第236話 根城5

八城は丸子から通話の最後に言われた言葉を思い出す。

『増殖因子は進化する為の因子だ。『菫』のクイーン因子で軍隊を取られたクイーンがどんな進化をするか、正直予想が付かねえんだ。だから一撃で確実に仕留められる方法をとれ』と

丸子は言っていた。

だからこそ、高火力、高重量、何よりも持続性のある方法を選んだのだが、それでもクイーンを一撃で落とすことはできなかった。

そして、クイーンは今までに見た事のない共食いを始め、その形体を変化させた。

最も目の前の敵を排除する事に特化させ、効率化させた状態へ……

「つまりはこういう事かよ!クソったれ!」

戦場だった団地を背に丸子との会話を思い出しながら、町中を抜け団地周りをぐるりと一周するようにフェイズ1・2の群れを切り捨てていく。

クイーンの周りを抜ければ、敵の数はめっきり減り八城は団地の方向を確認してもう一度走り出そうとしたところで桂花は、掴まれていた腕を振り払った。

「おい!今は休憩してる暇なんて……」

苦言を呈する八城だが、桂花は懐かしげに橋の手摺りに書かれている古ぼけた橋の名前をそっと撫でていた。

「この橋の向こう……私の通っていた高校があって……帰り道のこの橋の上で、姉が私に話してくれて……」

何かを思い返すように、桂花は重く垂れ込んだ雲の下でポツポツと言葉を零す。

「姉は……私にとっては眩しくて、どうしたって追いつけない姉が私の前でだけ、しおらしく弱音を吐くんです……きっと兄さんと妹の前じゃ気が抜けなかったのかもしれないですけど、ちょっと……腹が立ちますよね」

急がねばならない。

今は、悠長に話しを聞いている暇などない。

あのクイーンの素性を分からないままにしていれば、ここ以外にも被害が広がる可能性がある。

だが、桂花にはもう前に進むだけの気概も気力も尽きてしまったのだろう。

ただ、空を見上げて不意に込み上げる切情が零れ落ちぬよう、薄墨を零した空をただ仰ぎ見る。

「姉さんは私が自分に似てると言っていました……おかしいですよね。妹である私があの姉さんに似てる筈もないのに……でも何時も何時も、弱音を吐く時の姉さんの姿は、私が寄りかかっていい存在には見えなかった……ずるいですよね?私は丹桂と変わらない妹の筈なのに……姉さんにとって私の存在はいったいなんだったんでしょうか」

それは違うと、八城は思う。

きっとその姿すら『浮舟茨』という姉が、『浮舟桂花』という妹の前で姉らしくあろうとした結果だった筈だ。

八城も妹を持って初めて知った事だが、兄はずっと兄のままだ。

いつ如何なる時も、妹の前で八城は兄という仮面を脱ぐ事はない。

兄妹の多い『浮舟茨』ならなおのこと、弱音を吐くその姿すら、きっと紛れもなく姉だった筈だ。

だが、兄妹という括りの中で『浮舟桂花』という存在は『浮舟茨』にとって最も心の許せる妹だったのは間違いない。

「私の姉は、私が知る誰よりも綺麗で、誰よりも尊敬する人だったんです」

瞳に映すのは、在りし日の記憶。

ずっと昔に辿った、何でも無い日々の記憶に隠れた虚弱の在処だ。

堰を切ったのは一瞬だった。

たった一つの切っ掛けが、たった一つの記憶の重なりがこんなにも容易く感情を崩落させる。

「そんな姉を……私がッ……私が、殺してしまった……私の思い上がりが、私の家族には生きていて欲しいって思った間違いが!私が!私のせいで姉を殺してしまった。丹桂から、そして兄さんから茨姉さんを奪ったのは……結局、私……なんです……」

桂花は姉と何度ともなく言葉を交わした橋の上で思い出を辿るように立ち止まる。

「あの夜。八城さんは私にどうしたいのかって聞きましたよね?結局今になっても、私は私自身が何をしたらいいのか分からないんです」

水澄む路水の両脇の花野を見下げながら、力無く笑ってみせる桂花は、寂しげに小さく零す。

「八城さん、私は何から始めれば、いいのでしょうか……」

問いかけたのは八城へではないのだろう。

きっと桂花は自分自身へ問いかけている。

だからこそ、八城は答えを言うことはしなかった。

ただ、そう興味本位にも似た好奇心で八城は桂花へ尋ねていた。

「お前は、姉が好きだったのか?」

何時かの夜に問われた問いかけを今度は八城が聞き返す。

「どうなんでしょうか……今にして思えば私の拠り所だったのかもしれません……でも、私はそんな姉が大好きでした」

「もし、お前が姉を取り戻したいのなら、俺は手伝ってやれる」

きっとこの問答に答えは出ない。

桂花も今の言葉に答えを見つけられず、俯いたまま震える指先を握り込んでいた。

失った存在を再確認することが出来ないなら、最愛の喪失に名前をつけることなど出来よう筈もないのだ。

「まぁ、兄妹って言うのは何かと面倒だよな。特にお前は上も下も居るんだから面倒だらけだ」

八城も一つ伸びをして、桂花の隣で上水を眺めれば、流れが緩慢な水面には並んだ八城と桂花の姿を写し出す。。

「だが不思議と兄妹って言うのは、誰も彼も違うもんだでな。暴れる奴がいればそれを纏める奴も居る。端からそれを見る奴が居れば、また新しい問題を持って来る奴も居る。それでもどんなに嫌いあっても、好き合っても兄妹の距離は変わらない」

八城が路端から石を蹴り入れた水面に波紋が広がりまた元の流れに戻って行くのを見て八城はもう一度問いかけた。

「だから、もう一度よくよく思い出してみろ、お前の姉はお前にとってどんな奴だった?」

水底が見える水面に答えを探しても、そこには何も無い。

考えれば考えるほどに、無味乾燥と取り返しの付かない後悔だけが桂花の脳裏を足早に通り過ぎて行くだけだ。

「私の姉は綺麗で……私の憧れで……とても、大切な家族でした」

当たり前で、今までで一度たりとて忘れた事はない。

大切な家族への想いが透き通る雫となって頬を伝い、アスファルトへ流れ落ちる。

「アレはお前の姉なのか?優しかった、憧れだった、大切だった、アレがお前の姉なのか?」

フルフルと首を振ると共に桂花に累積した落涙は大粒の雨のように、それでも激しく静かに染み出ていた。

「なら、このままじゃいけないだろ。お前がもし今に納得していないなら、きっちりお前の手で姉を奪い返せ。じゃないと、お前が尊敬した筈の姉はずっと死にぞこなったまま醜い化け物に成り果てて、人を喰い続ける羽目になる。お前は本当にそれでいいのか?」

流れる涙を拭い、それでも流れる涙をそのままに眼前を見据える桂花の瞳にはまだ遠い件のクイーンの姿を映す。

姉と慕った姿を大きく変容させた醜い化け物。

美しいと言った姿とは大きくかけ離れた醜悪な居城の主

だがその姿は紛れもない、浮舟桂花の愛した姉の姿でもある。

「分かりません……でも分かってるんです!アレは姉じゃないって!でも、アレは紛れもなく私の姉だったんです!」

クイーンの大元になったのは紛れもない浮舟桂花の姉『浮舟茨』だ。

だからこそ、桂花は八城へ聞き返した。

「私は……もう一度姉を殺さなくてはいけないんですか……」

八城の視線の向こう側、未だ燃え続ける団地内の公園で何かの叫びが聞こえて来る。

最早一刻の猶予もない。一分一秒でも早く向かわなければ八城はまた後悔する事になる。

未だ迷う桂花の視線を問い直す暇はない。

「悪いがタイムリミットだ、どうしても考え事がしたいなら走りながらやってくれ」

飲み下せない思い出が喉元で引っかかり息苦しさを覚えても、この世界では待っていられる余裕などない。

それでも、歩き出そうとしない桂花の手を無理矢理に引き、八城は合流地点ヘと駆けていく。

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