第百二十九節 強襲の朝
シグとの通信の翌朝、早朝。今日でこのスイートルームともおさらばか、とエイリークが呟く。彼の言葉にまず、ラントが反応する。
「なんだよエイリーク、もしかして心惜しくなったか?」
「まぁね。旅をしてる中でこんな立派な宿屋に泊まれることなんて、そうそうないからつい」
「その気持ちわかるっすよエイリーク!ウチも仕事以外じゃ、ほとんど自分の店ばっかりだったから、お外の空気は新鮮っす~。ここから出たくないっすなぁ」
「まぁ気持ちはわかるわ。こんな部屋、滅多に止まれねぇだろうし」
エイリークとラント、アヤメの談笑をグリムは興味なさそうに聞き流していた。
レイはふと、彼らの談笑にケルスの声が聞こえないことに気付く。何をしているんだろう。彼の様子を探ろうと部屋を見渡すと、一人窓際に佇んでいた。
ケルスの横顔には、憂いの色が見えている。あんな表情のケルスは珍しい。直感的にそう思ったレイは、彼のそばに寄った。
「ケルス、顔色悪いけどどうかした?」
「えっ?あ、だ、大丈夫です。何でもありませんよ」
「そういう顔には見えないけど……」
素直に告げれば、ケルスは視線を窓の外へと移し、景色を眺める。その後ろ姿がどこか頼りなさげで、一国の国王に見えないほど。
少しの間沈黙が続いたが、やがてぽつりぽつりと、言葉を零すようにケルスは語り出す。
「……もしかしたら、そうなんじゃないかって。昨日、レイさんが話してくださったロプト・ヴァンテインという人物。その人にそっくりな人を、見たんです」
「え……!?」
「確証はありません。証拠もありません。でも……僕はどうしたらいいのか、わからないんです」
「わからない?」
「……決定的な証拠も何もないのに、人を疑うなんてこと、したくない。でもその人を信じたいのに、何処か信じ切れてなくて。そんな自分が嫌で嫌で、それでも国王として僕のとるべき行動は……」
語っているケルスの肩が震えている。
ケルスは心が優しすぎる。優しすぎて、傷付いているんだと、レイは感じた。
国王として、自分として。己がどう行動したらよいか、彼は常に迷いながらも精一杯生きているのか。そのことに、尊敬の意を抱く。
一度目を閉じてから、ケルスの肩に手を置いて笑顔で話しかける。
「国王だとか、どうあるべきとか。俺には理解することできないかもしれない。でもさ、時々は心のままに生きてみても、いいんじゃないかな」
「心のまま、ですか……?」
「そうだよ。ケルスは、その人のことを信じたいんだよね?」
「……っ、はい……」
「なら、それが答えで今はいいと思う。間違っているか正しいか、それは経験しなきゃ分からないことだよ」
人を信じて生きていく生き方は、最もケルスらしい。国王としては甘いのかもしれないが、それが彼の美点でもある。
良いところは伸ばすべきだと話せば、ケルスはようやくその日初めて、笑顔を見せた。
「ありがとうございます、レイさん」
「俺は何もしてないよ。それに、ケルスも一人じゃないんだから。エイリークとかに相談してもいいんだよ?あんまり、抱え込みすぎないでほしいな」
「俺がどうかしたのー?」
レイとケルスが話していたところに、名前が出てきて気になったのか、エイリークが近寄ってきた。エイリークにレイは、ケルスとの会話の内容は秘密にしたまま、実はと続ける。
「いやさ、ケルスに何か悩んでいるようだったら。俺はもちろん、エイリークたちにも相談してもいいんだぞって教えてたんだよ」
「なるほど!そうだねケルス、俺たちでよかったら相談してね。俺でよければいつでも話聞くからさ!」
「はい、ありがとうございます」
にこ、と笑いあう三人。ゆったりした時間が流れていたが、突如として外から敵襲を知らせる警鐘の音が響いてきた。強く響くその音に一同は警戒する。一体何事か。
部屋のベランダに出て外を確認してみれば、港の方から黒煙が昇っている光景が目に飛び込んできた。
港には確か、貨物船やミズガルーズ国家防衛軍の軍艦が停泊していたはず。昨日の時点で、ヤクとスグリは軍艦に戻っている。軍艦が沈没することはないだろうが、嫌な予感が胸を掠めた。
「行かなきゃ!」
言うが早いか、レイたちは各々準備をまとめて急ぎ宿を後にする。外に出れば、街の人たちが慌てた様子で逃げ惑う光景と、魔物が街の人たちを襲っている光景に出くわした。まさに混乱状態。ひとまず向かってくる魔物を各個撃破しつつ、港まで急ぐ。
「俺が突破口を開く、そしたら走って!」
エイリークが大剣を構え、マナを集束していく。十二分にたまったところで、魔物の群れへと向けてそれを大きく振りかぶった。
「
風のマナを纏った大剣を勢い良く振り下ろす。凪いだ剣風がマナの影響を受けて刃の如く変化し、荒れ狂う渦となり魔物たちを襲う。
身体を切り刻まれた魔物たちが苦悶の声を上げる中、大きなスキが生まれる。
「みんな!」
「うん!」
レイの合図で一斉に、魔物たちの間に開いた道を走っていく。ここから港はそう遠くない。このまま妨害がなければいいのだが。
レイは魔物たちの凶刃を退けつつ周囲を確認しながら、魔物たちの狙いは人間に絞られているのでは、と予測した。
自分やラント、アヤメに対しては執拗に攻撃を仕掛けてくるのに、エイリークとケルス、グリムには一切興味がないかのようにスルーされている。どうして人間だけと思いながら、港に続く最後の曲がり角を曲がる。
そこには、軍艦を魔術の防御壁で守りながら魔物たちと戦闘している、ミズガルーズ国家防衛軍の兵士たちの姿があった。甲板ではヤクとスグリが、誰かと戦っている様子も見て取れる。
ほかにも黒いローブで身を纏い甲板に攻撃の指示をしているであろう人物が、自分たちに背を向けて立っている。
「師匠!」
「スグリさん!」
助太刀に入ろうと、レイたちは攻撃の態勢をとる。そんな自分達に気付いたのか、ローブの男性が振り返る。
そのローブには見覚えがあった。二年前に戦った、カーサたちが身に纏っていたものだ。
「嗚呼……よもやこんなにも早く増援が来るとはな。これは予想外だ」
「お前、誰だ!どうしてカーサがこんなところに!」
「さて、それはお前たちが知る必要などないがな」
ローブの人物が、手に炎を出現させていく。直撃を受けるのはまずいと、レイは直感的に判断。仲間たちの前に立ち、防御魔法の詠唱を唱える。
「守り給え天の光!
展開したのは、薄いヴェールのような膜で対象を包む防御魔法。弾き返す盾というよりは受け流すタイプのものであり、ローブの人物が放った炎の攻撃の軌道を逸らそうと波打つ。
レイはその攻撃を受け流しながら、頭で何かが引っかかる感覚を覚えた。今の炎のマナによく似たものを、つい最近感じたことがあるような。
炎の攻撃が止む。幸い防御は破られることはなく、エイリークたちも無事だ。
「さすが女神の
余裕綽々と言った様子でローブの人物が語る。なにを、と反論する前にレイたちは身動きが取れなくなる。正確には、身動きを取れなくせざるを得なくなった。
何故なら自分たちを取り囲むように、幾本もの黒い針が狙いを定めていたのだから。それはレイたちだけではなく、ヤクとスグリの二人も同じらしい。甲板の上から聞こえていた戦闘の音が、ぱったりと途絶えたのだ。
もはや絶体絶命。
ローブの人物が合図を出す。
自分たちに向かってくる黒い針。
致命傷は避けられないかと覚悟した、直後だった。
「
「
自分たちの前に現れた緑色のダガー。それは回転しながらレイピアほどの長さに変化し、黒い針を吹き飛ばしていく。
そして吹き飛ばされた針たち全てを折り砕くかのような銃声が響き渡ると、言葉通り黒い針は粉々に砕け散る。
「え……!?」
混乱するレイや仲間たち。混乱する自分たちの前に、二つの影が降り立つ。
夜を溶かしたような艶のある長い群青の髪を持つ男性と、自分とさほど背丈の変わらない身体に重火器を装備している、栗色の髪の青年。それが誰なのか、問いただすまでもなかった。彼らは、本来は敵同士であるはずの人物たち。
「どう、して……どうしてお前たちがここにいるんだよ!?」
レイの混乱を代弁するかのように、エイリークが叫ぶ。彼の叫びに、わざとらしく肩を竦めたのは長髪の男性。
「おやおや、折角助けてあげたのに随分な物言いですねぇ」
「何が助けただ!ふざけるなヴァダース!」
「もう、ちょっとは落ち着いてくださいよ。僕たち、貴方たちだけじゃなくて大切なお仲間さんも助けたんですからね?」
「どういうこと、だよ……コルテ……!」
「そのままの意味ですよ、レイくん」
ほら、とコルテがある場所を指差す。恐る恐る見上げてみれば、そこにはヤクとスグリを守るかのように立っていた、カーサ四天王のシャサール・ソンブラとリエレン・クリーガーの姿が目に入る。
「あ……」
「わかりましたか?だから今は、貴方たちを襲うつもりなんてありませんよ。少しは冷静を知ったらどうですか、バルドルの者?」
「この──」
「エイリークさん!」
今にもヴァダースに噛みつこうとしたエイリークを、ケルスが宥める。落ち着いてほしいと告げられれば、彼も不本意ながら納得したのだろう。悔しげに息を吐き大剣を下す。
「感謝申し上げますケルス陛下。私では、そのバルドルの者を御しきれませんからね」
「何が、目的なのです……!?」
「それですか。私たちは、あの人物を追っていたのですよ。我らカーサのボスだった男。いえ──裏切り者、ロプト・ヴァンテイン」
ヴァダースの口から語られた言葉に衝撃を受け、レイたちは目の前のローブの人物を凝視した。ローブの人物はしばし沈黙していたが、やがてくつくつと笑い始めてローブのフードを捲る。
「……賞賛に値するぞ、ダクター。流石は私が見込んだ男だ」
ローブの人物、ロプトと呼ばれた男性は楽しそうに笑う。晒されたその外見の特徴は、シグ国王から聞いていた特徴と一致した。
真紅の髪に、血液よりも濃く暗い色彩の瞳。思わず言葉が漏れる。
「ロプト・ヴァンテイン……。本当に、生きていたのか……!」
「今更現れて、何が目的ですか?いくら貴方といえども、この状況は多勢に無勢ですよ。我らカーサは、裏切り者に味方するつもりはありません」
「そう急くでないルネ。私はただ、迎えに来ただけよ」
「迎え……?」
「そうだ」
ロプトはゆっくりと指を差し、とある人物へ視線を向ける。
「私の息子をな。なぁ……エイリーク」
血の瞳は、しっかりと。逃げることは許さないと言わんばかりに、彼を──エイリークのことを、射抜かんばかりに見据えていたのであった。
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