第282話 旅程3

八城と一華が子供を連れて避難所である『朧中学』を目指し始め早くも三日が経過していた昼過ぎの事。

目的地である『朧中学』はもう目と鼻の先だが、一人の子供が気付いた存在に周囲はざわめきだす。

「誰か……あそこに……居ます」

それは正午を過ぎた遅い昼食休憩中の出来事だった。

何故か飯当番を連日続けている一華が出して来た少し『甘い』味付けの昼食を今日も今日とて食べながら、四階建ての屋上で八城は優雅に食事をし、子供達は先に食事が終わり早々に暇つぶしがてら交代で何処かで拾って来た双眼鏡で遠くを見て居た時だった。

子供から子供へ、そしてその番が雛へと移り雛が双眼鏡で見ていたのは百メートル程先にある複合販売店の内部だ。

つまりデパートの一画だ。

デパートには異常なまでに多くの感染者が殺到しており、状況を見る限り生きている人間であるなら誰もあの施設へは近づきたくはないだろう。

八城やあの好戦的な一華でさえあの集団の前に迂回を余儀なくされたのだが、ガラス張りの三階部分を見つめる雛は見開いた瞳をジッとただ一点に見定めている。

「八城さん……あれって……」

名前を呼ばれただけ、それも風に消え入る程度の声でしかない。

だがその一言に雛がどんな感情を込めているのかは理解できる。

切に願い縋り見上げるその目を見て、八城は双子の最後の姿を思い返す。

「助けて」と声に出さずとも分かってしまう。

八城は食事を切り上げ、雛から受け取った双眼鏡を一華へと渡す。

「……一華、向こう見えるか?」

何も気にせずムシャムシャと昼食を食べていた一華は八城の指差す方向へ双眼鏡を向ける。

何かを見つけたらしい一華は食べていた物を一気に飲み込んで、屋上の金網の隙間から感染者の群がるデパートを確認して、不気味に笑う。

「?うんうん……生き残りが居るわね〜というか、居ないと不自然よ〜感染者は生きた人間に群がるのだから、あの群れの塊がなんの意味も無くあの建物に群がってる方が不自然よ」

一華同様、八城も同じ事を思っていた。

生き残りが居なければ、感染者が群がる事は無い。

感染者の群れが一カ所に留まり続けている事から、間違いなくあの場所には生き残りが居るのだろう。

「一華、俺達はこれから『朧中学』に子供を連れて行く訳だが、なんの手土産も無しに十四人の大所帯を避難所で受け入れてくれると思うか?」

ある種の賭けだ。

今の八城だけの戦力では取り残された者を助ける事など出来る筈はない。

だが、一華が居れば或は……

そう思わせてしまう程、野火止一華から可能性を感じてしまう。

「ここは朧中学校から目と鼻の先だ。朧小が健在ならあのスーパーに物資調達に来ている可能性は十分にあるだろ」

心拍数を抑えながら、平静を装いながら八城は一華へと尋ねる。

「そうね〜物資調達に来てる可能性はあるわ〜で?だから何かしら?ハッキリと言いなさいな」

一華は誰も気にかけない。

一華の気分が乗らなければ戦う事もおざなりになる。

そんな人間が自発的に誰かを助ける……

いや、建物に取り残され、化け物に囲まれている間抜けを助けたがる訳がない。

だからと言って、雛から向けられたあの瞳を見て見ぬ振りをする事も八城には出来ない。

「ハッキリ言わせても貰うが、俺はあそこに取り残されている人間を助けた方がいいと思ってる」

屋上を吹く蒸し暑い夏風が頬を撫でれば、目の前には酷薄な笑みを浮かべた一華の試す瞳が八城を凝視していた。

「……ん?よく分からないわ?何故かしら?彼らを助けて私達にメリットがあるの?そもそも、あんな所で囲まれてる間抜けを助けても間抜けは間抜けよ、私達が助けたっていずれ間抜けは死ぬわ」

一華の性格はこの数日で知り尽くしている。

助ける価値を問われる事は分かり切っていた。

だからこそ八城は用意していた答えを一華へ提示する。

「仮にだが、あそこに残されてる人間が『朧中学校』で避難所の住人のための物資調達の部隊なら、俺達がそれを助ける事は大きな意味があるはずだ」

だが朧中学にて物資調達をしているのなら、それは避難所の人間に、ひいては『朧中学』に借りを作る事が出来るという事だ。

八城たちは命の恩人となりなおかつ物資調達を手助けしたとなれば『朧中学』から快く受け入れられるだろう。

「迷ってる時間はない。このまま俺達がこの子供を『朧中学』に連れて行って子供の保護を断られたら本当の意味でここまでの道中が無意味になる。それならいっそここでリスクを負ってでも確実な方を取った方がいい筈だ」

全ては仮定であそこに取り残されている人間が『朧中学』の関係者である確証などない。

一華はきっとそれを理解しているのだろう。

此方を試す様に睨め付ける視線は全てを見透かされているかとも錯覚させられる。

だがそれでも、八城は一華の力があるのならどうにかなる気がしてならない。

返事を待つまでの緊張を悟られまいと鼓動を抑えるように呼吸をする事数秒、一華は心底つまらなそうにため息をつく。

「分かったわ〜ただし、私は外で感染者を引きつけるから〜面倒な救出は言い出しっぺの八城がやりなさいな」

方針は決まった。

子供は屋上に残し、バリケードを作る指示を出し八城と一華は街を駆け抜ける。

「私は入り口から駐車場で料理するから〜八城は一〇分以内にお馬鹿さんたちを連れてきなさないな〜それ以上は私の心が冷めちゃうからね〜」

「了解だ、出来るだけ熱々の内に戻ってやる」

一華から渡されている刃の本数は二本だけだ。

一見しただけで数百という個体が見えるこの場所で全ての感染者を相手にする事は到底出来る筈が無い。

考えろ、最小限で切り抜けて最速で三回のフロアまで到達する方法を……

「そうだ、八城〜これ渡しておくわ〜戦いでどうにもならなくなったら飲みなさい」

手のひらに渡されたのは、透明なビニールに入った紫色の小さい玉だ。

「……おい、何だよこれ……俺は人が握ったおにぎりとかおはぎとか、食べられないんだけど」

「あらそう?以外と美味しいわよ〜私の知り合いが作ってくれた合法の麻薬なの〜少し依存性が強いけど今の八城なら多少マシに使える筈よ」

能天気に言ってるが、それは結構大変なものなのじゃないだろうか?

と言うかその知り合いは向かってはいけない方向に向かっている気がする。

だが、一華が無意味な物を渡して来るとは思えない。

一華が使えると言うのならこの丸薬は役に立つのだろう。

「使うかどうかは置いといて、とりあえずは受け取っておくよ」

八城は見失いそうな丸薬をポケットに仕舞い込み、入り口で立ち止まった一華に背を向け一階フロアへと駆け抜けていく。

薄暗いフロア内は食品売り場となっていて、生ものが腐った酷い臭気が立ち込めており、通路には数多くの感染者が闊歩している。

一階の感染者を無視し停止しているエスカレーター駆け上がり二階へ、そしてそのまま三階へ向かおうとした所で、十二体の感染者が『授乳室』と書かれた扉が開きかけている。

迷う間はなく、八城は飛びかかる様に一体、去り際に二体、三体、四体。階段へ蹴り飛ばし五、六、七、伸びて来た腕を躱し、喉元へ突き立てた刃を振り抜き八、九と頭を斬り飛ばす。

丸三日、子供達を守りながら歩いた道中は、地獄だった。

一華はわざわざ、感染者を八城の方へ誘導し、ギリギリまで戦わせて来た。

だからだろう、多対一という状況でも落ち着いて対処する事が出来る。

「こりゃあ、新記録だな……」

言葉と共に左右に居る感染者の足を払い転がった二体の頭部へ刃を突き立てる。

十、十一……

「最後だ」

後ろから口を大きく開けた最後の一体を八城は視線を飛ばす事は無い。

この三日で感染者の動きは一辺倒打という事は知っているから、見る必要も無い。

八城は刀を逆手に持ち替えあらん限りの力で顎下から刀を突き刺した。

溢れる感染者の体液を半身に浴びながら、その顎下からヌルリと刀を引き抜けば、授乳室に入ろうとしていた感染者は動かなくなった。

全てに二十秒と掛からない八城の技術は明らかな向上を見せている。

それは八城自身がよく理解している事だが、授乳室の隙間から見ていた彼女からすれば、それは八城がまるで別人になってしまったのでは無いかと思ってしまう。

「八城……?八城だよね?」

刀身に付着した感染者の赤い体液を振り払っていると、その声が自分を呼んでいるのだと理解した。

そして、彼女の姿を見た瞬間、八城の景色は久方ぶりに色を取り戻す。

八城にとってあるべき日常の一端が、姿を変えてそこにあった。

「お前……まさか看取草か?」

髪はぼさぼさ、涙でぐしゃぐしゃの目元は学校で知っていた彼女の印象を大きく変えているが、泣きじゃくる彼女は八城の記憶の一人の人物『看取草紫苑』と合致していた。

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