鬼華の残影
第69話 鬼華 序
「あ〜あじぃ〜よ〜」
茹だる様な熱さの中、八城は同室の住人のその言葉で目が覚めた。
「熱いのはお前のせいだろ、時雨」
「何でもかんでも私のせいにされたらたまらねぇよ、大将」
ここに来て時雨が熱いとぼやいたのはこれで何回目だったか?
百を超えた当りから数えるのを辞めた気がする。
というのも八城はこの回廊と呼ばれる反省室に来てもう一週間が経過していた。
あのツインズの撃退から二週間。
中央に帰還した八番隊が受けた扱いは、ツインズを撃退した功労者への扱いとは程遠い物だった。
取り調べの様な個人への問頭がなされ、九十六番隊並びに七十一番隊隊員への事情聴取。そして次々と明らかになった問題行動の数々。
そしてこの回廊送りになった大きな出来事それは……
「時雨おまえやりすぎただろ!」
「おいおい大将!こんな近くにいるんだぜ、騒がなくたって聞こえてらぁな」
そう時雨がやった最大の問題事項。
権力を行使しての住人への脅し。
「酷いですぅ……私じぃ……何もっうっぐぅえっぐっなにもじでないのにぃ……」
隣の牢からは桜のすすり泣く声が聞こえて来る。
「おいおい!泣くなよ桜!私がアイドルだった頃は、毎週のように有る事無い事週刊誌に書かれたもんだぜ!それに比べりゃ、やった事を責めらる分まだマシだぜ!」
「しょれに…うっぐ、時雨さんがあの…藤崎時雨だったなんて!そっちの方がショックなんですよ!」
「いい加減諦めろよ〜私たちは全員小便の音まで聞いた仲じゃねえか!」
「もう辞めて下さい!私の藤崎ちゃんがあぁあぁあぁ!」
「おうお前の藤崎ちゃんなら今絶賛小便中だ!それではお聞き下さい!残尿のブルースってな!」
おっさんのように豪快に笑いながら、
とうとう女を捨てるどころか、人間性を捨て始めた時雨は、多分この四年間ゴリラと生活を共にして来たに違いない。
だからきっと未だに人間の生活に馴染めていないのだ。
壁向こうの桜は、言葉にならない叫び声をあげて「藤崎ちゃん可愛い藤崎ちゃん可愛い」という単語を呪いの様に繰り返し始め、いよいよ八番隊も全滅の危機に瀕していた。
「時雨はまあ、大分問題はあるけど、一先ずそれは置いておいて、桜そっちはどんな感じだ?」
「どんな感じっていわれましても…石壁が冷たいので、それと寄り添ってますよ」
直射日光が上部窓から差し込み、その熱さから逃れるように壁沿いに体育座りをしているのは向こうの二人も変わらないのだろう。
だが八城が聞きたいとしている事はそれでは無い。
「いや……まあそりゃ分かるんだが……そっちに紬がいるだろ?生きてるのか?」
「ああ、紬さんですね、ちょっかいを出すと殴られるので一応生きてはいますよ。」
ここにきてから紬の言葉数は極端に少なくなっていた。
「桜うるさい」
「おわ!しゃっ……喋った!」
隣の壁越しに体勢が崩れた桜の驚きが伝わってくる。
まあそれもそうだろう、この一週間紬がここまで長く喋った事など無かった。
「うん」とか「そう」とか長くとも「了解」としか喋らなかった。
「余りにも喋らねえから死んじまったかと思ったぜ?なあ大将?」
「時雨さんあんまり刺激しないで下さいよ!時雨さんは同じ部屋に居ないから良いですけど!同じ部屋の私は!ちょっと!紬さん!無言で叩くのやめてくださいよ!」
「桜うるさい。それに暑い」
「暑いのは私も同じですよ!それにここに入る事になったのはそもそもが時雨さんのせいなんですから!文句は時雨さんに言ってくださいよ〜」
「いや〜金と権力はいざ手に入ると使いたくなるもんだからな〜」
「それでこの有様だけどな」
「それは言いっこ無しだぜ大将!」
そう、時雨に渡した八番隊、三枚羽のネックレスを使って時雨は住人を脅し八番隊全員がこの回廊に入れられていた。
「八城くん……御免なさい……」
紬は声をくぐもらせながら、またしてもその言葉を口にした。
「やめてくれ、あの場に居たのが俺でもどうする事も出来なかった。お前は自分の出来る事を、出来る範囲でやったんだ。お前は何も気にする必要は無い」
時雨その僅かな沈黙も許さないと、八城の言葉に反応する。
「なら私も出来る事を出来る範囲でやったんだから気にしなくていいか?」
「お前は出来る範囲どころか人として躊躇う範囲を平然と踏み越えていくんだから!少しは反省しろよ!」
「そうですよ!隊長!時雨さんにはもっと言って下さい!」
「てめえ!桜!手が届かないとこに居るからって!」
時雨は絶対に手が届かないと分かっていながらも隣の部屋の格子に手を伸ばす。
「関係ありませんよ〜あっ痛!紬さん何で殴るんですか!」
「何となくムカついたから」
「痛い!痛いです!隊長!なんとかしてくださいよ!」
「悪いな俺は手が届かないところに居るからどうする事も出来ないんだ」
「そうだ!やっちまえ紬!」
「いだ!いだだだ!痛いです!そんなにやるなら私にも考えがありますからね!」
「歯向かうと、次戦う時後ろから誤射してしまうかもしれない」
「………いだ!痛いです!隊長!助けて!助けてください!」
「悪い今忙しくてな、手が離せないんだ。自分で何とかしてくれ」
八城は比較的冷たい石畳に手どころか、身体から頬までをくっ付けて身体を冷やしていた。
「あんた達なにやってんのよ……」
いつの間にか牢の間にまで来てたのは風間麗九十六番隊の女隊長だ。
「見て分かんねえのかよ」
突如現れた麗に時雨は睨みつけるように答える。
「分からないわ。隣の部屋は、いじめっ子と虐められっこが、叩いて、叩かれているし。こっちの部屋には下品に睨みつける貴方と、全く同じ格好でそこで床にへばりついてる男しか居ないもの」
「あぁ!?なんだてめぇ!うちの大将に何か文句でもあんのかよ!」
「文句?そんな物はないわ」
「二人とも喧嘩はやめてくれよ、暑くてどうしようもないこの部屋にも居たくないのに、喧嘩まで始まったら、俺は何処に逃げればいいんだよ」
上部窓から照りつける太陽を八城は睨みつける。
先に食べた昼食の食器を下げに来たのが一時間程前。
今現在は十三時から十四時の間ぐらいだろうか。
日差しの厳しさを増している太陽がより一層室内の気温を上昇させ八番隊の誰もがその熱さに辟易していた。
「九十六番隊の隊長さんよ!あんたうちの大将に助けられて、リップサービスもなかったらしいじゃねえか!」
「やめろ時雨……今回の件は八番隊の責任だ。麗に助けを求める事の方が間違ってる」
今回の件に関して言えば八番隊の不祥事だ。
緊急召集への故意的な不参加。
シングルNo.の徽章を使った住民への脅し。
そして小松川ICでの九十六番隊への援護もそれらの内に纏められてしまった。
そもそもツインズ挟撃作戦への参加を禁止されていた八城がその作戦への抵触は、他の隊からの不満を募らせる事など目に見えて明らかだったのは言うまでもない。
「でもよ大将!」
「全くその通りよ、私に助けを求められても困るわよ」
「てめぇ!」
時雨は軽々とそう言い放った麗に掴み掛からんばかりに格子から手を伸ばす。
だがギリギリで届かない時雨の手は何度も麗の服を掴もうと空を切った。
「仕方ないじゃない。私も隊長なの、私にも隊員を守る義務があるの!そこで寝転がってるアンタ達の隊長と同じ様にね」
その麗の言葉には隊を預かる者の矜持があった。
「でも、恩人に対して無関心で応えるのは私の性に合わない訳、だからあんた達が望むかどうかは分からないけど一つだけ口添えしといたから」
「え?なにしたの?余計な事したわけ?やめてよ……折角何もしなくても暮らせるワンルームが手に入ったのに……この部屋実は、人間を捨てた元アイドルと、熱すぎる事を除けば俺的に文句ないんだけど……」
「隊長何言ってるんですか……」
「おいてめえ!誰が人間を捨てた元アイドルだよ!大体な!人間を辞めるとか大将にだけは言われたくねえんだよ!」
「暑苦しいんだよ……絡み付いてくんなよ。後、死ぬ程汗臭い」
「アイドルに組み敷かれるなんて、嬉しいだろ!大将!嬉しいって言えよ!ほら!」
馬乗りになり胸ぐらを掴む時雨に、なされるがままになっている八城
「麗、向こうの部屋何がどうなっているか詳しく……事と次第によっては時雨を撃たなくちゃならない」
「イライラしたからって私を叩かないで下さいよ〜」
少しずつ調子を取り戻し始めた紬に叩かれる桜。
回廊内はいつもの八番隊の騒がしい言葉の応酬に包まれていた。
「あ〜あの……ちょっといいかしら?」
麗は入りづらい雰囲気の合間に声を掛けるがそのかい虚しく、声は掻き消されていく。
「なんだよ……っていうか時雨はいい加減俺の上から降りてくれ」
「連れねえ事言うじゃねえか大将!私達はもう一週間も夜を共にした仲だろうが」
「その含みのある言い方やめてくんない?隣の桜がこのままだと本当の意味で傷物にされちゃうから。紬もこっちは何でも無いからそろそろ叩くの止めてやれ」
「ん」
「だっだいじょ〜時雨さんと私。部屋交換してぐだざい〜」
短く返事をする紬と、涙声で抗議をする桜。
「それは俺じゃなくて、外で座ってる柏木のおじさんに相談してくれ」
そう八城が言うと回廊の入り口の扉が開き一人の男が回廊の廊下をゆったりとした足取りで歩いて来る。
「ははっ、よく私が居る事が分かったね」
「ここは、あんたの許可がなけれりゃ出入り出来ないだろ?」
その人物は東京中央を一人で管理運営する存在。
最も早く奴らの脅威を悟り、多くの住人を番街区という共同居住区に避難させ尚かつ遠征隊、常駐隊を創設した一人。
そう、柏木議長だ。
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