第百二十四節 悔恨はすべて消して
病院へ向かう道中。後方を歩いていたグリムにルーヴァは声をかけた。
「どうやら姉さんが迷惑をかけているようで、ごめんよ」
苦笑しながら謝罪するルーヴァに、グリムは溜息を吐いてから返す。
「まったくだ。あの忍のには、毎度振り回されているわ」
「あはは、想像できてしまうよ。それだけ貴女のことを気に入ったのかも」
「いい迷惑だ」
「随分と遠慮なしに言うね」
「何故私が遠慮などせねばならん」
はぁ、とまた溜息を吐くグリムを見てから、ルーヴァは小さく笑う。
「……もしかしたらその潔さに、姉さんは惹かれたのかもしれないね」
「は……?」
意味が分からない、といった表情で、グリムがルーヴァを見る。表情を見ると、若干不機嫌そうだった。ルーヴァはアヤメの背を、懐かしいものを感じながら見つめる。やがてゆっくりと話し始めた。
「カスタニエ流の忍を狙う人物って、案外多くてね。身内内でも騙し騙され騙られるなんて、日常茶飯事だったんだ。今でこそああやって笑ってるけど、姉さんもすごく苦労してきたんだと思う」
「……」
「そんな嘘に塗れた日常の中で、貴女みたいに嘘で身を固めない人に出会えたことが、きっと嬉しかったんだろうな。だからつい、人よりも構いたくなるのかもしれないね。姉さんって、あんなだからさ」
ほら、と指摘してみる。自分たちの先では、アヤメがアマツに対して笑顔で接していた。一見するとお気楽そうに見えるアヤメだが、人には言えない裏の面があることを、ルーヴァは知っている。
嘘と騙しに塗れた日常。そのような日々を送ってきたように見せない振る舞いをしているのは、彼女なりの気の張り方なのだ。
「僕はもうあと数日でいなくなる。勝手なお願いになるけど、どうか貴女には姉さんの隣にいてやってほしい。少しでも、姉さんが素に戻れる時間ができるように」
本当に勝手な願いだけど、と付け加える。ルーヴァの言葉に、グリムに去来したのはなんなのか。彼女はやがて一つため息を吐くと、答えてきた。
「本当に勝手な願いだ。あのじゃじゃ馬を私に御しろと?」
「引き受けてくれるかい?」
「私の勝手にしても良いのならな」
「なら……お手柔らかに頼むよ」
「フン……ならば交渉成立だ」
「なになに~?なんの話してたんすか?」
前を歩いていたアヤメが振り返り、ルーヴァたちに尋ねてきた。彼女に対してグリムが小さく舌打ちして、不愛想に返す。
「貴様には関係なかろう」
「ええー!?ウチに内緒で隠し事っすか!?ずーるーいー!」
「ええい引っ付くな人間!」
グリムの腕に引っ付き虫になったアヤメ。鬱陶しさに一撃加えてやろうかと考えたのか、彼女が拳を握った。仲がいいなと微笑ましく思いつつも、ルーヴァはアヤメを宥めた。これではアヤメとルーヴァ、どちらが年上なのか分からなくなる。
「ほら姉さん、あんまりはしゃいだら駄目だよ。もう病院に着くんだから」
「ちぇー」
「そなた達は本当に仲が良いのだな」
「とーぜん!なんてったってウチとグリムの仲っすからね~」
「黙れ……いい加減離さんか」
「あ、これはキレてるパターンっすね?」
談笑を交わしながら、病院にいるヤクとスグリの病室へと向かった。
「それじゃあ、ウチは廊下で待ってるっすからね」
「わかった。ありがとう、姉さん」
「ではでは、ごゆっくり~」
アヤメが病室の廊下へと出ていく。静かになった病室内で、ルーヴァがスグリに対して笑いかけた。アヤメのことについて、自分の姉であるということを彼に説明していたのだ。軽く自己紹介し終わって、今に至る。
スグリの経過は順調だった。元々、怪我は大したものではなかった。ただ女神の
今日の分のリハビリも無事に終わり、部屋で休憩していたところにルーヴァたちが訪問してきた、という流れである。ベッドのリクライニングを上げ、腰かける形で休憩していたスグリの顔色を見て、ルーヴァは安堵の息を吐く。
「順調に元気になっているようで、安心したよ。……キミにも、迷惑ばかりかけてごめんよ、スグリ」
「ルーヴァさんも父上と同じで、ヤクを心配していたからこそのあの行動、だったんだろう?大丈夫だ、俺もヤクもわかってる」
「……本当に、もう。キミは、昔から物分かりが良すぎないかい?」
「そうだろうか?」
「そうだよ。まったく、今じゃすっかり皆の兄貴分だね」
くす、と笑ってからスグリの頭を撫でる。それが気恥ずかしいのだろうか、顔を赤らめてやめてくれと懇願された。つい、昔と同じように接してしまうのだと謝罪した。
「俺はそこまで子供じゃないんだが……」
「何言ってるのさ。僕にとってキミも、ヤクも、大切な弟のような存在なんだよ?頭くらい撫でさせてほしいな」
「けどなルーヴァさん。こんなところを他の誰かに見られると、一応俺の面子というか、立場上の在り方とかが……」
「そのための見張りだよ?それに、キミは隠れて一人で物事を抱え込むからね。そうしてないかのチェックも兼ねてるんだから」
ぽんぽん、と軽く頭を叩いて笑う。何処か居心地悪そうに視線を逸らすが、甘んじて受け入れている様子のスグリ。こんな光景を懐かしく思う。
昔からスグリは、他人に甘え慣れていないのだ。自分が頑張らねばならない、という思いが昔は人一倍強かった。それはひとえに、周りに甘えられる人物が少なかったことが原因とも言える。
さらに幼馴染のヤクのことは、守らなければならない存在と考えていた分、己のことを疎かにしてしまいがちだった。ルーヴァは生前、そんなスグリを自分に甘えさせるように動いていた。これはその延長線である。
「その、ルーヴァさん。俺はもう大丈夫だからやめてくれ……!」
「本当かい?」
「本当だ。ヤクとも色々あったが、今はもうお互い抱え込みすぎたりなんかしてないから。だから、その……今まで、ありがとう」
「スグリ?」
「昔、貴方が俺のために動いてくれてるって、薄々わかっていたんだ。結局何も言えないままだったが、まさか直接お礼を言える日が来るなんて思ってなかった。また別れる前に、どうしてもそれだけ言いたかったんだ」
苦笑したスグリが、ルーヴァの頭に手を置いてもう一度告げてきた。
「俺たちの兄さんでいてくれてありがとう、ルーヴァさん」
彼の言葉に、立派に成長したんだなと感慨深くなる。スグリの言葉に満たされながら微笑んで、彼の額に己の額をコツン、と当てた。
「僕の方こそ、ありがとう。確かに、もう僕がいなくても二人は大丈夫だね」
「ああ。だから、あとは安心してほしい」
「わかった。それを聞いて、僕もようやく成仏できる決心が着いたよ。これからは、遠く離れたところから二人を見守っているね」
「……ああ」
小さく笑う。心の中に残っていた悔恨が解けていく。もうここに思い残すことも、心残りも何もない。
******
同時刻。ヤクのいる病室では、アマツがヤクに対して声をかけていた。ヤクとは実に十四年振りの再会である。アマツはヤクに微笑みながら話しかけていたが、彼の表情は暗い。それは恐らく彼が自分に対して、負い目を感じているからだろう。
今から十四年前に起きてしまった、ブルメンガルテンの悲劇。悲劇の被害者となったのが、アマツだ。ヤクはアマツが、実の弟であるコウガネに殺害されたことを知らない。自分が引き起こしてしまった力の暴走が原因で、アマツが死んでしまったと思い込んでいるのだ。
暗い表情のヤクに対し、アマツはまず彼の名前を呼ぶ。
「ヤク」
「あ、は、はい……」
「そんなに怯えなくとも良い。こうしてまた出会えて、私は嬉しい。それにここにはもう、お前を苦しめるものはない。何をそんなに怯えているのだ?」
「……私は、あの時。……十四年前、ブルメンガルテンで感情のままに、暴走してしまいました。そのせいで、私を救おうとしてくれた貴方のことを……私は……」
ヤクはアマツから視線を逸らし、自らの腕を掴む。その手が小さく震えていたことに気付いたアマツは、一度目を閉じてから手を翳そうとした。
「……ヤク」
「っ……!」
ヤクが己の腕を抱くように縮こまる。目をきゅっと閉じ、身体を震わせる。アマツが己に対して手を挙げると、勘違いしたのだろう。
しかしアマツはそんなことはせず、彼の頭にぽん、と手を置いた。そのまま優しく撫でてやれば、恐る恐るといった様子でヤクがこちらを見る。
「アマツさん……?」
「……ヤク。お前は一つ、大きな勘違いをしているぞ」
「勘違い……?」
「そうとも。お前は、私を殺してなんかいない。あの時、私は確かに死んでしまったが、それはお前のせいではあるまい。安心なさい」
「そんな……そんなはずありません!私が貴方を殺してしまったのです!貴方には私を咎める権利がある。なのに何故、私を糾弾しないのですか!?」
訳が分からない、と言わんばかりにヤクがアマツに詰め寄る。その姿が、十四年前の幼い頃のヤクと重なった。震える瞳と怯えた表情。アマツが見たいのは、彼のそんな表情ではない。
まずは落ち着かせなければならない。アマツはヤクを抱きしめて、彼の背中をさする。抱きしめられたとき、ヤクの小さく息を呑む声が聞こえた。
「……ヤク、落ち着いて聞きなさい。あの時私を殺したのは、お前ではない。コウガネだったのだよ。アレは私に村から追放されたことを根に持っていた。だがら事件に乗じて、私を殺す算段を立てていたのだ」
「えっ……」
「そしてあの事件の犯人をお前だと糾弾し、それを庇った息子諸共処刑しようとしていた。事件を終息させた英雄になることで、世界保護施設から多額の利益を得ようともしていた大馬鹿者だったのだよ」
ゆっくりと、子供をあやすようにヤクの背中をさする。そうしているとヤクの身体から、少しずつだが緊張が消えていったようだ。大人しくなり、アマツの話を静かに聞けている様子がわかる。
「これは私が死んだあと、魂の状態となって彷徨っていた時に知った真実だ。スグリでさえ知らん事よ」
「そんな……」
「……だからな、ヤク。お前は何も悪くなどない。それに、あの時お前を守れてよかったと私は思っている。その気持ちを否定しないでくれないか?」
ヤクから離れて彼の顔を見る。まだ少し動揺している様子を見せたヤクだったが、やがて小さく頷く。彼自身の腕を掴んでいた手を握り、微笑みながら語る。
「もう自責の念に囚われないでほしいのだ。私はお前にそんなことをさせるために、守ったのではない。笑顔で、自由に、幸せに生きてほしい。そう願って、お前を守ろうとした。お前は私のもう一人の息子であり、家族なのだから」
「アマツさん……」
「それに、私の代わりに息子の隣にいてほしいのだよ。あれも案外、寂しがり屋だからな。親として十分に甘えさせてやれなかったのが、申し訳ないのだ。だからどうか、あの子のことを支えてほしい」
目を閉じてヤクに依頼する。しばらく静寂が病室を包んでいたが、握っていた手にヤクの手が重なる感覚を覚えて目を開く。顔を上げて彼の表情を見てみれば、ヤクはアマツと同じように微笑んでいた。
「……わかりました。それが、貴方の願いなら。それに……私はスグリに、助けられてばかりです。その恩返しにもなる。だから、喜んで支えになります」
「嗚呼……その言葉が聞けて良かった。ありがとう、ヤク」
「……お礼を言うのはこちらの方です。あの時、私を守ってくれて……助けてくれて、本当にありがとうございます」
「なに、お前が笑ったところが見たくてやったことよ。その笑顔が見れただけで、私は十分だ」
「……はい、ありがとうございます」
アマツの心残りであったヤクへの懸念が、彼の笑顔を見たことで消失する。自分は確かに、子供たちを守り切ることができたと実感した。アマツの背中を支えるように、夕暮れの陽の光が優しく部屋に入り込んでいた。
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