第百二十七節 混乱の呼び水と別れの時

 ロプト・ヴァンテイン。すでに亡くなったはずの、人間の学者。

 四百年前、当時彼が二十歳の時に発表した"種族平等論"は、学会では馬鹿にされ続けていたらしい。それでも彼は諦めずに、全ての種族は生まれながらにして平等であることを唱えていたが、十年後に肺病にかかり、その短い生を終えた。


 そんな人物が生きているかもしれない。エダの口から紡がれた言葉は、レイとエイリークを動揺させるには十分な力を持っていた。何かの聞き間違いではないだろうかと、改めてレイがエダに尋ねる。


「母さん……なに、言ってんの?そんなの、ありえないだろ!?だってもう大昔に死んでるんだぞ!?そんな人が、まだ生きてるなんて……」

「でも、レイ。シグ国王だって四百年以上生きているんだよ?もしかしたらロプトって人も、特殊な力があるんじゃ……」

「それは……。でも、ルヴェルも蘇生の力は持ってたし……。いや、でもそんなことありえるのか……?」


 エイリークの言葉に言い淀む。彼の言葉通り、シグ国王は第三次世界大戦後からずっと生きている、世界の中で一番の長寿だろう。

 しかしそれは己の肉体を改造できるという、特殊な力があってこそ為せる業だ。先日まで戦っていたルヴェルも、死者を蘇らせる能力を持っていた。ではやはりエイリークの言う通り、ロプトという人物も何か特殊な力の持ち主なのだろうか。

 唸るレイに、はっきりとした口調でエダが答えた。


「いえ、それはありません。彼はいたって、ごく普通の一般人です。シグ国王のような力を、彼は持ち合わせてはいません」

「え……!?」

「じゃあ、どうして!?」


 彼女の言葉に、今度こそ意味が分からないと狼狽えるレイたち。自分たちを見つめたエダは、やはり静かに語り始めた。


「彼には当時、助手とも呼べる存在がいました。ロプトの死後、その助手は彼の遺体を冷凍保存して、あるものを見つけるために旅に出たのです」

「あるもの?」


 それは奇跡を起こす石と呼ばれるもの、とのこと。その石を装着したものは、不老不死の力を与えられると謂われているらしい。優れた治癒力を内包し、穏やかな浄化の波動を放つ輝石。通称、ヤーデの輝石。


「ヤーデの輝石……」

「生者に対しても死者に対しても、不老不死の力は働きます。たとえ殺される程の外傷を負っても、輝石にダメージが入らない限り装着した人物は生き続ける。その輝石を使ったことで、ロプトは復活を遂げました」

「だから、三百九十年前に死んでも二百年前に新しく"戦闘民族の生態"の論文を発表できたってこと……?」

「ええ。その頃から彼は、自分を認めなかった人間たちへの復讐を画策するようになりました。そのために、戦闘民族のことについて調べていたのでしょう……」


 そのために邪魔となりうるもの、障害となるものを破壊していたそうだ。そのうちの一つが、女神の巫女ヴォルヴァだったと彼女は告げる。

 強力な力を持ち、人間たちから存在を崇められている女神の巫女ヴォルヴァ。その存在がいるだけで、人間は心の平穏を維持できる。だからこそロプトは壊そうとした。

 彼の目的は人間への復讐。人間の守りたいと思うものを破壊することは、彼にとっては復讐の延長線上にある出来事なのだろう。


 彼女の話を聞き、レイの中であることが繋がった。顔を上げてエダを見つめる。


「まさか、母さんのことを追って殺した奴らって……!」

「そうです、レイ。十二年前のあの日。私を殺したのは復活したロプトと、彼の部下なのです」

「そんな……!」


 エダは、ロプトによって殺された。新たに発覚した事実にレイは戦慄する。

 彼女の話が本当ならば、その人物は今現在も生きているということになる。さらに人間への復讐を企てているならば、新たな戦いが始まるかもしれない。


「エイリークくんも、気を付けてください。ロプトは目的のために、戦闘民族に目をつけていた。バルドル族である貴方の存在をもし知れば、確実に接触を図ろうとするでしょう」

「っ、はい……!」


 エイリーク返事を聞き。エダは一歩下がって呟く。


「……私はこれらの事実と、先程のバルドル族の知識について、死後世界樹に魂が還った後に運命の女神たちから聞きました。そこから私は不安に駆られて、世界樹から飛び出し彷徨っていたところに、ルヴェルの手を取ってしまったのです……」

「母さん……」

「私の罪は消せません。ですが今のうちに、貴方たちにロプトについて警告しておきたかった。いつしか必ず、彼は世界に立ちはだかるから……」

「エダさん……」

「レイには女神の巫女ヴォルヴァとして、逃れられない戦いになるだろうということ。バルドル族の貴方には、敵に利用されてしまうかもしれないということ」


 自分はもう、傍にいて守ってあげられないからと。エダは不安そうに手を組み、レイとエイリークを見据える。不安と心配を顔に張り付けたエダに対し、まずエイリークが笑って答えた。


「ありがとうございます、エダさん。でも、きっと大丈夫です。俺たちはもう、一人じゃない。心強くて力強い仲間が、沢山いるから」


 彼の言葉に続くように、レイは彼女の手に己の手を重ねる。


「ありがとう、母さん。俺たちのこと、色々不安だったんだよね。けどもう安心してよ。エイリークの言うように、俺たちはもう一人じゃない。周りのみんなに支えられて、今の俺がいるんだし」

「レイ……」

「大丈夫だよ、なんとかさせてみせるから。だから、俺たちのこと信じて」


 そう告げ、にかっと笑顔を見せる。レイの笑顔に安心したのだろうか、エダからは不安の色が消える。ふわりと笑った彼女から、わかりましたと返される。


「……そうですね。信じましょう、貴方たちのことを。この世界のことを」

「うん。ありがとう母さん!」

「ありがとうございます!」


 話が終わる頃には、陽はだいぶ傾き夕焼けの光が部屋に入り込んでいた。


 ******


 翌日。エインとなったエダたちが現世に残れる、最後の日。その日は無事に退院したヤクとスグリも、レイたちの泊まっていたホテルで最後の別れに立ち会えることになった。

 エダたちの魂は、贋作グレイプニルに嵌めてある核によって、蘇生躯体に括り付けられている。核に込められたレイの女神の巫女ヴォルヴァの力は、最早消えかけている。そうでなくても、核を台座から外せば魂は解放される。


 それでも女神の巫女ヴォルヴァの力が消滅するギリギリまで、レイたちは語り合おうと決めた。指定した時間になったら、宿屋の屋上に集まることになっている。それまで、思う存分。最後に思い残すことが、ないように。

 エダはレイやエイリーク、ケルス、ラント、グリムと話している。アマツとルーヴァはヤク、スグリ、アヤメと別室で話していた。

 これが本当に、最後の語り合いとなる。もっと話したいことや聞きたいことがあったはずだ。しかし時間が近付くにつれて、頭の中で思い描いていた質問などが零れ落ちていく。今はただ、そばにいたいとしか考えれない。


 レイもわかっていた。死者の魂は、いつまでも現世に留まり続けてはいけないということを。もし留まっていたら、魂は輪廻転生の輪に還れなくなる。肉体が消失した魂は世界樹に還元され、浄化されることで新しい命となって、再び現世に戻るのだ。

 その輪を乱してはならない。魂の行く末を見守るのも、女神の巫女ヴォルヴァの役目だ。


 最後の時間は、ひどく穏やかに流れていた。とはいえ時間は無情に進む。ケルスの淹れてくれた紅茶は、いつの間にか空になっていた。お茶請けにと用意してくれたお菓子も、全部食べて空になっている。

 時計の針は、集合時間を指していた。


「ふふ……楽しかった。お茶もお菓子も、美味しかったです。最後にこんなに美味しい思いができて、幸せですわ。ありがとうございます、ケルス陛下」

「いえ。お口に合ってよかったです」

「ええ、とても」


 にこ、と笑うエダ。穏やかな空気だが、時間は来ている。誰も動こうとしなかったが、グリムが声をかけた。


「おい、いつまでそうしている。もう時間だぞ腑抜け共」

「ちょ、グリム……わかってるけど……」


 物怖じしない彼女の口調に、エイリークが狼狽える。そんな中、レイはからりと笑ってから、グリムに返事を返す。


「……いや、そうだよな。ごめんグリム、ありがとう」

「レイ……」

「行こうみんな。母さんも」

「そうですね。お待たせするのも申し訳ありませんし、参りましょうか」


 レイの呼びかけに、エダが笑顔で返す。何事もないかのように振舞う自分たちに、エイリークたちは戸惑いを覚えていたようだったが。何も言わず屋上へと向かう。


 屋上の扉を開ける。今日もからりとした良い天気だ。吹き抜ける風は心地良く、三人を見送るには最高のコンディションだと言える。屋上にはすでに、アマツたちが彼らを待っていた。


「ごめん、遅くなりました!」

「いや、我らも今しがた来たばかりよ。気に召されるな」

「あはは、ありがとうございます」

「エダさんも、もういいんですね?」

「ええ、息子たちと十分に話すことができました。思い残すことはありません」


 これでお別れだというのに、レイもヤクもスグリも、エダたちでさえ。何事もないかのように笑っている。一言二言言葉を交わした彼らは頷き合い、向かい合うように立つ。


「じゃあ……本当に、最後だね」

「ええ。……みなさん、ご迷惑ばかりかけて、申し訳ありませんでした。ですが、助けてくださりありがとうございました」

「お陰で我らは、最後の心残りを消すこともできた。感謝してもしきれまい」

「キミたちのおかげで、僕たちは守りたいものを殺さずに済んだ。救うことができた。本当に、ありがとう」


 エダたちの言葉に、まずエイリークが笑顔で返事を返した。


「俺たちの方こそ、貴方たちを救えてよかったです!」

「貴方たちがいてくれたからこそ、僕たちは戦ってこれたのです。守りたいものを守り通すことができたのです。お礼を言うのはこちらの方ですよ」

「アンタたちから色んなこと教わった。だから、俺たちは俺たちなりにこの世界を生きていくよ。忘れないように」

「まったくいい迷惑だった」

「ちょっとグリムー!そんなこと言うのはメッすよ?ウチらは助け助けられたんすから、ちゃんとお礼も言わないとー。ねぇ?」


 アヤメがグリムを茶化す。グリムは不満そうだったが彼女を睨むだけで、何も言い返さなかった。匙を投げたのだろうか。


「……じゃあ、母さんたち」

「ええ」


 レイがエダたちに、核の取り外しを促す。エダたちも理解していたようで、素直に頷く。各々がゆっくりと、贋作グレイプニルに嵌められている核に、手を伸ばした。


「っ……母さん!」


 台座から核を取り外す直前。レイはエダに抱き着いた。自分の行動に一瞬驚いたエダだったが、優しく抱きしめてくれて、頭を撫でられる。


 本当はずっとそばにいてほしい。もっと話したいことが沢山あった。ようやく母親と呼べたのに、それがもうお別れだなんて。

 このままでいいとは、思ってない。それでも最後に、偽りかもしれないが。母親のぬくもりを、覚えておきたかったのだ。一つ深呼吸して、ゆっくりと離れる。


「……ありがとう、母さん。俺たちのこと、守ってくれて」

「私の方こそ、ありがとう。元気でね」

「うん。でも、さよならとは言わないよ。きっとまた、何処かで会えるから」

「そうね……きっと」


 さぁ、とエダに促されてレイは彼女から離れる。そしてエダとアマツ、ルーヴァは台座から核を取り外す。彼女たちはそれをレイ、ヤク、スグリに渡す。

 やがて蘇生躯体から魂が離れていく様子が、見て取れた。


「ではな、スグリ」

「ああ……。父上も、達者でな」

「またね、ヤク。姉さん、あんまり人様に迷惑かけないでね」

「ええ……さようなら、ルーヴァさん。ありがとう」

「だーいじょーぶ!お姉ちゃんを信じなさいっす」


 ヤク、スグリ、アヤメがそれぞれ別れの言葉を交わす。エダは最後にレイと、自分の隣にいたラントを見つめた。


「ラントさん。不束者の息子ですが……レイのこと、よろしくお願いします」

「……!はい、俺の命に代えても守ります」

「ラント……」

「ふふ、頼もしいな。……レイ、またいつか会いましょうね」

「うん……。またね、母さん!」


 三人の魂は無事に蘇生躯体から解放され、ゆっくりと風と共に天に消え去った。

 エダの魂たちが見えなくなるまで、レイは空に向けて手を大きく振っていた。

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