第285話 旅程6

「分かったよ……お前の言う通り俺が始めた事だ、俺が奴らを引き受ける!一華はそいつらを連れて先に子供達と合流してくれ!」

八城はそう言い放ち、一歩前に出ようとした所で袖口を無言のままの看取草に掴まれた。

「悪いが今は時間がないんだ!話なら後で聞くからこの手を離して……」

「後なんて無いよ……絶対にダメだよ八城!こんな所で一人になったら奴らに食い殺されるだけだなんだよ!?」

確かに普通に見れば多勢に無勢。通常であるなら数の暴力で逃げる事も間々ならないだろう。

「私と一緒に逃げよう?それで助からなくても八城だけ置いていくなんて私は嫌だよ!」

あぁ、なんて有り難い言葉なんだ。

もう少し早く看取草と出会っていれば、あの赤髪の双子を前にして少しは違う結論に至っていたのかもしれない。

だが、そうはならなかった。

『看取草紫苑』が変わった様に『東雲八城』は『野火止一華』と出会い変化した。

心情も技術も僅かずつ変化した。

出来る事が出来る様に、そして今まで出来ていた事が出来なくなっている。

だからこそ、今の『東雲八城』は大丈夫なのだ。

「いや、看取草大丈夫なんだ。俺を信じて今は早く逃げてくれ」

この三日間思い返すだけでも地獄だが『朧中学』を目指した道中、八城と一華は子供を守りながら、この方法で窮地を何度も脱して来た。

『東雲八城』は経験者であり、実績がある。

「大丈夫、今の俺は負ける気がしないんだ」

戦うと分かった途端、戦いを急かす様に身体中の血管が脈打ち身体の中で血流が巡っていくのを感じる。

身を任せてはいけないと分かっていても理性を上回る多幸感と万能感には抗えず、何より感染者を斬る度に押し寄せる快感で八城の口元は一華を彷彿とさせる程に綻んでいる。

こんな姿を看取草に見せていいとは思えない。

「俺が時間を稼ぐ!一華!早くそいつらを連れて行け!」

「元気がいいわ〜八城!やっぱり男の子はそうでなくちゃね〜でも幾ら気持ちがいいからって、今のアナタの強さは一時的なものだから、きりのいい所で逃げないと間違いなく死ぬから気をつけなさいね」

「死ぬ?俺が?今最高にいい気分なんだよ!死ぬ訳がないだろ!」

「あら〜?そうなの?それはなによりね〜」

何処までも巫山戯ている声が遠ざかり、八城は溜めて収めていた刀を抜刀する。

日が傾き始めた夕刻の陽が赤く刀身を彩れば、三十体と斬っている刃は所々が欠けており、多少の曲がりも見て取れるがこの相手を足止めするだけなら刀一本で十分に事足りる。

八城は真横を抜けていく三体を同時に切り伏せると、一華たちが逃げて行った道を塞ぐ様に感染者の前に立ち塞がった。

普通なら一目散に逃げてしまい状況だが、八城の中に逃げるという選択肢はスッポリと抜けている。

この力を試したい

ただただ、目の前の存在を蹂躙したい。

もっともっと、この刀で肉を斬った感触を堪能したい。

圧倒的な力を抗えない力をこいつらに知らしめやる。

「お前らを後ろには行かせない、ここから先は俺とお前らだけだ」

自分でも不気味だと感じる笑いが込み上げて来る。

そんな笑いが壊れた蛇口から水が溢れ出す様に垂れ流れて止まらない。

そこから始まったのは、確かに一方的な虐殺だろう。

刃が欠けようと、剣先が曲がろうと関係ない。

感染者は頭部さえ破壊できればそれで動きを止めるのだから、相手の弱点を徹底的に破壊する。

正面に見える眼球から脳天へ刃をスライドさせ、掻き回す。

どんな血反吐を吐きかねない残虐な行為だろうが、今の八城には全ての感覚と全ての感情が快楽に変換される。

一体、また一体、感染者の隙間を縫いながら、自身にこんな動きが出来たのかとあまねく飛び散る感染者の体液に酔いしれる。

そして一五体を過ぎた頃、それは突然やって来た。

数え切れない温い汗が振るった刀と共に飛び散った直後、数十分と続いた至高の時間は突如終わりを告げた。

「はぁ……なんだよ……これ……なんで急に」

奥歯が真冬の寒さに凍える様にガチガチと音を鳴らし、外気の真夏の気温が数段暑く感じる。

チリチリと焼け付く斜陽で肌が痛い……

腕も重く、何より目の前の感染者の虚空を見つめる視線が恐怖を掻き立てる。

どうにか目の前の一体に全体重を掛けて倒れ込み、欠けた刃で脳天を穿つ事に成功したもののそれ以上の行動が思い付かない。

壊れた刀から手を離し、何か打開策がないかと一心不乱に思考を巡らせ一華の言葉を思い出す。

『きりのいい所で逃げないとアナタ間違いなく死ぬわよ』

一華が去り際に残した言葉を思い出し遅くも言葉の意味を理解する。

野火止一華が『間違いなく』などという言葉を使うという事は、それは絶対に訪れる未来だ。

「あぁ。そうか。この時の為の……」

八城が戦いに没頭すれば、掛かった魔法にも似た『フレグラ』の効果時間が予期せず切れる事を一華は知っていたのだろう。

そして戦闘にのめり込んでいる八城はきっと『フレグラ』の時間制限に気付けない。

だから、一錠の『フレグラ』という得体もしれない薬を八城に追加で渡して来た。

そう、一華は打開策を渡してくれたのだ

忠告をして、尚かつ打開策まで用意してくれている。

囮として放り出された最初の避難所での扱いに比べれば天と地ほどの差があるだろう。

つまりこの事態に陥ったのは単純に自身の責任だ。

使う事態に陥ると一華は分かっていて、事実その通りになってしまった。

「そうか……そういうことかよ。全部分かった上で……一華……クソったれ!」

悪態をつく間も惜しい。

八城は一華から受け取った一錠を口の中に放り込み。震える奥歯で噛み砕けば口の中に甘い香りが広がっていく。

だが最初に飲んだ頃に比べ一錠のフレグラでは強い万能感はなく、微かばかり症状が収まっただけだ。

だが辛うじて動く

足が動く……

拭いきれない死への恐怖は未だ根底に燻っているものの、身体の使い方を思い出す事が出来た。

足を動かす……それは、八城が高校入学から『陸上』という青春に時間を費やして続けて来た事だ。

感染者から逃げる唯一の方法でもある。

八城に出来る事は一つだ。

『走る』

地を蹴り、相手から距離を取る。

それしか出来ない。

だがそれが出来る。

なら……ただ、ただ八城は走った。

最初逃げた時よりも我武者らに、ただ逃げる為に八城は走り続けた。

疲労で動けなくなる事より恐怖で動けなくなる事は数倍危険が伴うという事を初めて知った。

だからたった一錠服用した『フレグラ』の効果が切れない内にと、足に残った余力を使って奴らを全速力で引き離す。

フレグラの効き目が弱くなっていくのは何よりも強い恐怖だ。

効かなくなれば、八城は動けない。

またあの時間がやって来る。

一時間にも一秒にも感じる体感時間を感じながら、八城はあらん限りの力で街を疾走した。

影が後ろに伸び始めた夜刻に近づき、八城はただ一人で走り続けていた事を悟って立ち止まる。

いつの間にか、あんなにも後ろに差し迫っていた奴らは居なくなっていた。

しかし感染者の存在が目の前にあらずとも八城の恐怖は拭えない。

一錠では足りない……

もっとあの錠剤が欲しい……

ただそう思いながら幽鬼の足取りで一歩を進んで行くが

あの角を曲がったら、感染者がいるかもしれない

また、子供が襲われて居るかもしれない

さっきは上手く逃げ切ったが、今度は上手くいくとは限らない……

だから、全てをどうにか出来る……

あの錠剤が欲しい……

時間も気にせず走り続けた結果、フレグラの効果は切れ今は全てを失った喪失感が身体を支配している。

次へ踏み出す一歩すらおぼつかない。

今感染者に遭遇すれば間違いなく奴らの仲間入りだ。

昼が長い夏場とはいえ、もう一時間もすれば夜になる。

何としてでも、フレグラを持っているであろう一華の居るあのビルまで戻らなければと思い、ゆったりとコンクリートの壁沿いに手をつきながらその歩を進めていくと八城の足下まで人影が伸びて来た。

向こう正面から伸びて来るその人影が自分の物じゃないと気付き、恐怖から指先の体温が抜けていく。

今この世界での人影は二種類しか存在しない。

奴らか、人か……

そしてランダムで出会う確立のが高いのは断然に奴らの方だ。

顔を上げる勇気すら湧いて来ない。

諦めと恐怖の中最後の時を待っていると、その影はゆったりと近づいて来た。

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