第138話 大黒ふ頭5

翌日同時刻

紬と桜は見慣れた道を歩いていた。

首都高湾岸線から時折見える東京湾は黒々とそこの見えない水面を今日も揺らしている。

「ムカつきすぎて眠れなかった」

紬が零した言葉に、柏木への昨日の苛立ちは無い。

だが八城の居ない状況を落ち着かせる為に紬は意味の無い言葉を連ねていた

「でも紬さん普通に寝てませんでした?」

そう答えた桜に紬はローキックをお見舞いした。

「いっつうぅぅ!痛いです!紬さんの蹴りは普通当たらない所に来るから!地味に痛いですよ!」

「それは遠回しに私をチビだと言ってるという解釈で良い?」

「紬さん?ちょっと待って!やめて!痛ったい!ほら!また蹴った!」

「蹴られる様な事を言う桜が悪い」

夜明けと共に東京中央を出立した二人は、旧九番外区「大黒ふ頭」PAに向かっていた。

規定ルートにおいては、然したる戦闘も無い。

こうして回避出来るルートを使えば、そもそも戦闘など、殆ど起きる事はないのである。

「ここら辺の地図は本当に変わり易いですね」

桜は、自分の手で影を作りながら、紙媒体で支給された地図を元に、移動したクイーンの居場所を確認しながらルートを算出していく。

「前回の道が使えない?」

「そうですね、前回大黒ふ頭に来た時は、迂回するしかありませんでしたから、むしろこっちのルートの方が近いぐらいですよ」

「そう、それは良かった」

「まぁけど……」

桜は自分の張り付いてる服を見やる。

前回と同じく、排水施設が電力供給で動いている以上、排水されない水は海底トンネル内に溜まりっぱなしになるのは必然である。

そしてその場所を通って来た二人もまたその被害を受けていた。

「結局、またびしょ濡れになるんですけどね……」

桜の其の肢体を不機嫌そうに見つめる紬はどんよりとその視線を一点に集中させている。

「胸を見せ付けるのははしたない行為だと親に習わなかった?」

「見せ付けてません、濡れて張り付いているだけです」

「誰も幸せにならない行為、まさに欲塊。許されざる蛮行。歩く卑猥」

「しっ仕方ないじゃないですか!そりゃ胸の無い紬さんには、この苦労は分からないかもしれないですけど……何でもありません……」

「懸命な判断。故に命拾い」

「でもほら、紬さんだって、これからの成長を見込める年齢なんですから!前向きに来ましょう!前向きに!」

「了解した。桜のその言葉を信じる。ただし、私の年齢が18になってもこの状態に変化が訪れなかった場合……桜は命を掛ける」

「……すみません……ちなみに紬さんのお母さんの胸はどのぐらいだったのでしょうか?」

記憶を探る紬は首を傾け、幼い頃のあのサイズ感を思いだす。

「……今現在の私より小さかった」

紬の胸はお世辞にも大きいとは言えない。

スレンダーでいてコンパクト。

故にシンプルイズベストなのである。

触れる事は出来ても、掴む事は出来ない。まるで儚い夢の様な存在。

そして胸というのは遺伝である事が多いとメンデル先生もおっしゃっていた。

だからこそ、桜は思うのだ。

こんな夢も希望も無い事実をこの少女に突き付ける事が何よりも苦しい。

「本当にごめんなさい……許して下さい、悪気は無かったんです……」

「俳句を詠め」

鬼気迫る表情の紬に桜の心は恐ろしさが勝っていた。

遺伝という名の抗い様の無い呪縛。

そしてその呪いに蝕まれた彼女の存在。

「私はわるくないですぅ」

「出っ張りとは、全てが罪。いつか購わなければいけない贖罪の根本。多分聖書にも載っている」

「そんなの絶対ありませんようぅ」

「なら私が聖書になる」

「横暴だぁ」

「大抵物事が始まる時は、全てが横暴」

言い合いをしながらも、二人は一度通った事のある、橋の上を通っていくと、やはりと言うべきか、茶髪に肩甲骨まで伸びた髪が印象的な少女。

脇にはクーラーボックスとラジオが置かれ、その人物は此処が私の指定席とばかりに悠々自適に寝転んでいた。

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