第291話 錯誤4

感染の無事が確認され、体育倉庫から出されたのも束の間、これからの話をする為に八城を含めた看取草と一華の三名は淀んだ空気が蟠った学内の廊下を抜け簡素な部屋に通された。

奥に座るのは、この避難所の代表を務めると挨拶をして来たガタイのいい男である『今下』そして、その脇に立つのは感染者検査で体育倉庫の門番を務めていた『玉串』と名乗る女だ。

看取草が最後尾で部屋の扉を閉めたのを確認した後に、今下は立ち上がる。

「やあ、よく来たね。まぁ立ち話もなんだ、座って話をしよう」

明るくもなく、暗くもない口調は何処か人間性を垣間見る事が出来ない不気味さを感じるが八城は今下に促されるまま対面するソファーへと腰掛けると、続いて看取草と一華もソファーへ腰掛ける。

玉串は今下の助手的な立ち位置なのか、着席を確認した後人数分のコップに開けたてのミネラルウォーターを注ぎ、机の上に並べていく。

「さて、まず状況の整理からしたいのだけれど、どうやって君たちは……いや、失敬、八城くんと一華さんは、この災害が発生してからの一ヶ月をどうやって生き延びて来たのか聞いてもいいかな?」

にこやかに笑う彼の瞳に疑いの眼差しが混ざっている事に気付いたのは八城だけではない。

隣の一華も警戒する様に今下を見つめているが、今下も引く事はない。

「私も疑いたくはないんだ。ただ、私達は君たちを受け入れる上で安心をしたい。君たちが子供達を助け物資調達部隊を助けてくれた事は重々承知しているが、それでも私達は君たちの事を何も知らないからね」

言葉尻は柔らかなものの、本質は八城と一華を試している事に変わりはない。

だからだろうか、一華は興味が消え失せたとソファーへ深く腰掛ける。

「なにも喋りたくないわ〜そもそも私はここに受け入れて貰おうだなんて馬鹿げた事は考えてもいないもの〜私としては正直こんな場所一秒でも早くお暇したいぐらいだわ〜」

一華はいつも通りの調子で相手の言葉を返しているが、玉串は一華の言葉が気に食わないのか双眸をキツくし一華を睨みつけた。

「それはアナタが今すぐにここを出て行くという選択をするという解釈でいいのですか?」

「私は別に構わないわよ〜それで八城がいいのなら、だけどね〜」

試す様に一華は八城の肩を小突いて来た。

一華はその全ての行動方針を八城へ任せている。

そして八城が目指すべきは決まっている。

看取草に出会えたのは不幸中の幸いだったが、八城はここで立ち止まる訳にはいかない。

ここは外と比べるまでもなく安全だ。

外を気にする事もなく眠る事も出来るし、満足に足る食事も出る。

何より人と人の協力体制を確立できているのは大きな心の余裕に繋がるだろう。

なら八城は、安心してこの場を発つ事が出来る。

「今、一華の言った通りです。俺とコイツはここに駐留するつもりは最初からありません。俺達が求めるのは、あの子供達の『保護』それだけです。それさえ済むのなら俺とコイツは今すぐにでも朧中学を離れます」

そう言葉を言い切らない内に、隣の看取草が立ち上がる。

「ちょっと待ってよ八城!そんなの意味分かんないよ!なんでそうなるの!?ここは安全なんだよ?わざわざ危ない外に出る必要なんてないじゃん!」

「お前にはもう話したが、俺は父親を探してここまで来たんだ。ここまで来て立ち止まる訳にはいかない」

「そんなの、ここに居たって出来るよ!それに、ここから出たってお父さんと会えるかどうかなんて分からないじゃん!だからさ、ここから私と二人で始めていこう?八城だって一人よりはずっといい筈だよ!」

確かに看取草の言う通りだ。

大金をはたいても手に入らない安全がこの朧中学にはある。

これから先を生きていくのなら、人の力が何よりも必要になる筈だ。

そして八城はその安全をみすみす手放そうとしているのだから、この中で八城の思考を理解できる人間など居ないだろう。

「看取草……お前の言う通りかもしれない。ここは安全で生き残る為に必要最低限の物資もある。頼もしい人の助けもあって、此処に居る限りは外にいた時みたいに少ない人数で激しい戦いをする必要もない。だけど……たとえ、父親と会える確立が低くても、俺は父親を探したい。俺の唯一生きて会えるかもしれない家族なんだ……」

険しいからといって、こればかりは割り切れる感情じゃない。

唯一会えるかもしれない家族の存在は、今の八城似とってはたった一つの原動力となった。

そしてその原動力は看取草と出会った事でより大きな物となった。

ここが安全であるのなら、八城はここに看取草を置いていく事が出来る。

「だから俺は――」

「嫌だよ!私は絶対に嫌!折角こうしてまた会えたのに!離れたらもう会えないかもしれないんだよ!私は八城と離れたくないよ!」

何も言わせまいと八城の言葉に被せる様に叫んだ看取草の声に一際重い沈黙が包み込む。

八城と看取草はどちらも動けず睨み合う無為な数秒が経過した時、今下は注意を引く様に小さく手を打った

「まぁまぁ、君たち落ち着いて。八城さんがどんな結論を出すにしても、今日ぐらいは休んでからでも遅くはないだろう?それから玉串も、彼らに強く当たり過ぎだ。キミ自身が臆病であるのは生き残る上でいいことかもしれないが、彼らに対してまで臆病が過ぎれば仲間を助けてくれた彼らに失礼だろう」

流す視線で責めるように言われた玉串は微かに唇を噛み、今下は更に玉串へ何かを追求するように瞳を細めたが気付けばその瞳は八城を捉える。

「それから、これは朧中学避難所として……と、言うか代表としての正直な意見だけれど、ここでの君たちの駐留は大いに大歓迎だ。ここまでの道のりをどうやって乗り越えたのか、喋りたくないと言うのならそれも尊重すべきだろう。

だが、それらの信頼を差し引いたとしても感染者と戦って来た実績と経験はこの場所では何よりも重宝されるべきだ。そして君たち二人、東雲くんと野火止さんの実力は仲間たちを助けた事で既に証明されているのだから、有事の際の戦力としてみても申し分ないだろう」

部屋の四隅に置いてある太陽光発電の眩しいぐらいの明かりが、柔和な笑みに真剣味を映した今下の瞳を照らし出す。

「まぁ、これから言う事は代表としてではなく、私の個人的な意見として受け取っておいてくれればいいけど、君たち……と言うと野火止さんは否定するけれど。八城くんが助けた子供達の親御さんは、ここに辿り付いた頃には、もう二度と我が子の顔を見れると思っていなかった。その確率を誰も信じたくても信じられなかった。それでもキミは子供を守って此処に来てくれた。キミの勇気ある行動に報いたいと思う大人がここには多く居ることは忘れないで欲しいと私は思う訳だよ」

そう言って今下は、懐からあらかじめ用意していた鍵を隣に立つ玉串へ手渡した。

その鍵を見た玉串は一瞬驚いたように今下を見返したが、今下の柔和な頷きに素直にその鍵を受け取った。

「玉串、彼らをその部屋へ案内してあげてくれ」

「承知致しました、皆さん私に付いて来て下さい」

「気兼ねなくゆっくり休んでくれ、私は君たちを歓迎する」

玉串の言葉に従って後ろに続き、今下の言葉を背に浴びて部屋を出ると廊下は月の薄明かりが差し込んでいた。

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