第百二十一節 本当の再会

 場所はアウスガールズにある、医師の街とも呼ばれている港町エルツティーン。その街にある総合病院の一室だ。

 今日は天気がいいからと、その部屋の窓を開けた。さらさらと心地良い風が室内に入ってくる。優しく、髪を撫でるような感覚。それは慰めてくれているようにも感じられて。小さく笑ってから、くるりと振り返る。

 視線の先にあるベッドでは、一人の男性が眠っていた。今日もまだ、目覚める素振りを見せない。幸いにも寝顔は、苦しげな表情ではない。それに顔色もいい。すぐに命に係わることはなさそうだが。


「……今日はまた、穏やかな日であるぞ」


 窓を開けた人物は、ベッドの近くにある椅子に座り、男性に声をかける。

 されども、男性から返事は返ってこない。


 窓を開けた男性──アマツはそのことを理解してはいるものの、寂しそうに俯く。そしてぽつりと呟いた。


「スグリ……」


 ベッドに眠る男性──スグリの名を。


 数時間前のこと。

 ルヴェルの城から脱出したアマツたちは、城に囚われていたスグリとヤクを救うために、城の近くに設置されていたテント内にいた。そのテントはルヴェル城攻略のためにヴァラスキャルヴ国とアウスガールズ本国、さらにはミズガルーズの三国の負傷兵たちのための医療班テントだった。

 そこの一角を借り、スグリとヤクの二人の魂が囚われているという夢の牢獄から救出する行動に移った。夢の牢獄までへの回廊を、女神の巫女ヴォルヴァであるレイとエダが繋ぎ、そこへ自身のマナを介して侵入することにより、囚われた魂を夢から覚めさせる、というものだ。

 レイとエダの二人では足りない力をアマツとルーヴァが貸し、どうにか夢の牢獄へ辿り着き、なんとか魂にそれが夢だと理解させることができた。それで夢の牢獄からは脱出できたはずだったが、スグリもヤクも目を覚まさなかった。


 それ以上のことは出来ずに途方に暮れていたら、ミズガルーズ国家防衛軍が港町エルツティーンまで運んでくれたのだ。その街の総合病院なら、ひとまず安静にさせることは出来るだろう、と。彼らの言葉に甘え、現在にまで至る。


 眠ったままのスグリとヤクは、それぞれ個室に移された。元々敵対行動をしていたアマツやルーヴァは、ミズガルーズ国家防衛軍の監視のもとでならと、面会を許された。


「……」


 アマツは目を覚まさないスグリを眺めながら、これは己の行動に対する罰なのではないかと考えていた。


 己の死に後悔はしていないつもりだった。ブルメンガルテンで己の弟のコウガネに殺されても、己の息子なら大丈夫、強い子だと信じて、ヤクを守り切ってその命を落とした。だというのに、自分は成仏出来なかったのだ。

 どうしたものかと彷徨っていたところに、ルヴェルと出会った。ルヴェルからの誘い文句を聞いたとき、やはり自分は後悔していたのではないかと感じてしまったのだ。もっと面倒を見てやりたかった、守ってあげたかった、と。

 自責の念から、愚かにもルヴェルの手を取ってしまったのだ。息子が女神の巫女ヴォルヴァであると知り、酷使される未来しかないのではと思うと、いてもたってもいられなかった。たとえ過ちだとしても、罪を犯しても、息子を幸せな未来に導くためならば、喜んでこの身を貶めよう。そう思って行動した結果が、これだ。


 自分はただの手駒でしかなかった。ルヴェルの目的のために、いいように騙されたままだった。その結果、息子を守るどころかその命を危険に晒してしまった。

 嗚呼、情けない。己はこんなにも、息子のことを信じてやれてなかったのか。すべては己が弱かったことが原因だ。己が償えることなら、なんでもする。

 だからどうか、もう一度。自分が再び死に戻るまでに、もう一度だけでいい、息子と話をさせてほしい。多くを語らなくてもいい、ただ一言。すまなかったと謝りたい。


 手を組み額につける。考え込むような体勢で、祈るように心の中で吐露する。優しい風がアマツの背中を撫でる。もうそろそろ面会時間が終わる、その時だった。


「……ちち、うえ……?」


 か細くも、しかし確かに聞こえた声に思わず顔を上げる。すぐさまベッドで眠っていたスグリに視線を向ければ、若草色の瞳がアマツを見ている。やがてスグリは自分に対して、小さく笑った。そこでアマツはようやく、スグリが目覚めたと理解した。


「スグリ、私が分かるか……?」

「……ああ……父上……」

「嗚呼、よかった……スグリ……!」


 アマツはスグリの頭を撫でた。全身の力が抜けたようだった。力なく椅子に座り、よかった、と呟くことしかできない。そんなアマツに、スグリはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……夢を、見たんだ……」

「こら、あんまり喋っては──」


 体に障るだろう。言いかけた言葉は、スグリがゆっくり頭をふるふると振るったことで、止められる。


「……幸せな、夢だった……。父上も、爺もいて……。俺が、貴方の力になっている、そんな夢……」

「ああ……」

「夢の中、だったけど……。俺は、貴方の力になれてて……嬉しかった……」

「……そうか」

「けど、俺は……そんな夢より、現実を選びたい……。俺が本当に守り、たいものは……そこに、あるから……。……なぁ、父上。俺は……貴方が誇れる息子に……成長できている、だろうか……?」


 不安そうに自分を見上げるスグリに、優しく笑って再び頭を撫でた。


「ああ。それでこそ、私の自慢の息子だ」


 自分の言葉に、スグリは満足そうに笑う。


「……ああ……よかった……」

「今、医師を呼ぶ。ゆっくりしなさい、スグリ」

「……はい……」


 その後アマツは医師を呼び、スグリが目覚めたことを監視のミズガルーズ兵に伝えるのであった。


 ******


 総合病院の別室。そこにはヤクが眠っていた。その隣には、アマツと同じく彼を見守るルーヴァの姿。人より幾分か冷たいヤクの頬にそっと触れたルーヴァは、己の蘇生してから今までの行動を反省していた。


 スグリとヤクの二人とは、港町ノーアトゥンの港で出会った。彼らの悲惨な境遇を知ったルーヴァはヤクたちを保護するため、彼らの保護責任者となった。その後は命を落とすまで親代わりとして、兄代わりとして、彼らを見守っていた。

 彼らの相談に乗り、彼らを守るために働いていた。自分より幼いのに苦しみぬいてきた二人の幸せを、守りたかったのだ。


 八年前、ルーヴァはヤクが被害に遭った、軍内部と士官学校の間で起きていた凌辱事件を追っていた。ヤクの協力のもと全貌を白日の下にさらし、犯人たちを追い詰めた。犯人たちを裁くための国家裁判中に命を落としたことは、ルーヴァは最適な判断だと思っていた。

 あの時、自分を襲った犯人のハイトが持っていたナイフには、即効性の毒が仕込まれていた。そんなもので、凌辱事件でただでさえ心が壊れかけていたヤクのことを、これ以上傷付けられてたまるものか。そう考えて咄嗟に行動に移したのだ。それでヤクを守れるのなら、自分の命など安いものだと。

 しかし死後、本当にあれでよかったのかと感じてしまった己もいたことに、ルーヴァは気付いてしまった。あの行動のせいで、ヤクは再び傷付く道を歩んでしまっているのではないか。本当に自分は、彼を守り切ることができていたのかと。


 成仏できずに、そんな自問自答を繰り返す日々の中でルヴェルと出会い、彼の言葉に惹かれてしまった。今度こそ守り切ればいい。そんな言葉に絆されて、彼の手を取り、正気に戻ってからその行動にひどく後悔した。


 今度こそ守りたい、何からもどんな脅威からも守りたい、そう思っていたが結局は自分のエゴだった。もう十分傷付いたんだ、これ以上傷付いてほしくない、そんな考えにとらわれて。

 彼は自ら進むべき道を見つけていたというのに、自分はそれを閉ざすような行動をしてしまった。


「ヤク……」


 蘇生して、正気に戻って、己がとんでもない行動をしていたことに気付かされ。

 いつだって遅すぎるんだ、自分は。

 彼に謝りたい。こんなにも彼を苦しめた自分がそんなこと言える資格なんて、ないかもしれないけど。目を閉じて、唇を噛む。


「……ごめんね、ヤク……」


 絞り出すように、後悔を吐露するように。ぽつりと呟いて、言葉が返ってこないことに、また反省して──。


「……るぅ、ば……さん……」

「っ!?」


 予期していなかった返ってきた声に、顔を上げる。視線を上げれば、蒼の瞳がこちらを見ていた。恐る恐る名前を呼ぶ。


「ヤク……?」

「……ああ……私が、知ってる貴方だ……。ルーヴァさん……」

「……っ!ヤク!」


 ふわりと笑うヤクを見て、ようやく彼が意識を取り戻したのだと理解した。微笑みながら、彼の頭を撫でる。よかったと、繰り返し呟く。


「大丈夫かい?どこか痛いところとか、苦しいところとかないかい?」

「……はい……よかった……。貴方がもとに、戻って……」

「ヤク……ごめん、ごめんよ。僕はいつも、キミを苦しめるだけで……」

「ルーヴァさん……」

「八年前も、今回も。僕はキミをいつも傷付けるだけだ……。そんな僕が、キミのことを守るなんて、そんな資格なんてなくて……」

「……ルーヴァさん、きい、て……」


 頭を撫でていた手に手を重ねられる感覚に、ルーヴァは縋るようにヤクを見た。


「……私は……ずっと、貴方に守られ、てきた……。貴方が守ってくれた、から……私も、スグリも生きている、んです……。だから、お願いです、から……。そんな風に、言わないで……」

「っ……」

「……ずっと貴方に言いたかったことが……あるん、です……。……ルーヴァさん、ずっと私を守ってくれて……ありがと、う……」

「……ヤク……。僕の方こそ、生きていてくれて……ありがとう……!」

「ルーヴァさん……なか、ないで……?」

「大丈夫……大丈夫だよ。これは、嬉し涙だからね」


 くすくす、と笑いあう。

 そんな自分たちを、病室に入ってきた風が優しく撫でるのであった。

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