第247話 根城15
目配せはない。
二人の間には間を合せるタイミングなど不要だ。
それほどまでに濃密な戦場を幾度となく潜り抜けて来た二人である。躍り出た呼吸だけで、刃の向きと立ち位置だけで、自身のやるべき事が分かる。
紬はその切っ先を八城へ、
桜は元々持っていた量産刃をクイーンへ、
それぞれ牽制の刃を振るう。
美しい円弧を描く二刀の切っ先の刃が、化け物の支配するネズミ色の空間を押し返す。
「よく耐えた。ここからは私も戦う。後少し付き合って」
頼もしくも勇ましい背中が携えるのは見窄らしい一本のサバイバルナイフだけ。
「紬さん!これを使って下さい!」
見かねた桜は八城に投げられた量産刃を紬に渡し、紬はその重さと長さを確かめるように、切っ先の正面を視線の先まで上げて見せた。
懐かしい刀身に、見合わぬ重さを携えた量産刃の感触を確かめる。
「ありがとう桜。私が一〇番を背負う所以を見せる。桜は前回に引き続きクイーン担当」
大食の姉に続き、ここでも桜がクイーンを引き受けるのは、紬がクイーンの動きに付いて行けないというのもあるが、桜には未だ八城の相手は手に余るからだ。
「その担当は出来れば遠慮したいぐらいには嫌ですね……でも今日だけは仕方ありません」
「苦手を克服するいい機会に恵まれたと思えば良い!」
「……じゃあ、そういう事にしておきますね!」
短く言葉を交わし、それぞれの視線の先に据える獲物へと斬り掛かる。
「ハハッ!久しぶりにクソ餓鬼が戦場に出てきやがったなぁ!」
「お前には興味がない、早く八城くんと代われ」
紬と八城、互いに見知った顔ではあるが含まれる内情は如何とも推し量る事は難しい。
あらゆる意味で紬はこの東雲八城に助けられて来た。
だからこそ、今度もまた紬はこの八城に絶対に勝たねばならない。
「今までのお前は私に負け続けている。そして今日も……お前は私に負ける」
コンマ数秒のズレすら許されない化け物の領域で、紬は思考よりも早く刃を降り続ける事でようやく五分五分を演出してみせた。
「卑怯者がよく喋りやがるなぁ!チンケないつもの仕掛けは今日は無しかぁ!ええ!どうなんだよぅ!」
素早く、重い、人間では到底追いつく事が困難な領域で、紬はそれでも八城を傷つけることなく戦いの間を保ち続ける。
ただ、紬よりも早く戦場を学習していく八城に対し己が知る戦闘技術だけでいつまで保つかは紬自身が誰よりも理解していた。
「おいおい!どうしたよぅ!昔に比べて随分と遅くなったんじゃねえのかぁ!なぁ!クソ餓鬼ぃ!」
返事をする呼吸の一間すら大きな隙になりうると理解して、熱くなる一方の四肢に重ねた刃の枚数、踏みしめた重圧だけ紬へ疲労の色を添えていく。
「どうした!どうした!どうしたんだよぅ!もっと殺す気で来い!俺の腸の色が拝みてぇんだろぅ!その鈍らをもっと力一杯振り回せ!昔のお前はもっと上手に出来ただろぅ!」
安易に八城の懐へ踏み込めば即座に首を刎ねて来る。
だからと言って踏み込まなければ自重と運動能力で勝る八城は、紬では届かない間合いからの一方的な攻撃で着実に紬を追いつめて行く。
切っ先の長さ分加速する筈の獲物は、紬にとっては長過ぎる。
無理矢理に取り回す量産刃を弾かれて、切っ先が地面を抉りながら、紬は大きく後退する。
手の痺れの感覚はとうの昔に消え去り、今は不気味にも両手に握っている筈の量産刃の質量を感じないほどだ。
少し後ろで戦っている桜も、決定打となりうる武装がない為にクイーンから振り下ろされる致命の一撃をどうにか搔い潜り防戦一方を強いられている。
だが、最も紬の気力を削ぐ原因があるとするなら、面と向かう相手が『東雲八城』だということだろう。
今まで、一度だって『東雲八城』に『白百合紬』がこんなにも求められた事はなく、熱を帯びた八城の吐息が紬を求めて呻きを上げる度に、紬の思考は慌てて募る想いを否定する。
だが、相対する姿は紛れもない紬が追い求める異性の姿を否定する事だけは出来そうにない。
「私が……私が欲しいのはお前じゃない!」
「そりゃあ残念だったなぁ!なら残念ついでにそれ以上悲しくならねえように今直ぐ俺が殺してやるよぅ!」
金属音が連なりながら、紬は一秒先へと生を繋いでいく。
切り結び、切り上げ、足を払い、身体中至る所に擦り傷を負い泥を被りながらも振り下ろされる致命の一撃だけは辛うじて受ける事だけはしない。
「いいなぁ!いいなぁ!お前は見窄らしくていいじゃねえかよぅ!クソ餓鬼ぃ!」
「私はクソ餓鬼じゃない、私は紬。好い加減に名前ぐらい覚えろ」
「そうかよぅ!無意味な自己紹介お疲れさん!クソ餓鬼ぃ!」
最初から名前など憶えるつもりなど毛頭ない。
そもそも、今日此処に居る全ての生命を殺すつもりの八城にとって個人の名前など塵芥程度の瑣末な事でしかない。
「一人残らず、そっちの化け物も俺が殺してやるからよぅ!遠慮なくこの場で死んでくれていいんだぜぇ!」
「それは無理。それから……」
受け流し、紬はこの時初めて一歩八城へと踏み込んだ。
「もう時間が来た」
囁いた瞬間、紬は八城の身体を思いきり蹴飛ばした。
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