第132話 相対

少し時間は遡り、午前十時過ぎ、

「八城君が何処を探しても居ない……桜、そっちは?」

「こっちにも居ないです」

紬と桜は東京中央の内部を隈無く駆け巡り一人の人物を捜し出すのに躍起になっていたのだが、探し人の人影はその足取りさえ残さず東京中央から消えていた。

「昨日様子がおかしかった……八城君は、また一人で!何処かに行った!分かっていた筈なのに!私は!!」

息が荒く、焦りから紬は言葉を吐き捨てる。

「落ち着いて下さい、私達が取り乱しても、仕方ありませんから。とにかく今は、事情を知っていそうな人を当たってみましょう」

「知ってそう、それなら」

紬と桜は言葉に出さずともその人物の心当たりは同じだった。

扉を開け、薄暗い一階廊下を曲がるとその部屋はある。

「紬さんノックぐらい……」

「そんな余裕はない!」

議長室に扉に手を掛けた紬を制止させようとする桜だが、紬はその言葉に止まる事無くその扉を無作法に開く。

「おやおや……これは随分と物騒だね、どうしたんだい?二人してそんなに慌てて」

「何処にも八城君が居ない!八城君を何処にやった!」

「その言い方だと、僕が八城を何処かへやった様な言い方だね」

「良い訳は聞きたく無い、事実だけを話す」

「僕は八城の保護者ではないからね、彼の私的な動向までは知らないよ」

「これ以上私が楽しく会話を楽しめる状態だと思えるなら!その軽口を続ければ良い!もう一度聞く!八城君は何処に行った!」

「軽口ではないのだけれどね、そもそも彼が何処に行こうと、何をしていても東京中央の不利益にならないのであれば、僕が関与する所じゃないね」

「余裕がない!八城君の事で知っている事を喋る、それ以外の言葉は聞きたくない。八城君は何処!」

「知らないさ、僕は八城が東京中央以外の何処かに行ってしまった事は知っているけれど、何処に向かったのかは知らないよ」

悠々とした柏木の態度は、今の紬には逆効果である。

猫の様にしなやかな動きで柏木の胸元を小さな手で鷲掴みにした。

「ふざけるな!何故だ!何故あの状態の八城君を行かせた!」

「落ち着いて下さい!紬さん!やりすぎですよ!」

制止しようとした桜の手を払いのけ、その苛立ちを柏木へ叩き付ける。

「答えろ!柏木!」

「ちょっと!ちょっと待って下さい!紬さんも一端離れて下さい!」

桜は今にも噛み付きそうな紬を羽交い締めにして、二人の間に距離を保つ。

「離せ!桜!こいつはあの状態の八城君を分かっていて、一人で行かせたんだ!」

柏木の喉元に噛み付かん勢いで紬は捲し立てる。

「紬さん!落ち着いて、まだ八城さんが何処かに行ったと明確にされた訳じゃないですよ!それに、こんな所他の隊員に見つかりでもしたら問題になるのは私達の方です!」

桜の説得虚しく、紬は桜の拘束から抜け出そうと暴れ回るが、身長差があるため、パタパタと足をぶらつかせる事が関の山である。

そして、そんな紬の姿を心底あきれ果てた様に一瞥し柏木は、二人にわざと分かる様に溜め息を付いてみせる。

「君は八城を分かっている様でまるで分かっていない。紬、君が東雲八城という人間と過ごして知った、彼の一端を僅かでも理解してるのなら、君は僕の元へは来なかっただろうね」

その言葉は紬の心を一際ザラ付かせる。

「八城は十分君の事を理解していたよ。紬という人間の事を……そして紬は東雲八城が白百合紬を理解している事を理解していなかった、という事だね」

今の言葉を紬は理解していない。

だが桜は違う。事此処に至ってようやく気付いたようだ。

「それはつまり、私達が此処に来る事を八城さんは分かっていたという事ですか?」

柏木は一つ頷き、そして此処に来てしまった代償を二人に提示した。

それは地図である。

規定ルートに示されているのは旧9番街区である。

その場所の名称は、大黒ふ頭。

一度八番隊が雨竜良と共に行った事がある場所でもある。

「君達仮設十番隊は、旧9番街区へ客人を迎えに出向いてもらう、これは最優先事項だ、君達に拒否権はないよ」

いつも通りの口調、それは柏木にとって今現在に憂慮すべき事態が起こっていないという事を言外に示している。

だが紬にとって今この場に八城が居ないという事、そしてその事態に一枚噛んでいる柏木を到底許す事など出来ない。

「巫山戯るな!今は私が聞いている!八城君を出せ!」

紬は机に出された紙を叫びながら投げ捨てる。

「八城の安否を気にするなら、むしろ君達はこの要請を受けざるを得ないだろうね」

「それはどういう…って紬さん暴れないで下さい!」

桜は暴れ回る紬を抑えながらも、柏木へ問い直す。

「ふむ……八城は天王寺催花を救うつもりらしい、そして君達がこれから迎えに行く要人は横須賀中央から出向いて来る人物……つまり、八城の望みを最後まで見届ける為の人員という事だね」

その言葉に桜も紬も思考が停滞した。

柏木の言っている事が何一つとして分からないからだ。

「見届ける?どういう事?」

八城が説明したのは天王寺催花の有用性についてだ。

そして八城はこう言っていた「クイーンを討伐すると」

だから、「見届ける」この単語が、八城が言っていた夢物語の様な狂言に信憑性を持たせてしまう。

単なる冗談だと思ってしまっている自分が居た。

だってそうだろう、この数年間、そんな事は一度たりとも成功していないのだから。

見届ける誰が?それはきっと横須賀の中央の事だ。

何を見届ける?それはきっと、「歌姫」の有用性の証明を見届ける。

では何をする?答えは東雲八城がこの東京中央を出る前に口にしていた。

クイーンを殺す?

「紬、天王寺催花の有用性を証明するということを君は本当に正しく理解しているのかい?」

「ありえないそんな事、柏木……何故……何故、八城君を止めなかった……」

紬は今度こそ、暴れるのを辞めた。

紬はようやく理解した。八城が一体何をしようとしているのか

「八城は言っていたよ、八番隊の死を無駄にしない為だと、全く理解は出来ないけれどね、なんせ僕には、どれも縁遠い物だ」

「死を無駄に……そいうこと、アレが「歌姫」が全ての元凶……」

紬は迅速に今ある情報の点と点を結び情報を見付け出す。

「アレとは酷い言い様だね、彼女は人だよ、幾ら紬が、八城以外の人間に興味がないからと言って、物の様に扱うには感心しないね」

「それについては、柏木も人の事は言えない」

「何故そう思ったのか根拠を聞かせてもらえるかい?」

柏木は心外だと言わんばかりに、身体を仰け反らせてみせる。

「理由は簡単、柏木は歌姫を、天王寺催花を殺そうとしていた」

「何故それを知っているのか聞きたい所だけれど、まぁいい、だけどね、それは彼女自身が望んだ事でもあるんだ、そしてそうする事が中央の為にもなる」

柏木のその言葉は紬の怒りという感情を部分的に切り取ってみせた。

「本気で言っている?」

「どういうことだい?」

「柏木は、天王寺催花が死ぬ事を……本当にそれを本人が望んだと本気で思っている?」

「さあね、僕は彼女ではないからね、実の所は知らないし、それを知りたいとも思っていない。でも、一つ言うなら彼女がそれを望んだ事を都合が良いとは思ったけれどね。でもそれは紬、八城を守りたいと思う君も同じ筈だろう?」

「ある意味で同じ。でも根本が違う、だから柏木と私は違う。」

「ほう?どう違うのかな?」

「私は八城君が大事、だから他の人は後回しで良い。でも柏木は違う。柏木は誰も優先していない、だから柏木と私は違う」

「それはそうだろうね、僕が優先すべきは東京中央その物だ。個人に感情を回せば途端に中央は立ち行かないだろうさ」

「それは歪、人としては不完全」

「君も僕の目から見れば、人としては不完全に見えるけれどね」


打つかり合う二つの言葉は冷たく、狭いこの部屋の隅々まで凍てつかせる。

「違う。柏木は見てない。人を見てない。だから……柏木は誰も見てない」

いつもながら紬の言葉は少し足りないと、柏木は思う。

だが、言いたいとしている事は、柏木にとって要領を得ない物ではない。

「中央には沢山の人がいる、人が集まって中央が出来ている。なのに、柏木は人を見ていない。誰も優先していない。それは誰も幸せにならない」

「僕はそもそも、誰も幸せにしようなんて思っていないんだよ、誰もが少しの不幸を共有して、僅かばかりの生き残る道を模索する事が、今の僕の仕事だからね」

「その考えは間違っている。正直、腹立たしい」

「偶然だね、僕も知った様な口をきく目の前の小娘が腹立たしいよ」

黙り睨み合う二人の視線を見て桜は割る様に二人の間に身体を滑り込ませる。

「だから!待って下さい!今は隊長の事が最優先ですよ!」

「そんな事は分かっている、でも!」

「でもも、何も無いです!最優先に考えるなら、私達がこんな所で口喧嘩をしている暇はない筈です!」

桜の言う事は最もこの場において正しいのだろう。

こうしている現在も八城は知らぬ場所に移動している可能性がある。であるなら、必要なのは八城に関する情報の収集だ。

八城が何をする為に、何処へ向かっているのか。

「おっと、君達には、仮設十番隊は別の仕事があると言った筈だよ?やるならそちらから先にしてくれないと困るんだよ」

「柏木今はそんな事を……」

だが柏木もこればかりは譲るつもりは無い。

「僕もね、君達の味方でありたいと思うけれど、それは君達が君達の役割を果たしている事が最低条件だ。君達がこれからも東京中央で遠征隊を名乗りたいなら、指定した仕事を片づける事が筋なんじゃないのかい?」

つまりこの二人が柏木の元に来た時点で、柏木には、この二人を八城の元へ行かせる気が最初から無かったという事だ。

「では、この横須賀からの要人を中央へ連れて来れば、私達は隊長の足取りを追って良いという事でよろしいのですね?」

そして余裕が無いのは桜も同じだ、紬が取り乱しているから、桜が平常を保っているというのが正直な所だ。

自分が何故こんなにも心が乱れているのか、桜は自分でも分からない。

それでも分かっているのは、東雲八城という人間を、あの場において一人で行かせてはいけなかったという点だ。

「邪魔をするな」と冷たく言い放った横顔に、掛ける言葉が見つからず、そのまま行かせてしまった事はどう考えても、間違いだった。

気付いた時には八城は居らず、その焦りだけは確かに桜の心を占領している。

そしてその気持ち拍車を掛けるのは三郷善の言葉だろう。

三郷善が語った言葉の信憑性は、如実に今の桜の現状を取り巻いている。

だからこそ、桜に言葉を選ぶ余裕など無い。

「私達は、柏木議長が思っているより、ずっと焦っているんです。柏木議長に人の優先順位を付けて欲しいとは思わないですが、私達に優先順位がある事は理解していて下さい」

桜は、机の上に置かれた紙を受け取り、紬を連れ立ってその部屋を後にした。

一人部屋に残された柏木は、珍しく表情を歪めていた。

悔恨が無い訳が無い。

四年間で溜まった後悔の数を数えれば、それこそ思い返す為に四年間が必要になる。

歪む表情を手のひらで覆い、顔を一撫でする。

そうすれば柏木には、いつもの柔和な笑みが戻って来る。

「心に留めておくよ」

柏木は自分以外が居なくなった部屋で、一人そう呟くのだった。


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