第百二十二節 やっと呼べる

「じゃあ師匠とスグリ、意識を取り戻したんですか!?」


 港町エルツティーンにある総合病院から近い宿屋。そこに宿泊していたレイたちに、総合病院で監視をしていたミズガルーズ国家防衛軍の兵士が、知らせに来てくれたのだ。聞かされた言葉に思わず復唱して尋ねたレイに、知らせに来てくれた兵士が頷く。


「ああ。今は精密検査中だが、命に別状はないとのことだ。私はこの事実を陛下にお伝えする。申し訳ないが、アウスガールズ国王陛下にもこの事実をお伝えしてくれないか?」

「はい、もちろんです!ありがとうございます!!」


 宿屋のロビーで伝言を受け取ったレイは、仲間たちがいる部屋へと急ぐ。

 シグ国王からルヴェル城への突入部隊として特殊編成した部隊、という扱いになっていたレイたちは、ミズガルーズの客人という扱いになっていた。宿屋もスイートルームを用意されるという待遇に、最初は何かの間違いではないのかと訊ねたほどだ。

 しかし彼らからは、自分たちの上司を救出してくれた恩人として、それなりの対応をさせてほしいと申し出があった。シグ国王からの伝令でもある、と言われてしまえば無碍にすることもできず。その好意を受け取ることにしたのであった。

 スイートルームに辿り着いたレイは、行儀が悪いとわかっていても、勢いそのままに部屋の扉を開く。飛び込んできたレイに、エイリークたちは驚いたようだった。


「レイ?そんなに慌ててどうしたの!?」

「何か緊急の事態が起きたのか!?」

「もしかして、ルヴェルの残党が何処かにいたっすか!?」

「いや、ちが……ゲホッ」


 咳き込むレイに、ケルスがグラスに入れた水を差し出す。


「大丈夫ですか?これを飲んで落ち着いてください」

「あ、ありがとケルス……」


 グラスを受け取り、水を一気飲みする。喉を冷やされた水が駆けていき、すぅっと体の体温が下がる。はぁ、と息を吐けば走っていた鼓動が落ち着く。尋常ではない様子に顔を強張らせる仲間たちだったが、レイは顔を上げると笑顔で答える。


「師匠とスグリが、目を覚ましたって!」


 告げた言葉に、強張っていた表情が一変する。ぱぁっと明るくなり、エイリークたちは歓喜の声を上げた。


「本当!?」

「ああ!精密検査とかはあるけど、命に別状はないって!さっきミズガルーズの兵士が教えてくれたんだ!」

「では、お二人は無事なのですね!?」

「そう!なんにも心配ないって!」


 レイの言葉で、仲間たちはよかった、と笑いあう。ラントがレイの頭に手を置いて、よかったなと声をかけられた。彼に笑顔で頷き、その場にエダがいないことに気付く。


「あれ?エダは?」

「そういえば、どこにも……」


 きょろきょろ、と部屋を見渡してもエダはいない。どこにいるのだろう、と首をかしげたときに、グリムが呟いた。


「あ奴は、屋上に行くと言っていたが?」

「え、いつ?」

「つい先程のことだ。そう言っていただろう。もう忘れたのかバルドルの?」

「あー……えっとぉ……」


 しどろもどろになるエイリークがおかしくて、つい吹き出してしまう。笑われたことが恥ずかしかったのか、彼は笑うなよ、と拗ねたような態度になった。

 素直に謝れば、彼女に何か用事でもあったのかと尋ねられる。


「用事っていうか、エダにも伝えたくてさ。二人が助かったってこと」

「なら探しに行った方がいいっすね!」

「そうだな、行ってくる。屋上だよな?」

「ああ」

「もしエダさんが帰ってこられたら、僕たちからレイさんが貴女を探していたと伝えておきますね」

「ありがとケルス。そんじゃあ、ちょっと行ってくる!」


 いってらっしゃい、と仲間の言葉を背に受けながら、レイは部屋を出る。


 屋上に向かっていく階段を上りながら、レイはエダのことを考えていた。彼女にどうしても、言いたいことや聞きたいことがあるのだ。一度、ゆっくりと彼女と語り合いたい。彼女を取り戻してから、それをずっと考えていた。

 屋上の扉を開ける。屋上の端にある手摺から街を見下ろしているエダを見て、思わず声を上げてしまった。


「エダ!?何してんだ危ないだろ!?」


 声を荒げながら走って彼女の手を掴み、内側へと引き寄せる。レイの行動に驚いたエダが、目を丸くしながら振り返る。


「レイ?どうしたのですか?」

「どうしたもこうしたもないよ!飛び降りなんてそんなこと!」

「飛び降り……?」


 言われた言葉の意味が分からなかったのか、それとも何かおかしかったのか。エダは口を手で押さえながら、くすくすと笑う。彼女の行動に、今度はレイが理解できずに問いかけた。


「エダ……?」

「ふふ、ごめんなさい。おかしくてつい。……レイ、私は飛び降りようなんて思っていません。ただこの街を見下ろしていただけですよ?」

「へっ?」

「平和なこの街の全貌を、見てみたかったのです。それだけですよ」

「それじゃあ、その、もしかして……。俺の、勘違い……?」


 恐る恐る尋ねるレイに、エダはにっこりと笑って返す。


「はい」

「あー……」


 とんでもない勘違いをしたことに羞恥心を煽られ、赤面する。なんて勘違いをしていたんだ自分、と自らに突っ込みを入れる。くすくすと楽しそうに笑うエダの声も相まって、気恥ずかしさでこっちが死にそうだ。


「うぅう……もう笑うなよ!」

「ふふ、ごめんなさい。だって、面白くて」

「はっずかしい……」


 はぁ、とため息を吐くレイに、何か用事があったのかとエダが尋ねてきた。彼女の問いかけで自分がここに来た目的を思い出し、笑顔で彼女にヤクとスグリが意識を取り戻したことを伝えた。レイの報告に、エダも顔を綻ばせる。


「よかった……助かったのですね」

「うん。エダのおかげだよ、ありがとう!」

「私は……何もしてませんよ」

「ううん。エダが助ける方法を伝えてくれなかったら、何にもできなかった。だから、ありがとう!」

「……!それなら、どういたしましてとお返しした方がよろしいですね」

「そうだよ」


 安心から笑い合い、近くにあったベンチに二人で座る。今日は雲一つない晴れ模様。心地良い風が通り抜ける。そんな中で、レイがエダに話しかけた。


「ねぇ、エダ」

「なんですかレイ?」

「……俺、女神の巫女ヴォルヴァとして完全に覚醒してから、全部思い出せたんだ。今までのこと、エダのこと」

「……そう、だったんですね」

「うん」


 レイは八歳の時、ミズガルーズの路地裏で蹲っていたところをヤクに助けられた。それ以前のことは、あまり覚えていなかった。しかし二年前、フヴェルゲルミルの泉で女神の巫女ヴォルヴァとして完全覚醒を果たしたときに、その原因も含めて全てを思い出せていたのだ。

 初めてエダと出会ったとき、彼女からは「きっとまた、貴方は私たちを忘れるでしょう」と言われていた。だが現在過去未来の時間軸に干渉が可能であり、影響を与える"戦の樹"であったレイは、思い出せたと同時に全てを理解したのだ。


 自分は、世界樹ユグドラシルが世界の危機を知らせるために産み落とした"戦の樹"。とはいえまだ赤子だったレイを、育てる存在が必要だった。所謂親代わりである。その人物こそが、エダだったのだ。

 彼女はレイの親代わりとして自分を心から愛し、育ててくれた。だというのに、それを忘れさせるため、とある事情からレイに記憶封印の術を施したのだ。

 隠されていたこの事実を知り、思い出したのだと伝えれば、エダが一つ息を吐いてから尋ねてくる。


「……本当に、全部思い出したのですね」

「わからないこともあるけど、大体は」

「そう、ですか」

「このペンダントをくれたのも、エダだったんだよね」


 レイは首にいつもかけているお守り代わりのペンダントを取り出して、彼女に見せる。彼女はレイからそれを受け取ると、愛おしそうに眺めた。祈るように胸のあたりでそれを抱えて、小さく呟く。

 何を呟いたのか、レイには聞き取れなかった。どうかしたのかと尋ねれば、顔を上げて微笑むエダ。


「ずっと持っていてくれたのですね」

「当然だよ。だってそれは、俺のお守り代わりなんだから」

「そうだったのですね」

「ああ。俺の大切なものだよ」

「そう思っていてくれたなんて……嬉しいです。私は貴方のことを守るためとはいえ、酷いことばかりしていたのに」

「……」


 エダとの別れは、突然のことだった。レイは、そのことも思い出せていた。


 ミズガルーズに捨てられる少し前、エダは幼いレイを抱えてから逃げていた。その何かまでは、レイにはわからない。とにかく、エダはレイを必死に守りながら、なるべく街の方へと逃げて逃げて、途中で力尽きそうになっていた。逃げていたものに追いつかれそうになっていた、らしい。

 覚悟を決めた彼女は、当時自分が首からかけていたペンダントを、レイに託した。微力なマナを封じ込めたペンダントトップに、レイを守ってくれるようにと祈りを込めたそれを。自分とレイが離れることがあったら術が発動するようにと、記憶封印の術の仕掛けまで施して。

 やがてイーアルンウィーズの森まで辿り着き、最後の力を振り絞って空間転移の術を使い、レイをミズガルーズまで飛ばしたのだ。彼女はそこまでして、彼女たちを追っていたあるものに追いつかれ、殺されてしまった。


「どうしてそこまでしたんだ?やっぱり、俺が女神の巫女ヴォルヴァだって、わかっていたから?」

「確かにそれもありましたが、それだけではありません。……貴方のことを大切な子として、愛していたから」

「エダ……」

「私は追手に捕まり、殺されました。そんな記憶を、貴方に覚えていてほしくなかった」

「……そっか……」

「記憶封印の術を施したのは私の勝手です。辛い記憶を持ったまま、成長してほしくなかった。私を忘れても、たとえ女神の巫女ヴォルヴァとして覚醒しなくても、健やかに生きてほしい……。そう、祈ったんです」


 勝手ばかりでごめんね、と謝罪するエダ。頭を下げた彼女に、レイは謝らないでと告げた。エダの、自分への愛情が分かったのだ。それを誇りに思うこそすれ、謝られるいわれなんてないと。


「レイ……」

「だって、俺のことが嫌いで捨てたわけじゃないってわかったんだ。最後まで守ろうとしてくれてたんだ。それが分かって嬉しいよ」

「罵倒してくれていいのに……」

「そんなことしないし、させない。だってエダは俺の──」


 そこまで言ったのに、うまく言葉を紡げない。首をかしげるエダに、ようやく言いたかったことを言えるというのに。


「レイ?」

「俺、の……か、かあ……」


 そう、ようやく呼べるんだ。全部を知った今なら。


「か、母さん、なんだから……!」


 レイの言葉に、エダは目を見開く。やがて顔をくしゃりと歪めながらも、レイを優しく抱きしめた。レイも同じように、彼女を抱き返す。背中に手を回し、言いたかった言葉を口にする。


「ありがとう、母さん……。俺のこと、守ってくれて」

「ええ、ええ……!私の方こそ、母親にしてくれてありがとう。優しい子に育ってくれて、ありがとう……!」

「うん。大好きだよ、母さん」

「私も、ずっと貴方を愛しています……!」


 優しい風が吹き抜ける。ようやく本当の関係になれた二人を、陽の光が暖かく照らすのであった。

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