第百二十六節 明かされた事実と新たな疑惑

 エインだったエダたちがこの世から立ち去るまで、あと一日。

 その日エイリークは宿屋の個室を借りて、エダに話がしたいと持ち掛けた。エイリークの誘いに彼女は、自分が何を聞きたいのか薄々勘付いたらしい。断ることなく誘いを受けてくれた。

 ただし条件として、レイの同席を持ち掛けられた。エダの提案に最初は反対しかけたが、意図していなかったとはいえ、自分はレイの正体を勝手に知ってしまった。ならばレイにも、自分の正体を知る権利があるのではないか。そう考え、彼女からの条件を受け入れた。


 用意した部屋にエダと共に入ってきたレイは、疑問を表情にびっしりと貼りつけていた。何も知らされていないというレイに、エイリークが説明する。

 エダに聞きたいことがあったから、この部屋に彼女を呼んだこと。その内容をレイにも知っておいてほしいということ。それが自分の正体に纏わる話であるということ。そのすべてを伝えた。

 真剣に話す己の様子に、レイも事情を理解してくれたのだろう。一つ頷いてから、小さく笑う。


「わかった。でも忘れないで。たとえどんなエイリークだろうと、俺はお前のこと信じてるよ」

「……うん、ありがとう」


 笑顔で言葉を返してから、エダに向き直る。彼女は一つ頷く。


「何から話せば、よろしいですか?」


 彼女の問いかけに、エイリークは図書館から借りてきていた本を取り出す。借りてきていた本は"戦闘民族の生態"と"バルドル族の生態"の二冊。テーブルにその本を置き、単刀直入に尋ねた。


「貴女の知っているバルドル族について、教えてください。俺はこの間、この二冊の本を見ました。ここにはバルドル族について、それぞれ別のことが書いてありました」

「……」

「俺はそのうち、この"バルドル族の生態"に書かれてあることが本当のことだと信じて、今まで生きてきた。二年前戦ったヴァダースからも、同じことを言われた。けど貴女は俺に、バルドル族が双極種族だなんて事実は存在しないと言いました。何が嘘で何が真実なのか、それが知りたいんです」

「エイリーク……」


 エイリークを見るレイの瞳には、心配の色が映っていた。心配しないでと苦笑してから、黙っていたことを謝罪する。レイはエイリークの謝罪に、気にしないでと答えた。


「俺だって、自分が"戦の樹"だってこと隠してたんだから。おあいこだよ」

「……ありがとう」


 二人のやりとりを見守っていエダが、本の上にそっと手を置く。瞳を閉じた彼女はやがて、物語を語るように静かに口を開いた。


「……この、今から百年前に出版された"バルドル族の生態"に書かれてあることは全て、デタラメなものです。バルドル族のことに関しては、この"戦闘民族の生態"に書かれてあることが、正しい真実です」

「え!?」


 驚愕に目を見開く。すべてがデタラメとは、どういうことだろうか。


 バルドル族が狂戦士族と"双極種族"と呼ばれていることも。バルドル族には強靭な力を持つ凶悪な人格と、全く正反対の心優しい性格、二つの人格を生まれながらにして持っているということも。心優しい性格の人格は、バルドル族本来の力を存分に使えないということも。


 何もかも出まかせだというのだろうか。凶暴な人格が朗らかな人格を邪魔なものとして考え、排除しようとする動きを抑えるための、あのインヒビジョンという薬は何なのだろう。性格を抑制し、人間の真似事をするために必要と言われた、あの薬は。


 緊張と動揺が走る。のどが渇く。鼓動がいやに耳に響く。


「エイリーク?大丈夫か?」

「いや……大丈夫。大丈夫だよ」

「本当に……?」

「うん、本当だよ」


 レイの心配が心に沁みる。まだ笑顔で返事が出来る余裕がある。

 エダは自分たちの様子を見ながら、ゆっくりと丁寧に説明してくれた。


 まず第一に、"バルドル族の生態"の著者であるデニス・ゲートヒという学者は、存在しないというのだ。デニス・ゲートヒという名前は、ただの偽名。

 何故その人物がバルドル族に関して、そのような偽の情報を振りまいたのか。詳細はエダにもわからないそうだ。

 次に人格を抑制させるといわれていたインヒビジョンについて。実際にその薬は確かに存在するが、それは単なる精神安定剤だとのことだ。感情を安定させることはできるが、人格を抑制するといった効果はないらしい。


「そん、な……。じゃあ俺は、ずっと騙されてたってこと?」

「そうとは言い切れないと思います。貴方を育てたマイアという人物も、恐らく正確なことは知らなかったのでしょう。この本が出されたのは、マイアという人が生まれるよりも前のことですから」

「信じてあげよう?自分の師匠のことをさ」


 レイがエイリークの肩に手を置き、優しく笑いかけてくる。自分と同じく師匠に育てられた経験のある彼の言葉には、納得できるものがある。一つ頷いて、ありがとうと述べた。レイはエイリークの言葉に頷いてから、それにしてもと顎に手をやる。


「偽名を使うってことは、何か後ろめたいことがあったってことなのかな」

「はい、おそらくは」

「うーん、だとしても……。こんなデタラメどうして広がったのかな?」

「それは……第三次世界戦争の後の社会になったからこそ、なのかもしれません」

「え?」


 どういうことなのか。レイもエイリークもエダを見る。自分たちの視線を受けた彼女は窓の外を眺めながら、どこか遠い目をして語る。


「今から約五百年前に起きた、第三次世界戦争。その戦いで勝利したのは、人間でした。そこから人間による種族差別や狩りの時代が始まり、時代が経つに連れて、世界は人間社会へと姿を変えていきました」


 エダの言葉に、何か感じたのか。レイがはっとしたような表情で顔を上げ、もしかしてと呟いた。そのまま"バルドル族の生態"の本を手に取ると、それに目を落としながら話し始める。


「もしかして……。この本が広く広まったのって、人間たちにとってこの本に書かれてあることが、便利だったから!?」

「その通りです。バルドル族をただの戦闘民族として伝えるよりも、二つの人格を所持する"双極種族"と伝えた方が、手っ取り早く恐怖心を煽れる。恐れはやがて、怒りを生む。そしてバルドル族に対して、攻撃も差別もしやすくなる……」


 エダの言葉に、思わず語尾を強めて聞き返してしまう。


「それじゃあ当時の人間たちは、この本にあることが誤情報だと知った上で、論文を広めたっていうんですか!?」

「そうでしょうね……。人間による種族差別が何故生まれるか、貴方たちは知っていますか?」


 エイリークとレイを見据えて問いかけるエダ。自分たちは思わず互いを見合わせ、答えを考える。何故差別が生まれるのか。

 恐怖からだろうか、猜疑心からだろうか、嫌悪感からだろうか。

 唸っていた自分たちに対して、エダは静かに答えを告げる。


「……そうした方が、人間にとってですよ」

「都合がいい……?」

「そうです。彼らのストレスの捌け口、恐怖心への責任。それらを一点に集めて集団で非難させておけば、自分たちの安寧が保たれるから。同類を非難するよりも、他の種族に責任転嫁させておけば、自分たちの輪は広がり強くなるから」

「そんな、そんなの無茶苦茶じゃないか!」

「その無茶苦茶な社会が、今の世界の社会になっているのです。すべては、増えすぎた人間たちのエゴによるもの。こればかりは、今から覆すのは至難の業です」

「そんな……」


 今まで信じてきたものが、人間によって操作された偽情報だったなんて。足元から崩れ落ちるとは、こんな感じなのだろうか。思わずテーブルに手をつく。心配したレイから、大丈夫かと背中をさすられる。

 エダから聞かされた話が本当だとするならば。自分はいったい、何者なのだろう。本当に自分は、バルドル族なのだろうか。自分の裏人格の彼は、いったい何者なんだ。自分自身の本当の姿なのか。


「エイリーク……」

「……確かにバルドル族が双極種族という情報は偽物です。でも貴方は確かにバルドル族ですよ、エイリークくん」

「……エダさん。……どうして、そう言い切れるんですか?俺の見た目がバルドル族と言われてる、それだから?」

「いえ、違います。……視えたのです。貴方が私と戦って、夢の牢獄に囚われたときに」

「視えた……?」


 エイリークの疑問に、彼女は答える。

 エイリークと戦っていた時。本来のエダは、エイリーク程とはいかないが贋作グレイプニルによって、夢の牢獄に片足を突っ込まれている状態だったという。

 そんな状態に陥ったエダは混乱したそうだが、どうやらその状態だと、夢の牢獄に囚われた人物の過去が見えてしまうらしい。それはエダが女神の巫女ヴォルヴァだからという理由もあるだろうが、人の精神や夢に対して彼女の力が強く作用してしまうからこそ、だったからかもしれない。

 そんなエダはあの戦闘の時に、エイリークの過去が見えたのだという。それはエイリークが赤子の時の記憶であり、多くのバルドル族から生誕を祝われていた場面だったとのことだ。


 エダの言葉に、エイリークは初めて自分以外にバルドル族が確かにいたことを知った。今まで己以外のバルドル族を見たことがなかった。

 さらに言えば赤子の頃の記憶なんて、覚えていない。物心ついた時にはすでにマイアの家にいた自分にとって、今のエダの話は何よりも暖かく、落ち着けるものだった。再度確かめるように、彼女に尋ねる。


「じゃあ俺は、バルドル族なんですね?」

「はい、それは間違いありません」

「そっか……。よかった……」

「よかったな、エイリーク」

「うん。ありがとう」


 己の正体についてはまだ不確定なところが多いが、自分以外にもバルドル族がいたという事実が聞けて一安心できた。確定したこともある。


「バルドル族に関しては、こっちの本に書かれてあることが正しいんですね……」


 "戦闘民族の生態"を手に取る。


 バルドル族が、己が命の終わりを夢に見ることがあるらしいということ。終わりの夢が恐怖となりバルドル族の生存本能を刺激し、調和の心を剥奪させたこと。その結果、高い戦闘能力が身についたかもしれないこと。

 本来は賢明な種族として、他種族とも和平を築けるほど温厚な種族だったこと。


 それが、本当のバルドル族……。

 とはいえ、この本についてもわからないことがある。本の内容に関してというより、本の著者についてだ。物は試しと、エダに聞いてみる。


「あの、エダさん。この本の著者……ロプト・ヴァンテインって人について、何か知っていませんか?」

「どういうこと?」

「この本、今から二百年程前に出されたものなんだけどさ。それっておかしいって思ったんだ。だってこの人、四百年前に"種族平等論"を出した人なんだよ?普通の人間が、二百年以上生きていられるのかな……?」

「言われてみれば、確かにおかしい……」


 エイリークの疑問にレイも気付き、どういうことかと考える仕草をとる。


「そのことについてが、私が貴方たちに一番話したかったことです。これについては、レイ……貴方も無関係じゃないの」

「俺も……?」

「そう。まず一つ言えるのは──」


 ロプト・ヴァンテインは、今も生きているかもしれない。


 エダから飛び出した言葉に、エイリークはもちろんレイも驚愕するのであった。

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