第219話 後顧1

八城は宿舎を出た後、番街区内で最も見晴らしのいい丘の上に向かう。待ち合わせはしていないが、八城の予想は当たっていた。

初めて会った時と変わらず、テルは小脇にラジカセを据え置き、片耳をイヤホンで塞いで何を聞いていた。

「よう、テル。お前に少し聞きたい事があるんだが」

「来たっすね八番。実はこっちも八番に話したい事があったんすよ」

腰掛けるベンチに一人分のスペースを作り、テルは自身の横の位置へ八城促した。

「何から話すっすかね〜と言っても、八番はあんまり楽しそうじゃないっすね」

「楽しい筈もないだろ。これから子供が確実に死ぬ。それも何の意味も持たせてやれず、無意味にだ」

「そうっすね。でもいつもの事っすよ。でも八番。いえ、東雲八城さんならこの無意味な作戦に意味を持たせる事ぐらいはできるんじゃないっすか?」

らしくないとは思っていた。そして、今の一言でテルに感じていた奇妙な違和感は確信へと変わる。

「……そうか、やっぱり最初っからお前分かってたな。分かっててわざとあのタイミングで7777番街区に戻って来た。どうりで、この状況の中で柏木が紬と桜を寄越して来た訳だ」

全てはテルの仕込み済みだったという事だろう。

西武中央へ八城が連れて行かれる事が分かっていて、わざとテルはG.Oに情報を流していたということだ。

そしてそれを危惧した柏木は急ピッチで八城の手足となりうる桜と紬を西武中央へ滑り込ませて来た。

「やっぱりバレちゃったすね。いや〜申し訳ないっす〜でもやっぱり八番は格別なんっすね〜柏木議長の対応が尋常じゃなく早かったっすから」

悪びれた様子はなく、むしろテルは気付かれて嬉しそうですらある。

「申し訳ないって言うならもう少し申し訳なさそうな顔をしろ。お前の今のその顔、全然反省してないだろ」

だが、特段八城はテルを責める気にはなれなかった。

「面倒事に巻き込みやがて……」

「仕方ないんっすよ。こっちとしても、八番が動いてくれない事には相手を呼び込む隙がないっすから」

「相手って……誰なんだよそいつら」

「強いて言うなら敵でもないけど味方でもない人間すね。雨竜良が野火止一華の裏に見つけた……まぁ、ある意味ではここより最悪の居住区に住んでる人間たちのことっすよ」

曖昧な口調ではぐらかすテルだが、一つ聞き逃せない単語があった。

「良さんが探していた?それはつまり感染者を元に戻す方法の事か?」

「当たらずとも遠からずって感じすね。それに、それはどちらかと言えば雨竜良にとっては最終目標ではあったっすけど、優先順位としては一番下の部類っすから」

「?どういう事だ?良さんは自分の身体を治す事が目標だったんじゃないのか?」

八城が良さんから聞いていた限りでは、雨竜良は自身の感染をもとの状態に戻す事が目的だった筈だ。

「まぁ、それは目標の一つでしかないっすね。目標を達成した副産物として雨竜良の身体が治ったかもしれないと言った方がニュアンスとしては当てはまるっす」

タハハと明るく笑いながらも、テルは八城から拗ねたように視線を逸らした。

「結局、何処まで行っても雨竜良は八番と愉快な仲間たちの事を一番に思ってたって事っすよ……ちょっと悔しいっすけど……」

揺らめく木々の隙間を抜けて黄濁色の木の葉が揺ら揺らと舞い降りるのをテルは名残惜しむかの様に指先で弄ぶ。

「雨竜良は約束してたっす。家族ともう一度この季節に帰って来るって……だから私も絶対に雨竜良を連れ帰るつもりだったすけど、結局果たせなかったす」

八城としても、あの時の事は忘れない。

あの場に駆けつけた瞬間には、雨竜良の傷は助かる見込みが望める状態ではなかった。

ただ気力だけで立っていた。

一キロという重さの量産刃を震える指先で握りしめ、血華の雫を滴らせてもなお良さんは地に伏せる事はなかった。

ただ、敵を見据え八城を信じ待っていてくれた。

「あの人、本当ずるいっすよね。だって格好いいんっすもん……」

「好きだったのか?良さんの事」

尋ねる八城の言葉に乾いた笑いがテルから漏れた。

「ハハッ……嫌いな筈ないっすよ……あんなお人好し。だから八番は少しだけ贔屓にしてるっす。ずっとあの人と一緒に居てくれた唯一の人っすから」

この時、きっと初めて八城はテルを個人として見た。

『テル』という役割ではなく、一人の人間として見れば、彼女は紛れもない恋する乙女だ。

「そうか……そういえば、良さんはお前の事を認めていたな」

良さんは基本的に認めた人間しか隣に置かたがらなかった。

それは誰であろうと例外なく、身体もそして何より精神も類い稀なる『雨竜良』について来られる人間だけを隣に置いていた。

そして雨竜良という人間は、成し遂げたいと思えば思うほど人を遠ざける悪癖があった。

であれば、その間『テル』と共に行動を共にしていたそれ自体が紛れもない、雨竜良が置いた全幅の信頼の象徴だ。

「俺もお前の判断を信じる。お前が今話せないと思う事を俺は聞かない。だが俺の師匠である良さんがお前を認めていた。だから、俺はお前にありったけの信頼を置く」

空気の揺れが、秋の木の葉を運び、木々のさざめきが二人の間に小さな空白を作り出す。

きっと、八城が思うより、テルと良の間には二人にしか分からない何かが合ったのだろう。

「ちょっとだけ……ちょっとだけ、コッチを見ないでもらって……いいっすか……」

掠れる声を聞きつけた八城は、テルの向いてる真正面に視線を定めた。

「横に座ってんだ。ここからじゃお前の顔なんてみえないさ」

「感謝するっすよ……八番」

微かな鼻を啜る音と、葉擦れの揺らぎが昼過ぎのベンチに響き渡り、まだ届かないあの日見た蒼穹に隠れた姿を思い返し、テルは頬を伝った雫の後を入念に拭い去る。

「八番、一つだけ伝えておきたい事があるっす。この西武中央を取り巻く四人兄妹の話っす。多分っすけど八番は私にそれを聞きに来たんすよね?」

心を読まずとも、現状を理解しているテルにとって欲する情報を探り当てる事など朝飯前だ。

八城は小さく首肯しテルの口から最初の言葉は語られた。

それは、西武中央に暮らしていた、兄妹四人の物語。

固い絆と兄妹の軋轢、そして別れの物語だ。

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