第292話 錯誤5

東側の窓は一面ガラス張りで、すっかり落ちた太陽の行方を窓の向こうに探してみても暗闇だけが広がる街が向こうには広がっている。

八城たちが歩く足音だけが響き渡る以外に音はなく、静かな廊下で玉串は。

「私はその……八城さん。私はアナタを尊敬します」

静謐な廊下で唐突に投げかけられた言葉に思わず顔を上げた八城だが、その言葉のヌシが玉串だった事に何より驚いた事は言うまでもない。

言葉にはしなかったが、玉串の態度から八城は招ねかねざる客だと思っていた。

言葉の意味を理解してもう一度驚いたのも束の間、玉串は八城の反応を気にした様子もなく言葉を続けた。

「見ず知らず、誰とも分からない子供を身の危険を顧みず助けたアナタを私は尊敬します……」

そう言った玉串は言葉とは正反対に、険しい表情を浮かべて拳を握り込んだ。

悔しさを紛らわそうとも、握り込んだ手のひらの痛みに何を思うのか八城には分からないが、玉串は決して八城を嫌っている訳ではないのだろう。

「以外です……って言ったら失礼かもしれませんが、正直俺も含めて玉串さんに嫌われているんじゃないかって思ってましたから」

玉串は八城たちが此処に来た時から、歓迎している態度ではなかったのは確かだ。

此方を見定める目は厳しく、警戒を露わに緊張を崩さない玉串の態度は友好的とは言い難く、そんな玉串の拒絶にも似た不機嫌を八城は勝手に勘違いしていたのだろう。

「私があなた方を認められないというのは……実際の所そうかもしれせん。私は人を……市民を守らないといけない仕事をしていて、いざという時に誰も守れませんでした。だけど八城さんは私と違い立場も職務もない高校生でありながら子供達を守ってここまで来られました」

「そんな大層な事じゃないんです……俺自身もこの一ヶ月で色々な事がありましたし、色々な人を見て来ました。それに玉串さんだって、ここの人々の生活を守っているじゃないですか」

人数を見てもかなりの数の避難者がこの朧中学には居るのだろう。

その人々の生活を支えているのは間違いなく全体を纏める代表を務める『今下』で、代表を支える『玉串』であるのは間違いない。

「ありがとうございます。でも私は助けるべき市民を見捨てて、逃げて、どうにもならなかった所を『今下』に拾われました。結局私は……私がなすべき職務を放棄したのです」

玉串がどんな職務についていたのか、玉串という人間がどんな人間なのか八城は知らないがこんな状況でも人に誠実で厳格であろうとしてる事だけは分かる。

そして、八城も同じだ。

彼女には職務という縛りがあっただけで八城にはそんなものはなかった。

だが二人に共通していることは『助けるべきだと』思ったということだ。

幼い子供を、赤の他人を助けるべきだと思い、八城も玉串も行動しているという事だ。

「俺も出来なかった事は沢山あります。逃げた事もこの一ヶ月で数えきれない……」

消え入る言葉と共に八城が思い出すのは見捨てた赤髪の双子とその両親だ。

未だに八城の脳裏に浮ぶ窓の端を見上げる瞳が薄いカーテンを通して今もずっと見つめ続けている。

『助けて』と

「俺はアナタに尊敬されるほど大した人間じゃありません。それに玉串さんは職務を放棄と言いましたが玉串さんが出来なかったのならそれはもう誰にもどうする事も出来ません。それにこれまで犠牲になった数多くの人間を誰も助ける事が出来なかったから、俺や一華は今こうして感謝されているんです」

『今下』は八城と一華を賞賛していたが、血みどろに濡れた刃も、体得した技術も誇示していいものだと八城は思えない。

たとえ、その技術で人を助けられたとのだとしても人助けとは全くの別物だ。

「むしろ俺から見れば玉串さんの方が立派ですよ。俺とそんなに歳も離れていなさそうなのに大勢の人を指揮してまとめあげているじゃないですか。誰にでも出来る事じゃありません」

一華の様に戦闘に突出している人間や、八城の様に子供達を助けるといった目に見える功績に比べてしまえば、玉串の行動は霞んで見えてしまうかもしれない。

人を纏めるという事自体が突出して居る訳ではないが突出していないからといって劣っているわけではない。

玉串の言葉の様に自身を卑下すべきかと言えば、それは違うだろう。

「玉串さんや今下さんが居たからこそ、助けたあの子供達が安らげる居場所があったんです、俺からしたら玉串さんに感謝してもしきれません」

わずかに立ち止まり、目元を拭いまた歩き出した玉串の詰まった感情はここに居る誰もが理解できて、無力ながらに戦って来た八城だけが共感できる。

誰も犠牲にならないように気を張って、己の内から湧き上がる恐怖に蓋をする。

表面だけを見るなら、硬化する態度は好ましくは思われないだろうがその裏での苦悩を思えば理解出来る。

「ありがとう……ございます……」

小さく聞こえた気がした、言葉を最後に誰もなにも喋らず歩く事数分で奥まった部屋の前で玉串が立ち止まる。

「一華さんはこのお部屋でお願い致します」

「一華さんは、って事は?私と八城と別室かしら?」

「そうなります、何か不満がありますか?」

無感情でかつ威圧とも取れる機械的な対応をする玉串に、一華は以外にも大人しく部屋の扉を開く。

「ふ〜ん、そう。じゃあ八城〜私はこの部屋らしいから〜ちゃんと私の言いつけを守って大人しくおねんねしなさいね〜」

玉串は一華が入っていた開きっぱなしになっている扉を律儀に閉め、またしても気まずい沈黙の中歩き階段を登った突き当たりの部屋の前で立ち止まる。

「ここが、看取草さんと八城さんの部屋になります」

「……俺と看取草が同室ですか?」

「はい、八城さんと看取草さんは同じ学校でご学友だったということですので、お互い知らない仲ではないでしょう」

「あっ、え?いや、確かに知らない仲ではないですけど……でもこれは……」

年頃の男女が一つ屋根の下ではあらゆる意味で非常時だ。

それに、今の看取草は先の『ここを直にでも出立する』という八城の発言から今にも噛み付かんばかりに八城を睨みつけている。

「本当に申し訳ないのですが、別の部屋は空いていないんですか……」

一縷望みに掛けて玉串に交渉してみるが、玉串は無慈悲にも首を横に振った。

「残念ながら別部屋となると見知らぬ人との相部屋となりますし、相手の方も今日も今日では困惑してしまいます。お二人が男女ということはあるでしょうが今は非常時です。申し訳ありませんがご容赦下さい」

僅かに申し訳なさを滲ませながら、謝辞を述べる玉串に続き看取草がトドメとばかりに八城の手を握りこむ。

「八城……玉串さんに迷惑かけないで。ほら、入ろうよ」

一切の温度を伴わない看取草の声音は有無を言わさぬ迫力があり八城は、言葉を発する暇すら与えられず看取草の引く手に部屋へと招き入れられてしまった。

「ではすみません、私はこれから執務がありますので、看取草さん設備の使い方を八城さんへ教えてあげて下さい」

「分かりました、ありがとうございます」

看取草が何に対してのお礼を言っているのかさっぱり分からないのが妙に八城の不安感を誘うが、聞いたら答えてくれる訳もないだろう。

それぐらい、今までに見た事が無いぐらい看取草は怒っていた。

「それでは看取草さん、八城さんの事をよろしく願いします」

そう言って玉串が律儀に扉を閉めれば、そこは二人だけの空間が広がっていた。

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