ!八城!答えてよ!」

看取草の叫びが耳朶を打ち、悲痛な表情が八城の感情を締め付ける。

恐怖から楽になる方法は結局一つだ。

今居るこの場所から脱落してしまうしかない。

自身の命を諦めて終わらせてしまえば今目の前の苦悩からは脱する事が出来る。

そして、それを妨げられてしまうのは何よりも苦痛だ。

すべからく準備をして、息をするのも苦しいほど悩み、日々過ぎていく無力を踠きながら着々と諦めた先に看取草は諦めた。

名前をつけるなら絶望と呼ぶ『それ』の中で、あまつさえ光を見出してしまったのなら、それはきっと絶望にも並ぶ苦悩なのかも知れない。

だがしかし、看取草が現状に絶望し、切望した様に……

それは八城も同じ事だ。

「頼むから!俺の話を最後まで話を聞いてくれ!」

言葉を捲し立てようとする看取草の言葉を遮り、八城は声を荒げた。

珍しい八城の大声に萎縮する看取草だったが、八城の真剣な面持ちに看取草の瞳には微かに理性の色が戻った事を確認すると、八城は諦めた様に口を開いた。

「俺は……俺は、父親を捜しにここまで来た。目的地は『九十九里附属小学校』だ。あの騒ぎが本格化した時間なら俺の父親はそこで小学校の先生をしていた筈なんだ。だから俺は父親の無事を確かめて合流して、全てが終わったら、俺はここに戻って来ようと思ってる」

八城が父親と合流した後、身を寄せる場所はどうしたって必要となる。

そしてこの朧中学なら人員、物資共に申し分ないだろう。

「ここは安全だ。外周はバリケードに囲まれて外から来る人間への感染対策も万全に行われてる。看取草もここに居さえすれば感染者に襲われる事もない、だから……」

躊躇っていた。

ずっと言う事はないと思っていた。

高校時代から今日に至るまで、看取草の気持ちを知るまでは胸に秘めたままでいるつもりだった。

八城は看取草と同じく抑えていた感情を言葉として吐き出した。

「だから……頼む。俺が目的を果たすまで……俺の帰れる場所を守ってくれないか?」

看取草はこの時、涙を溜めて懇願する男性を初めて見た。

みっともなく涙を流し頭を垂れる八城の姿を見て、この姿をさせてしまっている原因が自分自身にあるのだと理解した。

命の恩人。

見違える様に強くなった八城は、まるで別人のように先を歩いているのだと思って居た。

だが真実は違うのだろう。

腰に下げた刃物は、身体を守っても心までは守れない。

それでも八城は看取草を守ってくれた。

自身の守られない心をすり減らしながら、看取草の身と心を守る為に前に立った背中を忘れてはならない筈なのに……

一杯一杯であるのは八城も同じ筈なのに……

「あっ……私……そんなつもりじゃ……ごめんなさい……私八城がもう帰って来ないじゃないって……だから……」

「いい……いいんだ、俺は大丈夫だから。だからさ看取草、頼む。この先で俺がどんな結果を迎えるとしても……それでも帰ってきたいと思える場所で……看取草がそうあってくれないか?」

八城自身も分かっている。

あの時から一ヶ月、父親と会える可能性は僅かな望みである事は言われなくとも理解している。

目的地である『九十九里附属小学校』に辿り着いたとしても、目的である父親と会う事は叶わないのかもしれない。

多大な労力と時間を浪費して辿り着いた先でひとつまみの成果も上げられなければ苦痛を通り越して最早恐怖だ。

そして人は、その恐怖にいとも簡単に膝を屈する事が出来る。

生きる気力を根こそぎ奪い取る死神が、誰の後ろにはピッタリと張り付いている。

だからこそ、この世界で生きる目標が必要なのだ。

諦めない事と共に生き続ける為の目標が……

そして八城にとっての生きる目標となり得る人物が幸運にも目の前に居る。

「頼む、看取草……俺の生きる為の目的になってくれ。俺がどんな場所に居ても、どんな結果をこの先で受け入れる事になっても……この場所にもう一度生きて帰る為に……」

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