第133話 偶像と非凡1

「てめえ、ムカつくぜ……」

そう呟いた時雨の視線の先には、件の「歌姫」もとい天王寺催花がしかめっ面で座っていた。

傍目から見れば、芸能人同士の豪華な取り合わせであるものの、二人の邂逅は些か刺々しい雰囲気が漂っていた。

というのも、時雨から発せられる言葉の全てに、天王寺催花へ対する敵意が直接本人に向けられている為である。

基本温和な性格を有する催花ではあるが、四年前からの知り合いであるにも関わらず訳も分からないままに敵意を向けられているこの状況に最初こそ不安を感じていたが、橘時雨から発せられる言葉に次第に慣れて行った。

そして慣れると不思議なもので、憶えの無い敵愾心を向けられていると怒りが湧いてくるのである。

「何で、てめえが此処にいんだ?クソ最悪だぜ!」

物言わぬ催花に、時雨は言いたい放題を続けていたが、ついに催花にも限界が訪れる。

催花はテーブルに置いていたホワイトボードに文字を乱雑に書いて行く

「私も来たくなかった!」

「ハッ、どうせ大将が嫌がるお前を引っ張ってきたんだろ?大体の想像はつく!だがよぅ!私が納得出来ねえのは!てめえが喋れねえって事だ!」

凄む時雨は何かをまた何かを書き始めた催花を止める

「いい、分かってる!書くんじゃねえ!てめえの声が奴らを呼び寄せんだろ?そりゃしょうがねえよ!理解もしてる!だがよ、てめえ勝ち逃げってのはどういうことだ!」

時雨がこの天王寺催花から思い返される記憶は総じて苦い物ばかりだ。

橘時雨、いや、藤崎時雨にとって唯一の恐怖はなんだったのか?

それはまだネットワークがきちんと機能していた頃。

それは順位が目に見えてはっきりとしていた時の話

時の風雲児藤崎時雨に時代は傾いていた。

だが一つだけ、藤崎時雨が勝てなかった物があった。

いや違う、勝てなかった人物が居たのだ。

「てめえ!声が出せねえってそれで歌を諦めてんのかよ!」

その言葉に催花は淡々とした文字で応えた

「諦めてる」

表情と一致しない返されるフリップの文字に、時雨は苛立ち紛れにテーブルに蹴りを入れる。

コップに満たされた液体が波打ち少しの間に元の水面に戻って行く。

時雨が苛立つのには訳がある。

「歌姫」と称されていた彼女は、容姿もさることながらその歌唱力がずば抜けていた。

その分野において、天王寺催花の名前は何時だって藤崎時雨の上にあった。

そして終ぞ時雨が勝つ事が叶わなかった相手である。

「クソ!クソ!クソ!クソ!クソたれ!勝ち逃げかよ!クソ!」

そう時雨は勝てなかった、どんな新曲を出そうが、どれだけレッスンを積み重ねようが、天王寺催花はいつだって軽々とその上を行く。

「何故そんなに怒っているの?」

本当に分からないと、天王寺催花はホワイトボードと共に小首を傾げる。

「てめえ!本当にムカつくな!クソ!」

時雨にしては珍しく頭を掻きむしりながら駄駄を捏ねるように声を荒げている。

時雨は決して天王寺催花を認めていない訳ではない。

それどころか誰よりも天王寺催花を認めている。

だが認めているからこそ時雨は悔しいのだ。

デビュー当時から才覚を現し、一足飛びに頂点へ駆け上がって行った天王寺催花を藤崎時雨は最初疎ましく思っていた。

だが時雨は知っている。才能と呼ばれる些細では、その地位は盤石にならない事を誰より知っていた。

だからこそ、認めているのだ。

頂点に居る為の努力を続け、天王寺催花は頂点に居続けた。

そして時雨も、頂点を目指す為に努力をし続けた。

だが、その努力は指先程も届かなかった。

なら時雨にとっての事実は一つだ。

藤崎時雨にはその才覚も、努力も、その「歌」という分野において、天王寺催花に敵う物が何一つとして無かったという事だ。

「あぁあああああ!!!クソ!!!!ったれ!!!ずっと勝てねえままじゃねえかぁぁああ!!」

その姿を見て天王寺催花はクスリと笑ってみせた。

「てめえぇは!何笑ってんだ!」

催花は笑った事を訂正する様に胸の前で一生懸命手をパタパタと動かし、必死にホワイトボードにペンを走らせる

「時雨ちゃん、アイドルの頃とキャラが違う」

「そりゃあなぁ!人気が命の商売なんだぜ?愛想も生命線の一つって考えりゃ、無料で配り歩くってもんだろうが!まぁ、ここじゃあ愛想なんてクソの役にも立ちゃしねえからな、とっくの昔に横浜アリーナに置いて来たよ」

脇腹を掻きながら答える時雨にまたホワイトボードを見せる

「私に勝ちたかったの?」

「あったりめえだろうがぁあ!!気に食わない事に、てめえはいつも私の上に名前がありやがるからよ!」

だが次の文字に時雨の時間は完全に停止した。

「時雨ちゃん歌なんて歌ってた?」

束の間、その文字に、時雨は言葉を失った。

そして次第に乾いた笑いと共に、ゆらりと立ち上がる。

「ハッヘヘッ……てめえ、まさか……私の存在を認識すらしてなかったって事か?」

前髪が垂れて表情は見えないが、その声色から時雨が怒っている事だけは伺える。

「ちょっと待って」

催花は可愛らしくホワイトボードを胸の前で抱きしめる。

だが時雨を前にその可愛らしさなど無いに等しい。

「待たねえよ!クソ!!!」

天王寺催花による文字での訴え虚しく両肩をガッチリと掴まれ前後左右に揺さぶられる。

「てめえ!マジか!!本気で言ってのか!!ずっとてめえの下に名前があっただろうが!」

週間、月間共に、藤崎時雨は悪くない成績を残している。

確認さえすれば確実に藤崎時雨の名前を目にした筈だ。

「ごめん、ランキングとかあんまり興味なくて」

そう、確認さえすれば……

「だから天才は嫌いなんだよ!!クソッたれええぇえええ!!!」

今日一番大きな声は孤児院中に響き渡ったのだった。

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