第188話 歌姫

九音は目まぐるしく変わる戦場の形勢に見切りを付け、耳のインカムの通信を紬へ切り替える。

「ハロハロ〜紬ちゃん?ちょっと状況が変わったから、そっちがどう動くつもりなのか聞きたいんだけど?」

「今本隊に居る桜と連絡が取れた……多山大の目標が突然現れたクイーンに捕食された。詳しい状況は不明。だけど活動を再開した相手はこちらの攻撃を視野に入れていない。これから私も移動する。そちらも好きに動けば良い」

防衛陣地としての固定砲台だった二人だが、敵がこちらを無視する以上、その役割の意味は意味を成していない。

「紬ちゃんは、お兄ちゃんの所に行くつもりなの?」

「行く。だけど肝心の八城くんとは連絡が取れない、だから私が現場へ直接確認しに行く必要がある。それにこのまま奴らを行かせてしまったら多山大学内にいる攻撃本隊が瓦解しかねない。一人でも援軍へ向かうべき」

「そっか……じゃあ天音も一緒に連れて行ってあげて。私は他の野暮用があるから、終わり次第合流するね」

野暮用というのも気になるが、今はそんな事に気をとられている場合ではない。

「了解した。気を付けて」

「フフッ、そっちもね」

通信を切り、九音は今しがた見つけた人影を追うべく銃器を背負い直しながらワイヤーを使い町中へ降りる。

見失わない為に、急ぎ一つ二つと曲がり角を曲がり民家の塀をよじ登り中庭を抜けようやく二つの影を見つける事が出来た。

「ちょっと待って下さい。どうして此処に居るんですか?月下先輩。それから、歌姫まで。合流はまだ先だった筈ですけど?」

その場に居る筈の無い二人……

東京中央内通者である『月下かおる』そして歌姫である『天王寺催花』だ。

「やあやあ、九音ちゃん久しぶりだね。元気だったかな?」

九音にとって月下かおると言葉を交わすのは実に四年ぶり、平和だったあの頃と大差のない微笑みを浮べていた。

「まぁ、そこそこ元気ですけど……というか、質問に答えて下さい。なんで此処に居るんですか?」

作戦終了時に歌姫の身柄は一華側へ引き渡される予定である。

それまでの間、危険区域である多山大学周辺には立ち入らない予定だった筈だ。

「いやぁねえ、作戦の行く末を見守りたいって言う物だからね。いやなに、俺は反対したのだけれど、彼女の機嫌を損なうのは得策じゃあないだろう?仕方が無いのさ」

悪びれる事も無く飄々と言ってのけるが、そもそもこういう事態を避ける

為に、歌姫の弱みに付け込み歌姫のストッパー役となるのが月下だった筈だ。

「……先輩の言い分は理解できました。ですが歌姫、勝手な行動は困ります。貴方は貴方の価値を正しく認識出来ていない。貴方の声一つ、貴方がたった一つ間違えば、あの頃の様にあらゆる命が台無しになるんですよ?その事をきちんと理解していますか?」

正論で諭す九音だが、歌姫は聞く様子もなく手元のメモ帳に筆を走らせ、九音へ乱暴に手渡した。

『時雨はどこに居る?』

「……これはどういう事ですか?」

歌姫から渡されたメモ用紙を突き返し、九音はお目付役としての機能を果たさなかった月下を睨みつける。

「いや〜俺を睨まれてもね。俺は止めたんだよ?今更声の出ない歌姫が作戦に参加したところで戦力にならないってさ。でも悲しい事に催花ちゃんは俺の言う事なんて聞いちゃくれないから」

止めようと思えば止められた筈の月下の言葉には、最早信用など存在しない。

月下はただ歌姫のしたい様にさせ、結果ここに歌姫を連れて来たのだろう。

「そうですか……ならもう月下先輩はいいです。ですが歌姫は別です。此処は貴方が来るべき場所ではありません。今すぐ月下先輩と共にこの場から離脱して下さい」

九音は務めて冷静に、内に湧く怒りを押さえ付けながら言葉を連ねるが、歌姫はその言葉に首を横に振る事で答えとする。

「貴方は!今は個人の我が儘が通る状況ではありません!貴方の為に!この作戦がどれだけの犠牲を払っているのか!貴方は理解していないのですか!」

東京中央だろうと、九音の仲間であろうと、スコープ越しに見る戦いの風景の全ては等しく同じ人間だった。

敵の味方の区別は所属する組織の違いでしかなく、彼ら彼女らが何に対して命を張っているのかを、九音はきちんと理解していた。

そして、何より九音が許せない事……

「看取草先輩が何のために貴方を助けたのか!ちゃんと考えて下さい!」

東雲九音は東雲八城の妹だ。

当然、兄の友人として幼い頃に世話になった年上の友人の中に『月下かおる』も『看取草紫苑』も存在する。

そしてその思い出は、東雲八城程ではないにしても、九音にとって看取草紫苑は姉の様な存在だった。

だが大切な友人を犠牲にした前科があったとしても、目の前の歌姫が首を縦に振る事はない。

その瞬間、九音の中で何かが弾けた。

「ふざけるな!お兄ちゃんが!看取草先輩が!どれだけの想いで貴方を助けたのか!状況も分からず!声も出ない!そんなお前がこんな所に出て来て一体何の役に立つ!」

九音は激情に駆られ歌姫の胸ぐらを掴み上げるが、歌姫は淡々とその手を払いのけ、新たに文字を書いたメモ帳を千切る。

『私は私の友人を助ける。だから邪魔をしないで』

九音は見誤った。

気圧されたと言ってもいいだろう。

同じ程の激情を内包しているのは歌姫とて同じだった。

歌姫は友人を失い、失意の中で八城はもう一度自身の友人と引き合わせた。

最初は歌姫を置いて先に逝ってしまった紫苑を恨み。次に自身を助けた八城を恨み、その次は理不尽な時雨を恨み……そして最後には自身の無力に行き着いた。

どれだけの涙が流れても、幾日の月日が経とうとも損なわれる事がない悔恨を露呈して今此処に月下と共に立っている。

ただ、それでも……

かつてのライバルは、

舞台に華々しさを追求した彼女は。

歌姫としての……

天王寺催花の隣に立ちたいと言った一人の偶像が居た。

きっと彼女は、この凡百と居る隊員の端くれに過ぎないのかもしれない。

ただそれでも、彼女は……時雨は、抱えきれない凡人を受け入れながらも決して一つたりとも諦める事をしなかった。

なら、この場で非凡でない歌姫が見せられて、このまま動かなければきっとまた失ってしまう。

気高い精神だとは思わない。

ただ、子供っぽく諦め悪く、どんな場面でも少年の様笑ってみせる時雨はきっと、今の歌姫の目指すべき場所を指し示していた。

そして今、待たせたままになってしまったその約束を思い出す事が出来た。

なら次は『歌姫』としての天王寺催花が、偶像に応える番だ。

『無力でも、もう二度と私を大切だと言ってくれた、私の大切な友人を一人で行かせない』

生まれて初めて天王寺は感情で人を殴った。

殴った拳は痛かった。

きっと時雨も痛い筈だ。

殴られ、組み伏せられて見上げた空はやっぱり青かった……

頼んでもいない……だけど無理矢理に上を向かせられて空があった事を思い出した。

言いたい事が沢山あって、でも去って行く背中を追いかける事も出来ず、何も考えず殴り掛かった天王寺催花を笑って許してくれた大切な友人の助けになる為に……

『時雨はどこに居る?』

催花は最初に九音へ渡したメモ帳の切れ端を奪い取り、もう一度その内容を九音の目の前に突き付ける。

九音にとって二人の交友関係がどのようなものかは分からないが、ここまでの執着を見せるという事は歌姫一個人として時雨を『大切』と言わしめる何かがあるのだろう。

だが歌姫が参加することによって作戦に生じるリスクは別問題だ。

「容認出来ません。それに月下先輩もです。此処からでは分かりませんが、時雨さん周辺にはまだ多くの感染者が残っている可能性があります。そんな危険な場所にみすみす歌姫を行かせると本気で思っているんですか?」

掴んでいた歌姫の胸ぐらを離し、九音はその傍らに立つ月下を睨みつけるが、月下は九音の言葉を何一つ気にしてなどいなかった。

「俺が連れて行くと思っているかどうかじゃない。それが歌姫の望みなら俺は歌姫を時雨ちゃんのところまで連れて行くだけさ。それに君は何か勘違いしている様子だね。君や一華さんは確かに俺と目的を同じくしている取引相手ではあるけれど俺の仲間じゃない。そもそも俺は君の指示に従う義務はないのさ」

「仲間じゃない?月下先輩それがどういう意味か分かっているんですか?」

「そうだね、分かっているつもりだよ。でも君の方こそ分かっているのかな?」

「どういう意味ですか?」

「簡単だよ、今の僕を敵に回す事の意味を分かっているのかい?」

仲間じゃないというのと、敵に回るのでは天と地程の差がある言い回しだ。

そして今の月下の発言は九音の敵に回ると発言していると取られてもおかしくない言い回しだった。

「その言い方だと私が敵に回る様な言い方ですね……」

「君が此処に俺と歌姫を縛り付けている。これが俺に対する敵対でなくてなんなんだい?」

遠回しな言い方ではあるが、月下の言っている事が理解できない九音ではない。

つまり、行かせなければ敵になる。

そして歌姫の身柄は『月下かおる』の元にある。

月下は歌姫を橘時雨の元へ届けるという、ただそれだけをする為に今までの取引を全て無にしても構わないと言っているのだ。

だが今の月下に余裕が見て取れるのは、此処に来たのが『野火止一華』や『東雲八城』ではなく『東雲九音』だからこそだろう。

「それは私が怖くないから、出ている発言ですね……」

そして九音はその事に気付いていた。

「あらまぁ!バレちゃった?うん、確かに八城や一華さんと比べて、君程度の存在は大した脅威じゃないのは確かだね。それから君程度が居なくても、一華さんは気にも止めないだろうし。まぁだから俺も此処で無理を押せるんだけどね」

九音にとって鼻につく言い分ではあるが、発言に対して何を言い返す事も出来なかった。

『東雲九音』は兄である『東雲八城』や九音の仲間である『野火止一華』と比べて何の影響力も持たない小娘でしかない。

それは純然たる事実で、だからこそ『月下かおる』は『東雲九音』が相手であるなら無理を押す事が出来る。

「それに君が一番怖くない理由はね、きみは組織の一員で、八城や一華さんは組織そのものの機構を担っている。君とあの二人じゃただ存在していても価値が違う」

吟味するまでもない、ただの事実は九音に次の発言を許さない。

月下はそもそも止まるつもりもなく『悪いからどうした?』と言わんばかりに居直られては九音には立つ瀬がなかった。

「さて……もう満足したかな?俺達はそろそろ行かせてもらうよ?」

本当ならば行かせては行けない。

危険な場所に歌姫を行かせてしまっては、万が一が起こった場合に能力としての替えが利かない。

それが分かっていても九音には『月下かおる』を止める術がなかった。

だが……

「ちょっと待って下さい……」

歩き出した二人を止め、悩み抜いた末に答えを絞り出す。

「私も護衛として、歌姫に同行します……それは問題ありませんよね?」

その言葉を待っていたと、月下はにやりと邪悪に口角を吊り上げる。

「それは良かった。それじゃあ早速、時雨ちゃんの所まで案内してもらっていいかな?」

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