第220話 後顧2

テルは伏し目がちに言葉の締めくくりを告げ、話を終えると懐から一枚の写真を八城へと手渡した。

四人の兄妹が写る、日常の一幕を切り取った今はなき遠い昔の一枚。

「じゃあ、この隅っこに写ってるのが、お前の言ってた『浮舟茨』か?」

写真に写るその姿は兄妹の中で特出すべき点は見当たらない。

写っているのは計四人の人物で、たった一人八城には見覚えのない女性が写っていた。

「なんだか聞いてた印象と随分違う気がするな」

「そうっすか?でも今八番が見てるその写真に写ってるのは紛れもなく『浮舟茨』っすけどね。まぁ、『浮舟茨』に関して分かるのは、人が良かった事ぐらいしか情報としては集まらなかった人物っすけど。まぁつまり『そこそこ』ってことっすよ」

「そこそこ、ね。なら良い方の部類じゃないか」

「西武中央遠征隊隊長。人柄も良く容姿もそこそこ。ハズレのない的確な指示で隊員からの人望も厚く、隊長になってからの部隊損耗率は五割を切ったことがないらしいっす。なので、そこそこ。本人自体の戦闘センスも悪くはなかったみたいっすけど、同じ浮舟でも弟の『浮舟衣』と比較すると見劣りするって感じっすね。『浮舟茨』を総括するなら天才には及ばない秀才ではあったみたいっすよ」

テルのそこそこは非常に基準が高い。

特に使える人間から居なくなる現在は、そこそこと言われるのならそれは優秀を意味する言葉で間違いない。

「じゃあ、つまり……」

「そうっすね。当時西武中央で行われた前クイーン討伐時に、この西武中央がどんな状況だったのかは詳しく知らないっすけど、まず、その作戦において先攻した『浮舟桂花』の判断は『間違ってなかった』って事になるっす。そして多分、この中で犠牲にする最有力候補……つまり最適な人員を選ぶならそれは『浮舟茨』だったって事になるっすね」

答えは聞かずとも分かっていた。

姉は弟や妹の為

そして下の弟は妹二人の為

家族を思い、互いを想い合って

結果、誰もが思い詰めた。

姉は身を挺して妹を庇い、その弟は妹を生き残らせる為に自ら汚名を着たのだろう。

そして、この中でも最も使えない人物は誰か……それは先行した『浮舟桂花』が誰よりも理解して居たという事になる。

「だが、それなら丹桂のアレはなんなんだ?あれじゃあまるで……」

「そうっすね。多分あの兄妹の中で一番の問題児は浮舟丹桂なんっすよ。そして、兄妹の中での問題児を諌めるのはいつの時代も年上の役目っすから」

心など読む事などできはしないが、状況は如実に彼らの心情を伝えて来る。

きっと『浮舟丹桂』にとっては『浮舟茨』がその存在だったという事だろう。

精神の主柱を担う存在。

そんな存在を失う事はきっと誰であろうと耐え難い。

『東雲八城』にとって『雨竜良』がそうだったように……

仮にも生まれた時から一緒に居る兄妹という血の繋がりのある存在であるならその気持ちは計り知る事など出来る筈もない。

全ては姉が兄妹を生き残らせる為に仕向けた優しさだったのかもしれない、だが、その優しさが生き残った人間にどれだけの不幸をもたらすかは、死んだ人間には理解しようもない。

「……まったく、無責任な話だな」

「八番がそれを言うんっすか?」

「おいおい、見ての通り俺は死んでない。いつも死にかけては、ギリギリで生き残ってる。ほら、お前には聞こえないのか?俺の心臓は今日も元気に働いてるだろ?」

心臓に手を当てて殊更に強調する八城を横目にテルは好い加減にしろと言いたげに、大きな溜め息をついた。

「それは結果論っすね。どれだけの人間が八番を生き残らせる為に動いてたと思ってるっすか?」

「だが、俺は生き残ってる。知らなかったのか?この世界は結果が全てなんだぞ?」

そう言った八城の言葉にテルの口から、小さな失笑が零れた。

「ハハッ〜お見それしたっす〜まさか、まだ私が八番に教わることがあったんすね〜」

テルは半笑いで小さく拍手を返すのを、小さく口元だけで笑って誤魔化す。

「お前、俺の事馬鹿にしてるだろ」

「馬鹿にしてないっすよ〜ただ、最近の八番のことに関しては取り返しの付かない馬鹿だとは思ってるっすけど」

今までの八城であれば一笑符にして相手にもしなかっただろう。

諦めの早さを賢さと見紛うていたあの頃の八城から見れば、確かに今の八城は馬鹿なのかもしれない。

「馬鹿か……それも、あながち間違ってないのかもな……」

八城にとって馬鹿になる切っ掛けをくれた人間に心当たりがあり過ぎて、誰に文句を言えば良いのかを思案しては楽しげに笑みが浮ぶ。

その笑顔がどうにも眩しく感じるテルは、その原因が八城と血の繋がらないところにある事を微かに嬉しく思うのだ。

そう、雨竜良とテルのように血が繋がらなくとも、絶えぬ繋がりはこと切れる事なく今もここに生きている。

「……まぁ、でも。どんな馬鹿でも死んだら寂しいっすから、八番は居なくならないで欲しいっす」

二人きりという雰囲気がそうさせたのか、らしくないとテル自身思う。

だが、言葉を止めるつもりもテルにはなかった。

「情報屋でも、ただで渡してもいい情報があるんだな」

「個人の感想を情報とは呼ばないっすから、特に私みたいな人間の感想は情報としてはあてにならないっすよ」

そう言って、視線の少し上の空の青さを視界の端に捉えながらテルと八城はひとしきり笑い合う。

なにが可笑しい事もない。

なにも可笑しくないからこそ、声を大にして笑うのだ。

日が落ちるのが少し早くなった昼下がり、言葉の空白を埋める笑い声も収まった頃合いに、八城は話し過ぎたと席を立つ。

「そろそろウチの新人が掃除を終わらせた頃だろうから、ちょっと様子を見て来るわ」

八城の意識がテルから逸れ、些かの寂しさが足下を通り過ぎた。

「そうっすか……気を付けて」

短い会話、ただお互いに思い返す思い出に楽しさはない。

それぞれが置き去りにした時間を、透き通る青の地平の向こうに見つめては何も無い事を悟って背を向けるまで視線を彷徨わせ何者も居ない事に落胆する。

八城が背を向けテルが未だに見つめるそれを時間の無駄と切り捨てるのか、別れを惜しんで嗜むのかを問うのは野暮というものだが――

「そっちに、引っ張られるなよテル。良さんも、こんなに早くお前が来たんじゃ、お前を信頼した甲斐がない」

心配性だとテルは思う。だがそんな所がよく似ているから訳もなくあの人の影を『東雲八城』に感じてしまう。

「そんなの……分かってるっすよ」

そう言った八城の言葉に、未だにテルは霞む景色の向こうへ懐かしい視線を飛ばす事をやめる事はしなかった。

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