第百二十五節 本当の姿とは何か

「えっと……あ、あった」


 そこは港町エルツティーンにある図書館。医師の街であるその街には、医療に纏わる本などが数多く存在する。それらを民間人も読めるようにと、本を纏めるといった名目で図書館が建設されたそうだ。街中の本や、数多くの古文書や論文書などが貯蔵されているそこに、エイリークは来ていた。

 先程レイたちには食事に出ると伝えて一人出掛けたが、本来の目的は別にあったのだ。それは自分自身の存在にも係わることであり、仲間に相談する前に調べてみようと考えたのだ。


 ──バルドル族が双極種族だなんて事実は、存在しないのですから!!


 もう一人の自分──裏人格である戦闘意識の強い人格が、エダから言われたという言葉。その言葉の意味を、理解できていないのだ。

 自分は今まで、周りの人物からも己の師であるマイアからも、バルドル族は二重人格だとか狂戦士族だとか言われて育ってきた。その前提が間違っているのだろうか。

 確かに己以外のバルドル族と出会ったことはない。しかし誰もが口を揃えて言うのだ。バルドル族は戦闘に狂った種族だと。さらには二年前、あのヴァダースからも説明された。


 バルドル族は、狂戦士族とは別に"双極種族"という別名があると。バルドル族には強靭な力を持つ凶悪な人格と、そんな凶暴な性格とは全く正反対の心優しい性格の、二つの人格を生まれながらに持っている。心優しい性格の人格は、その理性がゆえにバルドル族の力を存分に使えない。

 通常のバルドル族は、朗らかな性格を邪魔なものとして考え、そちらを封じ込めている人物が多い。ただ稀にインヒビジョンという性格を抑制する薬を常用し、人間の真似事をするバルドル族もいるのだと。

 あの説明も、間違っているとでも言うのだろうか。自分は本当に、バルドル族なのだろうか。己の師からこの薬を飲むようにと、レシピまで渡されて作ったインヒビジョンは、なんだったのだろうか。


 それらの疑問を検証するために、ここまで来た。

 手に取った本は、この世に存在するすべての種族について書き記されているという本だ。大昔の評論家であった"ディン・オウル"という人物が出した論文書、"カウニスの全種族"という本。かなり昔の、今から約四百年程前の論文。約五百年程前に起きた第三次世界戦争終結から、百年程経った時に出されたらしい。

 種族一覧表でもあるその本は何度も刷られているようで、さすがに原本はないがこのように今でも綺麗な状態で読むことができる。


「これと、あとは……。……ん?」


 あと二、三冊本を手に取ろうとしたところで、一冊の本が目に入る。それはとても古い本であると一見してわかるもので、ちゃんと整備されているのかと疑ってしまうほどに劣化していた。

 そこまで酷いとかえって気になるというもので、壊さないようにと細心の注意を払って本棚から取り出す。記されていた文字はどうにか読めた。タイトルは"種族平等論"と書かれてある。


「著作者は……ロプト・ヴァンテイン?誰だろこの人?」


 初めて聞く名前。今まで聞いたことがないが、論文を書くということはこの人は学者だったのだろうか。丁寧に捲るが、これといって有益そうな情報はない。この本もどうやら、約四百年前に記されたものらしい。

 ただ今は、この論文や人物自身について考察する時間はないと、本を閉じる。

 それに種族が平等だ、なんて。所詮は机上の空論に過ぎないだろう。種族差別を受けたことがある身としては、素直に賛同はできかねる。本を戻そうとして、隣に同じ人物の別の著書があることに気付いた。

 そこには"戦闘民族の生態"と記されたタイトルが。この本の初版は、約二百年前。


「え……?」


 おかしい。直感的にそう思った。

 "種族平等論"の論文を発表したのが約四百年前であり、この"戦闘民族の生態"について執筆したのが、約二百年前。その期間実に、約二百年間。とてもではないが、普通の人間が生きていられる年数ではないはずだ。


 自分が知っている人物の中でも、そんな長生きしている人物はシグ国王だけだ。彼は魔術師として類稀なる優秀な能力によって、自身を若い身体に作り変えた。それにより、長く生きることができるのだ。

 そんな人離れした能力を持つ人物が、シグ国王以外にも存在している?


『何ボーっとしてやがる弱虫』


 不意に脳内に響いてきた声によって、思考が現実に引き戻される。急なことで驚いたが、深呼吸して返事をする。


「……急になに?ビックリさせないでよ」

『テメェがボケっと突っ立ってるからだろうが。読書するなら座って読みやがれ』

「……そうするつもりだったんだよ。命令しないでってば」


 溜め息を吐きながら、人のいないテーブルへ移動する。椅子に座り、まずは"カウニスの全種族"を開く。引用ページからバルドル族を選び、それが記されているページへと紙を捲る。


「……あった」


 そこにはこう記されていた。


 バルドル族。

 高い戦闘能力を身に着けているらしい。他種族の追随を許さないその能力が、いかようにして定着したかについては未知数。幼子のバルドル族も生まれながらにして、魔物を蹴散らすほどの力を持つ。

 魔物を従える種族であることも否定できないが、今のところ人間に対して被害はない。その力がいつ我ら人間に向けられるか。恐ろしさを感じさせる。不用意に近付かないことを推奨する。


 この記述を見る限りでは、バルドル族が高い戦闘能力を持っていることは確かなようだ。しかし何処にも、戦闘人格についてや双極種族について記されていない。論文が古いから、だろうか。

 この本からは、これ以上の情報は得られそうにない。深くため息を吐いてから、本を閉じる。


「……こっちはどうかな」


 もう一冊手に取った本。"戦闘民族の生態"と記されているこの本になら、もしかしたらバルドル族のことに関して、何か確信めいたことが記述されているだろう。そう信じたい。なにせ、バルドル族は狂戦士族とも呼ばれている種族なのだから。

 それにこの本は、"種族平等論"から約二百年後に記されたもの。きっと何かしらの情報が、新しく上書きされているかもしれない。淡い期待を込めて、本を開く。様々な戦闘民族について記されている中で、バルドル族に関しても、とある記述が目に飛び込んできた。


 バルドル族は、己が命の終わりを夢に見ることがあるらしい。自分が死に瀕している暗示が、悪夢として彼らを襲うのだとか。恐怖は彼らの生存本能を刺激し、調和の心を剥奪させた。その結果高い戦闘能力が身についたのではないかと、私は提唱する。

 悪夢を払拭するため、彼らは何日も戦闘を続けられる。つまりは狂戦士族、と言えるのではないか。

 本来は賢明な種族として、他の種族とも和平を築けるほど温厚な種族が、悪夢の前には恐怖し己を戦の獣と化す。まるで二つの、相反する意識が一つの人物に宿っているかのような現象。

 このことからバルドル族は生まれながらにして、二つの異なる人格を兼ね備えているのか。それは定かではない。


 このように記されていた。ここにはバルドル族が狂戦士族と呼ばれると記されてはいたが、双極種族であるとは一言も記されていなかった。思わず額を抑える。


「どういうことだよ……。俺、本当にバルドル族なのか……?お前は何か、知ってたりするの?」

『うるせぇ……ンなの俺様が知るかよ』

「……でも、この本の情報がもし本当なら。エダさんが言ったことは間違いないって、ことだよね……。バルドル族が双極種族だなんて事実は、存在しない……。でも、じゃあお前は一体、何者なんだ?」

『俺様が知るかってんだよクソ野郎!』


 裏人格のエイリークの声は明らかに不機嫌だ。とはいえ機嫌が悪くなるのも、無理はないとは思う。今の段階では、自身の存在が証明されていないのだから。

 エイリーク自身も混乱していた。己は一体、何者なのだろうかと。頭痛がしそうだと頭を抱えたその時。後ろから背中を優しく叩かれ、思わず飛び跳ねてしまった。


「おっわぁ!?」


 静かな図書館で声を上げてしまった。周囲の視線が一気に突き刺さる。自分に向けられる鋭い視線たちに、すみませんと謝罪しながら縮こまり背後を見れば、そこにはケルスが立っていた。

 ぽかん、とした顔をしながらも自分を見つめるその瞳に、しどろもどろになりながらも尋ねた。


「ケル、ス?どうして、ここに?」

「はい、その……。なかなk帰ってこないなと思いまして、探しに来たのです。それに、何か思いつめたような雰囲気でしたから……何かあったのかな、って」


 隣に座り、ケルスが小さく笑う。エイリークは虚を突かれたような表情になっていた。まさか自分が思い詰めていたことを、彼に見透かされていただなんて気付かなかった。彼に隠し事はできないな、と観念する。


「何か、あったんですか?」

「あはは……鋭いね、ケルスは。……聞いてもらえる、かな?」

「もちろんです。一人で抱え込まないでください」

「ありがとう」


 ケルスの温かさに感謝しながら、エイリークは胸の内にあった不安などを全て吐き出す。エダから言われたこと、それについて調べてみようとしたこと、わかったことで己の存在に疑問をもったこと。それらを懺悔するように話す。

 自分の話を黙って聞いていたケルスは、全て聞き終わると少し考えるような仕草をする。そんな彼の様子に謝罪の言葉を述べた。


「ご、ごめんね。急にこんなこと言って」

「いえ、気にしないでください。むしろ一人で抱え込まないで、話してくれて嬉しいですよ。それにしても、そんなことが……」

「うん。何処にも俺が聞いたことは書いてなくてさ。不安になったんだよね。俺は本当にバルドル族なのかなってさ」

「うーん……。ですが僕も、バルドル族は双極種族だって本で読んだことがあります。……ちょっと待っててください。本があるか探してみます」


 立ち上がったケルスに、エイリークは待ったをかけようとした。

 これは己の問題なのだ。ケルスに迷惑をかけるわけにはいかない。話を聞いてくれただけでもありがたいのに、これ以上何かをしてもらうのは烏滸がましい、と。言葉を漏らせば、ケルスは振り返り笑顔で答える。


「困ったときは助け合い、ですよ。エイリークさん。僕にも協力させてください」


 にこ、と花のように笑ったケルスは、そのまま本棚へ移動した。そんな彼にやはり敵わないな、と感謝しながら苦笑する。数分の後にケルスは、一冊の本を手にエイリークの元へ戻ってきた。


「ありましたよエイリークさん。これです、この本」


 渡されたのは一冊目の本。そこには"バルドル族の生態"とタイトルが記されていた。初版は今から約百年前となっている。少々疑心暗鬼になりつつも、エイリークはその本をパラパラと捲った。

 そしてようやく、目的の言葉が綴られたページに辿り着いた。一言一句間違いなく、二年前ヴァダースから教えられた言葉がそこに綴られている。三度目の正直、と言えばいいか。呆然としながらもポツリと呟いた。


「あった……」

「バルドル族の生態が綴られた本ということで、この本は人間を中心に広く知られることになり、バルドル族の定義が定められることになった本、とも言われています」

「そうなの?」

「はい。この本の著者はデニス・ゲートヒと呼ばれる人物なのですが……。その人物の詳細については、一切が不明なんです」

「そうなんだ……」


 まぁ、百年前に記された本の著者が今も生きているわけがないか。とはいえ、とエイリークは天を仰ぐ。本当の真実とは、いったいどれなのだろうか。

 やはり、エダから直接事情を聴かなければならない。今夜にでも、話が聞けないか尋ねてみよう。そう一人考えたエイリークであった。

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