第3話 北丸子
翌朝
八城は朝の木漏れ日の中で一人頭を抱えていた。
「よろしくお願いします!」
快活の弾ける元気のいい声で、目の前に整列しているの人間の年齢層は中学生から小学校低学年まで居るだろうか?
そして、それは八城が頭を抱える最大の理由……
つまるところ八城の目の前に立ち並ぶ全ての人間には子供しか居なかった。
八城が頭を抱える姿を見て、悪趣味にも十七番は愉快そうに腹を抱えて笑っていた。
「で八番?どうするつもりなんだ?……ぶふぅ!駄目だ……笑いが止まらん」
笑い事ではないと、八城は十七番をジロリと睨む。
考えうる限り最悪の展開だ。
そう、事は約二十分前に遡る
7番街区にて八城は珍しく、いつもより早い時間に起床し八番隊全員の準備を待ちつつ受付のおっちゃんと軽い談笑してると、後ろから昨日少女が声をかけてきた。
そう八城を昨日不審者扱いした、あの少女だ。
「もう出発されるんですか?」
「ああ、お前達も気をつけろよ」
「あの……10分間でいいので少し待っていてもらえませんか?」
今思えばあの言葉が全てを物語っていた。
そうして待つ事十分でご覧の有様だ。
「お願いします。邪魔にならないようにしますから!私たちを新しい番街区まで一緒に連れて行って下さい!」
あの少女が一番の年長者なのだろう、深々と頭を下げてくる。
狭い番街区内だ、何処かでクイーンの移動を聞きつけたのだろう。
だがこちらにも、この年端もいかない少年少女の集団を安全に届ける余裕がある訳ではない。
これから長い道のりを考えるのであれば、隊員の負担も装備の消耗も大きな物となる。
ここは常駐隊に任せて、断るのが上策だろう。
それに今ここにには緊急避難はまだ発令されていないため、八城たち遠征隊が避難を引き受ける道理も無い。
「あ〜申し訳ないが……」
とそこまで出掛かった時、一人の支度が遅い隊員が校舎から出てきた。
その人物は癖毛を撫で付け、眠た気な目を擦りながら八城を確認すると、とてとてと小走りで近づいてきた。
「八城君?これは何の騒ぎ?」
紬である。
それを見た瞬間八城はしゃがみ込んで頭を抱えた。
「終った……」
「お願いします!私たちも自分の身は自分で守ります!どうか一緒に!」
「八城君、これは……なに?」
まずい、まずい、まずいぃ……
その言葉だけが八城の頭に駆け巡ったが見つかった今となっては後の祭りだ。
「もうここで私たちだけがお荷物で他の人たちに迷惑をかけたくないんです!」
必死に懇願する少女の姿に、紬の瞳はその温度を冷たい物にしていく。
「聞いている?八城くん?これは?一体何?」
八城は動かしたくない口を何とか動かし、端的に今の状況を伝える。
「これは、次の目的地まで同行したいと言っている子供達……です」
「なるほど、理解した。でもなぜ子供達はこんなに必死に八城君に頼み込んでる?………まさか……断る気?」
紬は足のホルスターから拳銃を引き抜き、即座にスライドを引き八城の腰に突き当ててくる。
「答えて」
「はっは〜……まさか〜紬が来ないと隊の総意として決められないだろ」
「十七番も同じ意見?」
紬は子供に見えない様に、自身の身体で銃口を綺麗に隠してながら十七番に向ける。
「いやなに!私は困っている子供は助けたい人間さ!いや!うん!本当に!」
「そう。それなら良かった。なら答えは決まっている。あなた達は私たちが全力を持って安全に暮らせる番街区まで連れて行く。安心して良い」
決定的に紬は子供たちへ言い放つ。
分かっていた。
紬自身がそうやって助けられた一人なのだ。八城は、紬が起きて来る前にこの事態をどうにか回避したかったのだが、全てが遅い。
子供達はその言葉に笑顔を浮かべ、安心した表情を浮かべている者がほとんどだ。
桜に至っては涙混じりに拍手までしている有様で、ここから『やっぱり無理です』と断れる筈も無い。
八城は落ちる気持ちを切り替える。
「じゃあまず作戦会議をしよう」
八城は子供達を怯えさせないよう満面の笑みでそう全体に促すのだった。
それから、子供を連れた八番隊と十七番隊は、何も無い多摩川の河川敷を上流に向けて歩いていた。
空は晴れ渡り、暑いぐらいの日差しが照っている。
子供達は各々が必要な大荷物を分担し、背負いながら文句一つ言わず厳しい道のりをなんとか歩いている。
「なんか、こう見ると学校でのピクニックを引率してる先生みたいですね」
「引率の先生は日本刀ぶら下げたりしないし。ピクニックに行くのに武装する子供を俺は知らない」
「四年前まではそうでしょうね。でもみんななんか楽しそうじゃないですか?」
「……そりゃそうだろ。約四年間避難所の移動が無ければ、ほとんど番街区に軟禁状態なんだ。外に出る事が楽しくない筈が無い」
「じゃあなんで隊長は断ろうとしたんですか?」
「聞こえてたのか……別に好きで断ろうとしたんじゃない。俺だってこいつらの意思を尊重してやりたいし、手助けだって別に断る理由が無いならやってやるつもりだよ」
「何か断る理由があったみたいな言い方ですね?」
断る理由。それは八城が最も懸念している事だ。
「断る理由があった。いや……正直今からでも断りたいぐらいだ」
八城は後方を子供達と歩く紬を気づかれないよう一瞥する。
「紬さんと何か関係があるんですか?」
「近いうちに分かる……っと、降ってきやがった」
八城はポツリポツリと頬を打つ雫の元の空を薄目で確認する。
「雨が降ってきた!全員一旦建物内に入れ!休憩にするぞ」
時刻は丁度十二時。
7番街区から出発から三時間程経過した。
八城達が入ったのは元々ビルの受付だった場所だ。
中は四年前から時が止まり、かなり土埃が溜まっているが、今は贅沢を言える状況ではない。
子供達は大人と違い、この行程にこのペースはかなり厳しい筈だ。
それも遠征隊に迷惑を掛けまいと全員が重い荷物を持ちながら、大人と同じペースでここまで歩いて来ている。
だが、疲労を互いに言葉で労いながら歩くのにも限界があるだろう。
隊員達もこの休憩が当たり前だと子供たちに示す為ように、それぞれに落ち着ける場所に座り昼食を取り始める。
「八番、ここからだぞ」
ここから、その言葉の真意を八城は地図上で確認していた。
「今丁度中間地点に俺達は居る。片道一五キロ程の道程はここからが険しくなるからな」
ここは多摩川を挟んでクイーン同士が睨み合う魔境
クイーンには三種類の動きを見せる個体が存在する。
一つは躍動型。
二つ目が狂動型
そして三つ目。
今これから向かう多摩川に存在する対岸同士でその周辺一キロを徘徊する、胎動型と呼ばれる個体だ。
胎動型は全ての配下を連れて動く団体行動が常となる。
であれれば、少数精鋭でなければ切り抜けるのは難しい。
それこそこの人数で、大群に囲まれでもすればどうなるか結果は、比を見るより明らかだ。
「分かっているとは思うが。胎動型のクイーンは規則性がない。運が悪ければ全滅。良ければ一切戦闘が無いまま切り抜ける事もできるかもしれない。だが今から行くのは河原沿いの一本道。こちらからも見晴らしが良い分、向こうからも確認されやすい。そしてこの大所帯だ。見つかればどうなるか……」
子供がいる限り、この難所を足の速さだけで走り抜けるのは不可能だ。
守りは、八城率いる八番隊と十七番を含め十名。
そして、7番街区から付いて来た子供達は全員で30名。
つまり隊員一人当たり子供三人を守らなければいけない計算となる。
「俺達は奴らに一切見つかる事無く通り抜ければ最高。見つかっても一人で三人守れれば最高。後は考えるだけ無駄だな」
「八番らしいな。分かった。雨が上がり次第出発しよう」
それだけ言って十七番は自分の隊員の場所に戻っていった。
そうして雨が上がったのはそれから一時間後の事。
前方二十五メートルに一人その先の二十五メートル先に一人後方二十五メートルに一人そして中心に子供を集めそれを七人で囲むという配置を取った。
そうして進み始めて三十分、なんとか一つ目の橋が見えてきた。
「対岸感染者の影ありません」
「前方二十五及び五十も感染者の影ありません」
全員がその報告を聞いてホッと一安心する事ができた。
「どうする八番。ここで渡るか、それともこのまま進むか」
「十七番。お前運はいい方か?」
「私か?どうだろうな?……今まで生き残っている事が、もし運がいいという事なら、良い方なのかもしれないな」
「そうか、なら十七番はどっちがいい?この橋を渡るか?それとも渡らないか」
「私か、そうだね。橋を渡りたい気分だ」
「全体前進だ。橋は渡らない」
「理由を聞いてもいいかい?」
「生き残ったのが、運がいい訳無いだろ」
「あぁ、そういう……全くだね」
そうして、八城の言で全体がゆっくりと歩き出した矢先の出来事だった。
「後方より感染者の影!」
「橋向からもです!」
ゆらりと揺れたのは陽炎ではなく人影。
「ハハッどうやら八番も、運が無い様だね!」
十七番が茶化す言い草に、八城が反応している暇はなかった。
川の音にかき消されていたうめき声が今はハッキリと全員の耳に届いていた。
「全体!隊列の前へ走れ!間に合わなくなるぞ!」
十七番が叫んだ声を皮切りに、子供達を先導する隊員が走り出す。
だが、足がすくんで動けない子供が居る事に気付く。
「クソ!……紬、桜!そいつらを連れて先に行け!」
「隊長は!」
「俺は大丈夫だ。十七番!俺の代わりに指示役を頼む!」
「了解した。全体!八番を殿に、前方を桜と紬で道を開きつつ十七番隊は右住宅地から来る敵を殲滅しろ!子供に指一本触れさせるな!」
「「「「「「了解!」」」」」」
「足を引っ張らないで、桜」
「紬さんこそ」
十七番から指示が飛ぶのを聞き付け八城は音が遠くなっていくのを感じていた。
音が遠く。
色が少しずつ世界から抜け落ちていく。
感じるのは抜いた刃の重み。
ある色は鮮血の紅
自分の鼓動の音だけが五月蝿いぐらいに聞こえてくる。
後退しながらも奴らの一体が一刀の間合いに入る。
八城は自分が見える世界で銀色の一線を引いた。
すると糸の切れた人形のようにパタリと最初の一体が倒れる。
続いて二つそれは曲線を描くような一撃だった。
踏み込み
抜き去り
また鞘に戻すそれだけで二つの影が同時に倒れた。
「やっぱり八番はすごいな」
思わず呟いた十七番の言葉は、八城に届いていない。
ただ眼前の敵を決められた動作のみで切り伏せていく。
そして八城が丁度二十体目を切り伏せたとき異変が起きる。
その異常に際して、最初に気付いたのは最前列に居る紬だった。
そしてその異常は隣で戦っていた桜に牙を剥く。
桜がその攻撃を何と刀で受けられたのは八城の居合いを見たのが大きいだろう。
だが一つ桜が見誤ったのはその威力だ。
気付いたのは紬が先。
だが紬の声が出たのは桜が攻撃を受けて刀を取りこぼした後の事だった。
「桜!」
見た目での見分けが付く程外見は変わらない。
だが部分的、ごく一部分のみ、その獲物を持つ腕は片側だけ二倍程膨れ上がっている。
「フェイズ2……」
桜は刀で受けたにもかかわらず、腕、腰、足の全てに痺れるような熱さが、身体を駆け巡った。
「援護する!桜下がって!」
紬の速射による、二点同時の射撃。
着弾は頭と腕。
だがフェイズ2の歩む速度は変わらず、着実に桜との距離を詰めている。
「桜!早く!動いて!」
桜は比較的痺れの弱い左手で刀を拾い上げ、真後ろに飛ぶ跳躍すると、今しがた桜が居た場所にその強靭な腕の力のみで鉄の塊を振り下ろされる。
何より恐ろしいのはその早さもさることながら破壊力だ。
凄まじい衝突音はアスファルトを砕いた音で間違いない。
そのフェイズ2から振り抜かれた一撃がコンクリートを割り、辺りに石片を撒き散らす。
「ぁぁあっぁあああああっぁっっぁぁ!」
人の叫び声なのかそれとも奴らの鳴き声なのか鼓膜を打つような叫び声。
「あいつ道路標識持ってますよ」
「止まれって書いてある」
「足止めするってことですかね?」
「上手い事言ってる場合じゃない。それに……大丈夫?」
「へへっ……折れてはいないと思うんですけど……今はちょっと、戦えないです」
桜は腕が痺れているせいで腕から手にかけて上手く力が入っていない。
「私もこの銃じゃ火力が足りない。出来て足止め」
紬は喋りながらもライフルの弾倉を空にするまで空薬莢を排出し続ける。
桜は中心の子供達の近くに寄り添い、徐々に数を増やして行く「フェイズ1」の奴らを右腕が使えないながらも蹴散らす事に専念するが、圧倒的な数になんとか食らいつく。
「おい八番ご指名だ!前に出ろ!後ろは私が受け持つ!!」
十七番に肩を叩かれ八城の感覚に色が戻ると、八城が気づいた周辺は最悪の状況となっていた。
「ああ?っておい!なんだよこれ、囲まれてんじゃん!」
「ああ!何囲まれているんだ!だから早く道を作ってこい!」
「八城君早く来て、もう保たない」
紬はフェイズ2を自分に引きつけつつ、拳銃で常に移動しながら的確にフェイズ一の数を減らしていくが、増える数の方が多い。
次第に後退していき、子供に迫る輪を狭められていく。
「おい紬。あいつ『止まれ』の標識もってるのか?」
「それはもうやった。はやくなんとかして」
「……俺が前に出る。お前は後ろで、いつも通り頼む」
「分かった。でもどうするつもり?あいつ堅い」
「大丈夫だ。秘密兵器がある」
そう言って八城は列から外れ、邪魔な奴らを切り伏せて行く。
「うらぁああああ!」
八城が持って来たのは、鉄の棒だった。
その先端には赤丸に白い四角のマークが付いている。
「八城君?何処から拾ってきた?」
「武器は現地調達が基本だろ?」
「それ何の標識?」
「これか?これは進入禁止だ。」
中心でそれを見ていた桜は唖然としていた。
「あれ、何してるんですか……」
「八番の奇行に一々ビックリしてたらきりがないね」
「だってあれ、道路標識ですよ……」
そう八城は常人離れした腕力でそれを持ち上げていた。
「来い!ここは化け物は進入禁止だ!」
八城がそう言ってフェイズ2に飛び出して行く。
だが八城を除いた隊員九人は別の事を思っていた。
「「「「「「「「「いや、お前が化け物だろ」」」」」」」」」
フェイズ2、筋力はあるが攻撃が単調だ。八城はその単調の攻撃をいなす事だけに専念する。
鉄と鉄のぶつかり合う金属音が辺りに響き渡り、八城が標識を難なくとり回すと同時に、標識を相手の頭上に目がけて振り下ろした。
だがそれは相手が振り抜いた標識で阻まれてしまう。
ただそれだけで、八城にとって十分な時間。
八城は刀を下から上に一閃『フェイズ2』の太い節を断ち切り、返す刃で頭部を薙ぎ払った。
進入禁止の標識はフェイズ2の身体と共にそのままずるずると川辺に転がっていくのを確認しながら、桜は自分が助けられたのと同時に思わず呟いた。
「私、とんでもない隊に来ちゃったんだ……」
八城が道を作り、周りがその幅を広げる事で、列が前に進めるようになり、次第に奴らは数を減らしていく。
だが三つ目の橋に差し掛かったところで夕闇が迫り、戦いを終えた全員の体力は限界を迎えていた。
滴る汗を拭うのも惜しんでの戦闘に続く戦闘に、子供達の緊張の糸はいつ切れてもおかしくない。
目的地の66番街まであと三キロ。
無理をすれば、行けない距離ではないが無理をして犠牲者が出れば全体の指揮に関わってくる。
八城は適当に見繕ったホームセンターを今日の寝床と決めて中に入っていく。
そのホームセンターにはバリケードの後、古い血痕などが多々見られるがそれ以外目立った痕跡はない。
「十七番、俺は上を見てくる。お前らは下に使えそうな物があるか調べといてくれ」
「八番、一人で大丈夫かい?」
十七番は珍しく心配した素振りを見せるが、アレを大人数で見る趣味は八城にはない。
「慣れてる」
短く言葉を交わし、二階に続く階段を見つけ登っていく。
そこにはまだ崩されていないバリケードがあり道を完全に塞いでしまっていた。
上にある物を下し、その小さな隙間から二階の売り場に入っていく。
籠った空気。
まるで新参者はお呼びでないと言わんばかりの静寂。
血糊をべったりと零したような夕日の赤が最初に照らし出したのは天井から続くロープと、転がるいくつもの白い骨だった。
「そうだよな……」
それは頭蓋の数だけある、諦めと絶望が詰まった箱だ。
誰にも見られないよう、ひっそりとこの場所で、文字通り骨を埋めた。
出来る限り物資を見つけようとしたが、あったのは使われていない布団二十組と手のつけられていないミネラルウォーターぐらいのものだった。
「貰ってく。諦めたあんたらにはもう必要ない物だからな」
返事のない了承を得て、八城はそれらをかき集め二階に続く階段下まで持って行く。
「…………」
頭蓋は何も喋らずがらんどうの瞳にただ赤の時間を蓄えるだけだった。
早朝朝六時に出発したが、結局大した戦闘も無く午前十時には66番街に到着していた。
居住区というにはあまりに小さい建物。
その建物の扉の前に立つ八城、紬、そして十七番は心底嫌そうな顔をしていた。
「なあ?俺行きたくないんだけど誰か行ってくんない?」
「同じく」
「珍しく気が合うな。実は私もこの場所が苦手なんだよ」
八城、紬、十七番と奴らには躊躇を見せない三人が、揃ってその扉の前では誰が行くかで二の足を踏んでいる。
「何言ってるんですか!子供達だって限界が近いんですよ!何処かで少しでも早く休憩しないと!」
桜が入り口でモタモタしている不甲斐ない隊長たちに激高する。
そう桜は激怒した。
「いやでも、ここの人間は面倒なんだよ」
「圧倒的面倒」
「ああ、面倒だな」
「もういいです!」
三人が声を揃えて「面倒」を連呼していると桜は進んで、建物に続くブザーを押す。
「……………………………………………?あれ?」
桜はそれでも何度となくブザーを連続で押すが、それでも人は出て来ない。
「あれ……おかしいな、故障?それとも留守ですかね?」
桜は最後と言わんばかりにブザーを押すと内側から勢い良く扉が開いた。
「おぁぁあああああああああああ!うるさーい!ピンポンピンポンピンポンピンポン!どいつだ!どいつがやりやがったんだあぁ!」
三人は一斉に桜を指さした。
「てめえか!あぁ!ごらぁ!てめえ何回鳴らす気だこら!えぇ?何回鳴らしたかってきいてんだよ、ごらぁ!」
「いえ……特に正確には覚えて……」
「15回だ!ウチの人間!何人呼び出すつもりなんだてめぇ!うちには総勢で十人しか居ねえんだよ!馬鹿野郎!」
「だっ……だって……すぐ出て来ないのがわるいんじゃないですか……」
「私は!便所にもゆっくり入れねえのかぁあ!じゃあなんだ!?てめえは便所に居ようがケツも拭かずに客を迎え入れるんだな!ええ!?」
「いえ……それは……だって……」
「じゃあ何で鳴らすんだよ!うるせぇんだよ!お前は待つ事もできねえのか!ああぁぁぁ……って、おい、おい……急に泣くなよ」
その女性の余りにも上からの物言いに、桜が泣き出した。
それに伴い建物から飛び出して来た白衣に身を包んだ、小汚い女の声はしぼんでいく。
66番街は様々ある番街区とも違う性質を持っていた。
その性質上この場所は奇人変人と変態の巣窟と言っても過言ではない。
中央とは別に、五カ所あるこの場所のそれは、何処とも次元が違う。
そしてその性質上この場所はこう呼ばれている。
『ラボ』と
「なんだぁ?おいこら八城!てめえ居るなら居るって言えや!」
「泣かせて、喋る相手に困って、こっちに話し振るのやめてもらっていいですか?丸子さん」
「八城!丸子って言うんじゃねえごら!北さんって呼べや!それよりてめぇ、ここに来たからには、なにかしらお土産は持って来たのかよ!」
「お土産ですか?あ!ありますよ」
そう言って八城が取り出したのは一枚の貝殻だった。
「中央は後ろが海ですから、ほら綺麗でしょ?」
「てんめぇは私が!炭酸カルシュウムとタンパク質の塊を!私がありがたがると思ったのか!おい八城!その右にさしてるやつを私に寄越せ。分析してやる」
丸子は『雪光』を奪い取ろうと八城に絡み付くように身体を寄せてくる。
その様子に紬は、暗い瞳を丸子へと向けた。
「おい、おっぱいお化け、八城くんに触るな」
「なんだぁあ!無いより有った方がいいだろうが!糞ちびが、遺伝子異常で、もうそれ以上大きくならないんだろぅが!」
「慎ましさは日本人の美徳。ただ大きいだけなら下品極まりない」
会って早々にガンを飛ばし合う二人に十七番が割って入る。
「はい!ストップ!北さんも紬も一旦落ち着いてね」
「てめえは男か女か性別をはっきりさせてから来いや!」
十七番の表情は変わらないものの眉間に青筋が一本立ったのを八城は見逃さなかった。
それだけで、その言葉が十七番の触れては行けない部分に触れたのが分かる。
「私は女です。これでよろしいですか?北さん!そもそも知っていてそういう風に聞くのは失礼だと思うのですが、どうでしょう。北さん!それに、先まで戦闘でみんな疲れています。子供達もあなたの剣幕で怯えてしまっています。話しの続きは中で聞きますので、それでよろしいですか北さん!」
言葉の嵐、と言えば分かりやすいかもしれない、十七番は捲し立てるように言葉を並べ、丸子はあまりの剣幕に思わずたじろいだ。
「なっなんだよぅ……ガキが居るのか?疲れてるなら先に言えや!ガキも此処に居る間は美味いもんたらふく食っていけや、ごら!」
北丸子は口が悪いだけで基本いい人だったりする。
そして何より子供好きだ。
「おう、てめえらよう!何人いるんだぁ?」
丸子は先頭に居た鉈を持った少女に顔を寄せる。
「30人……です」
少女も先のやり取りを見ているせいか、丸子の事をかなり怖がっている様子だ。
「あぁ!30人だぁ?てめえ!いい度胸してるじゃねえか!」
「すっ、すみません!すみません!私たちは床でもいいので少しの間だけ休ませて貰えれば……」
「上等だよ、てめえら全員ふかふかの布団を用意して!今夜はぐっすり寝かせてやるから覚悟しろ!」
「……はへ?」
少女は間抜けな声をあげてキョトンとしていると丸子は再度その少女に顔を寄せる。
「てめえ!疲れてんのか?」
「え?」
「てめえがよう!疲れてんのかって!こっちは聞いてんだよ!」
「はっ!はい!」
「ならさっさと入れってんだ!クソ!飯の時間になったら呼ぶから、上の部屋好きに使えってんだ!クソ餓鬼どもがぁ!!」
「え……?あっありがとうございます!」
最初派唖然としていた少女も何を言われたのか気付くと丸子に深く頭を下げる。
だからこそ、奇しくも三人の印象は同じだった。
面倒だが善人で、思った事をすぐに口に出す。
だから疲れているときには絶対に会いたくない人間、それが『北丸子』だ。
丸子の勧めで、子供と隊員は二階の大部屋に通され、隊長である八城と十七番は丸子と共に地下の研究施設に降りていく。
「八城、ごら」
「なんだよ、丸子」
「お前一華はどうしたんだ、最近あいつの姿をみねえじゃねえか!」
「一華か……一華は遠征に駆り出されたまま、未だに帰ってきてない」
「遠征かごら!一華が遠征なんかするタマかってんだ馬鹿野郎」
そう柏木議長の言葉であろうが真正面から突っぱねるのが野火止一華という女だった。
「はぁあ!やっぱりあの噂は本当か!」
「噂?」
「一華が放逐されたって噂だクソ馬鹿畜生!」
放逐。
それは今の世界において死罪と同等の重みを持つ言葉だ。
そしてその言葉に対して八城は首を横に振る事が出来なかった。
「ああ、遠征って名目で一華を中央が追い出した。それも仲間を連れて行く事を禁止してな」
「じゃあ3シリーズの月と花も行方知らずか?」
「確実に一華が持っていっただろうな」
「東京中央も恩知らずな事をするもんだなぁ!一華が居たから助かった命だってあっただろうに。それよりも、月と花が無いならよう!やっぱりお前の雪を寄越せってんだ!」
「だからやらん!」
「なら早い所研究に使えるクイーンの遺骸を持って来い!」
八城と取っ組み合いを始めた丸子をすかさず十七番がはがいじめにした。
「まあまあ、ところで北さん今回私たちはなぜここに呼ばれたのですか?」
「そんなこともきいてねえのか!一年と前少しだけ貰ったクソのクイーンの献体の研究結果が出たんだ畜生が!」
「貰ったというよりお前が勝手に取って行ったんだけどな。あとクソって言うなよ」
「話しは最後まできけごら!お前と一華が持って来た細胞はほとんどが死滅しちまってたんだが、その内の生殖細胞だけがかろうじて生きてたんだごら!私たちはそれを培養しようとして失敗した。お前らは「奴ら」クイーンとクイーンが何故一定の位置を保つか分かるかごら?」
八城はそんな事考えた事も無かった。
ただそういうものだと思っていただけだ。
「じゃあ一定数を超えると巣分けするのはどうしてだか分かるかごら?」
「まあ多いと面倒だからじゃないか?」
「てめえは何を考えて生きてんだ馬鹿クソ野郎!」
何故責められているのか分からないが、話を折ると余計に面倒だ。
「じゃあ何でなんだよ……」
「これはあくまで私の仮説だがよ、クイーンは人間のDNAを保存できるんだ。お前達が倒しても同じ個体と出会った事があるだろう?それは奴らが人間のDNAを情報として蓄えているからクイーンは一度取り入れた個体を複製できる」
そこまでは八城も十七番も知っている情報だ。
「そしてそのクイーン一体が蓄えられるDNAの情報量には限りがある。そしてそれを一定数超えると巣分けが起きると仮定する。だがここで疑問だ。なぜクイーン同士一定の距離を取る必要があるんだ?子を産み落としたクイーンは約半分の軍隊を新しいクイーンに分け与える。そうした時、半数を連れて行かれりゃ自分の足下がお留守になるは目に見えてんだ。だが奴らはお互いに守り合うどころか、積極的に一定に距離を保つ方を優先する」
「確かに……言われてみれば妙だ。奴らにとって巣分けは一番自分の周辺がが手薄になる瞬間だ。それなのにお互いに距離を取り合うなんて……どう思う八番?」
「どう思うも何もな、虫とかも新しい女王は巣から離れていくし、普通なんじゃないの?」
やれやれと丸子は八城を見下し溜め息を付く
「それは何処かに、お互いがお互いの不利益になる要素を孕んでいるからだ」
「「あっ、……うん」」
八城と十七番の反応がシンクロする。
「何だ?その反応は!舐めてんのかごら!」
「いや……だってあまりにも当たり前だから…そりゃお互いの利益しかなかったら離れていかないだろ」
最もな事を、もっともらしく言っているが、それはつまりレモンを食べて実は酸っぱいと言われているのと変わらないぐらいら当たり前の情報だ。
「話は最後まで聞け。いいか?ここでお前と一華が持ち込んだクイーンの献体に話が戻るんだ。私は考えた。なぜクイーン同士で離れるのか?そこでお前の持って来たこの遺伝子を元に一つの結論に至ったんだ。それがこれだ」
北丸子はラボの扉を開ける。そこには綺麗に並べられた十発の弾丸があった。
丸子は一つの弾丸を手に取って八城に見せる。
「この弾はあの献体から出来た弾だ。奴らは人間のDNAは蓄積できるが、他のクイーンのDNA情報は収集しない。『それはひとえにお互いのDNA情報が、お互いを傷つける可能性が有る』からだ。そして奴ら……つまりクイーンのDNA情報を持っているのはクイーンだけじゃない!クイーンのDNA情報は感染者にも引き継がれる。フェイズが上がるごとにその血統がより濃い物になる事も確認されている。つまりこの弾……これは感染者、つまりお前らの言う所の『奴ら』の活動を低下させることのできる弾だ」
「じゃあ!それをクイーンに撃ち込んだら!」
十七番は目を輝かせながら言う言葉とは裏腹に、丸子から返って来た答えはより現実的なものだった。
「それは無理だ。この弾は確かにクイーンのDNAを内包しているが、感染者ですら動けなくなる程度……時間が経てばまた動き出す。そんなもんじゃクイーンの足を止める事もできなねぇよ。だがクイーンのDNAが、もしお互いに反発しあう性質を持っているならクイーン自体がクイーンを倒す可能性があるつうことだ馬鹿野郎!」
それは人類が確かに踏み出した小さな一歩だ。
そしてこの北丸子はその最前線に立って居る。
「ほらよ、これをお前達に四発ずつやる。出来ればこの情報を、次ぎに行く番街区に伝えてくれ。そしてデカいクイーンの遺骸をこの研究所に、いの一番に持って来い!」
それは北丸子という女性が約四年間かけて掴んだチャンスであり、ようやく出た成果らしい成果だった。
八城と十七番は、丸子から弾を受け取りその言葉に深く頷いた。
「よしならさっさと上に行け馬鹿野郎ども!研究の邪魔だごら!」
八城と十七番はそう言う丸子に研究室を追い出されたのだった。
その後、全員に豪奢な食事が振る舞われ研究職との食事の格差の違いを実感しつつ、丸子の宣言通りのふかふかの布団に入ると今までの疲れがドッと押し寄せてくる。
紬も桜も、枕に齧り付くようにして眠っている。
八城は段々と重くなる瞼に抗う事なく目を閉じた。
だからこんな夢を見たのかもしれない
「ねえ君は何でこの子達を守ったの?」
八城は一華と出会って初めてその質問をされたのを憶えている。
子供を背後に守りながら戦っていた一華の加勢に入り、戦闘が一段落した後そう聞かれたのだ。
八城は確か「助けたら助けてくれるかもしれないじゃないですか」そう答えたら一華は薄く笑いながら
「助けても助けた相手に殺されるかもしれないじゃない?」
と言った。
だから、一華にもう一度聞いた。
「じゃあなんでこの子達をまもってたんですか?」と、そしたら一華は
「簡単よ。この子達が大きくなったときに私を……」
八城は蒸すような熱さで目が覚めた。
時刻は五時半。
今しがた登ってきたような朝焼けが東の空から顔を覗かせている。
「八城君うなされていた。大丈夫?」
「悪い……起こしたか?」
隣で寝ていた紬が心配そうな顔をしている。
「悪夢を見ていた?」
「悪夢?ああ……悪夢っちゃ悪夢だ」
そう悪魔のような女が出てくる夢。
略して悪夢だ。
「そう、なら今日はゆっくり休んで……。Zzzzzz」
紬は最後まで言い切れず、もう一度布団に入って寝入ってしまった。
子供を連れて来てしまった手前、今日は動かず明日から動いた方がいいだろう。
というのも十七番隊と一緒に行動するのはこの66番街まで。
ここからは別々の道を行くことになる。
そしてどちらの隊も三十人もの子供を連れていくのは不可能だ。
二手に分かれる、それはもしかしたら子供たちにとって今生の別れになる選択になるかもしれない。
この事を昨日寝る前に子供を纏めている少女にしたところ
「……どうしても、駄目ですか?」
胸の前で祈るように手を重ねる少女は、やはり渋る反応を見せた。
それはそうだろう。
なにせ四年間も身を寄せて、親の居ない子供達の世話を焼き一緒に暮らして来たのだ、別れが悲しくない筈が無い。
そして自分たちがなぜ居住区の移動をしなくてはならなくなったかの理由を考えれば離ればなれになるという事がどういうことなのか身に染みて実感している筈だ。
だが現状、自分たちが庇護される側であるという事もこの子は分かっている。
そして八城に多大な迷惑を掛けているという事も、自分達が無理を言って付いて来ている事も全て分かった上で、精一杯の我が儘を言っている。
そしてそれを感じ取れない八城ではない。
きっと離ればなれになる事は不幸な事なのかもしれない。
だが死よりはいいと八城はそう思うのだ。
「この後は十七番隊の……あの指示を出してた女の部隊とは別行動になる。そうなるとお前達三十人をどちらかの部隊で全員守りきるのは正直厳しいんだ。俺自身もお前らの中から犠牲者は出したくないし、かと言って部隊を危険に晒す事もできない。お前たちにとっては辛いとは思うが……」
八城が言葉を言いづらそうに噛み砕き、少女に事を伝えると、少女は一つ頷いて見せる
「すみません。我が儘を言いました。今日中に皆に伝えます」
少女は涙混じりにそういい残し皆がいる部屋に戻って行った。
朝焼けの太陽が少しずつ上に登って行くのを眺めながら八城は思う。
今日もきっと誰か遠い所で奴らに食われ、奴らが増えている。
増えた奴らを切って、切って、切って。
ついに四年もそんな生活が続いている。
まるで燃え広がる炎に水を一滴ずつ垂らしているような無意味を感じるのだ。
こうして中央の外に出てしまえば刀を握らない日は無い。
四年前とはかけ離れた現実と四年前と何も変わらない朝日の眩しさが、今は残酷な光景に映るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます