第10話 相互扶助 前編

八城が起きたのは正午過ぎ。

久しぶりに布団で寝たせいか、疲れがどっと出た。

かと言って体の疲れは思いの外取れておらず、寝起きの緩慢な動きで外の明かりが漏れ出ている外に続く詰め所の扉を開く。

「あ!おはようございます!」

眩しい陽光と共に見えた笑顔。

開けた扉の向こうには、今まさに扉を開けようとしている美月が居た。

どうやら救出隊は八城が要請を出した昨夜のうちに出発して、八番隊が検索したルートを参考に今日の午前中には都築PAに残されていた住人を全員連れて来たらしい。

「約束守りましたよ!」

美月は興奮気味に八城へ詰め寄って来る。

どうやら美月は犠牲者を出す事なく、避難民全員を無事守りきることができたらしい。

美月が興奮気味に話した内容よると、八番隊が都筑PAを発った後。

何度か奴らの襲来があり、防戦を強いられたが大した群れではなく篭城し続けられたとの事だ。

「ああ!そうだ聞いたか?十七番隊の方も、全員無事に55番街区の居住区に送り届けたって話だぞ」

「はい!聞きました!でも十七番さん怪我をなされているみたいで、今は面会できないみたいなんです」

十七番は55番街区から先の遠征中奴らに噛まれたが、偶然居合わせた八城の持っていた雪光の能力により一命を取り留めた。

だが雪光による刀傷はそれでも小さなものではない。

それにその傷を受ける前からの出血も多く、八城達が777番街に着く頃には十七番の意識は朦朧としていた。

777番街区の担当医者が言うには、十七番はかなり危ない状態だったらしい。

「まぁ、あれだ。十七番の事だ、俺たちが心配しなくてもそのうち良くなるだろ」

美月の視線から逃れるために、八城が大きく体を伸ばしていると、美月はショルダーバッグから、八城が預けた拳銃を取り出した。

「はい……あっ!あと、これ返しておきますね」

八城が受け取った拳銃はやや軽く、マークが刻印されている数カ所には、固まったままの土と血痕がこびり付いている。

「すみません、弾は無くて……」

俺が渡した弾倉の弾数は九発。予備弾倉も入れて十八発。

弾も装填されていないということは、予備弾倉を含め全て撃ちきったということだろう。

「役に立ったか?」

「はい……これがあって本当に良かったです」

思い入る様子で八城の手にある拳銃を見つめ、美月は手持ち無沙汰になった手を引っ込めた。

「もし、それで戦いたいなら、紬に教えてもらった方がいいかもな。あいつ口は悪いが腕は確かだ。きっとお前もいい使い手になる」

八城はそう言って美月から受け取った拳銃を空になっていた足のホルスターに収める。

「では、その時が来たらお願いします。紬さん」

美月はニコリと笑い。

八城では無く、その後ろにいる人物に喋りかける。

「任せて」

「お前!急に現れるなよ!びっくりするだろ!」

「そんな事より大変……非常事態」

紬のその顔は見るからに元気が無く、眠たげな間延びする声にも、いつにも増して覇気がない。

「なんだ?何があった?」

「いいから来て」

美月と話していたのを無理矢理引き剥がされ、八城は紬と共にある建物に入らされた。

「無い……どうする?」

「無いな、どうするか……」

二人がやって来たのは第一バリケード外の蔵である。

閂を取り外し中に入り、蔵の中身を見た八城と紬は二人揃って絶句していた。

「弾が無い、銃も無い。ここには何も無い……」

「……でもほら、量産刃はあるよ」

「量産刃があっても、弾が無い」

そう、蔵に入って二人が見たのは何も無い棚に収納。

そして替え刃だけがぎっしりと入ったクランチボックスだった。

「弾が無ければ、刀を使えば良いじゃない」

「刀が使えないから、弾を使っている」

そもそも紬は身体が小さく量産刃を振るのに向いていない。

動きは早いがスタミナ切れも早い。

そもそも最初から刀を使う事を諦めている節がある。

「これを機に刀使えばいいんじゃないの?昔は使ってなかったか?」

「疲れるから嫌。それに一華に言われた、半端もんは刀を振るなって……」

「随分昔の話だろそれ。今はそんな事言う奴も居ないし、それに何より、使えるなら使うべきだ」

紬は剣術を使う。

そして紬は、こと対人において、類を見ない強さだ。

しかし奴らに対して言えば、紬のそのアドバンテージは意味をなさない。

それどころかその技術は不利になる。

規則正しい人間の動きに合わせて磨かれた紬の剣は、奴らの数に対して非常に不格好だ。

それは八城よりも長く剣を握って来た紬にしか分からない感覚なのかもしれない。

そして八城は昔それを紬に聞いた所。

曰く、「私は刀を撃ち込んだ事はあっても、刀で切り飛ばしたことはない」という答えを頂いた。

「ムッ……弾が無い……最悪の場合は私をここに置いていくべき」

「お前どんだけ刀嫌いなんだよ。いいじゃん使えば」

「この番街区内で最大限に弾を探して、頼み込んで。それでも譲って貰えなくて、他の武器もない状況になったら、使うか考える」

「おい……それでようやく考えるのかよ。だけど実際問題、無かったら使うしかないだろ」

「銃剣を付けて戦う事も……」

銃剣とはライフル銃の先端に着脱可能な小型ナイフの事であるが、ただこれは刺突には向いているが、切り裂くのには向いていない。

スナイプ用ライフルで、量産刃と同様に切り裂こうとすれば最悪銃口が曲がり、ライフル自体が使い物にならなくなる。

そして根本的に弾が無いなら、そもそも使い物にならない。

それが分からない紬ではないだろう。

「無理だな」

「無理だった……でも出来る限り集めてみる。多分ライフル弾は無いけど、九ミリならあるかもしれない」

拳銃用九ミリ弾なら常駐隊が予備を持っている可能性もある。

ただライフルが無いというのは、八番隊にとって大きな痛手だ。

ライフルの強みはその貫通力と、奴らと距離を置いて支援ができるという事だ。

誰かが後ろに控えてくれているのは退路を確保する際に非常に効果的だ。

しかし、紬という狙撃手を失った事でこれから先で戦闘になった場合は敵戦力を外部から削る事は出来ず、個々が孤立した場合は、距離外からの支援も見込めないという事だ。

「桜も拳銃ぐらい持ってるだろうから、聞いてみるといいんじゃないか?」

「……そうする」

結局なんの具体案も浮かばないまま、紬はとぼとぼとした足取りで、武器庫を後にしていく。

紬は自分が戦力にならない状況になると落ち込む癖がある。

それは刀しか使わない、一華と八城の背中を見て育ってきたからだ。

紬と初めてあったのは紬が十二歳の頃。

非力で自分には何も出来ないと、いつも落ち込んでいたのを八城は今でも覚えている。

だから自分が最大限役に立つ事の出来る銃という特技で紬はせめて貢献しようとしているのだ。

そして、紬が持てば足を引っ張りかねない、刀を持つ事を異常に嫌うのは、一歩間違えば仲間を危険に晒す可能性があるからだ。

分かっている。

紬はこの八番隊において最大の戦力だ。

精密な射撃、状況判断、大胆さ。

どれを取っても当時十六歳だった頃の八城と比べるのもおこがましいレベルに到達している。

八城と紬は四年と半年歳が離れているが、当時十六歳だった八城は、人を守る事など出来なかった。

八城自身が生き残るために、一華と行動を共にしていただけだ。

その過程で、様々な人と出会い、奴らを殺す術を身につけた。

多くの仲間が奴らに食われ、奴らになった多くの仲間を、今も殺し続けている。

「人を切るときは考えちゃ駄目。切った後に考えるならまだしもね」

今更になって、そんな一華の言葉を思いだす。

「戦えないんじゃなくて、戦わないんでしょ?」

「人に任せるなら、すっこんでて」

「人も奴らも変わんない、殺せるのは生き物だけだよ」

数々の一華から与えられた言葉は今でも八城の判断の中に生き続けている。

考えたくもない、そんな言葉たちが脳裏を浮んでは消えて行く。

八城は思考にこびりついた思い出に一つ大きなため息を付いて蔵の外に出る。

一呼吸だけで、垂れ下がった雲が連れてきた湿った空気が肺腑を満たす。

八城は雨が降らない内にと宿舎に戻るのだった。




その晩、紬は珍しく夕食に顔を出さなかった。

翌日。

八城は朝九時には目を覚まし、身支度を整え、宿舎脇にある食堂に行くと

時雨、桜、美月の三人が楽しげにお喋りに興じて居るのが、真っ先に視界に飛び込んで来た。

「おう、大将!大将の割にかなり時間にルーズじゃねえか?」

「隊長は作戦遂行時以外はいつもこんな感じですよ」

「隊長さんはオン、オフがしっかりしてるんですね!」

時雨、桜、美月はいつの間にか仲良くなったのか、同じ卓を囲んで親しげに話をしているが昨日の夜同様に一人だけ姿が見えない。

「そういえば、紬はどうした?」

三人は気まずそうに目を逸らす。

「おいお前ら、何を隠してんだ?」

「いや……なんだ?隠してないんだが……まあ工房に行ってみりゃあ分かるんじゃねえのか?」

時雨は気まずそうに言って、頑なにこちらと目を合わせようとしない。

「ちなみにだが、私も桜も美月も、ここに居る全員は止めたからな。だがあのちみっこは、人の言う事を聞かないっうことだけは理解してくれよ」

桜も美月コクコクと頷いている。

八城は何の事を言っているのか分からなかったが、時雨に言われた通りに、工房に行ってみることにした。

工房は刀の鋳造と、銃弾の作成を行う場所で、小高い山の上に設えられた建物で作業が行われている。

八城はその建物の扉の前で中から漏れ聞こえてくる、会話に頭を抱えていた。

「なぜ作れない?」

「だから材料がないんだって何度も言ってるだろ!」

「なぜ材料が無い」

「だから!この前あった侵攻でほとんど使っちまったんだよ!それに材料もまだ送られてきてないんだ!嬢ちゃんも困るかもしれないが!俺たちも困ってんだ!」

「……なんとかして」

「どうにもならん、もう勘弁してくれ……無理だって言ってるだろ……」

建物内で力なく語る親方の言葉に、紬は諦めていないようでさらに何かを続けて言っているが、ここで聞いていても仕方ないと、八城は扉を開け中に入る。

「なぜ作ってくれない」

「誰か!こいつをつまみ出せ!」

「お願い、作って……でないと私はっ」

それ以上紬が言い募る前に、八城は紬の腕を掴むと

突然入ってきた八城へ親方は睨みをきかせてくる。

「おう、あんたこいつの保護者か!」

「はい、すみません。何だか、ご迷惑をかけたみたいで。」

「全くだ!早く連れて帰ってくれ!」

八城は紬を引っ張ろうとして紬が絶対に動かないとその場で踏ん張った。

「おい、行くぞ」

「待って、八城君。まだ……」

「いいから」

嫌がる紬を無理矢理工房から引きずり出す。

外に出た紬は案外すんなり八城に付いて来た。

「離して」

「駄目だ」

「いいから!離して!」

その声は居住区に響き渡る。

「もう工房に行かないって約束するなら離してやる」

「……………分かった。だから離して」

本当に分かっていのか疑問だが、八城は一先ず紬の腕から手を離す。

「はぁ……それで?おじさんを怒らせてお前は何してたんだ?」

「別に何もしてない」

「お前な、何もしてない人間が、あんなに怒る訳が無いだろ」

一見して工房の親方は、怒り心頭といった様子だった。

一緒に働いていた方々には本当に申し訳ない。

「弾を作ってもらおうとした。そしたら怒った」

「おいおい、そりゃ言葉が抜けてるだろ。俺には材料も無いのに親方に作れの一点張りをする女が居たように思うんだが、あれは俺の気のせいか?」

「だって……作れないって言うから……」

「あのなぁ、作れないって事は、そりゃあ作れない理由があるからだろ」

「でも弾がないと私は何も出来ない。」

「刀を使えばいい」

「知ってるくせに……」

「仕方ないだろ?弾が無いんだ。せめて自分の身は自分で守れるぐらいにしてくれないと」

確かに紬が銃を手にしてくれていたからここまで優位に戦闘を進める事が出来た。

「誰かの足を引っ張るのは嫌」

「足を引っ張るって……」

「もう工房には行かない。でももう一度常駐隊に余ってる弾が無いか聞く」

「人に迷惑を掛けない程度に頼むぞ……」

次の日の朝。さらに暗い顔をした紬が食堂の席に座っていた。

その周りを時雨と桜と美月が取り囲んでいる。

「しゃあねえだろ。どこも物資は不足してる。量産刃があっただけ良かったじゃねえか!なぁ桜!」

極めて明るく振る舞う時雨だが、紬は未だ落ち込んだ様子で朝食のパンを貪っている。

「そうですよ、らしくないですよ。紬さんが落ち込んでるなんて」

「そうです!紬さんが守ってくれたおかげで、皆こうして無事に辿り着けたんじゃないですか!元気出して下さい」

と時雨、桜、美月は変わる変わる紬を励ましていたが、どうにも紬には効果が薄いらしい。

「紬。弾は集まったか?」

「今は八城君と話たくない」

昨日無理矢理工房から連れ出した事を根に持っているようで、紬はプイッとそっぽを向く。

八城は女子三人からの目くばせの通り少し離れた所に座り、食事をとる。

仕方ない。

三人が紬を宥めてくれるのなら任せるとしよう。

肩身の狭い思いをしながら薄味の朝食を食べ終え、八城は今日の本題である十七番が収容されている病棟に向かう。

病院内は節電のため全て明かりは落とされているため薄暗い。

廊下には清掃が行き届いていないのか埃や血痕が辺りに見られる。

目的地である301病室の扉を開けるとその部屋には七人の隊員がやかましく一つのベッドを囲んでいた。

「よう、気が付いたみたいだな。どうだ?具合は?」

「八番かい?」

十七番は俺を見るなり顔を俯かせてしまう。八城が病室に入るなり一人に隊員がこちらに詰め寄ってきた。

「あの!隊長を助けて頂いてありがとうございました!」

その隊員は九十度に身体を折りこちらにお礼を言ってくる。

なんでも十七番はこの隊員を庇って、「奴ら」噛み傷を受けたらしい。

「まあ困った時はお互い様だ。気にすんな。それより……十七番話がある」

「何だ?」

「今のお前の身体についての話しだが……いいか?」

ここで話せばここに居る十七番隊員全員に聞かれる事になると思い、八城は気を使ったのだが十七番は微笑みながら静かに頷いた。

「そうか、なら遠慮はいらないな」

話すべき話題を精査し、まず最初の言葉を八城は口にした。

「お前は次噛まれたら確実に死ぬ、これは絶対だ」

八城のその一言で水を打ったように静かになる。十七番は傷を負った身体を庇いながら、首だけ八城に向ける。

「なあ一ついいかい?」

「なんだ?」

十七番は躊躇いがちに自分の身体に感じている違和感を口にした。

「私は、前よりすこぶる調子がいいんだが、これは気のせいかい?」

やはり、と言うべきだろう。

八城は今その事に付いて詳しく説明するためにここに来た。

「それも関係してる。お前の中には今、雪光と奴らの因子が両方とも残っている状態にある。だから次お前が他の感染者に噛まれれば、お前の中で二つの均衡が崩れ、お前は奴らになる事なく死ぬ。これはこれまでの人間の結果から確実にそうなる」

「そうなればその刀でも助けられないということかい?」

「そういう事だ」

八城はそう、短く答えた。

「そうか……しかしな、さっきも言ったが、私は今すこぶる調子がいいんだが、これはどういうことだ?」

十七番は自分の身体の具合を確かめる様に手を握ったり閉じたりしてみせる。

「それなんだが、雪光と奴らの因子が体内で拮抗している間は、お前の脳の働きが、つまりリミッターが、外れ掛かっている」

「脳のリミッター?」

「まあ、火事場の馬鹿力が継続的に使えるようになる。あと奴らの感染の影響から若干ではあるが回復力も高くなる。そして思考速度も上がる」

「ふむ……聞く限り良い事尽くめな気がするが?」

微かに笑みを浮かべる十七番に八城は小さく首を振った。

「そうでもない。その力を使い続ければ、体内の拮抗が崩れる。そうなればお前は……」

十七番は自分の鼓動を確かめる様に耳を傾け最後に八城が言いかけた言葉を繋げた。

「私は死ぬということか……成る程、だが八番がこれを知っているということは……八番。お前もそうなのか?」

それは俺も噛まれた事があるのかという質問だろう。

「おれはまだ綺麗な身体だよ」

そう言った途端十七番は乾いた笑いを上げる。

「それでは私が汚れてしまったみたいではないか。……だがそうか……この力を身につけないで、あれだけの事が出来るとは……やはり八番、お前は化け物だな」

「助けた恩人を化け物呼ばわりとはお前、罰があたるぞ」

「罰ならもう、当たったさ」

「……」

八城はその罰の名前を口にはしなかった。

八城には説明責任を果たさ無ければならない事柄がもう一つあった。

雪光で助けた際には副作用がある。

それは十七番も、もう知っている事実だ。

その副作用は、女性には女性の

男性には、男性の副作用が存在する。

八城は、昨日の夜十七番が目を覚ましたと聞いて、その事実を告げるべく十七番の病室に向かった。

その際十七番が声を押し殺して泣いている事が、扉越しからでも分かった。

何故なら八城より先に医師からその事実を伝えられて居たからに他ならない。

だから八城は掛ける言葉が見つからず、声を掛ける事無く、今日出直したのだ。

「十七番無理はするなよ。もし何かあるなら俺に……」

「八番……いやこの際だ名前で呼ばせてもらうかな、八城。私はお前に対して感謝しかない。だからそんな顔はやめてくれ、でなければ助けられた私の立つ瀬がない。それにあのままであったなら私は確実に感染して死んでいただろう。あの場で選べるのであれば、やっぱり私はこっちの道を選んだだろうさ」

あの気高い十七番が、悔し涙を流す程に後悔していた筈なのだ。

だがそれを伝えたとて、八城が困る事を理解してこそ、今この場に置いて十七番は誰よりも気高くある。

「そうか……」

「だから八城がそんな顔をする必要はないのさ。八城は私を助けた。それでいいじゃないか」

慰めるつもりが、十七番に慰められてしまっていては、八城としても立つ瀬がない。

「なあ十七番……お前の名前を教えてくれないか?」

八城はこの時初めて十七番という人物の名前を尋ねた。

「ん?もしかして、知らなかったのか?」

「ああ、すまない。お前の事はNo.でしか呼んでなかったからな」

「そうか……なら、忘れるな。私の名前は、斑初芽だ。憶えておいてくれ八城」

そう言った斑初芽は笑っていた。

悪戯を面白がる子供のように。

だから、あの夜泣いていた彼女の押し殺した泣き声は今でも痛く八城の耳朶を打つ。

八城が奪ったのは、もしかしたら彼女の唯一の幸せだったかもしれない。

あるいは希望。

それは叶えたい夢だったかもしれない。

自身の血、後世を残す為のささやかな願い。

八城はそれを奪ってしまった。

仕方が無い……

それ以外の方法が無かったのだから……

とって付けた理由はいくらでもある。

だが八城がもたらした結果は一つだ。

彼女の中で、それが何であったのかは知らない。

だが八城は彼女の、女性としての選択肢を手前勝手に奪った。

そうであると知っていたら、あの場で彼女は死を選んだかもしれない。

選択を迫る事無く、八城は彼女の命を救ってしまった。

それは一生忘れる事は出来ない。

八城は深く初芽に頭を下げ、困り顔初芽に見送られながら病室を後にする。

「あの……初芽隊長?八番は何故あんなに悲しそうだったんですか?」

八番が出て行った後、隊員の一人が初芽に疑問をぶつけてきた。

「簡単だよ、私が……情けないからさ」

初芽は声が震えないようにする事に必死だった。

目の前の十七番隊員たちに不安を伝播させまいと……だが、堪えた筈の初芽の溜まった感情は頬を伝い、やがてシーツに染みを作る。

八城が病院から出ると、ばったりと桜と時雨と美月に出くわした。

どうやら三人も初芽の見舞いに行くところらしい。

「あっ……隊長……」

「ああ、お前らか……」

「どうしたんだよ大将?体調でもわりいのか?」

時雨が浮かない顔の八城の顔を怪訝そうに見つめるが笑顔を作る余力などいまの八城には持ち合わせていない。

「いや、別に調子は悪くはない、気分が悪いだけだ」

「じゃあ何か困りごとですか?」

困りごとならいくらでもある。ただそんなことを言ったところで心配そうに八城の顔を見ている三人を困らせてしまうだけだろう。

「それも特には無いな……あぁそうだ……明日7777番街区に出立する、桜も時雨も準備はしておいてくれ」

それだけ言って八城は三人の隙間を通り過ぎて行った。

「おいおい、大丈夫かあいつ!あんな腑抜けて、あれもいつも通りか?」

「いえ……私もあんな隊長初めてみました」

美月は身体が震えるのを抑えるように、腕をさする。

「隊長さん悲しそうでしたね。何かあったんでしょうか?」

三人は八城の背中を見つめながら思い思いに感想を漏らし、その背中を見えなくなるまで見届けたのだった。

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