第245話 根城14

「隊長!横です!」

桜からの咄嗟の声より先に、八城は不機嫌を露わに視線も向けず刃を一線――

「あぁ!?俺に命令するんじゃねえよぅ!」

クイーンから向けられた指先を自身の身体から逸らしつつ、交差するすり抜けざまに斬り掛かるが、切っ先の刃はあろう事か薄皮一枚を切り裂く事もなく表皮を滑り落ちていく。

「ハハハッ!いいなぁ!おいおい!コイツは堪んねぇ!斬っても斬れねえ!傷も付かねえ!もう一つオマケに、馬鹿力と来たもんだ!こりゃあ斬りごたえがありすぎんだろうがぁ!」

クイーンからの一撃はその全てにたった一度でも身体を掠めただけで人を殺しうる『死』を孕んでいる。

ただクイーンからの全ての攻撃は生彩を欠いた大振りである。

だがそれは八城と桜が鬼神薬を使用しているからこそ、クイーンからの致命となりうる一撃を躱す事が出来るが通常時であれば最初の一撃で吹き飛ばされて終わっていた事だろう。

しかし、特出すべき問題はそこにはない。

このクイーンの問題とすべき点は、その皮膚に一ミリたりとて刃が通らない事にある。

一見すれば人の肌のように見える外殻は『サメ』や『エイ』特有の『楯鱗』に似た性質を帯びた肌が覆っており、全く刃物を寄せ付けない。

精緻を凝らした人間離れした技と、人の枠を超えた八城の膂力を持ってしても目の前の化け物の薄肌の一枚すら破る事は険しい。

それは化け物が化け物たる所以でもあるのだろう。

人の武器を全く寄せ付けず、あくまで一方的な殺戮を強要する戦場を最早戦場と言っていいのかも甚だ疑問ではある。

だがそんな絶望的な状況を見てもなお、今の東雲八城は狂ったように笑い続けた。

「アハハハハ!いい!凄くいいなぁ!斬っても斬れねえなら永遠に戦っていられるじゃねえかぁ!なぁ!クソの人間もどきぃ!」

唯一、この戦場で『東雲八城』が楽しげである事は変わらない。

だが、どんなに楽しげであろうとも八城自身の肉体の限界は確かに近づいているは明らかだ。

息が荒く上気している頬には少なくない疲労の色が見て取れる。

地面を転がった時に擦りむいた身体からは常時血液が滴り落ち、手の先に握る量産刃の切っ先が小さく震えている。

「隊長!一旦下がって下さい!このままじゃジリ貧です!」

「テメエよぅ!さっきから人の事勝手にタイチョウ、タイチョウってうるせえんだよぅ!俺はテメエのタイチョウじゃねえ!」

「隊長は私達の隊長です!早く戻って来て下さい!」

八城が着実に追い込まれるのを見て桜は二本の内一本を鞘へしまい込み後方からクイーンへ斬り掛かる。

連撃に次ぐ連撃にクイーンの注意が一瞬にして桜へと移り変わる。

「あぁ!クソったれのクソ女!人の獲物横取りしやがって!ァァ!イライラすんぜぇ!頭ん中で餓鬼の声がうるせえしいよう!目の前のクソ女はムカつくし!化け物は手強いし!あ〜あっ、全員静かになるまで殺してやりてえなぁ!」

頭の中で響く少女からの言葉は同じ事を八城へ命令し続けて来た。

『戻れ』と発し続ける、誰とも分からない少女の言葉は小さな強制力を伴った誘惑のように八城の思考を蝕み続ける。

「うるせえなぁ〜見つけたら殺してやるから、待っててくれよ」

向こうには聞こえていないのかも分からないが、八城は頭に鳴り響く声の主に返事をして目の前のクイーンにまた一刀の刃を打ち据えた。

クイーンを挟んでの桜と八城の挟撃は、奇しくもこれまでにない連携を生み不動だったクイーンの体制を微かに崩していく。

「いいなぁクソ女!このスピードについて来るならテメエは間違いねえ!コッチ側だなぁ!」

返す八城の刃に絡め、桜はすかさず刀身を翻す。

刃を刃で受ければ即座に切れ味を落とす量産刃においての戦い方の基本ではあるが、使い捨てる者が多い量産刃で実戦する者は剣術の型を実戦レベルにまで落とし込んでいる桜ぐらいのものだろう。

ある種、化け物を相手取るのであれば無駄の多い動きではあるものの、それでも難なく八城のスピードに付いて行けるのは、化け物だけが生き残れる戦場に桜自身が順応しているからに他ならないという事は自覚せずとも明らかだ。

「一緒にしないで下さい!」

「一緒だろうがよぅ!テメエは俺や野火止と一緒だぁ!戦うのが楽しくて仕方ねえって顔してやがるんだからよぅ!」

言われて桜は自身の口角が上がっている事に気が付いた。

それはまるで、今の八城と同じように戦いを楽しんでいる自分自身がいる証左でもある。

「そっ……そんな顔してません!」

刃を振るう度に背筋を駆け抜ける陶酔にも似た快感を振り払うように更に刃を深く、クイーンへと突き立てても、刃を振るう度更に強く駆け巡る快感が桜を着実に戦場の深淵へと桜を引きずり込んでいく。

「アハハハハ!押し殺しても無駄だぁ!俺には分かるからよぅ!楽しいだろ!最高だろ!戦いはよぅ!心が躍って止まらねえんだ!誰かの血潮が流れ落ちるのを見て!臓腑の最後の一欠片まで引きずり出したくなるだろぅ!誰かの生きた証を踏みにじってこそ自分が生きてるって実感出来んだろぅ!これが!戦いだぁ!」

二人からの攻撃を嫌ってかクイーンからの振り払いを同時に量産刃で打ち払い、互いに数歩の距離を取る。

「やっぱり、アナタとは気が合いませんね!」

「そうかよぅ!俺は最初っからテメエとは気が合いそうにねえって知ってたぜぇ!」

叫びと怒号が飛び交う戦場で桜は自身の居場所を確認しつつ、目の前の迫る刃にギリギリで自身の刀身を滑り込ませる。

再度、桜と八城の量産刃が交わり甲高い金属音に誘われるようにクイーンが二人の影を追従していく。

「後……少し!」

「いいなぁ!いいなぁ!お前が死ぬまで後少しだ!」

「いいえ!アナタを倒すまで後少しです!」

地面を踏みしめ掠めた傷もそのままにもう一歩、更にもう一歩と桜は目的地とされている場所へ後退していく。

「おいおいおいおいおい!何処まで行くんだぁクソ女!そんなに俺と散歩がしてえのかよぅ!」

「いいから!黙って付いて来て下さい!」

振り下ろされる刃を凌ぎ、伸ばして来るクイーンの腕をすり抜け、八城からの無作法な蹴りを腹にもろに受け転がりながらも桜はその場所にどうにか辿り着く。

一転。

桜は八城とクイーンの間に挟まれるようにして量産刃を突き出した。

誰が見ても、隙だらけな大振りな一刀。

「今です!」

澄み切った緑道に響いた桜の声に反応したのは、乾いた『了解』という短い返事だけだ。

最初から分かっていた。

今の桜では、何処にも刃が届かない事ぐらい。

それが分かっているからこそ、化け物達よりも早い人類が生み出した一撃の担い手が必要だった。

ほんの少し……微かな瞬きの間さえあれば届く刃を持った主が現れる。

「よく耐えた、ここからは私も戦う。後少し付き合って」と

頼もしい背中に、桜はもう一度量産刃の柄を堅く握りしめた。

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