第187話 城主1

ドクリッ、と一つ大食の姉の身体が大きく波打った瞬間、桜のインカムに紬からの通信が入る。

「八城くんと連絡が取れない!それに活動を停止していた感染者が動き出した!そちらで何が起こっている!」

八城と連絡が取れない焦りを孕んだ紬の声の合間に、銃撃の音が重なっている。

「どういう事ですか!隊長の話ではクイーンを倒したら、全ての感染体が活動を停止するんじゃないんですか!」

桜が聞いていた話では、クイーンを倒せばそのクイーンに取り込まれていた、感染者並びに、噛まれた隊員の体内に浸食している感染体を含めた生命活動が停止するという事だった筈だ。

「こちらで奴らの動きは一度停止した!だけど、また動き出した!つまり!そちらのクイーンが生きているという事!もう一度聞く!そちらで一体何があった!」

何があったのかと聞かれたのなら、それは突如現れた目の前の異形に全ての原因があるだろう。

「今……目の前に大食の姉が現れて、クイーンの頭部を丸呑みにしました……」

クイーン同士は距離を取るのは、互いのクイーンの遺伝子情報が互いの毒となる為だ。

だがもし、何度も違うクイーンの遺伝子を持つ武器の攻撃を受け、それでも生き残っている個体があるとしたら?

炎には分厚皮膚を

爆撃には、鋼鉄鎧を

戦略には、数を揃え

その全てを悉く学習せしめた、クイーンである

であるなら、毒には……

それは言うまでもない。

「……了解した、でも時間が無い。動き出した感染者の全てが多山大へ向けて進攻している。それに、噛まれた隊員の時間は残されていない……」

噛まれ早い者であるなら三十分で心肺が止まり、感染者となる。

そうなれば、体内の感染体がクイーンの消失によって自壊したとしても、一度でも死んでしまえば、ただの死体に戻るだけだ。

「了解です。それも含めてこちらでどうにかやってみます……」

「……期待している」

紬からの通信が切れ、桜は大食の姉へ視線を切り替える。

苦しげに悶える姿から、クイーンの頭部はやはり大食の姉にとっては毒と変わらないのだろう。

「今しかありませんね……」

算数は得意じゃない……特に人の生き死にが掛かっている算数は……

だが八城に教わった引き算は覚えている。

何処に自分の命を掛けるべきか、何の為に命を使うのか……

問われるまでもなく、桜の結論は直に出た。

「隊長は八番隊として命令を出していました。そして八番隊隊長が意識不明、もしくは指揮が執れない場合はその場に居る隊員の中で最も序列の高い者がその指揮を受け継ぎます」

それは、東京中央遠征隊が最初に叩き込まれる基礎中の基礎。無論、それは指揮系統が混乱しない様制定されている兵隊としてのルールだ。

そして今、そのルールは桜にこそ適応されている。

「現八番隊最高指揮として、この場に居る全員に命令します。八城さんと一華さんを連れて早く校舎内へ避難して下さい!」

今現れたコイツを倒さなければ、全てが無意味になる。

この作戦の犠牲が、犠牲のまま終わらせてしまう訳にはいかない。

この場に留まらせてしまえば仮に桜が敗れた場合、此処に居る全ての人間が犠牲になりかねない。

なら簡単な計算だ。

この場に残るのは一人で十分だ。

「ここは私に任せて皆さんは先に行って下さい。へへっ……私この科白一度言ってみたかったんですよ」

重傷を負っている一華や八城は勿論のこと、横須賀中央から見届け人として作戦に参加している天竺葵も、ツインズとの戦闘には参加させる訳にはいかない。

比較的戦闘による負傷の少なかった雛や片腕をフレグラの力に頼っている善では大食の姉の相手をするには心もとない。

戦力比を考えた時、この場で戦うことの出来る人間は桜を置いて他に居ない。

「あなた馬鹿じゃないのかしら〜そんな事しても無駄死にになるだけだわ〜。今なら私や八城、他の噛まれた人間だけの犠牲で済む。それをあなたが、わざわざしゃしゃり出て来て〜一体何のつもりなのかしらぁ?」

「知らなかったんですか?私馬鹿なんですよ。それに最初っから気付いてました。八城さんが一華さんの事を大切に思ってる事ぐらい……。でも!今の隊長は私の隊長なんです!今の私に二人の間に入る隙間が無くたって、何時かは私が隣にって……そう思うぐらいは良いじゃないですか!それに、今私が逃げ出したら、隊長がここまでボロボロになった意味がなくなっちゃいますから!」

だが、きっとそれだけじゃない。桜は知っていた。この作戦で嫌という程思い知らされた。

「私の知る限り一華さん、貴方以外の人間を、隊長は誰も隣に立たせません……隊長は一華さんの命がどうでもいいから隣に立たせると言っていましたけど、今ようやくその意味が分かりました。貴方は強いから……どんな困難でも死なないから隊長は貴方を選んだんです」

見せ付けられてなお、桜は手を伸ばさずにはいられない。

「……今回私は間に合わなかった……でも次は私の番です。もう二度と一華さん、貴方は隊長には必要ありません」

数秒の睨み合いの後、一華は自身の傷に視線を落とす。

「……そう、なら桜、あなたが証明してみなさいな。本当にあなたが八城に必要な人間なのか」

一華は今しがた巻き付けた血の付いた包帯を外し、湿らせている血液面を花の刀身のグルグルと巻き付けていく。

すると、刀身の黒ずみが包帯の血液を吸込む様に、元の綺麗な紅色の刀身を取り戻して行く。

「使いなさい。ただしコレを貸すからには、勝つのよ〜負けは許されないわ〜」

複雑な心境の中、桜は一華から『花』を受け取り、代わりに拾い上げた『雪』を一華へと渡す。

「あら?どいうつもりなのかしら?」

桜が二本を持っていたとしても、技量としても、重さとしても扱いきれる代物ではない。

「万が一、私が大食の姉を倒し損ねた時は校舎の中で隊長に使ってあげて下さい」

それに、三シリーズ『雪』『月』『花』は性質上、噛まれた人間の治療にも使う事が出来る。

桜は、『花』をバトンの様に身体で取り回し、その刀身を光の元に晒す。

「それにしても、この刀良いですね。刀身が綺麗だし何より雪より重くありません」

思いの外手に馴染む花の感触を一振り素振りで取り回せば心地の良い風切り音が桜の耳朶を打った。

「あら?おかしいわね〜重量だけ言えば花は雪の倍の重さはあるわよ〜」

「あれ?そうですか?でも『雪光』を持つ隊長がこれまで私に見せて来た物に比べれば、この刀で求められる成果は私にとっては重くありませんから」

八番として八城が担って来た役割りは『雪』と共にある。

桜がこれまで目の当たりにして来た八城に携えられた『雪』に比べてしまえば、人殺しとして扱われて来た『花』の持つ意味は桜にとって瑣末な意味しか持たない。

「あら!あららら!面白い事言うじゃない〜私が手負いじゃなければ間違いなく斬ってるわ〜」

「そうですか、奇遇ですね。私も一華さんが手負いじゃなければ斬ってますよ」

正直一華が手負いであろうと勝てる気がしないが、ここで謙遜するようでは目の前の化け物に勝てる筈も無い。

「一華さん、行って下さい」

一華の様な自信もなく、八城の様な技術もない

紬の様な精密な射撃が出来る訳でもなく

なけなしの諦めの悪さも、時雨には敵わないかもしれない……

「でも……ですよね?隊長……」

戦いに身を投じる理由は桜のすぐ後ろにある。

足を引きずっている一華を筆頭に、意識を失っている八城を善と雛が引っぱり、最後に葵は学内へと避難していくのを確認し、一華から受け取っていた鬼神薬を握りしめる。

「使わないって約束、隊長が先に破ったんですからね……」

誰にも聞こえない独り言を呟き、握る大太刀に全神経を注ぎ込む。

未だ他のクイーンの感染体を体内に取り込みきれていないのか、ヨタヨタと苦しみ続けている今だけが、桜にとっての好機だ。

大食の姉は片膝を付き、分厚い外殻の隙間から体液を滴らせていた。

目に見える程明らかなダメージを負うにも関わらず、大食の姉がクイーンを取り込んだ意味とは何か……

研究者である『北丸子』であれば多少の仮説も立てられたのかもしれないが、桜にはその理由の見当も付かない。

ただ、このまま放って置いて事態が好転する事が無い。

いつだってそうだった。時間を与えれば与えるほど、奴らは人間に最悪の結果を齎してくる。

なら、此方が待ってやる義理も無い。

「これは、殺し合いですから。悪く思わないで下さいね」

桜の言葉と同時の踏み込みに握る紅色の刀身が太陽光を反射し、金属音にも似た残響が多山大学内に木霊したのだった。

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