異次元(とき)の旅(たび) 第二話

にぃつな

曇りガラス

 青く曇っている氷空を見つめる度に恐怖を抱く。神の手で創られた空はステンドグラスのように様々な形を成したガラス体に覆われていた。指で突っつけば簡単に割れてしまうほどその空は脆かった。


「まただ…」


 ベッドから起き上がり、ぼくは洗面所で顔を洗った。

 目元が黒い。昨夜眠れなかった証拠だ。

 浅い眠りからたたき起こされた気分だ。寝ぼけた脳みそはタオルの位置を把握できず、雑巾で吹いたところで目が覚めた。


 ぼくは窓から外を見た。

 ガラスのような美しい空がぼくを歓迎していた。

 黄金の指が空に触れ、崩れた破片を地上へと振りそぐたびに虫唾が走った。


 朝食を終え、ぼくは仕事に向かった。

 空から降ってくる破片を避けながら勤務するのは至難の業に近かった。黄金の手はとても気まぐれで、ぼくが行先で破片を落としてくる。それも建物の上だったり、マンホールだったり、バスだったりといろいろと厄介だ。


 空を見上げばその黄金の手は引っ込んでしまう。ガラスで創られた遥か上空の彼方へと消えていくのだ。


「やんなっちゃうなー」


 大きなため息を吐いた。

 毎度毎度とはいえ、こうも頻繁に破片を降らしてくるたびにストレスで押し殺されそうになる。


 道行く人々が生気を感じられないのは黄金の手が原因なのかもしれない。


「りんご ひとつ いかがですか~♪」


 赤いリボンを付けた女の子が籠を持って、りんごを売っていた。毎日、見かけている。


「ひとつ くださいな~♪」


 歌に乗せてぼくはその女の子からリンゴを買うことが日課となっていた。

 その子は、生まれてから数日後に事故で母を失い、数日前に父を亡くしたという。その子はりんごを売って生計を立てているという立派さにぼくは感動し、毎日りんごを買うように習慣となっていた。


「かみさまの しゅくふくが ありますように~♪」


 女の子からリンゴを受け取り、ぼくは軽く挨拶をした。

 その子はそれ以上にそれ以下に言葉を交わすことはない。


 それは、この国の言葉が通じないからだ。

 ぼくは、旅行者だ。

 遠い場所からトンネルを通ってこの場所に来た。


 場所によっては言葉が通じれば通じないところもある。

 この場所は言葉が通じない場所だった。


「おっ! 今日もりんごとはあの子の祝福があったな」


 背がやや高い男性がぼくに手を振っていた。ぼくと同じ作業員の服装と帽子をかぶっている。仕事場の先輩だ。


「あそこのりんごは大好物ですから」

「またまた、あの子が好きなんでしょ」


 先輩はお茶目さんだ。

 こう見えても年はそう離れていない。見た目はオッサンだが、中身は若い美青年とは驚きだ。


「俺もりんご買っておけばよかったかなー」


 両腕を組み空を見上げている。

 先輩は今日、買わなかったことを尋ねた。


「給料が足りなくてね、あと数日後でもらえるんだけど、その間にりんごが買えれないな」


 と残念そうに唸った。

 ぼくは、りんごを見つめ、先輩に渡そうとしたが、断られた。


「それは君に祝福したものだ。俺がもらってもあの子から祝福されたわけじゃない」


 先輩はあの子のことが気になり、仕事に手を付けれなかった。

 それだけ、あの子は特別で、あのりんごは大特別なものだった。


 それから、数日後、先輩が念願の給料が入ったと言っていたので、あの子に会いに行くと告げられた。

 ぼくももらったのであの子からいつもより数個多く買おうと思い、先輩と一緒に走った。


 街の角を曲がったところ、先輩がボーと突っ立ていた。声をかけても返事がない。先輩はある一点だけ睨みつけていた。

 その視線の先へ目を向けると、破片に突き刺されて絶命している女の子がいた。…だったものがあった。


「先輩…」


 声をかけるも、先輩は何も問わず、振り返り女の子から立ち去るようにして逃げていった。

 この場所は不思議なんだ。


 気にかけていた恋人、大切だった家族、赤の他人が非業な死を目の当たりにしても平然と逃げるように立ち去り、次の日には忘れている。

 亡くした相手に慈悲を感じないのかと聞いても、彼らはまるで最初からいなかったかのように振舞うのだ。


 ぼくは、”先輩”と話し合うのは、これが最後となった。

 翌日、仕事に行っても先輩からあの女の子の話題を話さなかった。それどころかぼくの存在もすっかりと消えてしまっていた。


 先輩がぼくと入れ替わる形で別のグループへ話しするようになって、ぼくは仕事を辞めた。これ以上、ここにいてもぼくのことを知っている人はいなのだと悟ったからだ。


 家に帰ると、相棒のソラが興味深く本を熱心に読んでいる姿があった。

 空のような青い髪色に腰まで長い髪をしている女性だ。年齢は同じぐらいだろう。これが、”魔女”であると正体がバレたとき、ソラは同い年だと思えなくなるだろう。なにせ年が100も違うのだから。


 でも、子供っぽいところがよく見る。親を亡くしたころから始まった。

 最初は、無邪気で我が儘だったが、本にはまってからはその辺は見かけなくなった。その代り、計算が鈍かったり話がかみ合わなかったりと苦労をするようになった。


 魔女の愛娘ソラ、魔女の愛弟子シロ。ぼくたちは魔女の迫害から逃げるようにして旅をしている。

 師匠でありソラの母親であった魔女は『魔法を使った罪』として殺された。ソラも殺されそうになった。ぼくらは魔女が最後に残してくれた魔法でいろんな世界へ旅する機会を得ることができた。


 ぼくたちは、その世界を旅をして『魔女を迫害しない世界』を求めて…――。


「ソラ? なにを呼んでいるんだい」


 誰かに語り掛けるようにペラペラと経緯を独り言語っていながらもソラが振りむくことなく熱心に読書している。相棒の独り言よりも気になる内容とは、いったいなんなのだろうか。


「『神の落とし物』」


「神の落とし物…? この世界に似ているな」


「そうね、この世界がつくられたきっかけはこの本のせいかもしれないね」


「どういう…ことだ」


 ソラは語った。

 この本は、奇妙なことにこの世界を投影している。

 この本が描かれた内容通りにこの世界は歩んでいる。


 本はざっくりと四十にページほどしかないのだが、その内容にはこの世界と似通っていた。本を読み上げる…。


『生簀の中に人を飼っている気まぐれな神様がいました。

 神様は人が空へ逃げられないようにガラス板で空を塞いでいました。

 生簀のなかは決して居心地がいいものではありません。人はそれを知っていました。

 神様は”禁断の園”と名付け、人が外へ出ることを極端に嫌いました。


 あるとき、神様はガラス板に傷をつけます。ガラス板はあっさりと割れました。そのとき、割れた破片の一部が生簀のなかへと雨のように降り注ぎました。

 人はざっくりと切り裂かれ、スイカのように頭が砕かれ、手足がもがれ、苦しみながら死ぬ人もいました。


 それを見ていた神様は笑っていました。

 興味本位で始めたあそびが、神様にとってとても愉快なものに見えたのです。


 その日から、神様の気まぐれが始まりました。

 人々の観察から地獄へと変えました。

 神様からイタズラをするたびに、地上では悲鳴と悲痛が飛び交いました。


 神様は最初はその音がとても痛快でテンションが上がる曲のように舞い踊っていましたが、飽きてしまいます。

 神様は”死”に関するルールをさらに設けます。


 神様は、死んだ者は、生きている者と違う。初めからいなかったことにする。

 と、決めてしまいました。


 それから、神様のイタズラが加速します。

 いつしか、神様を止める人が現れるまでは―――』


 と書かれていた。


 この本は、以前訪れた本屋で購入した本だ。

 値段はするものの、とても興味深いとソラが感心するほどだった。


 それが、この世界と類似しているのは、つまり、この世界をもとに書かれたというよりも、この本から生まれたと言った方が正しいのかもしれない。


 その本には最後のページにこう書かれていた。


『神様は生簀の中に閉じ込められました。

 神様をした行いはとても罪深いものでした。


 それを怒った別の神様が鉄槌を下したのです。

 生簀の中に人が飼われていたのと同じように、今度は神様自身が味わうことに…――』


 と。著者は書かれていない。

 罪は罰になるとあるが、この本の通りにこの世界は変わるのだろうか。

 でも、この本の終わり方はこの世界の終焉を差している。


 気まぐれの神様をどうにかしない限りは、ハッピーエンドで終わることはない。


「ソラ、手伝ってくれ」


 ぼくは、あの黄金のように光り輝く手はこの世界の神様のものではないかと思った。この本の通りに神様が遊び心で下しているのなら、それを変えなくてはならない。


「面白そうだね」


 と興味深くうなずいた。


***


 ぼくがどうしてこうも不安なのか、それはこの世界に来て初日で目撃したことだ。


 この世界は『曇りガラス』と呼ばれる異世界で、空は氷で覆われていた。空はいつからか氷が張られ、太陽の光でさえも溶けないのだという。その氷はぼくらを見下ろし、手ごろな奴を見つけては、氷を砕いて虫を突き刺すように降る。


 この世界は異常だった。

 神と呼ばれる大きな黄金の手が氷空に指でつつき、地上にいる生物を踏みつぶしていた。最初、案内してくれた小さな女の子を容赦なくすりつぶす光景は忘れられないだろう。


 ぼくは、空から落ちてくる氷を見ては、ひどく後悔しては吐き気と涙がこみあげてくる。あの小さな子を傍にいながらたすけなかった自分を憎んでいるからだ。


 ぼくは、あの小さな手を握ることさえなく、あの子は肉片になった。


 隣で見ていたソラは「気にするな」と心配の声をかけてくれたが、ぼくの心は空っぽだった。


 それから、仕事を探し街を放浪しながら空を見つめてはびくびくと過ごしていた。いつ、神の気まぐれで氷が落ちてこないのかをぼくは、これ以上の悲劇を望んではいなかった。


「…なに呼んでいるんだよ」


 仕事から帰ると、ソラが椅子に腰かけ一冊の本を見つめていた。

 荷物をその辺に放置し、その本のタイトルを読み上げた。


「神の落とし物…」


 二つ前の世界で本屋で買った本だ。

 内容は、神の気まぐれ。暇を弄ぶようにして物を落としては、拾った人、潰された人、困った人を見つめては嘲笑う。

 神はその世界を作った。何をしても誰にも文句を言われないのをいいことに自分勝手に殺しては行かせ、遊ばせる。


 最終的に、すべての生物を殺してしまい、自分の愚かさを悔いて、世界を再誕(リスタート)させるというゲスっぷりの内容だ。


 神は悔いた、でも反省はしていない。また、作ればいい。そして作り直して再び同じことをする。


 まるで、この世界のような神と似たようなものだなと鼻で笑った。


「この世界と似たもの同士ね」

「この世界は残酷さ。神の気まぐれ、落し物は避けろ。避けなければ死ぬだけだ」


 この本のキャッチコピーから読み取った。


 ぼくはこの本の内容から最初は拒絶し、返品しようと考えたが、ソラが「興味がある」と譲る気配がなかったので、ソラに預けたものだ。


 この本の通りに、この世界も同じ。

 ぼあくは、ため息を吐いた。


 さっさと、別の世界へ移りたいと願いながら夕飯の支度にとりかかった。ソラはまだ本とにらめっこしていた。あの本は中盤がグダグダでストレスが溜まりやすい。きっと、すぐに飽きる。


 ――二日後、ぼくたちは次の異世界へ渡った。

 ソラがあの本を読み上げたとき、次の次元へつなぐ扉が現れたのだ。扉が外と同じガラスのような結晶体だった。ドアノブを握った時すんなり開いたところで、見掛け倒しだった。


「忘れ物ない?」

「氷空の落とし物ぐらいかな」

「もしかして、初日のこと気にしている?」


 お見通しだと言わんばかりにぼくの額に指で押し当てる。


「シロは正直だな。この先、旅をしていたら何度でも遭遇するし、何度でも目の当たりにする。でもね、シロが責任を負う必要はないんだよ。神が勝手に落としているだけなんだ。空から降ってきたボールに当たるのと同じだよ。避けるか避けれないか、この世界の人たちはわかっている」


 背中を叩かれ、扉の中へと吸い込まれた。

 ぼくは尻目にその世界を後にした。

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