第114話 鬼影21

これが桜ではなく「奴ら」であったなら、八城は詰んでいた。

そんな思考の刹那にも、桜は動きを止める事はない。

「八城君前!」

気付けば桜の瞳と目が合った。

何処までも空虚で空の瞳に温度は無い。

桜から振るわれる刀の対応に間に合わない……否、間に合う。それは空いた桜の顎下。

手で刀を持ち替える感覚の前に、八城なら刺し貫く事が出来る。

思考より素早い行動。

それは八城の瞳から見る景色の一端。

色と音と感触が置き去りになった歪みの向こう。

孤児院の前、過去を語り振り抜いた白い刃に、自身が行ったその行為を八城は硬く戒めた。

桜の怯えた表情は今も鮮明に八城の脳裏に張り付いている。

意識を手放し鬼たる所以の力に呑まれた経験がその歯止めを利かせた。

同じ轍を踏む訳にはいかない。

判断は早く、八城は刀を捨て、一歩前に前進した。

肩口に焼け付く様な痛みが走る。

だが切れ味が悪くなった刀だ

それも、体重の乗らない柄に近い部分では、身長の高い人の骨を斬り落とす事は出来ない。

だから、もう一歩だけ前に……

それがどれだけ無様な前進だろうと八城は手の平にある桜の体温を零さないために。

進む度に刃は八城の肩口をより深く抉り取り、滴る鮮血が床を満たす。

己の身体を犠牲にし、組み付くように桜の両腕を押さえ込む。

いつだってそうだった。

八番隊に華麗な勝利などあった試しが無い。

今回だってそうだ、泥臭く、地に顔を押し付けて汚泥に塗れたとしても。

それでも、この結果だけは……

もう一歩前へ

確実に動きを封殺する距離へ

「紬!頼む!」

「了解した」

紬は何時か見せた組技で、桜の首を押さえ付けた。

何度となく桜が暴れ、八城が蹴りを食らいながらも、その両腕を押さえ付け、腕の力と足の力が抜ける瞬間

そして桜はその光景を目の当たりにする。

自身を傷つけまいと斬り合った相手の顔

桜の身体に裂傷は無い。

終ぞ、この戦闘で八城はその刃を桜に当てることはなかった。

そう、当たらなかったのではない、当てなかった。

だから鬼神薬を使った桜は分かってしまった。

切られる、その痛みを知っている。

切り結ぶ度に理解出来たのは、自らの未熟さと、相手の存在の大きさ。

「だぃじょう……ごべぇんなざぃ……」

溢れる涙と最後の言葉を八城は聞き届ける。

「いいさ桜、今は……ゆっくり休め」

桜は安心した様に八城に倒れ込み、そのまま動かなくなる。

八城は意外に重い桜の身体を支えながら自身の傷も相まってその場にゆっくりと倒れ込んだ。

それを倉庫上から見た善はその光景に大仰に拍手を送る。

「お前その腕……」

「そうだね、この腕を八城が知る筈がない……これは今だけの特別サービスだ。正直八城はその子を切り捨てると思っていたよ」

「どういう意味だ」

「そのままさ、殺すんじゃないかと思ったんだ。でも、殺さなかった。あの日と一体何が違うんだろうと、ずっと僕は考えたんだけれど……考えれば当然だね、リンは担い手じゃない。そしてそこに居る桜さんは担い手、その違いなんだろう?」

「お前……」

「別に恨んではいないよ。リンは君が殺した訳じゃない。ただあの時、八城は僕たちに隠したけど、今の八番隊の子達には話している事がある。それだけだ、さっきの紬の様子だとまだ全てじゃないんだろうけど、そう睨みつけて怒らないでくれよ紬、喋らないのは八城の意思だ。僕のせいじゃない」

その通りだ。

八城はまだ自分の隊員に話していない事がある。

自身の事についても、そして中央についても。

「お前の言う通りだ。確かに俺は今の八番隊にも、お前らにも喋っていない事はある。だが、喋ってないのは、お互い様だろ」

「お互い様だから許せって?」

「許せ、なんて言ってないだろ。話していない事が俺にもお前にもある。それを今も喋れていない事が許せないなら、俺たちは存分に恨み合うしかない。それに今は幸運にも、俺とお前は敵同士だ」

善はウンウンと二度大仰に頷き指を一本立てて見せる。

「恨み合う事には賛成だけれど、八城は一つ勘違いをしているよ」

八城はその言葉の意味を理解できず善を見つめ返した。

「本当に分かっていないんだね……僕は最初から言っているよ、僕は八城の味方だ。何があっても僕は君を助ける」

「じゃあ何でだ!何でお前は!そっち側に立ってんだよ!」

紬はこの時、あまり素の感情を表に出す事をしない八城の、悔しさが滲む声を初めて聞いた。

八城と善。

二人の間に境界線などない。

行けばすぐにその手を掴める筈だ。

だが二人の間には、決して相容れない溝が存在する。

今の仲間を、昔仲間だと思っていた人間に踏みにじられた。

そしてその相手は、八城の味方だと言うではないか。

つまりそれは、この状況を八城が作り出したという事に他ならない。

「八城は一つ勘違いしているね、僕は君の味方だけれど、君の望みを叶えるとは限らない。僕は君の味方だから、君と敵対するんだ」

紬の耳に聞こえるその言葉の意味は分からない。

だが八城には分かった様子だ。

八城の中でそれは輪郭を伴い、確かな意味を帯びた。

「なら俺はいつか……俺の味方を斬らなきゃいけないのか?」

いつか何処かに置いて来た筈の弱さが八城の口をついた。

「君がそれまでに、君の望みを諦めればいい。それに東雲九音と言ったかな?君の妹もそれを望んでいる」

善が今何と言ったか?

八城にその単語を理解する時間が遥か昔に置いて来た諦めの砂上から浮かび上がる。

「お前……何で、その名前……いや、まさかそんな事……」

今度こそ八城の瞳は驚愕を露わに大きく見開かれた。

それは四年かけても得られなかった家族の足跡

それをこんな、思いもよらない場所で手に入れた。

「おや?八城は自分の妹に会ってないのかい?あぁそうか。篝火さんの所に行ったのは時雨さんだったね、妹さんも八城に早く会いたがっていたよ」

善はコンテナから二階奥の鉄廊下に飛び移る。

「じゃあ僕はそろそろ行かせてもらうよ。次ぎ会うときは歌姫を貰いにいくから、その時までに君が本当に居るべき場所を考えておいて欲しいかな」

「そりゃどういう………」

善はそう言い残し、左に巻いたバンダナを棚引かせ、二階の扉から姿を消した。

八城は追いかけようと、一歩を踏み出し、自分が流した血溜まりに足を取られる。

赤視界からゆっくりと、見える範囲が狭まっていく。

「あっ……うっくそ……」

「八城君!」

八城は失血から、視界が霞み、駆け寄って来た紬の声を最後に次第に重くなっていく瞼を閉じたのだった。

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