第115話 東雲九音

時雨が意識を失い数分。

嵐の隙間を縫う様に泣きぼくろが特徴的な少女はやって来た。

いつの間にか歩み寄られたというのが、美月の率直な感想だった。

「だっ、誰ですか!時雨さんに近づかないで下さい!」

その少女は美月に声に一つ微笑みを向け、意識を失っている時雨の顔を覗き込んだ。

「傷は……血が邪魔ね、意識は無い、脈拍も弱くなって来てる……体温も低い。ちょっと不味いかも」

少女はそう呟くと、時雨の服に鋏を入れていく。

だがそんな事を美月は知らず、最後の気力を振り絞り刀に手を掛ける。

「時雨さんから、離れて下さい!」

美月は痛みから玉の様な汗を滴らせながらも、ゆっくりと近づいて行く。

「美月ちゃんだよね?」

何故名前を?という疑問が美月の脳裏を掠める。

当然だ、今この場に来る人間には二種類しか居ない。敵か味方か?

そして、美月はこの少女を知らない。であるなら、この少女の正体は前者だろう。

美月の要求など聞こえないかの様に、その少女はその言葉に振りかえるでも、手を止める事も無く、淡々と時雨に必要な処置を施して行く。

「ごめんね、今構ってあげられる程暇じゃないの、見て分かるでしょ?」

刀を向ける美月はそれ以上の動作が出来る余裕などない。

少女に向けた刀の重さを、両足の震えを、痛みの波を押さえ込む事で手一杯だ。

だがそれでも、美月は命を掛けて守られた。

その恩人に少しでも危害が加わる可能性があるのなら、黙って見逃せる訳がない。

「良いから!離れて!」

美月が燻る感情を吐露したことなど、何時ぶりだろうか?

美月の言葉に少女は不快を露わにして、美月へその顔を向けた。

「あなたの言う通り、今此処を離れれば、間違いなくこの人は助からない。それともあなたは私より正確に、この人を助ける事ができるの?」

立っているのがようやくの美月である。

時雨の応急処置など出来る筈もない事は本人は一番分かっていた。

そして少女もそれを分かっているから、応急処置の手を止める事はない。

「それでも……信用出来ません」

「別に信用しなくても良いわよ、どうせあなた達東京中央からみたら、私達は敵なんだから」

決定的な言葉だ。

この少女は今自分の口で東京中央の敵であると明かしたのだから。

だがそうであるなら、一つ疑問がある。

「敵なら、雛ちゃんを助けるのが先じゃないんですか……」

「あなた、本当に素人ね」

鼻で笑うその表情が何処となく美月の知っている誰かに似ている気がするのは、きっと気のせいじゃない。

「何故そんなこと……」

「フフッ、何故ってそうね、まず一つ目だけど、この人銃を持ってるのに使わなかった、それに……」

少女の目線は今も痛みに苦しむ雛を見据える。

芋虫の様に横たわる雛の腹部からは刺さっていた刀は抜け、その傷口からは少なくない血が今も流れている事が伺えた。

「この人、雛を殺す気なんて、最初からなかったのよ」

少女が見た篝火雛の容態は、時雨のそれとは比べるべくもない。

雛の傷は広いが浅く、内臓にまでは達していない。

今は痛みで起き上がる事もできないでいるが、その内自立する事が出来るだろうというのが少女の感想だった。

「だから、この人は殺さない。まだ生きてもらわないといけないでしょうに!」

この少女は、最初からイライラを振りまいていた。

少女の根本的な怒りは、詰まる所、篝火雛に向いているという事だけは今の言葉で理解出来た。

「九音さん……ごめんな……さい……八城さん……連れて来れなかった……」

雛は痛む腹部を必死に抑えながら、治療を進める少女に謝ったが、少女の反応は淡白を通り越し、静かな怒りを内包していた。

「何故こんな事をしたのかは、後で説明してもらうから」

少女は鉤針を使い時雨の患部を器用に縫い塞いで行く。

肉に針が食い込み、吊れる度に時雨の表情に苦悶が浮ぶ。

四針、そして次の針で最後という時、時雨の閉じられていた瞳が薄く開いた。

「てめえ……クソいてぇじゃねえか……」

「我慢して下さい、これで最後ですから」

最後の一針が肌を貫き、返す針がまた内側から肌を抜く。

時雨は呻き声を抑えながらも、その傷を忌々しそうに眺める。

その様子を満足げに見た少女は、時雨を抱き抱える様にして、包帯を巻き終え全ての処置を終了した。

「一応止血と傷の縫合は終わっていますけど、あんまり動かないで下さい。それから、東京中央に戻ったらちゃんとNo.九の方の元で、もう一度治療を受けて下さい」

何故そんな事を知っているのか、この少女が誰なのか、推測出来る事は、雛が口を滑らせた「九音」という名前だけだ。

「てめえは、味方じゃねえんだよな?」

「そうなるかも」

少女は臆する事無く、時雨の問いに真っ直ぐにそう返した。

だがその問いを、肯定するのであれば、それはおかしな事だ。

「てめえ、何で私を助けやがった」

時雨自身、この言葉は出来る事なら使いたくはない。

だがこの状況だ。

止血され、御丁寧に包帯まで巻かれてしまった。

彼女は雛の味方と見てまず間違いない。

そんな、味方ではない少女が、何故時雨を助けるのか?

雛が殺しきれなかった時雨だ、敵であるなら見殺しにする方が何かと都合が良い筈だ。

だが、時雨の問いに対して少女は驚きの答えを返した。

「人を助けるのに理由が必要なの?」

時雨は何故かその台詞に八城の顔がふと頭をよぎる。

他の誰が言っても、時雨はその言葉を鼻で笑ったかもしれない。

だが少女の言葉には一つの澱みもない。つまり巫山戯て言っている訳ではない。少女は真剣に、ただ時雨を助けたくて助けたという事だ。

「気に入らねえな……てめえの仲間にやられて、てめえで助けるだぁ?巫山戯んのも大概にしたらどうなんだ?」

「フフッ違いないわね……それについては私のせいじゃないし、知らないわよ。その子が勝手にやった事だもの。まぁでも、足止めするって言って、何も疑わなかった私達に責任があるとも言えるのかもしれないけれど、忘れないで欲しいわ、私達は敵同士なんだから、傷つけ合うのは当然じゃない?」

「ハハッちげえねえな!てめえがそのつもりなら、助けた理由は聞かねえよ、だがよ、こっちの質問は死んでも答えろ、てめえは何で私を殺さなかった?」

そんな事を聞かれるとは思っても見なかったのか、少女は思わず吹き出した。

「あなた面倒な性格をしてるって言われるでしょ?」

「てめえ程じゃねえよ」

何時もの気の合う仲間を思わせるその言葉のやり取りに、時雨は何処か安堵してしまった。

笑った時雨に返す微笑みは、何処か似ていると言わざるを得ない。

含みのある言葉の使い方は彼を思わせる。

よく似ていると時雨はそう思った。

「あなたを殺さなかった理由ね、三つある、一つはあなたが雛を殺そうとしなかったから。二つ目は私があなたを気に入ったから、そして最後は…」

そう言って少女は、ハニカム笑顔でこう答えた。

「誰もこの場所で死ぬ必要なんてないでしょ?」と

その言葉は時雨のみならず、この場に居る全員に向けた言葉だ。

この場所で人死には出させる事はない。敵であると語った少女は、最も優位に立つ状況でそう言ったのだ。

「てめえの言葉、信じて良いんだな?」

「あなたの傷を治療した事で信じて欲しいけど。それとも、もっと痛くした方がよかったかしら?」

巫山戯ている表情も、何処と無く彼に似ているのが腹立たしい。

「てめえ名前は?」

時雨の問いに泣きぼくろが特徴的な少女はニコリと笑う

雨の音も掻き消す、衝撃が時雨に有ったのは間違いない。

傷の痛みよりも、ずっと大きな致命的な事実だった。

「私の名前は……」

東から来た荒らしの雲はゆっくりと西に向けて流れて行くのだった。

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