第202話 林外1


悔恨も恐怖も滲ませた確かな決意の言葉を吐き出すまでに、この小さな一人の少女がどれだけの葛藤をして来たのかは分からない。

それでも、桜と感覚が通じている『菫』は間違いなく、今の状況を把握しているのだろう。

八城が大遠征時に言った89作戦の事、それに連なる『雨竜良』の事、そして元八番隊の面々の事まで、桜の記憶を解してこの少女は理解してしまっている。

「私が奪った、なの。……私は覚えていないけれど八城さんたちが『大食の姉』と呼ぶ私の分身が、八城さんの仲間を沢山奪ったなの……だから……」

菫は、大きな瞳に涙を溜めて、今にも零れそうな涙を落とすまいと必死に八城を見上げている。

許されえない許しを乞うその姿が、余りにも痛々しく、彼女にとって身に憶えの無い罪を問うには小さ過ぎる体躯に、大き過ぎる力は彼女自身どうして良いのか分からないのだろう。

だからせめてもの償いと自身に言い聞かせ『東雲八城』に自身の生殺与奪を委ねているのだろう。

たとえ怖くとも辛くとも決して死にたくなかろうと、少女は『一命』でしか八城を納得させ得る材料を持ち合わせていなかった。

「そうか……そう……だよな」

きっと少女は賭けたのだ。

『東雲八城』という人間に名実共に全身全霊を賭けてみせた。

『大食の姉』そして『無食の妹』の内部から出て来た非力な『菫』は一人では生き残れない。

それは彼女が非力な『クイーン』として『無食の妹』から引き剥がされた瞬間から決まっていた。

彼女にとって不幸中の幸いだったのは、あの引きずり出された場に『東雲八城』という強力な後ろ盾があった事だろう。

そうでなければ『無食の妹』から切り離されたあの瞬間『菫』は斬り殺されていたに違いない。

生かされたのは、『大食の姉』を倒した人間が『東雲八城』であったから……

そして今生かされているのは『東雲八城』が何時でも彼女を殺す事が出来る存在であるからに他ならない。

何時でも息の根を止める事が出来るから、今は生かされている事を『菫』は重々理解している。

「私は生きていてはいけないなの……」

「なら、今直ぐお前の命を貰う……それで構わないんだな?」

「ッ……構わないなの」

覚悟を決めた菫は瞼をゆっくりと閉じ、八城の鍔なり音が重なり、八城の量産刃が空を切る。

「今斬った、お前と俺のしがらみはもうどこにもない。だから俺がお前を殺す事も、もうない。だからそんな顔をする必要はない……」

八城は、決して割り切れた訳ではない。

ただ区切りを付けたのだ。

『無食の妹』であり『クイーン』でもある『菫』には敵は居ても味方はいない。

分かっていても、割り切れない事もある。

必死に本を読みあさり、桜の知識を上乗せして、上辺の表面だけが大人びたとしても、彼女は生まれたばかりの赤子も同然だ。

そして、そんな彼女をあの場で処分しなかったのは誰でもない『東雲八城』である。

きっとマリアがここに菫を寄越したのは、八城自身の手で片をつけさせるためだったのだろう。

それは当然で当たり前の事だ。

八城が生かすと判断したのなら、不測の事態には八城がこの少女を殺さなければならない。

だからこそ、八城は判断をしなければならない。

この少女を、本当の意味で『人間』として迎え入れるか否かを――

「いいの?私は八城さんの、仲間を沢山殺してしまったなの……」

「……そう、かもしれない。だがお前は何も出来なかった。だからもう終わりだ。だから……そうだな。お前はこれから先『東雲』を名乗れ。そうすればお前は名実共に、今この時から俺の妹だ。そして俺は、妹は殺さない」

納刀に万感の想いを終い込み、もう二度とこの刃を向けまいと八城は自身に言い聞かせ、大きく肺腑へ新たな空気を吸込む。

「それからなぁ!お前が相手に勝てると思っても、お前の判断だけで勝手に飛び出すんじゃない!そもそも!お前はまだ子供なんだぞ!そんなお前が飛び込んだら、強制的に俺も戦わないといけなくなっちゃうから!」

「そっ!そんなの狡いなの!戦える人が戦わないといけないなの!八城さんは最低なの!」

「最低じゃありません!普通です!大体な!『フェイズ3』に正面から突っ込んでいく奴があるか!お前はやっぱり桜の直産の馬鹿な頭を譲り受けてんのな!」

「バッ!馬鹿って言ったなの!そういう八城さんの方が馬鹿なの!私が子供なら!八城さんは大人げないなの!」

「だ〜か〜ら!お前は馬鹿なんだよ!お前は知らないかもしれないけど、戦場には大人も子供もないの!お前みたいにむやみやたらと首を突っ込んでたら命が幾つあっても足りないの!」

「でも!戦える私達が戦わないと、みんなやられてしまうなの!」

「それは、そうかもしれないが……」

菫の言う通りなのかもしれない。

あの場で菫が飛び出して『女郎』の気を引いていなければ、もう数人、酷ければ半数が餌食になっていただろう。

だが、八城からすれば虫がいい話だ。

無理矢理連れて来られ、身の安全を守ると言って装備を最小限に傷を負ったままに長距離の移動を強いられ、あまつさえその身まで守る羽目になるのでは、文句の一つも言いたくなるだろう。

そして何より、八城が気に食わない事、それは――

「いいか?俺達は兵士なんだよ。お前は違うのかもしれないが、俺は少なくとも東京中央遠征隊で、東京中央の利権を守る為に戦ってる兵士だ。そしてこいつらは今、俺の敵になるかもしれない人間だ。そんな人間が何処で何人死のうが俺には関係ないし、どうでもいい。こいつらの準備不足も経験不足も戦場に立ったこいつらの責任だ。俺やお前が危険を侵してまで助けてやる義理は無い」

そう、西武遠征隊を名乗り利権の争いに加担している以上、八城が西武中央所属の人間を守る理由などなかった。

「こいつらは、7777番街区の住人を人質に無理矢理俺達を連れ出したんだぞ?それなのになんでまた、そんなやつらを守ってやる意味が俺にはさっぱり分からないな!」

「八城さんは、冷たいなの!困ってる人が居たら助けるのは当然なの!」

「そうか?ならなんでこいつらは最初から困ってる俺を助けてくれないんだろうな?あぁ!そうだった!こいつらの今の仕事は、俺を困らせる事だったな」

「酷いなの!この子達も!誰もやりたくてやってるわけじゃ無いなの!」

「やりたくてやってたら、そりゃあ愉快で少しは笑えるかもしれないな!だが、こいつらは……」

そう言って振り返ったその先で……

その時始めて八城は彼らを見たのだ。

「……おい、こいつらは……なんだ?」

『軍』としてでも、まして『群』としてではない、彼ら彼女らの一人一人の個としての『顔』を見た。

『浮舟桂花』と『G・O』という名の大男以外の人間の顔を始めて見たのかもしれない彼ら彼女らの顔は、憔悴し、恐怖に怯え、なにより幼かった。

「八城さん、駄目なの。この子達はまだ……子供なの」

菫の言葉が、意味を持ち八城の瞳にその姿が焼き付いていく。

仲間に撃たれ倒れ臥す彼も、『女郎』の一撃目で潰された彼女も、銃創を押さえ踞る彼らも戦場で傷を受けている全てが子供だった。

紬とそう、歳は変わらない。

だが紬は中央遠征隊の中でも、前線に立つ『最年少』である。

だが、ここはどうだ?この中には紬よりも若い少年少女が何人か入り交じっているだろう。

「なん……だよ、これ……」

「八城さんの言った通りなの。戦場には大人も子供ないなの……でも、それだけで誰かを諦められないなの……」

戦場の中心でポツリと呟く菫の言葉と同時に、もう一体の『女郎』が向こう側で倒れ臥す。

一番隊隊長『浮舟桂花』は息一つ乱さぬ華麗な捌きで納刀を済ませた所を見るに、西武中央No.一の看板は伊達ではないのだろう。

技、身体能力、何よりあの化け物相手に怯まぬ心は、流石としか良いようが無い。

だが、その腕前ばかりに感心してばかりも居られない。

現状、一帯を囲まれ、また何時『フェイズ3』がやってくるとも限らない。

「おい!一度ここから抜け出すぞ!浮舟!隊員全員に後退の指示を出せ!」

叫ぶ八城だが、浮舟は恍けたように小首を傾げて見せた。

「それは命令でしょうか?」


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