第百三十節 掻き消された灯火
この男は今、何を言ったのだろうか。
迎えに来た?息子?それが、自分?
そんな、そんなの──。
「そんなの嘘だ!ふざけたこと言うな!!」
まるでおかしいロプトの発言を真っ向から否定する。エイリークは叫ばずにはいられなかった。
ロプトは人間で、自分はバルドル族だ。見た目も大きく違う。ロプトにはバルドル族らしい特徴は、一切見受けられない。そもそも五百年前から生きている人物が、自分の親なわけがない。
戯言だと吐き捨てる自分に、ロプトは笑みを深くしエイリークの言葉を否定する。
「嘘ではない。私はお前の父親だ。そしてお前は、バルドル族の母と人間の私の間に生まれた、中途半端なバルドル族なのだよ」
「そんなの信じないぞ……!」
「そう言うだろうとは思っていた。無理もない。お前には、私が記憶封印の術を施したからな。私のことはおろか、他のバルドル族がどのような結末を迎えたのかも、お前は覚えていないだろう」
「ほかの、バルドル族……!?」
記憶封印の術。ほかのバルドル族の結末。
意味が分からない。情報が錯誤する。
「知りたいか?自分以外のバルドル族がどうなったのか」
「俺以外の、バルドル族……」
いったい、自分は──。
「エイリーク、アイツの言葉に耳貸すな!」
混乱していた頭に、閃光のようにレイの言葉が届く。我に返り顔を上げれば、仲間たちが強い瞳で自分を見守る姿が目に入る。彼らの瞳が背中を支えてくれているようで、とても心強い。
思わず力なく笑いそうだった。代わりに一つ頷けば、レイも頷く。そのまま彼はロプトと対峙する。
「そんなこと今は関係ない!お前は自分を認めなかった人間たちに復讐することが、目的じゃないのか!?どうしてエイリークを迎えに来た!?」
「お前は……そうか、先代の女神の
「準備……?」
レイの呟きに一つ頷いたロプトは、自身の生い立ち等を語り始めた。
今から五百年前。人間の貴族の子として生まれたロプトは、当時勃発したの第三次世界戦争の際に人間たち側に入り、他の種族を侵攻するよう命じられていたそうだ。
しかし彼は命令に背き、力ない種族の味方に付くことを選んだ。彼らと共に、人間からの侵略に抵抗していた、とのこと。
当然、命令無視をしたロプトは多くの人間たちからの顰蹙を買った。
戦争に負け、自身の家族たちから縁を切られた彼は、そこから学者になることを目指した。
ロプトは心から信じていたそうだ。生まれの違いはあれど、人間も多くの種族も同じくヒトだと。そこになにも差などないはずだと。故に彼は、人間たちと多くの種族は平等であると記した"種族平等論"を発表した。
ロプトのその論文は、第三次世界戦争で勝利した人間たちからは、常に笑い物の種にされていたらしい。人間こそが絶対であり、強者なのだと。
「──特に"カウニスの全種族"を説いたディン・オウルからは、毎度馬鹿にされていたものだ。夢見る阿呆の空想だとな。くわえて権力者でもあった奴は、自分の論文を立てるためにわざと私の論文をひけらかし、笑いものにしてくれたものよ」
そのような逆境にも負けずに精進し、頼れる助手もできたロプトだったが、三百九十年前に肺病に罹り、志半ばでこの世を去った。しかし彼は蘇った。彼の喪失を一番に恐れていた、己の助手によって。
ロプトの助手はヤーデの輝石を見つけ出し、ロプトの身体に埋め込んだ。優れた治癒力を内包し、穏やかな浄化の波動を放つ輝石。輝石の力はロプトの体内時間を停止させ、彼を今日まで生かしていると知らされる。
蘇ったロプトは、人間たちに種族が平等だと説くことは諦めた。いっそのこと、そのような人間たちを排除しようと動き始めたのだと、彼はのたまう。
「私は絶望したよ、身勝手な人間たちが馬鹿みたいに増えていく現実に。第三次世界戦争で勝利して以来、人間は自らの力を誇示するために他の種族を差別し、攻撃し、蹂躙してきた。何故かわかるか?そこには厄介な集合的無意識が存在するからだ」
「集合的、無意識……?」
初めて聞く言葉だ。エイリークは仲間を一度見渡すも、彼らも同じように知らないと、表情で物語っている。
「人間が各々持つ夢や思想、それらは形成するイメージや象徴を具現化する脳の作用によって齎される。個人の意識よりさらに深い、無意識の領域に存在する概念のようなものよ」
「どういうこと……?」
「そうさな……。これは例え話だが、母なる大地という言葉があろう?実際に大地が己を生んだわけでもあるまいに、人々は時折大地に母性を思想する。何故か?」
それは人々が、大地は全ての生命の誕生の源であると、無意識的に考えているからだとロプトは説明する。
大地をはじめとした自然は厳しくとも優しい、大きな存在。故に、そこに人は親である父や母を思い浮かべ、そのように口にするのだと。これが集合的無意識。
それが厄介とは、どういうことだろうか。
「少し心理学の話になるが、この集合的無意識の中には、誰しもが持っている共通認識というものがある。これを元型と呼ぶのだが、これが歪んだ形で存在してしまったとしたら、どうなると思う?」
「どうなるって……」
「強い意志──あるいは自我を保っていなければ、歪んだ元型によって、自我は簡単に飲み込まれてしまう。それにより、人々は自身の感情のコントロールを失い、自身の意識が元型と同一視してしまう傾向が、稀にある」
「言い方が回りくどいぜ。それが、なんだっていうんだ」
「理解できるか?人間たちの集合的無意識──元型に、権力者は人間だという無意識を定めたとする。権力者という言葉は非常に強力なものだ。意志の弱い人間の意識を塗り替えるのには、十分な力を持っているだろう。するとどうなる?人間は己こそが権力者だと錯覚し、他者を蹂躙する制圧者と化す」
今の世界に似ていると思わないか。
ロプトの言葉に、その場にいた全員が言葉を失う。
確かに似ている。今の世界の在り方と。
人間社会が確立されている今、人間たちは自分たちこそが正義だと錯覚し、排他的な考えを持ってしまっている。それはひとえに、第三次世界戦争で人間が勝利したことで、自分たちは勝利者であると考えてしまったからなのか。
勝利者なのだから、他の種族を攻撃しても構わない。
勝利者なのだから、他の種族を貶しても許される。
勝利者なのだから、他の種族を殺しても差別されない。
そんな歪んだ思想やイメージが、無意識の領域の部分で人間たちに埋め込まれているのだとしたら。それは果たして、正義と呼べるものなのだろうか。いや、呼べるはずがない。
「理解したようだな。これが私が人間たちに復讐を企てた理由よ。人間の思想は、五百年経っても変わることはなかった。人間たちはもう一度、自分たちが刈られる側に立たれない限り理解しないだろう。人間たちと他の種族たちに、差はないのだと」
「っ……」
「他の種族たちも多く住むこの星で、愚かな人間たちから解放されるためには、他の種族は自我を殺すか、命を絶つ以外に道はない。そんな不条理を人間たちは強いてきたのだ。それの何が平和だというのだ?」
「それは……」
「だからこそ、私は人間に復讐するために、戦闘民族に目をつけることにした。人間たちに蹂躙されているならば、共に人間に反旗を翻そう。そう持ち掛けるために」
そこで目を付けたのが、バルドル族だったとロプトは話す。
バルドル族は賢明で、他の種族とも和平を築けるほど温厚な種族。ただし己が命の終わりを夢に見ることがあり、自分が死に瀕している暗示が悪夢として、自身を襲うことがある。
恐怖は彼らの生存本能を刺激し、調和の心を剥奪させる。その結果、バルドル族は高い戦闘能力が身についた。悪夢を払拭するために、彼らは何日も戦闘を続けられる狂戦士族。その力を貸してくれないか、と。
とはいえ流石は賢明な種族だったと、ロプトは語る。
彼らは無駄な戦に力は使いたくないと、当時のロプトに告げたそうだ。ならばと彼はバルドル族を知ってもらうために、その生態を発表させてほしいと頼んだ。彼らを人間にわかってもらい、認めてもらうためにと。その提案には彼らは快く承諾してくれた。その結果生まれたものが、"戦闘民族の生態"の論文だった。
ただ、その論文を発表しても、人間たちの考えは変わることはなかった。その頃からロプトは、人間である自分自身にも絶望するようになっていったそうだ。自分と彼らが、同じ"人間"という醜い種族であることに。
その後も機会を窺ってはいたものの、バルドル族は一向に人間に敵愾心を向けなかったらしい。彼らの態度に嫌気も差していたロプトは、バルドル族と共に生きながらも別の方法で復讐することを考えた。
様々な方法を試し、探りながら、二百年以上の時間が経過した。そして今から五十年前、遂にその方法を見つけたのだと、ロプトは話す。
当時彼が目を付けたのが、ヒトの感情だった。ヒトの感情とは複雑に絡み合うもの。感情の摩擦で時に争いが生まれるのならば、それを利用してみようと。
人間であることに絶望していたロプトは、己の心を砕き感情を他者に植え付ける方法を考え付いたのだ。
「感情を、他者に植え付ける……!?」
「そうだ。いずれ私の手足となってくれる人物に感情を植え付け、そのような人物を作ってしまう方が、手っ取り早いからな」
「なにっ……」
「愛、服従、畏敬、絶望、後悔、軽蔑、攻撃、楽観。人間の感情は最初に大きくこの八つに分類される。そこで私はこれらの感情を己から切除し、与えることにした」
まず、彼は己の助手である人物に『服従』の感情を与えたそうだ。それは彼の助手が願ってもいたことであった、らしい。
次にロプトは、魔物を従える力を探ろうとカーサを作り上げた。魔物も世界の脅威の一つ。従えられる方法があるならば、それを利用しない手はないと。
彼はカーサを設立する際に、世界からつま弾きにされている人物たちを集めたそうだ。ならず者やはぐれ者であるならば、自分の感情を植え付けるに値する人物が出てくるだろうと、多少の期待も込めて。
されどもロプトの思惑とは外れ、中々適合する人物はいなかったらしい。
「それでも、ようやく適合する人物が見つかった。今から十六年前に見つけたのがお前だ、ダクター。私はお前に"畏敬"の感情を、その右眼の邪眼という形で与えることにしたのだ。その上で、居場所を失ったお前をカーサに導いた。いずれ私のために動いてもらうためにな」
「……やはり、そうでしたか。大方の察しはついていましたよ」
「だろうな。お前は頭が切れる男だ。故に、また別の適合者を探そうと考えた。その時に考え付いたのが、己の子に感情を植え付けることだった」
そのためにロプトは今一度、まだ交流のあったバルドル族の元へと向かい、一人の女に子を産ませた、とのこと。
今から十九年前に生まれた、最後のバルドル族。人間とバルドル族のハーフであり、ロプトから『攻撃』の感情を植え付けられた、哀れな子供。
ロプトはエイリークを見据え、残酷に告げる。
「それがお前だ、エイリーク・フランメ。お前は、私の実の息子だ。ついでに教えてやろう。お前の裏人格というのは、私が植え付けた"攻撃"の感情がお前自身だと同一視してしまったことで生まれた、まったく歪な人格のことだ」
ロプトの言葉が、身体に重く響く。
そんなこと信じられるわけがない。
エイリークははロプトの言葉を遮るように、叫ぶことしかできなかった。
「そん、な……そんなの、嘘だ!!」
「まぁ落ち着け、この話にはまだ続きがある。それこそが、お前に記憶封印の術をかけた理由でもあるのだ」
「えっ……!?」
エイリークが七歳になった頃、ロプトは本格的に動き始めようとした。まずは、彼にとってもはや邪魔でしかなかったバルドル族たちを、子供のエイリークに殺させようと思い付いたらしい。エイリークの"怒り"の感情を刺激し、"攻撃"の感情を暴走させようと企てた。
子供を怒らせることは簡単だったと、ロプトは話す。
ちょっとの刺激で簡単に暴走した子供のエイリークは、怒りに身を燃やしながら同胞を次々に殺めていったという。
やがて騒ぎが沈静化したのちに、ロプトはエイリークに記憶封印の術を施した。目が覚めた時に己の行動を思い出し、自刃しないようにと。
あくまでエイリークには成長して、力をつけてもらう必要があった。将来的に、自分の手足として動いてもらうために。それまでは、何があっても決して思い出さないようにと、保険をかけておいたというのだ。
彼の話を聞いて、エイリークは足元の地面が崩れ落ちるような感覚を覚えた。今の話が本当ならば、自分は他のバルドル族を皆殺ししてしまったということだ。
「エイリーク。お前も人間たちに虐げられていただろう?ありもしない嘘で、散々な目に遭ってきただろう?私の元に来ないか?人間たちに、復讐するために」
手を差し出すロプト。
優しく微笑んでいるが、エイリークは頭を振るって叫ぶ。
「たとえ、お前の話が本当だとしても……そんなのお断りだ!お前の所になんか、行ってたまるか!」
「……そうか。実に残念だ」
ロプトが一度、指を鳴らす。直後、エイリークは胸の辺りに衝撃を感じた。何事だろうと視線をおろせば、そこには矢が一本、胸に突き刺さっている。
矢だ、と感じた直後に全身に痛みと熱が駆け巡ってきた。あまりの激痛に、腕を搔き抱き血を吐きながら、叫び声をあげる。
「うぁああっ!!」
「エイリーク!?」
自分の様子に慌てた仲間に、エイリークは介抱される。
「バルドル族にも弱点があってな。それが、ミストルテインから作られた武器。ヤドリギを意味するミストルテインは、バルドル族にとっては毒物そのもの。やがて全身に駆け巡る毒に蝕まれ、命を落とすだろう」
「何故……!何故このようなことをするのですか、ローゲさん!?」
ケルスがロプトに向かって、悲痛に顔を歪めながら叫ぶ。
「ケルス、お前は甘すぎる。それでは一国の国王など、到底務まらんぞ?」
ロプトの手中に、炎のマナが集束していく。
その炎を見たレイが、ようやく思い出したと呟く声が耳に届く。どうやらその炎は、ルヴェルの城を焼き払った炎と全く同じらしい。
ならば直撃は避けなければと思うも、時すでに遅し。エイリークは全身を襲う激痛で、身動きはおろか意識が朦朧としていた。
絶体絶命。どうする。
意識を失う直前。赤い光に包まれたのだけがわかった。
第五話 END
Fragment-memory of future-Ⅱ Fin
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