第157話 荒城5

何の事はない。いつも通りの孤児院で、いつも通りより若干多い面子で、いつも通りの食事を……

「八城くん現状の状態が意味不明。理解不能よって説明を求める」

食べられる筈もない。

だがただ一人は違った。部屋に漂う剣呑な雰囲気など気にも止めず、我が物顔で一華は出された食事に手を付けていた。

「お前の国語力不足を俺のせいにするな。それから現状を作り上げたの原因の半分は俺だが、もう半分は桜にあるからな?俺は半分悪いけど、どうしても責めたいなら桜を責めろ」

「なんで私が責められるんですか!そもそもの原因を作ったのは隊長です!どうしても責めたいなら隊長を責めて下さい!」

「おまえのせいだろうが!俺は止めました!でもお前が無理矢理連れて来たんです!」

「だってそれは!隊長がこの一華さんと同室になるって言ったからじゃないですか!」

「なんだよ!同室の何が悪いんだよ!良いじゃん同室ぐらい!回廊じゃ時雨と壁一枚隔てて男女が交互に音のソノリティキメ込んでたんだぞ!それよりかは余っ程健全だろうが!」

「健全な訳がありませんよ!そもそも!隊長は自覚が足りません!私達その人とは敵同士ですよ!二人きりになるなんて言語道断もいいところですから!」

「じゃあなにか!俺がこいつとあんな関係や、はたまたこんな関係になるとでも思ってんのかよ!おまえふざけんなよ!それは俺に対する最大級の侮蔑だからな!」

食卓を境に繰り返される言葉の応酬を、交互に見ては溜め息を付く人物が一人。

「なぁてめえら、疲れねえか?飯食うときぐらい、静かに食えって……」

時雨は呆れ果てたと言葉にはしなかったが、その態度は言外に語っていた。

「でも時雨さん!時雨さんだって!その傷を受けた原因はこの人のあるんですよ!」

「てめえは馬鹿か桜?この傷は私があの時に躊躇ったから出来た傷だ。誰のせいでもねえよ。そもそもお前が兎や角口を出すことじゃねえだろうが。なぁ?大将?」

桜はそれでも納得いかないらしくムムムッっと顔をむくれさせている。

だが時雨から言わせれば過ぎた事を掘り返されても、現状が変わらない今、毛程の興味もなかった。

「だからって!」

「まぁ、落ち着けや。つってもだぜ?桜、私は昔の『それ』に関しては別に大将に何かを聞くつもりはねえよ。だが今の『この』状態がどんな具合か説明してはもらいてえもんだぜ?」

全員の意見は同じなのか、視線は八城へと集中していた。

喋らなければまた勝手に何をするか分からない。ある程度の方向性を持たせた方が効率的なのは事実だろう。

「本当にいいのかしら〜」

喋ろうとした八城を遮った声は、口の周りを食べ物でベタベタにした野火止一華から発せられていた。

「ねえ〜八城〜私はたった一人で東京中央に帰ってきたけれど?八城は違うのかにゃん?」

意味深な一華の視線に、八城は苦虫を噛み潰した様に頷いた。

「……いや、その通りだ」

八城は一人、そして野火止一華も66番街区から、一人で東京中央に帰還した。

野火止一華の身柄と引き換えに十七番隊隊長である斑初芽は人質として66番街区に軟禁されている。

野火止一華が八城に付いている理由はただ一つ、八城が起こす全ての行動を監視する為だ。野火止一華自身に裏切りの嫌疑が掛けられているのと、裏切り者であることが確定するのでは大きな隔たりがある。

「済まないが、今お前らに言える事は何も無い……」

「またか!大将!また何も言えねえってか!まぁ、じゃあしゃあねえなぁ。大将、聞き方を変えるぜ。大将が私達に、何かして欲しいことはねえのか?」

「……どうした時雨?傷口にばい菌でも入ったのか?」

「馬鹿言うなよ大将。こちとら状況を知らずとも、どうせ大将の事だ。今も碌でもねえ事に首突っ込んでるんだろう?私も紬も怪我人だ。大した役にゃたちゃしねえ。だが一人はちげえ。お前らが何をしようとしてるのかは、知らねえが、そいつなら多少はてめえの役にたつんじゃねえのか?」

この中で傷が浅く、前線に立つ事の出来る人員はただ一人だ。八城もその人間には心当たりがある。

「だが、馬鹿だぞ?」

「馬鹿だが、元気の有り余った使い道のある馬鹿だぜ?」

八城と時雨は同じ笑い顔を見ながら、一人の人物を横目で見れば、その人物は心外だと頬を膨らませる。

「もしかして馬鹿って私の事ですか?」

「それが気付けるぐらいには賢くなったんだな。数日見ない間に成長したもんだ」

「隊長、それは褒められてる気が全くしないので、やめて下さい」

「まぁ、褒めてないからな」

時雨と桜はいつも通りの悪態を付いて来る中で、一人らしくもなく静かに食事とる人間が居た。

最初の一言以外口を挟まない殊勝な態度だが、事八城に関して彼女が無口なのは異変と捉えられても仕方ないだろう。

「時雨、それから紬。お前達にも頼みたい事がある。頼まれてくれないか?」

名前を呼ばれ、ビクっと肩を揺らした紬は、八城の言葉に力無く首を横に振った。

「……私は、向いていない、他を当たって欲しい」

「まだ何も言ってないだろ」

「八城くんは今から頼み事を私に言うつもり。だけど、それは私には向いていない……きっとまた失敗する……」

「さっきから向いて向いてないって、お前は何に向いてないんだ?」

「……私は、八城くんの期待に応えるのに、向いてない……いつも八城くんの期待を裏切ってきた……だから私には向いていない」

89作戦の仲間の死、ツインズ撃退時の雨竜良の死、桜に飲まされた鬼神薬の服用を止める事も出来ず、自身で引き金を引く勇気もなかった。

紬意地は、此処に居る誰にも及んでいなかった。

だがそれは違うことを東雲八城は知っている。

白百合紬は間が悪い。

いつだって彼女はその小さな背中で人の岐路を背負わねばならない場面に遭遇してきた。

結果、自身の許容量を超えた成果を求められる事が常となっているのだ。

それが東雲八城と行動を共にしているからなのだろう事は察しがつく。

重くのしかかる、重圧と零れていった者達を思えばこそ、白百合紬は己が動く事が恐ろしい。己が動き何かを失う事が恐ろしいのだ。

岐路に立ちその瞬間、己の力が及ばなければ諦めなければならない。諦めれば自身の無力を思い知らされる。

だが東雲八城は知っている。白百合紬は決して弱くない。

自身の身を守る術を持ち、仲間を守ってきた経験と実績がある。

なればこそ、今頼めるのは白百合紬をおいて、他には居ないのだ。

「紬、それでもだ。例え、お前自身が俺の期待に応える事に向いてないと言っても、俺はお前に頼みたい。お前以上の適任を俺は知らない」

八城の結論は決まっていた。桜は阿呆で、時雨はやり過ぎる。

「お前が守れなかったのは、俺があの場に居なかったからだ」

八城は言葉にして、昔の隊員の顔が思い浮かんでは消えて行く。

「俺が守れなかったのは、お前があの場に居なかったからだ」

あの時守れなかった、昔の顔なじみは、今の八城を見たら声を上げて笑うだろう。

「今この場には、俺もお前も居る。桜も時雨も全員が居る。だからお前に頼みたい。最も信頼の置ける人間に俺の後ろを任せたいんだ」

一華が中央から放逐された一年間八城の背中を守ってきたのは誰でもない。八城の目の前に居る白百合紬という少女だ。

少し無表情でかなり言葉足らず。

最近じゃ夢なんて言葉を口走る様になったり、誰から教わったのか下品な言葉も使うようになった、花も恥じらうお年頃だ。

「今度は二人だ。なら、今度ばっかりは、俺がきっちり守ってる。だから紬お前は俺が前を守る代わりに、俺の背中を任せたい」

「八城くんは……勝手過ぎる……」

「悪かったよ」

「……だって……八城くん私に、何も……するなって……言った」

「それも悪かった。お前らに知られると、付いて来るって聞かないと思ったからな。あの言い方をせざるを得なかったんだ」

「……本当に……八城くんは悪い……人が……どれだけ……心配したと……思って……」

一波乱を回避した八城はホッと胸を撫で下ろしたが、備え付けの内線電話が鳴り響き、紬は溜まっていた涙を袖で拭い、受話器を耳に当てる。

『緊急召集、全部隊員は速やかにコロシアムへ参集して下さい。繰り返します……』

紬は受話器を切ると一言。

「八城くん……全員集合」

何時か聞いたその言葉が、次の地獄の始まりになるとは、八城は露程も思っていなかった。

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