第235話 根城4

桜や紬が逃げた方角とは逆方向へ駆け抜ける八城はこの作戦の直前に『北丸子』ともう一度連絡を取ったときの会話を思い出していた。


「作戦だぁ!?そりゃあ本気で言ってんのかよ!」

「本気も本気だ、それに子供一四〇の命まで掛かってる」

子供好きな丸子の事だ、子供が犠牲になる作戦の敢行を許せないのだろう事は言葉の端々に現れていた。

「だが、実際問題今のてめえの手元にゃ頼みの綱だった三シリーズもねえんだろ?悪い事は言わねえ、やめといた方がいい。子供の無駄死にもそうだが、クイーンをあんまりなめてかかると碌な事になりゃしねえぞ。ましてや今の八城はただ周りより少し強いだけの人間じゃねえか。八九作戦の時みてえな最盛期とはわけがちげえ。つまりだ、その作戦どう足掻いてもテメエらに勝の目がねえ」

言いづらい事をこうまであっさり言う辺り、丸子の中での戦力比は決定的という事だ。

「仕方ないだろう。勝ちの目がないのは何時もの事だ。それよりさっき聞いた問いに答えろ。菫の血液にクイーン因子が含まれているなら、菫の血液自体が奴らへの切り札になり得るんじゃないのか?」

一つ思案の瞑目の後、丸子は厳かに言葉を紡いだ。

「結論から言う、なり得ねえ。つうのも、テメエが使ってた三シリーズだがアレは『増殖因子』の塊だ。形状を刀の形で保ってるだけで、アレはれっきとした生物だぜ。そんでもって菫の血液は『クイーン因子』ここまで言やあなんで切り札になり得ねえのかは単純明快だぜ、即ちだ。菫は『増殖因子』を持ってねえからだごら!」

苛立たしげにまるこが舐めていた飴を咀嚼する音が鳴り響き、立て付けの悪い椅子が通話向こうで軋みを上げる。

「八城よう、分かってねえようだからもう一回説明してやんよ。『増殖因子』は自己回復、つまり一体のクイーンを中心として、『増殖因子』分け与えられた一個体の生命維持を助ける機構だ。だが、他のクイーンからなる……まぁつまり三シリーズで言やあ『柏木光』からなる『増殖因子』を受け継いで三シリーズはその形状を刀身の形に自己保存してる訳だが、他の個体に三シリーズの増殖因子を組み込んだ場合、その形状の差から一個体の崩壊が始まる、その現象こそがてめえが三シリーズを武器として使用している本質そのもだ。だが対する三シリーズもそれは変わらない。他の形状の『増殖因子』を受けて三シリーズはその刀身を黒に染める。それがテメエが言うところの使用限界つうわけだが、菫つうクイーンは増殖因子を持っていねえんだろ?」

丸子の言いたい事は分かる。

つまり『三シリーズ』の中に含まれている『増殖因子』にこそ、敵の動きを止め、息の根すら止める役割を持っていた。

三シリーズが多量の増殖因子を含んでいたからこそ、感染体の再生を阻害し動きを封じる事が出来たのだ。

そしてだからこそ八城は、一つの結論を導き出す。

「なら、菫の中の『クイーン因子』を『クイーン因子』のまま使うならどうだ?クイーン因子は子を作りクイーンからの指令の伝達を担う因子の筈だろ?」

「だが奴らの血肉は奴らから離れた時点で腐敗が……あ?いや、そうか!増殖因子を持たねえ『クイーン因子』だけの血液ならアポトーシスもオートファジーも……いや、あの事象はネクローシスに近けえのかもしれねえが!今はどうでもいい!とにかくだ!寄生体から離れた瞬間に始まる腐敗が起こらねえ!つまりそれらが起こりやがらねえつうことは『クイーン因子』だけならそれを丸々生きたままに注入出来るつうわけか!」

「あぁ、コッチでは菫の体細胞が菫から離れて即座に腐敗が起こらない事を確認している、可能性としては十分だ」

「……あぁ!そうだな!確かに、その通りだ。クイーン因子が奴らを操ってる根本を担うなら、菫のクイーン因子を打ち込まれた個体は二体のクイーンからの指示を受ける事になる、つまり言葉通りそのまま機能を停止させるだろぜごら!」

生きた屍が生きたまま(動かなく)屍になる。

三シリーズは己の刀身に含まれる『増殖因子』の許す限り効果を発揮していた。

それは『フェイズ』つまり『増殖因子』の濃度が上がれば上がるほど三シリーズの使用限界も制限されていた。

だが菫の血液『クイーン因子』は、フェイズの壁を超えて効果を発揮する。

どれだけの増殖因子を持っていようと命令系統が一つであるなら、そのたった一つを断たれるだけでどれだけ強大な力も機能を失う。

そこまで考えて八城は一つの疑問が頭を過る。

そう『機能』している。

クイーンが『機能』を作っている?

「おい……待ってくれ……クイーンからの指示?命令?なぁ、おかしくないか?」

そうだ、何故気付かなかった?

死んだ人間が、誰に何を命令出来るというのか?

命令出来るのは、頭で考え自律を行える者だけだ。

そう、即ち命令を下せるのは『人間』だけだ。

「何故クイーンが意思を持って人を襲っているんだ?」

つまりクイーンは……

「クイーンは、人としての意識が……まだあるのか?」

尋ねた八城の言葉に、重い沈黙を破り丸子は言葉を連ねた。

「……分からねえ」

苦虫を噛むような歯切れの悪い言葉に続き、丸子は重い吐息を無理矢理に飲み下す。

「ただ……そうだな。クイーンの中にある軍隊を動かす単純命令を処理する器官が仮に人間の脳であるなら、人間の意識がねえとは断言できねえな」

自我を失おうと、機構として生きている。

それは一種の罪悪感と共に一つの希望を見出す事が出来る。

「なら人間が!……」

『元に』と続きそうになった言葉を、弱気と共に八城は引っ込めた。

あまりにも希望的観測が過ぎる。

あまりにも稚拙で笑い飛ばされても文句の一つも言えない言葉の羅列は言葉にするにも煙たがられると思ったからだ。

だがそんな言葉の一旦を受け取った丸子は決して笑う事はしなかった。

「てめえの言いたい事は分かる。喰われちまった人間を取り戻せるんじゃねえかって、そう言いてえんだろ?私にゃ正直分からねえ……だが、出来ねえとは言わねえ……言いたくねえ!私はずっとそれを!この四年間それだけを望んでんだ!私でも!誰でも良い!人間を取り戻す事を実現してくれる人間が現れる事をこの馬鹿げた日常が始まってからずっと待ってんだよごら!」

思い描いた願いはなにも違いはない。その願いを言葉に出して言えるかどうかの違いだ。

そこまでの道順を思い描き、行動し実現させるだけの説得力を持てるかの違いだ。

だから東雲八城は言えず、北丸子は声を大にして言う事が出来た。

「妄想も!希望も!不可能も!実現すりゃ誰もテメエを笑えねえ!八城!私は諦めねえ!だからてめえが先に諦めんじゃねえごら!」

妥協と後悔を賢さと偽っていつの間にか大人になるのなら、きっと北丸子は子供のままだ。

「そうだな、お前の言う通りだ。諦めてる場合じゃない」

「ハッ!そうだぜごら!ようやく腑抜けた声が消えたな!だが、一つだけクイーン因子について、てめえにだけは伝えておきたいことがあんだ」

次に丸子から聞いた言葉を八城は戦場で知る事となる。

これまで経験した戦いの中で最も過酷で最悪な、強敵とされる完成されたクイーンの姿を……

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