第284話 旅程5
「看取草、立てるか?」
恐怖で震えるのは感染者に対してか、それとも八城の血みどろに濡れた手に対してか……
看取草の反応を見るに何方に対してかは一目瞭然だ。
「あぁ……悪い。今の俺は汚いよな……」
自身の手が地に濡れている事に気付きバツが悪く手を引っ込めようとした八城に、看取草は恐怖を拭いきれない震えた両手で、血みどろに濡れた八城の手を勢い良く握り込む。
「ありがとう……八城。凄かった……でもちょっといつもと違う八城にびっくりして……私……だから、その……ありがとう」
しどろもどろにようやく、言葉を連ねながら看取草は八城の手を強く握っている。
八城と看取草は高校二年間を付かず離れずの距離感と腐れ縁で共に過ごして来た仲だが、今の看取草が無理をしている事は笑いぐらいは見抜ける。
八城に気を使っている事も、引き攣ってそれでも八城に気を使って笑いかけるのは、ただただ看取草が他人を気遣う事が出来る優しい女の子だからだ。
ドロドロに濁った感染者の体液が付いた八城の指に看取草は自身の指の隙間まで絡ませて一つ瞑目した後に立ち上がる。
「私は大丈夫!だから行こう八城!多分三階はまだ大丈夫だと思うから」
八城が学校で知る美術部に所属していた気が弱く、強い自己主張もない。
八城がよく知る美術部に所属する『看取草紫苑』という女子生徒であるなら、きっとこの場で踞り、動けなくなっていたに違いない。
「お前少し変わったか?」
「え?そうかな?でも八城の方がもっと変わったよ」
八城がこの数日で変わった様に、看取草もこの数日で変わったという事だろう。
少しだけ強くなった彼女の横顔は、この数週間でどれだけ看取草が苦労をして来たかの左証でもある。
看取草の震える指先を八城の指先と絡めながら、八城の手を引く様に閉ざされている鉄の扉を叩く。
「看取草です!助けに来ました!今なら感染者も居ません!誰か居るならここを開けて下さい!」
幾度も幾度も扉の向こうへ呼び掛ける看取草の言葉に、ゆっくりと三階立体駐車場に続く鉄扉が開かれると、現れたのは八城と同い年ぐらいの数人の男女だった。
「……看取草さん、どうやって……そっちの彼は?」
逸れた筈の看取草が居る事に驚いた様子の男子の視線が手を繋いでいる八城へと移ると、看取草は嬉しそうに声を弾ませる。
「彼は私の同級生です!八城が……彼が逸れた私を助けてくれて、ここの感染者も全部やっつけてくれたんですよ!」
興奮気味に喋る看取草だが、今は時間も余裕もない。
八城は話し込もうとする看取草と代わり、今の状況を端的に説明する。
「悪いが、ここで立ち話をしてるほど余裕はない。今すぐここから離れなけりゃまた囲まれるぞ」
彼らも追いつめられていたのだろう、安堵と余裕の言葉が洩れ聞こえ、狼狽えているものの直ぐさま全員が移動の準備が整った。
「ここの立体駐車場を一階まで抜けて正面で時間稼ぎをしてる馬鹿女に合流する。それまでは各々で自分の身は自分で守ってくれ!」
救助者の次に危険なのは言わずもがな囮を引き受けた一華だろう。
約束の10分はギリギリ経過していない。
だが一華が10分と時間の指定をするという事は、一華の限界がそこにあると見定めてているということだろう。
八城は全員の人数と顔を確認すると一つ頷きを合図に走り出す。
三階から二階そして二階から一階へ、薄暗い立体駐車場を走る度に、増える感染者の数と比例して不安と焦燥は増していく。
広い立体駐車の最後のロータリーを走り抜け一階駐車場正面脇に出ると、八城の不安は的中する。
これまで駆け抜けた道中に感染者の数は少な過ぎる……
ならアレだけの感染者は何処に行ったのか?
その答えは目の前にあった。
「あら?八城じゃない〜早くいらっしゃいな〜こっちは高嶺の花に手を伸ばして来る不届き者が沢山いるわよ〜」
遠くから呼び掛けて来るのは多くの車が並んでいる中で、一際高いトラック荷台から手を振る一華だった。
彼女は刀を抜く事はおろか、戦っている形跡すらない。
ただ、箱形トラックの荷台に横たわり余裕綽綽で笑っている。
「……お前!時間稼ぎがどうのこうの言ってなかったか!足止めが出来て10分って言ってたのは俺の聞き間違いかよ!」
「あら〜?約束通り囮はやってるじゃない〜それに足止めが出来て10分は、私がこの状況に飽きて帰りたくなるまでに10分だから、あながち嘘じゃないわ〜それより八城?その後ろに居るのが此処に取り残されたお馬鹿さんってことでいいのかしら?」
後ろに居る全員が微かに苛立ちを顔に浮べたが、今は気にしていられる余裕はない。
「これで全員だ!それより一華!お前そんなに囲まれてて!そこからどうするつもりなんだよ!」
一華へ集っていた感染者が僅かづつではあるが、八城たちの存在に気付き始めている。
一華を取り巻く数は減ってはいるが、逆にこのまま八城たちの方にこの数の感染者が流れて来れば、間違いなく八城は救出した看取草を含めた全員が全滅する。
だが一華の態度は至って平常通りだ。
巫山戯た笑顔を貼付けて八城の問いを笑って受け流した。
「決まってるわ〜こうするのよ!」
一華はトラックの荷台から飛び起きると勢いを付けて跳躍した。
一束に纏めた髪の束が美しく揺らぎながら隣の車へ飛び移り、感染者の手が伸びて来る前に次へ、その次へと、そのままの勢いを殺す事なく車の上を器用に走り抜ける。
並んでいる車の上を因幡の白ウサギの神話の様に、車を足場にして此方までの距離『百メートル』余りをいとも簡単に踏破して見せた。
足場の悪い車の上、しかも落ちたらその場で死が確定する様な環境でも彼女は不気味な程無邪気な笑みを浮べる。
誰もが一華の行動に息を吞んだが、一華が此方へ近いづいて来るにつれ、全ての感染者が一華を追って来る。
それはつまり、全ての感染者が八城たちの居る一点に集中するという事に他ならない。
「あんた、やっぱり無茶苦茶だ!」
「無茶苦茶至って結構よ〜それで生き残れるのなら無茶苦茶をやる甲斐もあるって?あら?八城〜アナタもしかしなくてもフレグラを使ったわね?」
「フレグラ?アンタに渡された薬の事なら有り難く使わせてもらったよ!」スンスンと鼻を鳴らした一華は事嬉しげに、両手を叩く。
「あら!あらあら!それはとっても良い事よ〜それで生き残れたのなら、アナタは私が見込んだ通り才能がある!」
これまで見たどんな事よりも嬉しげに喜んだ後で、一華はまたしても一錠『フレグラ』と呼んでいた錠剤を八城へ手渡した。
八城は更に強い万能感を求めてその紫色をした錠剤の封を開けようとしたが、一華は以外にも八城の指先を制するようにキュッと握り込んだ。
「今はまだ駄目よ〜さっきのフレグラの効果が切れ始めたら使いなさいな、そしたらアナタは今よりもっと強くなれるわ」
魔女という存在が現実に居たならきっとこんな風に人を誑かすのだろう。
だが、今は魔女でもなんでも使える物でも人でも、使えるモノは全てを使わなければ生き残れない。
「分かったよ!だがこれからどうする!こいつらを守りながらじゃこの数相手に戦うのは厳しいぞ!」
この近くには目的地である『朧中学』がある。
隠れている子供達が居る場所もここから数百メートルと離れていない。
ここから離れるのであればこの大量の感染者を『朧中学』と子供達のいる場所から離れた安全圏まで引き離すしかない。
「八城〜これはアナタが始めたとこよ。最後まで責任を持ちなさいな〜」
一華も分かっているのだろう。
奴らを引きつけながら、この場から引き離す。
尚かつ救出者の離脱までの時間を稼ぐ必要がある。
その場合の最も優れた人選は……
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