第281話 看取草

彼は『東雲八城』は突然私の前に現れた。

変わらず夏の蒸し暑い日昼下がり。

もう直ぐに夏休みが始まる夕暮れに彼の背中を見送った日

彼に言葉を掛けようとして、明日にしようと先送りにした自分を恨みに恨んだあの日から一ヶ月……

クラスメイトで、友人で、憧れで……

私にとって一番に大切な人『東雲八城』はなんの前触れも無く現れた。

走る事以外に特出した特技は持ち合わせておらず、クラス内でも特段目立つ存在ではなかった彼、東雲八城。

だが私はそんな彼が好きだった。

目立たず、目立つ事を好まない、だがひたむきに陸上に取り組む彼の姿が私には輝いて見えた。

私自身きっと生まれついて身体が弱いというのもあったのだろうが、誰よりも早く走り笑う彼の姿が好きだった。

それは友人として好きではない。

友愛ではなく異性としての愛を向けていた。

学生で言うのならそれは恋と呼ばれる代物だろう。

だから、あの日。

全てが終わったあの夏の日に、最後の彼を見た時からずっと私の中の後悔は募り続け……

そして今、彼は私の目の前に姿を現した。

化け物どもに追いかけられデパートの個室に立て籠ったは良いが、扉が歪み壊れるまで後少し……

この薄壁が壊れてしまえば、自分の命はそこまでだろう。

そんな諦めが思考を支配し始めた時に……

彼は化け物が闊歩する扉の向こうから現れた。

そして私を守る様に感染者へ立ち向かう彼は、後ろに居る私に気付いた様子は無く粗雑な刃物を携えて果敢にも感染者を退けていく。

ふと見た横顔には血潮で高揚した視線と、返り血で彩られた流血の後が見て取れた。

一体二体と数を減らし、気付けばあれだけいた数の感染者は一掃されていた。

その姿はヒロインのピンチに駆けつけてくれる、まさにヒーローだった。

だけど、そんな彼の存在に私が鼓動を弾ませたのも束の間、彼の横には『魔女』が居座っていた。

八城の隣に立った彼女を……

『野火止一華』を一目見ただけで『魔女』だと感じたのは間違いじゃなかった。

『東雲八城』を私の前から連れ去る魔女

彼を変えてしまった魔女

残酷で歪な魔女

『野火止一華』

斑色の迷彩服を着込み、闇を蓄えた黒髪を靡かせて毒々しくも美しく鋭利に笑う唇は、一切の他を寄せ付けない美しさがある。

なにより怖いと思えるほど整った顔立ちに、隣に立つ八城が向ける笑顔の先に居るのが私じゃない事が胸の内を掻き乱す。

私じゃない違う人が八城の隣に立って、八城が微笑んでいる。

あぁ、きっと勝てないと、そう思って……

私は彼が……私の窮地に駆けつけてくれた東雲八城がもっと好きになって……

だから私は、彼女を『野火止一華』を絶対に許せないんだろう。

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