第139話 大黒ふ頭6
「テル、久しぶり」
紬が発した言葉にテルと呼ばれた人物も振り返る。
「あ!お久しぶりっす!十番、それから三百三十三番もご無沙汰っす!何方も元気そうで何よりっす!」
テルは機敏に立ち上がり桜のNo.と、紬のNo.を口にする。
「今日の出迎えは、仮設十番隊のお二人だけっすよね?」
その言葉に紬の若干の苛立ちを感じ取った桜が前に出る。
「はっ!はい〜、今日は私達二人だけですよ〜」
間延びした声で、どうにか会話を繋いでいく桜に、テルは底の見えない瞳で見つめ返す。
「そうっすよね、時雨さんと八番は、手酷くやられたと聞きましたから。あのお二人は東京中央で養生している感じっすか?」
「時雨はそう、八城君は……」
言い淀む紬に被せるように桜が言葉を続けた。
「はっはい〜二人は具合が悪いので〜今日はお休みです〜」
「そうっすか……八番には、一度きちんNo.五の事でお礼を言いたいと思っているっす。ぶっちゃけて言えば、今回の役も東京中央へ行く良い口実だったので、不謹慎っすけど丁度良かったと言っていいぐらいっすよ!」
「……そっそう、ですか〜きっと隊長も喜ぶと思いますよ〜」
「はいっす!是非東京中央へ着いたら八番の元に案内して欲しいっす!」
「あっ……そっそう、そうですね!」
「桜、此処は、はっきりさせておいた方がいい」
桜へ向けた紬の言葉をテルは聞き逃さなかった。
「はっきりさせる?何の事っすか?」
テルは二人の間だけで取り交わされた「はっきりさせる」という言葉の意味が分からないと首を傾げる。
だから紬から発せられた言葉にテルは更なる疑問を抱く事になる。
「テル貴方は誰の味方?」
「味方とは?十番の言ってる意味が分からないっす」
「簡単、貴方は今誰を最優先に動いているかと聞いている」
「最優先っすか?さて、だれっすかね〜」
情報屋は簡単に情報を手放す事はない。それが自分自身に関わる情報ならばなおの事だ。
「答える気がないということであるなら私達が貴方を信用する事はできないという事だけ覚えておいて欲しい」
「信用っすか……今がどういう状況か私も知らない訳ではないっすよ?」
「知っている、貴方の手際は前回で見ている。八城君の身に何が起こったのか、ある程度知っている事も理解している事を理解している」
「そうっすか、私はてっきり私自身の八番隊への信用を求められてるのかと思ったっすよ。私は情報屋っす。情報屋に信用を求めていいのは、情報に関することだけっすよ?」
「そう、だから貴方は信用ならない。何処に重きを置いているのか分からないから」
「随分な物言いっすね、一緒に歩き回った仲じゃないっすか」
「だとしても、貴方は信用ならない。だから八城君には会わせない」
「……そういう事っすね、つまり十番は、111番街区元隊長である三郷善の一件を警戒しているという事っすね?私が野火止一華側に立たれていた場合に八番に対して取り返しの付かない事にならないように」
「どう解釈しても構わない、ただ信用ならない貴方から送られる情報を私達が信用する事もないという事だけ知っていれば良い」
その一言にテルの表情が歪む。
情報屋の価値とは、その情報の正確性にある。今回それを紬が全否定した形だ。
「十番は、つまり私の情報屋としての素質を疑うという事っすか?」
「疑っていない。信用を疑われている時点で、貴方はそもそも素質がない」
「なっ!十番!それはどういう意味っすか!」
その時初めてテルの声音に若干の苛立ちと怒気が混じった。
撓垂れる前髪から覗く瞳は鋭く紬を睨み付けている。
だがそんな他人を傷つける言葉さえも今の紬にとっては、いつも通りの日常の一幕でしかない。
「そのままの意味、貴方は向いていない。仮に此方とも向こうとも関係が無いのなら早々にこの場から幕を引くべき。情報屋なら分かっている筈。今回の一件に外敵を介入させる訳にはいかない。この際はっきりと言わせてもらう。私は敵か味方かも分からない貴方を、東京中央へ連れて行きたくない」
「ハハッ……これまたはっきり言うんすね。でもいいんすか?そんな事言って?私が此処に居る意味を十番は分かって居ないんじゃないっすか?」
「分かっている、貴方は見届けの介添人。中立だから選ばれた」
「そうっすよ、私は横須賀でもましてや東京でもないっす。だからこそ此処に立ってるっすから」
「でも両方に属していないという事が、必ずしも両方に無関心で居るという事にはならない。両方が敵でも、ある意味で十分に中立と言える」
問われたテルは皮肉気に紬の言葉を鼻で笑ってみせる。
だがそれが紬には自身の言葉を笑われたと錯覚させる。
「何故笑う?」
「十番が焦っている事は十分理解したっす。だからこそ……十番は、いえ紬さん。貴方は一体私に何を求めてるっすか?」
考えが見透かされた事に、紬はギリギリで表情を動かす事を押さえ込んだ。
「言っている意味が分からない」
「いえ、紬さんは十分分かっているっす。分かった上で分からない振りをしているだけっすね」
テルは何処か懐かしむように高速道路下に広がる大黒ふ頭PAを眺めた。
「紬さん、貴方が私の情報を信じるか信じないかはこの際私にとっても、どうでも良い事っす。紬さんが、紬さんらしからぬ交渉を私に仕掛けて来た事も、この際水に流そうと思うっす。今私が此処で言った言葉を紬さんが信じるか信じないか、私は知らないっすが一つだけ私にも譲れない事があるって知っていて欲しいっす」
テルは巫山戯た笑みを引っ込め、代わりに哀愁に塗れた思い出の一部を記憶の中から引きずり出す。
「紬さん、もうすぐ此処に横須賀からの見届け人が来るっす。その人の前でこの話は出来ないので、その人が来たとしてもこれから話す昔話は出来れば内密にして欲しいっすけど。大丈夫っすか?」
紬は僅かな思案の後首を縦に振る。
「良かったっす。多分この案件は私の方が何かと東京中央にとっても都合が良い筈っすから、紬さんの今の行動は懸命な判断だと思うっすよ」
「それは貴方次第」
「その通りっすね、今の状況においては、紬さんより私の方が切れるカードを持っているっす。それは私が目指す状況に持って行く為の、雨竜良が最後に望んだ東雲八城への願いでもあるっす」
テルは思いだしたくもない当時の状況を思い返す。
それは旧9番街区、大黒ふ頭での事件でテルが助けられた雨竜良への大きな借りが未だに返せないままになっている事に起因する。
「私は昔、元旧9番街区……現在では番外区と呼ばれているこの場所で暮らしていたっす。紬さんは知っていると思うっすけど、この場所は東京中央始まって以来、災厄の起こった場所。化け物と人の欲が、住んでいた住人の殆どを殺した、掃き溜めの中の掃き溜めっす」
此処数ヶ月で遠征隊に着任した桜にとって、馴染みの無いこの場所が、過去に一体どんな場所だったかなど知る由もない。
「三百三十三番……いえ、遠征隊八番隊所属、雪光の担い手である真壁桜さんは知っているはずもないっすよね。この場所。大黒ふ頭には、今では想像出来ない位大勢の人間が住んでいたっす。まぁ、今は誰も居ないっすけどね」
テルの真意は誰にも計る事ができない。テル自身がそれを望まない事も一因しているが、彼女の人生に誰も知らない一面がある事が問題の大半を占めている。
「紬さん一つだけ聞きたい事があるっす」
テルは胸元から手繰り寄せた三枚羽の徽章を手のひらに握り込む。鋭角の装飾が施された徽章をきつく握れば握る程、手の平に食い込んで鈍い痛みをテルに伝えて来る。
「紬さん貴方は雨竜良の事を信頼しているっすか?」
その質問こそテルがテルたる所以。彼女自身がテルという一言に押し込んだ、雨竜良を助ける為の望みでもあった。
「良はもうこの世に居ない。信じるとはどういう意味?」
そうだ、だとしてもこの世に存在しない名前の面影を、テルは確かに手のひらに握りしめた。
「簡単っすよ、紬さんが生きていた頃の雨竜良をどう思っていたのかを聞いているっす」
質問の意図は分からないが、内容は理解出来る。紬は可愛らしく小首を傾げながら質問に対しての答えを導き出す。
「良は良い人だった。信頼をしているかと聞かれたら、八城君が信頼しているからとりあえず私も信頼していた」
「正直っすね」
「それ以外の言葉が無い。気に障ったのなら謝る」
「いえ、正直に答えてくれて良かったっすよ。それでこそ聞いた甲斐があるっすから」
「そう、なら謝らない。次は私が質問する。私にそれを聞いた理由を尋ねたい」
「簡単っすよ、シングルNo.八番。東京中央エースを背負う東雲八城さんも私にとっては紬さんと同じ扱いだからっす」
「……どういう意味か説明を求める」
テルは不機嫌を露わにした紬をクスリと笑いながら三枚羽の徽章から手を離した。
「そうっすね。今、紬さんは東雲八城が雨竜良を信頼しているから、紬さんも信頼すると言ったっす。それは私にとっても一緒なんっすよ。私が東雲八城を信頼するのは、雨竜良が東雲八城を信頼していたからなんっす。だから紬さんと一緒と言っても考え方が一緒なだけで、東雲八城に対しての恋愛感情が一緒だという訳ではないんで安心していいっすよ」
「成る程、納得した。でもそれでは根拠が足りない。何故貴方が良を信頼しているかの根拠が無い」
「それは簡単っすよ。雨竜良は私の事を旧九番街区から助け出してくれたんっす。紬さんと桜さんの場合が東雲八城だった。そして私にとっての「誰か」は雨竜良だったってだけっす」
「そう、大体は理解した」
「私は限りなく東京中央寄りの中立っす。雨竜良がやり残した事を受け継ぐまでは、私が雨竜良に報いる事がでないんっすよ」
雨竜良を死なせてしまった発端の一部としてテルは果たさなければならない使命がある。
雨竜良の灯火を、あの場で分かち合った八番隊が此処いる。
「本当に良さんは勝手っすよ、最後の最後まで東雲八城の事を思って行動していたんっすから……妬けちゃうっすよ。私はあんなに一緒に居たのに……」
呟くように喋ろうが、胸を焦がす口惜しさが消える事は無い。それでもテルは喋らずにはいられなかった。
テルは一番近で雨竜良を見て居た。あの場所、あの時間に最も雨竜良を理解していたのは誰でもないテル自身だった筈だ。それでもテルは雨竜良を止める事が出来なかった。死ぬと分かっていた定のから雨竜良を救う手立てが見つからなかった。
恋焦がれたあの背中を失う事でしかあの場を取り繕う事が出来なかった。
「テル聞きたい事が一つある。良がやり残した事とはなに?」
「それは言えないっす。だけどこれだけは約束出来るっす。雨竜良は東雲八城を生き残らせる為に行動を起こしたんっすよ。私が受け持つのはその延長線上だと思ってくれていればいいっすよ」
「なら質問を変える。テルは雨竜良が好きだった?」
決定的な質問だった。きっと八城であればもう少し遠回しな質問も出来たのだろうが、如何せん紬にはこの方法しか思い付かなかった。
だが効果はてきめんだったと言えるだろう。
「なっ……なっなっ!何!何聞いてくるんっすか!!」
顔を覆ったとて、耳の赤さまでは隠しきれておらず、その事実がより一層テルを信じるに足る根拠を紬にもたらした。
流石に此処までの反応をされるとは思わなかった。だが紬に取っての根拠とは即ち東雲八城への思いである。
そうであるなら、テルが抱いたその気持ちを理解する事は容易い事だった。
「テルは不器用、きっと私と同じ」
「その自覚があったんすね……」
最初に紬が吹っかけた言葉の棘は、思いも寄らぬ所に終着した。
その様子をハラハラと見ていた桜だったが、言い争いになる前に終わって良かったと胸を撫で下す。
「紬さんそれで……」
テルが何かを言いかけた時横に置いたノイズが流れ続けていたラジオがチューニングを合せ、ノイズは次第に人の声に変わっていく。
「……ちら……中……きこえ………こちら……中央……横須賀……応答願い……」
所々噛み合ない声が次第に意味を含み始める。
「こちら……中央……横須賀シングルNo.三番、天竺葵です。テル聞こえているなら応答願います」
テルは紬に軽く頭を下げその応答に応じる。
「もしもし〜テルっすよ〜」
「テル?ようやく繋がった。こちらから貴方の姿は見えないけれど、そちらから私達の姿は見える?」
凛とした声は何処か自信と気の強さを感じさせる。
テルは声の主の言う方角に首を巡らせ高速道路上から下の海を眺める。
「はいはい、今肉眼で確認しましたっす。東京中央の出迎えも来てますので全員でそっちにお迎えにあがるっすよ〜」
「そう、では待っているわね」
通信先の女性はそれを言い終わると一方的に通信を切った。
テルは顔の赤さをグシグシと擦りくるりと二人に向き直る。
「じゃあ、すみませんが、お仕事の方を先に終わらせてから、後で話の続きをしようと思うんっすけどそれでもいいっすか?」
テルは紬と桜の顔を順繰り見て、異論が無い事を確認する。
「あ!そういえば、八城さんが元気かどうかまだ答えてもらってないすっけど、八城さんは元気なんっすか?」
テルは何でも無いと、日常会話の延長線上での当たり障りのない話題に花を咲かせようと瓦礫の上を歩きながら二人に言葉を投げかけた。
「八城君?……元気だと……思う」
紬の途切れ途切れの言葉を聞いて桜は場を取り繕う笑顔を見せる。
「ん?あれ?……どいうことっすか?思う?今日東京中央を出るまでは、一緒に居たんじゃないんっすか?」
その言葉がより二人の無言を際立たせた。
「っちょっと!え?……どういうことっすか?ええ?」
紬はテルの後ろに付き、瓦礫の上を歩きながらこれ以上喋るつもりは無いと瞳を逸らす。
「え?桜さん、これどういう事っすか?」
桜も瞳を逸らそうとして、結局東京中央に到着して気付かれるならと溜め息を零す。
「いっ……いや〜実は隊長、昨日から行方知れずなんですよ〜」
束の間、海の波の音を楽しみ、テルがその静寂を打ち破るまで数秒。
ようやく吐き出した言葉は……
「…………は?」
当然の反応だった。
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