第2話 番街区

翌朝

「おはようございます!」

そんな桜の元気な声が教会に響き、奥で寝ている二人を叩き起こす。

「隊長も起きて下さい!」

「……お前さ、昨日もそうだったけど、来るの早すぎない?」

八城は寝不足気味の靄の掛かった思考で時計をみやると、時刻は午前9時を指している。

「紬さんも起きて下さいよ!」

「けたたましい……最低の朝」

桜によって布団を引っぺがされた八城と紬は眠い目を擦りながらのそのそと動き始める。

「食堂にマリアさんが作ってくれた朝ご飯がありますから食べて下さい」

「本当になんなの?まだ眠いんだけど……」

「休日の朝九時に起こされる事程、不愉快な事は無い」

二人はブツブツ文句を言いながらも、桜が甲斐甲斐しく温め直した朝食を食べ始める。

「そもそも、隊に所属しているなら休日は無い筈です!それに普通朝九時には隊長が早朝点呼を取って、訓練が始まっていなくちゃおかしい時間ですよ!」

至極最もだが、八城はそれでも寝ていたい。

「……シングルNo.は特別なんだよ」

八城が苦し紛れにボソリと呟くのを桜は聞き逃さなかった。

「そんな規則どこにもありませんけど?はぁ……分かりました。柏木議長に確認を取って……なんですか?その手を離してください」

八城は捨て猫のような目で桜を見つめ、桜はゴミを見る目で八城を見つめていた。

「八城君に実力で勝てないからって柏木を出してくるのは卑怯。卑劣、悪辣の極み。新人として恥を知るべき」

「なんとでも言って下さい。私は紬さんではなく隊長に用があるので」

女子って怖い。

なんて冷たい目で仲間同士を見るのかと、八城は巻き込まれないよう出来るだけ肩身を狭くしていた。

「八城くんに用があるなら私を通して。話はそれから」

「紬さんには関係ありません!引っ込んでて下さい!」

「ムッ……生意気。私先輩、桜は後輩。後輩は、先輩を敬う。これ常識」

「なら私は年上なんでそれで、ちゃらですね?」

「意味が分からない。無駄に歳を重ねるだけなら誰でも出来る」

「敬えない先輩を敬う事は、私の仕事内容に含まれていないんですよ」

またしても秒と掛からず温まる二人の関係に割って入る八城だが、正直心臓悪いのでやめて頂きたい。

「落ち着けお前ら。え?なに?なんなの?此処に来て反抗期なの?」

八城は食卓に乗り出しながら言い合いを始めた二人を嗜める。

「ごめんなさい……」

「すみません……」

何がそこまでさせるのか分からないがどうも二人は犬猿の仲らしい。

「で?桜は俺に用って言ったが、なんの用だったんだ?」

「そうです!隊長!私ともう一度勝負して下さい!」

八城は何事も無かったようにお茶を一啜りして。

「え?なんて?」

「だから私と勝負して下さい!」

「無理です。ごめんなさい!許して下さい!面倒臭いんです!」

「え?いやいや……いや?え?」

桜は再度お茶を啜り出した八城の態度に驚愕も露わに目を見開いた。

「本当に無理です。面倒だし。疲れるし、それに何より面倒だし、ていうか昨日やったじゃん!一回やったんだからもういいだろ!」

「いや!でも隊長!昨日私に言ったじゃないですか!戦い方が甘いって!それを昨日私なりに考えて……え〜」

「ああ……それね、今度でいいじゃん……今日じゃなくてもよくない?」

「駄目です!明日は遠征日なんですよ!絶対に今日がいいんです!」

八城は見つめて来る桜の視線から逃げる様に紬を見つめ一睨みされてしまい、仕方なく窓の外を見つめる。

「明日遠征か〜行きたくないね遠征。あれだ、やめちゃう?遠征?」

「やめるって、一応任務なんで、やめるのはちょっと……」

「だよね〜いぎだぐないぃよぅ〜」

「隊長なんですから!駄々を捏ねないで下さい!」

食事中のテーブルに突っ伏して嫌々という八城の姿を目にして、桜の中で89作戦の英雄の姿は完全に崩壊していた。

だがそれでも桜がこの隊長に敬語を使い続けるのは純粋に『東雲八城』が持つ功績と、先日見せつけられた実力の高さだ。

「ほらさっさと食べて行きますよ!それに来てくれないなら本当に柏木議長の元に行きますからね!」

「「悪魔」」

紬と八城の声が重なった。

「何か?」

桜はニッコリと威圧的な笑顔を二人に向け二人は大急ぎで朝食を平らげていった。

「紬お前が昨日いらんこと言うからだぞ!」

「八城君が日常的にちゃんとしていればこうならない。つまり全ては八城君が悪い」

「二人が日々ちゃんとしていればいいんじゃないかしら?そうすれば桜さんも怒らないと思うわ」

八城と紬は二人して孤児院の床に正座させられていた。

というのも、言い合いの声から何事かと、庭の仕事を中断し中の一部始終を見ていたマリアに、二人はこってりお説教されていたのだった。

「隊長これ以上渋るなら本当に柏木議長を呼びますから」

桜はトドメとばかりに柏木の名前を出すと正座をしている二人はそれだけで渋い顔を見せる。

「はぃ……ごめんなさぃ、今すぐに行くので、あのおじさんは呼ばないでぇ」

「八城君も新しく入ってきた桜さんを安心させてあげるぐらいの度量を持ちなさい!桜さんもごめんなさいね。本当なら八城くんが隊をひっぱって行く立場なのに……ほらちゃんとして!しっかり桜さんの相手をする事!いいわね!じゃないと今日の昼と晩のご飯は二人の分用意しません!」

その言葉に一番ショックをうけたのは紬だった。

「八城君勝負すべき。隊員の実力をしっかり把握する義務が隊長にはある。今は何故かひたすらに強くそう思う」

手のひら返しとはこの事だろう。

だがこれからの遠征を考えるのであれば、紬の言う事にも一理あるのは事実だ。

「こんな時ばっかり隊長扱いして。分かったよ……確かに飯が無いのは困るからな」

そう言って八城は紬と桜を連れて連日コロシアムに向かっていった。

コロシアムに着くと、またしても十七番の隊が訓練に励んでいた。

「八番が二日続けて訓練なんて……これは遠征でクイーンが大挙して押し寄せてくるんじゃないかい?」

またしても、十七番の隊長は八城を見つけると開口一番そんな事を言ってきた。

「本気で驚くなよ……今日も少し場所借りてもいいか?」

「ハハッ!もちろんさ!八番の勝負が連日見られるんだ。総員一旦止め。集まれ!」

十七番が声を掛けると規律正しく隊長の周りに集合する隊員達。

十七番隊の隊員が集まったのを満足そうに確認すると、八城に好奇の視線を送ってくる。

「で、今日は何を見せてくれるんだい?」

「それは昨日の新人に聞いてくれ」

「昨日のかい?あれだけ八番に派手にやられて……大丈夫なのか?頭でも打ったんじゃないのかい?昨日の今日だぞ?」

「俺もそう思う」

「期待出来るのかい?」

「あいつの腕だけは確かだ」

流麗でいて、臨機応変な技術。

それは八城が桜に下した評価だ。

基礎がしっかりているし、体格にも恵まれている。

「なるほど、面白いじゃないか。八番が剣の腕で人を認めるとは。……いや、そもそも八番のそれは剣術とは言えないね」

十七番はそう言いながら八城の腰に下がっている量産刃に視線を送る。

「それは俺に、これを教えた奴に言ってくれ。……っと来たみたいだ」

そこには昨日となんら変わらない格好で立つ桜の姿がある。

「準備できました。いつでも大丈夫です」

桜は昨日と変わらず鞘から刀を抜き正眼に構える。

ならばと八城は刀を抜かず、いつでも抜刀出来る構えで、その時を待つ。

それは昨日決着がついたお互いの構え。

「十七番合図を頼む」

「分かった」

風の音が聞こえるほど静なコロシアムに十七番が手の平で鳴らした鈴がリンッと鳴る。

二人は合図と共にお互いの剣戟の間合いに入る。

八城は相手との間合いに合わせ抜刀。

それで勝負は決まる筈だった。

「なっ……」

「へっへへ……」

言葉に詰まったのは八城、苦しいながらも笑って見せたのは、桜だ。

桜は身体をしゃがませ、抜刀の来る方向から刀を盾のようにして、体全体で八城の刃を受け止めてみせたのだ。

そして桜は片手で持っていた刀を両手で持ち替え八城にもう一度肉薄する。

「今日は受け止めましたよ!」

肉薄した状態でなぜここまで自由に刀が振れるのかと思う早さ逆袈裟切りをいなす。

片腕で捌ける早さじゃない。

桜の切り払い、突き、打ち落とし。

それら全てに対応すべく八城も鞘から手を離し、刀を両手に持ち替える。

桜の攻撃はめまぐるしく、こちらが攻撃に転じ難い場所に攻撃を滑り込ませてくる。

桜が打ち込んでいる間はこちらが攻撃に転じる事ができない。

「くそ!やらしい……じゃない!」

「それはっ!どうも!」

だがこの乱撃は長くは続かない。

桜自身もそれは分かっていた。

消耗が激しい戦い方で息が上がっていく。

だがもう一度あの神速の抜刀を防げるかと聞かれればきっと反応できない。

だからこの距離を保ちつつ、隙を狙い続ける。

「おいおい!そろそろ!しつこいんだけど!」

「しつこいだけが!取り柄なんで!」

そうして打ち合う内に八城の癖が見えてくる。

突きの後前に出てくる。そこを狙えば鞘を取れる!

切り払い打ち落とし、下からの切り上げ左右への打ち込み。

そして突き。

「ここです!」

桜は自らも前に出て相手の鞘に手を伸ばす。

だがそれは自分が相手の術中に嵌ったと気付くのと同時だった。

「随分こいつが気になってたみたいだな?」

八城は桜の突きと同時に身体を捻り納刀を済ませていた。

「まずっ!」

その一線は、言葉より先に桜の刀を吹き飛ばしていた。桜の刀が、コロシアムの床を滑っていき、八城は抜いた刀をゆっくりと鞘に戻す。

「あ〜正直びびったわ〜」

大きく息を継ぐ八城とは対照的に桜は呼吸をしゃくり上げる。

「ひっ……ひぐッぅ……またぁ……まげだ……」

大粒の涙をぽろぽろと瞳から溢れさせ、泣き出す桜に、十七番の隊員が駆け寄り歓声を上げた。

「すごいじゃないあなた!」

「あんなに押されてる八番久しぶりに見たわ!」

「期待の新人ね!」

とか、やんや、やんや盛り上がっている。十七番隊は全員が女のみで構成された、隊であるが故に、強い女子は十七番隊ではちやほやされる。

それは他の隊に属していても例に漏れず桜もその対象になったらしい。

「勝ってもちやほやされない事もある。八城くん、どんまい」

「はっ?べっ!別にチヤホヤされたくて戦ってないし!」

桜は泣きながらも女子に囲まれ戸惑い。八城と紬はそれを遠巻きに眺めていた。

笑い声と人の触れ合いが織りなす空間がそこにはあった。

「ねえ八城くん」

「何だよ」

「私この時間が好き」

紬はそう言葉を零した。

明日から始まる遠征は安全なものではない。昨日発表された帰還推定人数は全体の三分の一にも満たない人数だった。

八番隊も十七番隊も一人も欠ける事無くまたこの中央で会う事はもうないのかもしれない。

そう思う事も言葉にする事も暗黙の了解というやつで誰もが気にしないようにしている。

「また減ると思う?」

紬は現実から乖離した願いを持ちながら、その問いかけを八城へと投げた。

「どうだろうな……死ぬときは死ぬし、死なないときは死なないからな」

「ムゥ……昔みたいに絶対に守るとか言って欲しい」

「出来ない約束はしない主義なんだよ」

紬は八城の向こう脛を蹴りぷいっと何処かに行ってしまう。

「俺は一華みたいにはできない……」

誰にも聞こえないように八城は口の中でその苦みに満ちた言葉を飲み込むのだった。




明くる日、物々しい雰囲気が漂う中全部隊に物資と武器が配られていく。

八城は二振りの刀と、数本替えの刃。

紬はライフルと弾薬そして拳銃を。

桜は刀を一振りと、拳銃をそれぞれが武器庫から持っていく。

それぞれの隊も武装を整えると全員がコロシアムに整列した。

やはり目立つのは八番隊で、人数が一番少ないため最も列が短い。

いつもより厳めしい顔つきの柏木がいつもより厳めしい言葉使いで喋り出す。

「諸君!今日ここに集まったのは他でもない!感染者が現れてから四年。私たちはこの場所に縛り付けられている!そして先日また一つの中央都市がクイーン及び感染者の襲撃を受け半数以上の居住者が奴らの餌食となった!この作戦は他の居住区、そしてこの東京中央にも脅威になりうる新たなクイーンの確認並びに現在点在するクイーンの情報を持ち帰る事にある!我々は住民を守る為の機構だ!今もまだ避難しきれていない住人が居るなら速やかに安全な場所に連れて行かなければならない!これは住人を守ると共に自分達の命も守る事に繋がる極めて重要な作戦だ!」

何時もより厳かな口調なのはこの作戦がそれ程重要である事を示している。

最初はざわめき立っていたコロシアム内も静まり返り全ての隊長と隊員が壇上に立つ議長の姿を見つめていた。

「私は諸君の犠牲をよしとはしない!ここに居る全員揃ってまたこの場所で会える事を私は期待している!」

短い、ともすればやる意味が有るのかも疑問な柏木の言葉を聞いた反応はそれぞれだった。

その言葉を受け止め前を向く者

対して厳しい顔をする者も居れば、その言葉に涙する者も居る。

そんな中紬は意味のわからない顔をしていた。

「で、お前は何をやっているんだ?」

八城が後ろでもぞもぞと変顔を披露している紬に声を掛ける。

「トイレ……行きたい」

「もう、やだ。ちょっと、少し我慢なさい。ほら次の偉い人が出てきてお話をしているよ」

「無理。漏れる。緊急事態……」

紬が突如コロシアム後方に走り出し、それを壇上から見ていた柏木議長が厳しい目を八城に向ける。

「隊長いいんですか?紬さん行っちゃいましたけど……」

「……ほっとけ」

紬が作戦前に何処かに行くのはいつもの事だ。

必ず出発前には戻ってくるので詳しい事は知らないが深く詮索する事は無い。

壇上からの話が一段落すると、全員がバリケードまで移動を始める。

東京中央に住まう市民が、道の両端に立ってはいるものの道中は異常な程静な花道だ。

誰一人声を上げる者はいない。

ただ黙々と隊の移動を見守っているだけだ。

時折子供の声が上がる事もあるが、それすらすぐに保護者が口を塞がせる徹底ぶりは最早異常さを際立たせている。

「隊長……これって?」

「ああ。憂鬱になるだろ?まるで葬式の参列客だ。で俺達が棺役」

「……私そこまでは言ってないですけど」

「だけど思ったんだろ?そりゃあながち間違ってない。ここを通れば全部が全部減って帰ってくるんだからな。食料、武器、弾薬それに人間の数も。そりゃ喜んで送り出そうなんて誰も思えないだろうさ」

辟易を通り越した焦燥を帯びた八城の目はこれから起こるであろう非情な現実を何度も直視した人間がする物だ。

「隊長は何回この道を通ったんですか?」

「数えきれないな……だけどその度に憂鬱になるのは確かだ」

八城と桜はそんな話をしながら花道を歩いていると一つ目のバリケードが見えてくる。

それを抜けると全く舗装されていない道を進み二つ目のバリケードが見える。

さらにそれを抜けると四年前から手つかずになった住宅街。そして三つ目のバリケードは川の橋の上にある。

「ここを抜ければ奴らの巣。桜、気を引き締める」

いつの間にか桜の後ろから紬が合流していた。

「ひっ!おっ……おどろかさないで下さいよ!」

「勝手に驚いたのは桜、私は悪く無い」

「遅かったな。随分長いからトイレに流されたのかと思った」

「その発言はデリカシーがない。乙女にはあらゆる時間が必要なときもある」

紬は毎度作戦前に居なくなっては両目の端を紅くして戻ってくる。

どこに居るのかは知らないが、何をしていたのか分からない程鈍感でもない。

「いやいや!紬さん絶対泣いてたじゃないですか!」

桜の空気の読まない発言に場の空気が一瞬凍り付く。

「ムッ!泣いてない、そもそも証拠がない」

「いやいや、証拠って。そのかぉっ……。って!隊長!なにするんですか!」

桜の口を塞ぎに掛かった八城に抗議を示す。

「お前余計な事を言うなよ!後で絶対面倒なんだからさ!」

「なんですか!だって絶対泣いてって!痛い!痛いです!なんなんですか!」

「桜うるさい。それ以上無駄口を叩くなら奴らより先にお前を撃ち抜く」

「やってもらおうじゃないですか!出来るなら!って痛いです!何で私だけ叩くんですか!」

紬が太ももに手を掛け、桜が腰だめに刀を構えるのを八城は叩いて止めに入る。

「お前らは会う度に喧嘩しないといけない病気か何かなのかよ!」

「八城くん、射線に入らないで」

「隊長そこに入られると斬っちゃいますよ」

「お前ら!本当に勘弁してくれ!」

八代の叫びと周囲の騒ぎを聞きつけた他の隊長がもう一人、紬と桜の間に入る。

「八番……キミの隊は本当に大丈夫なのかい?」

「……あぁ、騒がしくて悪いな、十七番」

流石に他の隊長の前で粗相はできないのか二人とも大人しく構えを解いた。

「俺の時とお前で態度が違いすぎないか?」

「私の方が尊敬されているんだろうさ」

「お前は本当一言余計だよな?十七番」

「事実だろう?八番?」

こうして八番隊の遠征が始まったのだった。


 

「八城くん、何で十七番隊の隊長も居るの?」

大橋を渡り一キロ程過ぎた頃、紬が唐突に口を開いた。

「あれ?言ってなかったか?俺達のルートは途中までは十七番隊と一緒なんだよ」

十七番隊が通るルート66番街区までは一緒に行動し、そこから東と西に別れる事になる。

「すみません私も何も知らないんですけど」

「あれ?もしかして言ってなかったか?」

十七番の隊長がどうしようもない奴を見る目で八城を見る。

「八番……一体きみはこの三日間何をしていたんだい?」

「訓練とか〜あと〜話し合いとか〜コミュニケーションとかレクレーションとか新人歓迎会とか……まぁ色々だ」

「隊長〜これから背中を預ける相手に嘘は駄目ですよ〜それに布団の中で出来る話し合いはありません!」

桜の言葉に頭を抱える十七番は、ギロリと八城睨みつけた。

「そんな事だろうと思ったが……酷いな。お前の隊に居る隊員が本当に可哀想だ」

「それは言い得て妙。今の場所が嫌どうかは私が決める事。十七番に決められる筋合いはない」

紬は八番隊の事となると妙に反骨神を見せるがその所為で八城が冷やっとしたのは両手の指では数えられない程だ。

「お前は誰とでも喧嘩するな……いいんだよ、今回は俺が悪いんだから」

「その通り。八城くんがしっかりしていればこんな事にはならない。全て八城くんのせい」

「へいへい。わるうございました。だから何度も言ってるだろ……嫌なら、お前も八番隊から転属すればいいんだよ。十七番隊なんて喜び勇んでお前を迎え入れるだろ」

「それは命令?」

「お前の自由だ」

「ならここがいい」

八城は大きな溜め息を付きながら頭をガシガシと掻き、紬が居る方と逆の進行方向を見つめる。

「で……あの、私の質問に応えて貰ってないんですけど」

桜はおずおずと八城の隣に歩み出た。

「あ〜俺達八番隊は66番街まで十七番隊と一緒に行動する。今回の作戦は全部隊が出払う大掛かりなものだ。最初のスタートから一つ目の扇状に広がってる7番街そして次の66番街までが十七番隊と一緒に行動する範囲になる。俺達は66番街区で食料物資を受け取ったのちに、77番街区付近のクイーンの位置を確認しつつ777番街区に行く。

777番街に新規ルートの情報を届ける代わりに武装の補充をして。

新規ルートで最終目的地の7777番街に行くって感じだな。つまり7番街→66番街→77番街→777番街→7777番街の順番で遠征を行う事になるわけだ」

「なんでわざわざ66番街を経由して77番街に行くんですか?」

「それな、7番街と77番街の間にはクイーンが居るからな。直線で行くと間違いなく奴らに気付かれる。……お勧めはしないが、それでも行きたいか?」

ざっと地図を広げ位置関係を説明すると、桜は即座に理解したらしい。

「……やめときます」

「だが油断するなよ。6番街区近くの場所は半年前からクイーンの臨界個体が住み着いてる。いつ巣分けが始まってもおかしくない。ここから五キロと過ぎたら、もう奴らの住処に足を踏み入れたと思った方がいい」

桜は緊張から、からからに乾いた喉を潤すようにごくりと唾を飲む。

「おいおい八番、そんなに言葉で詰めたら、新人が緊張してしまうだろう?」

「緊張感が無いよりいいんじゃないのか?」

「八番は少し乙女心を分かろうとした方が良いね。桜、そんなに心配しなくて大丈夫さ。66番街までは私たちも居る。それに、いつもはだらしないかもしれないが、君の隊長は私が腹立たしい思うぐらいには強いからね。それに君自身も強い。あの八番とあれ程やれる人間はそういない。だから自信を持っても大丈夫さ」

「あっはは……ありがとうございます!」

「そうだ!君さえよければ私の隊にくるのはって……もう来た様だ……」

十七番の隊長の声はそこでぴたりと止まっていた。

紬はライフルを構え十七番の隊員達は扇状に広がり全員の背中が無防備にならないよう構えを取る。

「少し早いな……」

「ああ、本当に情緒が無いよ」

それは四年前から変わらない光景。

八城が嫌というほど殺してきた人の姿をした怪物達。

「前方の数、七体……まだ増える」

紬がスコープを覗いたまま奴らの数を伝える。

「右ありません」

「同じく左もありません」

十七番隊は訓練されているだけあり、即座に必要な情報を司令塔である隊長に伝えてくる。

「じゃあここは私の腕前を見せるところかな?紬……いや遠征中は十番と呼んだ方がいいかい?」

「番号は嫌い、紬で良い」

「よし、じゃあ紬。私の援護を頼んでも良いかな?」

「了承した」

十七番の隊長と紬はそう短く言葉を交わし隊長は腰にある小太刀を抜き一体目の奴らの首もとを切り裂いた。

それを開始の合図として紬のライフルが二回火を吹くと奥の二体が倒れる。

僅かなズレもない精密な射撃に、思わず十七番隊の隊員から感嘆が漏れ、桜も思わずその腕前に見蕩れていた。

「どう?先輩を敬う気になった?」

ドヤ顔で聞く紬に桜は即座に反論が出来ない。

「正直……悔しいぐらい凄い……です」

桜の唸る様な声には感嘆と嫉妬が入り混じった複雑な心境を表している。

紬の技術は桜も認めざるをえない。

それからもう二回紬のライフルが火を吹くと戦闘は終っていた。

十七番の隊長は小太刀に着いた奴らの血を拭き取り、丁寧に鞘に収める。

「やっぱり私たちの相性は抜群だ。このまま紬は十七番隊に入らないかい?」

「断る。それに八城君との方がもっと相性がいい」

「フフッ、それは残念だね」

十七番の隊長は隊員の一人からタオルを受け取ると汗を拭うが八城は気が気ではない。

奴らの恐ろしさは、一体に見つかるとその一体を起点に集まることにある。

「十七番そろそろ行こう。奴らが集まってくる前に」

周りに奴らの声はしないが、奴らは自分の軍隊の一部と繋がっているかのようにこちらの行く先々で現れる。今は休まず先を急いだほうがいいだろう。

「そうだね、それじゃ行こうか」

その笑顔で十七番の隊長は隊員たちをうっとりさせて先を進んでいくのだった。

その後二回の戦闘を挟み、夜になる前に7番街区に到着した。

バリケードを潜り、本部である小学校に入っていく。

7番街区は食料自給率も人口比率を上回る程行っており、遠征隊に対しては歓迎ムードが漂っていた。

「まさか、89作戦の英雄が来てくれるなんて!どうぞゆっくりしていって下さい」

受付のおっさんは八城の姿を見るなり、人の良さそうな笑顔で遠征隊に食事と寝床を人数分用意してくれた。

だがなぜか全隊員が同じ部屋に通されたせいで、八城以外全員女というなんともエキゾチックな空間になってしまい、女性隊員しかいない十七番隊の隊員からは……

「八城さんは先に66番街に向かって下さい」とか「野営するなら校庭ですよ」とか散々な事を言われ、八城が一縷の望みを賭けて助けを求めた紬は、あろうことか真っ先に布団に入り寝息をたてていた。

今は十七番が自身の隊員をなだめているが、その間は少し席を外し、八城はこうして民間居住区をぶらぶらしている。

「お兄さん、こんなところでどうしたんですか?」

星明かりが入り乱れる校舎内で、八城は声を掛けられたままに振り向くと、そこには中学生ぐらいだろうか?腰に薄布で巻かれた大振りな鉈を携えた少女が立っていた。

「ああ、俺は別に……ただの見回りだ」

遠征隊の女子連中に追い出されたとも言えず八城はしどろもどろになりながらもそう答えを返したが、少女はあからさまに八城を訝しんでいる。

「お兄さん見ない顔ですね?どこから来てどうしてここに居るのか答えてもらっていいですか?」

少女の言葉は実に丁寧ではあるが、鉈の柄に手が触れるか触れないかの所を見るにかなりの警戒色を示していた。

「待て!話し合おう!それはしゃれにならない!」

「いいから応えて下さい!答え次第では容赦しません」

鉈は重心が前に偏っているため、振り回した際の衝撃にばらつきがあり最悪受けた量産刃が使い物にならなくなる。

だから八城は簡潔に自身の置かれた状況を説明する。

「俺は遠征隊で中央から今日この番街区に着いたんだ!」

「それはここを歩いていた答えになってませんね」

少女は柄に手を掛けいつでも抜けるよう構えを取った。

「だから!俺は今日来たばっかりで右も左も分からなくて!たまたまここを歩いてただけなの!」

八城の声音に焦りが募る。

ここで少女に鉈を抜かれれば、ここの住人との関係も悪化する事は目に見えているからだ。

「さっきは見回りと言っていたのに今度は歩いていただけ?……やはり怪しいです」

訝しむ少女は、いよいよ腰に携えた鉈の柄を握り込んだ。

「ちょっと待て!手っ取り早く無実を証明出来る物がある。だからちょっと待て!」

八城は久しぶりにポケットから銀細工による三枚羽を束ねるよう設えられた紅く光るルビーのネックレスを取り出した。

それは中央本部に所属するシングルNo.のみが所持する首飾りだ。

少女も流石にこれは知っていたらしい。

「これ!まさか盗んだんですか!しかも赤の三枚羽と言えば、類を見ない武術の達人だと言われる!89作戦の英雄じゃないですか!」

「いや!これ俺のだから!俺が八番だから!」

少女の顔からさっと血の気が引いていく。

「じゃあ……あなたがあの89の英雄!たっ!大変な失礼を!」

少女は顔面蒼白に地面に齧り付くようにそれは見事な土下座を披露した。

「おいやめてくれ!別に良いよ!許すよ!」

こんな年端の行かない少女に学校の廊下で土下座させるような鬼畜だと勘違いされた日にはあらゆる人間関係が破壊される。

そもそもこんな所他の人間に見られたら……

「隊長?うわっ……女の子土下座させてなにやってるんですか?」

八城が声の方へ振り向くと、そこには汚物を見る目で佇む桜が居た。

「あの、私……上が一段落着いたから隊長を呼びに来たんですけど……最低」

「今ぼそっと「最低」って言ったろ!違うからな!俺じゃない!こいつが勝手にやったんだ!」

「あっ、いえ……別にいいんで、ちょっと……今は私と、そこの少女に近寄らないで貰って良いですか?」

「俺は無実だ!」

「そうですね……私はただ隊長に上はもう騒ぎが収まった事と、その子に手を出したら、後ろから斬るって事を伝えたかっただけなんで……」

暗闇でも分かる程、軽蔑した桜の瞳は死体に沸いたウジを見る目に相違ない。

「おまえ絶対疑ってるだろ?」

「別に疑っていませんただ、あまり動かないで下さいね、斬りづらいので」

「とりあえず刀の柄を離してくれ!それに、お前も!謝らなくていいから顔を上げてくれ!」

「許して……くれるんですか?」

「責めてないし!最初から許してるから!頼むから顔を上げてくれ!じゃないと、この怖いお姉さんに俺が斬られる!」

八城の必死の懇願により、ようやく少女は床から顔を上げた。

「先ほどはすみません。まさか中央からのお客様だとは思わなくて……」

少女は深々と頭を下げ八城へと謝罪する。

「別に構いはしないけど、なんであんなに警戒してたんだ?」

少女は最初から八城を訝しんだように声をかけてきていた。

八城にはそれがどうも引っかかる。

「実はここの階と下の階は孤児が集められている場所なんです。それでその、私……」

八城はその一言だけで理解した。

彼女はきっと見回ってここの孤児の子供達を守っていたのだろう。

「ああ、そういうことか。悪いな、誤解させて」

「あっ、いえとんでもないです」

「……え?どういうことですか?」

一人どうにも理解していない桜によく似た阿呆がいる。

いや、よく見たらその阿保は桜で間違いない。

「あのな桜?四年前、人間達の間で一番最初に壊れたものが、何か分かるか?」

「壊れたもの?なんでしょうか……あ!隊長ですか?」

こいつは無自覚に毒を吐く人間なのだろうか?

「違う。まぁ、確かに俺も壊れたが、何より壊れたのは人のモラルだ」

八城は、感情の籠らない声色で続ける

「あれは厄介だ。実際問題、奴らよりたちが悪い」

四年前この惨事が始まった当初はまだ良かった。

そもそも問題が浮き彫りになる事が無かった。奴らの侵攻が激しく、全員が全員、自分の身は自分で守るしか無かったためだ。

だが、番街区という名の居住区が出来てから、その問題はより顕著になる。

狭い生活スペースの中で押し込められそれ故に治安の維持は非常に難しく、多くの番街区がそうした問題を元に瓦解していった。

そうして設立されたのが治安維持を目的としたNo.制度だ。

熟練された手練やこれまでの功績を加味したNo.が各番街区へ送られ、常駐隊として各地に配属される。

中央はその中でも特筆した者たちを遠征隊として集められる場所だ。

四年前、戦いにおいて最も早く減っていったのは大人達だった。

いつ訪れるか分からない襲撃。

周辺の調査。

物資の探索。

そのきっかけを上げればきりがない。

そうして番街区には孤児の子供達が量産されていった。

そして親が居なければ騒ぐ者も居ないと考える輩も僅かながら居るのも事実である。

「あ!つまり隊長は子供を狙った変態と間違えられたって事ですか?」

「おい言葉にするな!無性に悲しくなるだろ!」

「すっ!すみません!決してそんな風には……その……はい、ごめんなさい……」

否定する事でより真実味が増すとは如何に?

そんな八城の思考など気にも止めず桜はその少女に尋ねる。

「……まあそれは置いといて、お前もNo.に入るつもりなのか?」

「あっ、はい多分ここの子達は皆入ると思いますけど」

「ここの孤児は何人ぐらい居るんだ?」

「今は全体で120人ぐらいだと思います」

120人これは居住区において見れば、多い方である。

そしてこうした孤児の子供達は食料自給率を上げるための農作業か消耗が激しい戦闘用員になるぐらいしか今の現代に残された道がない。

「頼もしいですね隊長」

そう言った桜の頭を八城は叩いた

「頼もしい訳あるか。馬鹿」

「痛い!何で叩くんですか!それに!馬鹿って何ですか!馬鹿って!」

「お前が馬鹿だから馬鹿って言ったんだよ!馬鹿!」

頼もしい訳が無い。

最初の一年で人口の半数が奴らに食われた。

翌年にはまたのその半数が。

そして、三年目は生き残った全体の一割が食われ、今年は七月も半ばというのにもう、去年と同じだけ人間が食われた。

現在の総人口はもう十分の一以下に落ち込みその三割が成人に満たない子供なのだ。

「奴ら」が人を食い、人を食った数だけ「奴ら」が増える。

負の連鎖を止める術が無いのが、今の現状だった。

そんな中に年端もいかない子供達を突っ込めばその結果は明らかなものだろう。

クイーンを倒さない限り奴らの絶対数が減少する事がない。

だがクイーンを撃退出来るほどの人員も武器も無い。

今の状況はまさに八方塞がりと言える状況だ。

そして目の前の少女がそんな情報を知るわけも無い。

そうとも知らず年端もいかない子供達は奴らの蔓延る最前線の戦場に出て行かざるをえない。

そして八城はそれを止める事も、そして否定する事もできない。

なぜなら、八城自身がその道を選んで来たのだから。

「まあなんだ。悪い大人には気をつけるんだぞ」

八城のその言葉には自分を含めた大人達の事を言っていた。

特に今生き残っている大人達は、それはもう狸ばかりだ。

前線で戦い続ければいずれ死ぬ。

今生き残っているのは戦場に送り出す事ばかりに長けた大人達だ。

そいつらは自分が行かない代わりに子供達を戦場に送り出す。

そして実戦を経験して戦場に何があるかを言わない八城もそれは同罪と言えるだろう。

「はい!今日はお会い出来て良かったです!失礼します!」

そう元気に言って去っていくその後ろ姿を八城は眩しく送り出した。




明くる日。

「今日は実地調査とクイーンの分布を……」

八城はそこまで言って、起きて来ない丸い布団を睨め付ける。

「嫌。行かない。今日は気分じゃない」

紬の声で、布団が喋る。

いや紬が布団の中で喋っていた。

「いいえ、行きます。って!いうか早く起きろ!」

今日は珍しく早く起きた八城が、起きて来ない紬の布団をひっぺがしにかかるが、へばりついたように紬は抵抗を試みる。

「いや……やめて、私に触らないで」

「何生娘みたいな事言ってんだよ!もう十七番隊は出てってんだよ!後は俺達八番隊だけなの!受付のおっちゃんが気まずそうにそこの出入り口を通り過ぎるのをみるのは、俺はもう耐えられません!」

「私は耐えられる。問題はない」

「そっりゃあな!お前は布団被ってるから何も見えないだろうな!いいから起きろ!」

八城が勢い良く布団をひっくり返すと、ボサボサ髪の紬はとうとう布団から追い出され、眠そうな目を擦りながら着替えを持って部屋を出て行く。

「桜付いて行け!早く!」

「別にいいですけど、流石に着替えるんじゃないですか?」

そう言って桜は渋々紬の後を付いて行った、その五分後。

「ここを開けて下さい!こんなことしたって、いつかは行かなくちゃいけないんですよ!」

紬は更衣室に立て籠っていた。

「やっぱり閉じ籠ったか?」

八城が頭を抱えながら扉を懸命に開けようとする桜の肩を叩く。

「最初に分かってたなら先に言って下さいよ!隊長どうします?このままじゃ埒があきません!」

「でもあいつ、腕だけは確かだからな、居ないは居ないで困るんだよな……」

「ですね……」

桜の脳裏に浮ぶのは昨日の最初の戦闘だ。立射での静かな動作。コッキングレバーを引き、ぴたりと止まり、引き金を引く。

大きな反動をその小さな身体で受け止め平然と撃つ、撃つ、撃つ。

近接戦をする十七番と遠距離の紬のその姿は、まるで長く連れ添った夫婦のようであった。

「こんな人が、何であんな事ができるんでしょうかね……」

「確かにな、永遠の謎だな」

その後、鍵を持って来てくれた受付おじさんと一緒に紬を更衣室から引きずり出した。

紬を含む八番隊は七番街から一キロ離れた場所で集合していた。

「納得がいかない……」

紬は眩しすぎる太陽を不機嫌に睨みつけそんなことを呟いた。

「全員がそもそもこの作戦に納得いってないからおあいこだ。という訳で、作戦を発表します」

八城は言葉と共に地図を広げ指を指す。

「スタート地点が中央なのは分かるな。そこから直線距離で七キロの地点にさっきまで居た学校がある」

八城の指は地図上にあるこの場所を指差し少しずつ上にずらしていく。

「次にこの多摩川を渡って。第二京浜を歩いて鶴見川手前まで前進。そして、クーイン潜伏地点である五キロ地点まで進み、所在を確認次第また7番街区に戻る理解したか?」

「ノー!」

紬の否定的な言葉を、八城は全力のスマイルで受け止めた。

「ハイ!元気な返事をどうもありがとう。そのやる気があればこの作戦の成功も間違いないだろうね」

「八城君には時々耳が付いているのか疑いたくなる」

「俺も時々お前が本当に十六歳なのか疑いたくなるなから大丈夫」

そんな軽口を叩き合いながらも順調に進路を進んでいた。

「隊長も本当に89の英雄か疑わしいこともありますけど……あっ、来ましたよ隊長」

桜は声色と体勢を低く、刀の柄に手を掛けた。

その影は多摩川を渡り三キロ程進んだ地点から現れる。

「早いな。もう、お出ましだ……桜は紬の援護。奴らを紬の後ろに回すな。紬はいつも通り、俺に楽をさせてくれ」

「……了解です」

「八城君は死ぬほど働け」

「働くさ、それより桜。鶴見川を渡れるポイントまで後何キロだ?」

「ここから最短でも一キロです」

「よし。全員ここを全力で走り抜ける!」

「コレは、あれ……マジ最悪」

「え!?えー戦わないんですか!」

「桜!早く走れ!置いてくぞ!」

八城と紬はこれでもかというほど早く全力で奴らの間をくぐり抜け、時に蹴飛ばしながら大きな個体は紬が小銃で牽制して先に進んで行く。

「でも!いいんですか?こんなんで!」

桜も紬と八城の背中を追いかける。

「いいんだよ!この一キロに居る奴らを掃討するとなったら、弾が何発あっても足りないだろ!」

「でも帰るとき少しでも減らしておかないと!」

「大丈夫だ!結局奴らの本体近くになれば、こんな数は減った内に入らないから!」

そう言いながら八城は組み手で相手を転ばせ紬が、間髪入れずその頭を撃ち抜いていく。

「それより桜!きっちり付いて来ないと本当に死ぬからな!ちゃんと付いて来いよ!」

そう八城と紬は一発の弾丸が水の中を進んで行くように相手を蹴散らして進んでいる。

その勢いから桜一人が取り残されれば数の前にひとたまりもないだろう。

「あーもう!分かりました!」

桜は躊躇なく刀を鞘から抜き放ち一線

相手の首が椿の花のようにぽとりと落ちる。桜は次々と眼前の敵を切り伏せ、その度に血しぶきが舞い桜の刀を彩っていく。

「血しぶき桜」

「変なあだ名をつけないで下さい!」

「紬あんまり弾は使うなよ。この後がもたない!」

「ん、了解した」

「桜も揃ったところで一気に駆け抜けるぞ!」

「あーもう!!」

そして、三人はそこから一キロ地点で異変に気付く事になる。

「おい……なんだ?これ」

三人は前に進む程に数が少しずつ減って行く奴らに疑問を抱きつつ、通過地点の新鶴見橋の手前に佇んでいた。

それは対岸の鶴見川を見た全員が零した、おぞましい光景だ。

「橋が落ちてて助かった」

紬は無意識に言葉を発していた。

そう橋が落ちていた。

これはイレギュラーであり、本来であれば、ここを通りクイーンが居るはずの地点まで後一キロを歩く筈だったのだが……

目の前橋の向こう側対岸に続く第二京浜交差点にそいつは居た。

「クイーンが移動してる」

「あれが!クイーンなんですか!」

対岸には、クイーンの周りをひしめき合うようにいる、おびただしい数の感染者、そしてフェイズ3を従え、人の形を失った何かが、それに付き従うように跳ねている。

「桜、よく見ておけ、あの中心に居るのがクイーンだ」

その形状は一言で表すのなら人の大きさを遙かに超えた赤ん坊。

皮が弛み、ブヨブヨとした表皮に似つかわしくない手足だけが、人らしい印象を与えてくる。

顔は無く。ただ一カ所だけ耳のような器官が外側に突き出ている。

「大き……過ぎませんか?」

クイーンに関して言えば、一見しただけでも、標準の一軒家ぐらいの大きさがあるだろう。

「デカいな。何を食ったらあんなにデカくなるんだろうな?」

「奴は人を食った。私たちも人を食えばああなる」

「そうだな……でも少し太り過ぎなんじゃないかあいつ?ちゃんと健康診断受けてんのかなぁ?」

「気になるなら、ちゃんと伝えた方がいい。それが本人のためにもなる」

「聞く耳もつか?あいつ一つしか耳が無いみたいだしな」

「なら私が耳の代わりになる穴を急造する?」

「ちょっと!ちょっと!二人ともなに平然と話しをしてるんですか!」

「「何が?」」

桜は持っていた地図を広げて八城に詰め寄った。

「奴ら上流の方に向かって行ったって事は多分、一・五キロ先の橋を渡ってくる可能性があります!このままだとあのクイーンが夕刻にはこっち側に辿り着きますよ!」

桜が地図を確認しながら焦った様に告げる。そしてそれはまず間違いなく現実になるだろう。

「そうだね。渡ってくるかもね」

「じゃあ何か先手を打たないと!」

「先手ね……例えば?」

「橋を落とすとか!橋自体にトラップを仕掛けるとか!」

「名案だな!で?その材料は?火薬は?人員は?多分ここからだと、渡って来るのは十四号の末吉橋だけど、今から行くにしても相当の数が今も大挙して端から端までびっしり渡ってる最中だろ、それこそ戦車でもないと突破するのも難しいが、桜には何か名案があるんだよな?」

「八城君そこまで。桜が泣きそう、というか泣いている」

見れば桜は手をプルプルさせながら瞳に涙を貯めていた。

「あっ、いや……うん。発想は悪くないよ、少し物資と人員があれば可能だったけど、少しだけ足りなかった!うん惜しいけど今日は無理だ。目の付け所は悪くないと思います、多分……」

「フォローするならちゃんとして下さい!」

「八城君また泣かせた」

紬が責めるように、ボソリと耳元で呟いた。

「今回は俺のせいだな……スマン、言い過ぎた。でもな、俺達には何も出来ないのも確かだ。周りの番街区の人間に伝えるまでが俺達の仕事だ。俺達がここで無理をして全滅した方がよっぽど大変な事になる。ここは敵を倒すより番街区に戻る事が最優先ってわけだ。分かったか?」

「分かりましたけど……でも一華っていう人は一人でクイーンの討伐をしたって……」

「あぁあ!?聞き間違いか!?いま一華って聞こえた気がしたんだが?」

八城は一華という単語を聞いた瞬間、見る見るうちに不機嫌を通り越し、怒りの表情になる。

「え、怖ぃ……え?何か私今隊長を怒らせるような事言いました?」

「八城くんに一華の話題は極力避けた方がいい。最悪の場合死ぬ事になる」

「え?……死ぬんですか?」

「最悪の場合は」

「あの、聞いた話によれば八城さんは一華さんの弟子に当たるんだとか、今は中央には一華さんの姿はありませんし、二人の間に何かあったんですか?」

桜は八城へ聞こえないように、紬にだけ聞こえる声で耳打ちする。

「私もそれに関して言えばあんまり愉快な話題じゃない。けど何かあったのかと聞かれたら。何かある」

紬は双眼鏡で只真っ直ぐにクイーンの居る対岸を見つめていた。

「それに一華は……」

その言葉が出る前に双眼鏡が真っ暗になり、外し確認すると、八城が手でレンズの向こう側を抑えていた。

「喋り過ぎだ紬。お前ら無駄話してないで戻るぞ」

八城は右に携えた刀をカチリと鳴らし踵を返す。

紬と桜はお互いに一度顔を合わせ、八城の後ろに付いて行くのだった。




八番隊は、帰りの最後の戦闘が終わり奴らの影が無くなった多摩川を渡る頃には空は夕闇に包まれていた。

だがその夕闇にも分かる程、三人の表情は曇をみせる。

先までの激しい戦闘など無かったかのように河原に吹き抜ける優しい風が、早咲きの彼岸花を揺らす。

戦闘は行きよりも帰る方が激しさあった。

幸い「フェイズ1」しかおらず、決まった一体に手を焼く事がなかったのが幸いしたが、それでも三人の肩が上がる息切れが、その戦いの激しさを証明している。

滴る汗を拭えば、奴らの赤い体液と混じり頬に一筋の紅を引く。

「あれで、フェイズ1なんて……」

桜はおぼつかない足下をなんとか踏みしめながら、八城の後ろに付いていく。

「ああ、基本相手にすべき戦闘はフェイズ1までだ。だが今日だけ言えば数が多すぎるな……」

近接が主な桜と八城は、腕や顔におびただしい程の奴らの体液が付着して夕日に照らされ、二人の刃は奴らの体液が付着して怪しい光を放っている。

紬も拳銃での牽制だけとはいえ、体を動かし続ける疲弊はかなりのものだ。

「そういえば隊長、量産刃を二本持ってるのに片方は使わないんですか?」

八城の刀は右に一本左に一本と珍しい出で立ちだ。

左にさしてある刀は標準的な量産刃と呼ばれる、替え刃の効く作りの柄。

そちらには、薄く反った刃に先の戦闘での体液がべっとりと付着している。

だがそれに比べて右にさした刀には奴らの体液はおろか、今回の戦闘において一度も抜刀していた場面を見なかった。

その刀は直刀に豪奢な鍔なしつらえ、そして何より刃を変える事を想定していない柄の形が、その刀の特異性を顕著にしている。

一度の戦闘において数度刃を替える事もあるぐらい、量産刃の切れ味の摩耗は早くそれ故に刃のみ抜き差しが可能な構造が採用されている。

だが八城が右にさしている刀は勝手が違う。ともすれば時代劇にすら出て来ないような、言うなれば戦闘に向いていない形なのである。

「あぁ、こいつは特別でな……」

「少しだけ!少しだけ、見ても大丈夫ですか?」

どんな技物が出てくるのかと、桜は少しソワソワしたようにじろじろとその刀を見る。

「お前なら大丈夫だな……ただ指を切らないようにな?」

そう言って八城はその刀を腰から外し桜に手渡した。

桜がその刀を鞘からゆっくりと引き抜くと白く美しい刀身が露わになる。

「凄く綺麗……これなんて名なんですか?」

その刀は桜の目から見ても一目で業物だと分かる程洗礼された雰囲気を纏っている。

「姓は雪。名は光。」

「へ〜欲しいです!隊長が使わないなら私が使いますよ!」

「やらねえよ!返せ!」

「隊長お願いします!大切に使いますからぁ!」

「駄目です。無理です。ごめんなさい。そしてさようなら」

そう言って八城は桜から刀を取り上げる。

「でも、なんで戦闘に使わないような刀を持ち歩いてるんですか?重いだけじゃないですか?」

その質問は至極真っ当な質問で、そして持つべくして持つ疑問だ。

戦闘はその一瞬で勝敗を分ける。

その一瞬を戦い抜くためには自身が不利になるような物を極限まで減らしていく事が何より重要だ。

それこそ刀一本分とはいえ、余計な物を持ち歩くなど愚か者がする事だ。

だが、その刀は不利になろうとも持ち歩く意味が八城にはあった。

「桜、三シリーズって知ってるか?」

八城は歩みを止めて桜に向き直る。

「まあ一応それぐらいは……確か二年前ですよね?唯一回収できたクイーンの遺骸から作られた刀で、なんでも凄まじい切れ味だとか。それから、その刃は生きているように獲物を食らうとかなんとかって訓練所での噂で聞きました」

「妖刀かよ……別に人を取って食ったりとか、そんな事はないんだが、じゃあその三シリーズの名前は知ってるか?」

「そこまでは……すみません」

八城は仕切り直すように言った。

「雪月花。それが三シリーズの名前だ。大太刀の花。小太刀の月。そして最後はこいつだ」

八城は右にさし直した刀を撫でる。

「ぇ?……うわぁ!私触っちゃいました!」

「大丈夫だ。別にこの刀がお前を取って食ったりしない」

三シリーズはクイーンの遺骸から出来ている事もあり、人によって、好き嫌いが分かれる代物である。

それに3振りしかない事からも、その希少性は推して知るべしというものだ。

「あれ?でもクイーンって、遺骸になったときから急速に腐敗が始まって、だから研究も進んでないって話じゃありませんでしたか?それなのに遺骸をよく打ち直せるだけの保存状態で持って行けましたね」

八城と紬は少し苦しそうな顔をして桜を見る。

それではまるで聞いてはいけない事を聞いたような感じだ。

「八城君お腹減った。早く帰ろう」

奇妙な沈黙から数分、紬がポツリと呟いた一言が出発の合図となった。

そして三人が7番街に着く頃には空には満点の星空がちりばめられていた。

食事が終わり暇を持て余していた八城はフラフラと屋上に来ていた。

屋上には一人見知った隊長の一人が手すりに寄りかかりながら空を見ていた。

「よう十七番」

「ああ八番か」

そう短く言葉を交わし八城は十七番の隣に腰を掛ける。

「どうだった?66番街区までの道のりは、順調そうか?」

「まあ、絶対に安全とは言いがたいだろうね。そう言う八番はどうだったんだ?随分血みどろになって帰ってきた様子だけれど?」

「88番街を潰したクイーンが、移動を始めた。明日の夕刻にはここに到達するだろうな」

八城がそう言ったとき十七番は口に含んでいたコーヒーを全て吹き出した。

「それって!」

「あぁ、また番街区が落ちるかもしれない」

「まさか!」

八城は明確な部分を濁したが、それに気付かない十七番ではない。

クイーンが一定の距離を保つ習性を持つ以上、最もあの群れから近い空白地帯はここになる。

そして人間の群れを見つければ最後、蹂躙されるのは避けようがない。

「一応ここの責任者にも話しは通しておいた。だが……」

「間に合うかどうか、今からでは厳しいだろうな……」

7番街はその特性上、老人と子供がその大半を占める。

総勢四〇〇人弱という比較的小さな規模ではあるが、物資の運搬や護衛全てを完璧に備えるのであればその倍は欲しい所だ。

それはつまり、この番街区に動けない怪我人や老人を置いて行く事になる。

「だが、クイーンが来ない場合もあるかもしれないしな」

十七番の希望的観測は八城の一言によって打ち砕かれた。

「さっき監視の報告で、奴ら日没前に鶴見川を超えたらしい」

鶴見川の横断、それは緊急避難までもう二キロをきったという事を示している。

「もう、日が落ちて動きが止まってはいるが、日が昇ってまた侵攻が始まれば、ここは緊急避難区域になる。明日はそうなる前にここを発つ」

「異論はないが、本当にいいのか?」

「良いも何も、お荷物を押し付けられるのは勘弁だ」

「了解したよ」

二人の隊長の会話はそれで終わり。

諦めの逓送の中で、生温い風を受けながら二人は黙って星空を見上げていた。

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