第百二十節 失墜の王に鉄槌を
炎が沈静化した、沈黙が支配するルヴェルの城内。男はそこを進んでいた。
エントランスもダンスフロアも、見る影もない。長廊下を囲んでいた窓ガラスはものの見事に砕かれ、溶けて、美しかった面影を一切見せない。螺旋階段には豪華なカーペットが敷かれてあったはずだが、今や煤まみれ。
ほぼ骨組みだけになっていたそこを上がり、階層をくぐる。
四つの階層も、もはや破壊し尽くされて無残な形として残っているだけだった。そこを悠々と進み、城の最奥である謁見の間に辿り着いた男は、玉座の近くで倒れていた男──ルヴェルの傍まで近付いた。
ルヴェルは、城が炎に包まれていたというのに焼死体にはなっていなかった。彼の後ろにある玉座と、その奥の巨木は炭と化しているのに。
ルヴェルは自身を蘇生する力を持っている。彼の肉体が不死身の肉体、というには若干語弊があるが。しかしそれには三回までという、回数制限があるのだ。過去に彼は、ヴァナル──反ユグドラシル教団の集団──の創始者、アディゲンに二回殺されている。それにより、ルヴェルの蘇生回数の残基は残り一回となっていた。
そして今回、城への侵入者たちにより倒された。その後しばらくは生きていたのであろう。しかし城全体を炎が包んだことで、火災に巻き込まれ、完全に命を落としてしまった、と。焼死体にもなったのだろう。
それにより、最後の蘇生の力が発動。戦闘で受けた裂傷も、火傷による皮膚の爛れも全てが復元されて、元の体に戻った。そんなところだろうか。
男はつま先でコンコン、とルヴェルの頭を小突いた。起きろ、と声もかける。
それで意識を取り戻したのか、ルヴェルは小さく唸ってから目を開き、体を起こした。頭を押さえながら、恨み節を吐くかのように独り言を呟く。
「く……最後の蘇生を使ってしまう羽目になるとは。あの小僧ども、生かしておくわけにはいかん……!早速次の手を考えねば──」
恨み節を呟きながらも、ようやくルヴェルは目の前に誰かいることに気付いたのだろう。ゆっくりと視線をあげて、自分の正体を知るや否や、悲鳴を上げて後ずさる。そんな態度の彼に、男はくすくすと笑いながら声をかけた。
「久しぶりの再会だというのに、随分な態度ではないか。ルヴェル」
「な、貴様、どうし、何故……!!」
「はは、感激で言葉も出ないか?」
男は、怯えるルヴェルににこりと笑いかける。それが却って不気味に思えたのだろうか。ルヴェルの顔色は真っ青になり、ガチガチと歯を鳴らしながら震えた。それでもどうにか言葉を紡ごうと、何度もつっかえながらも声を絞り出す。
「ふ、ふざける、な!貴様は、あぁ、あの時、死んで……!!」
「ああ、私とお前が前回逢った時のことか。あれは確か……十九年前か?あの時は心底驚いたものだ。まさかアディゲンと協力して私を殺すとはな。まぁそのあと、お前もアディゲンに殺されていたようだがな」
「そそ、そうだ!十九年前、私は確かに貴様を殺したはず!!なのに何故!?」
「それを死者蘇生の力を持つお前が尋ねるのか?ああいや、もうその力は失われたのだったな。先程が最後の、三回目の蘇生だったのだろう?」
「あぁ、あ……」
ルヴェルは背中に氷でも当てられたかのように、ガタガタと体を震わせている。そんなことはいざ知らずと、男は語りをやめようとはしなかった。
「十九年前、確かに私はお前たちに殺された。しかし、死者蘇生は何もお前の専売特許ではない。私はその四年後に、すでに蘇生していたのだ。それからしばらくは力を取り戻すためや、己の実験のために身を潜めていたがね」
「そ、そんな馬鹿なことがあぁ、あって、たっ、たまるものか!なら何故、蘇生後すぐに私を殺さなかった!?」
「当時はお前も、アディゲンに殺されてから身を潜ませていただろう?そしてお前は裏で何かを企み始めた。それが何なのか知りたかっただけよ。その結末も、な」
「そ、それだけの、たた、ために……!?」
「そうだとも。私は自分の論文と、実験が好きなのでな」
からから、と。男は相変わらず笑うだけ。
「しかしまぁ、女神の
「い、いや、いや!私の計画に狂いなどなかった!完璧だったはずだ!」
「物事に完璧などないぞ、ルヴェル。それにお前の計画は、その根本からすでに破綻しているものだ。他者……いや、この場合は植物か?いずれにしろ自らで動かない時点で、終わっていたのだよ」
「な、な、なに、を……!」
「それにお前は女神の
ぐ、と言葉に詰まるルヴェルだが、俯きながら呟く。
「そ、それでも、私の力は奴らより遥かに上だった……!」
「他人から奪った力を自らの力と吠えるか。どこまでも滑稽な男よな」
「だだ、黙れッ!そんなこと、ありえるわけがない!」
「はたしてそうだろうか?現にお前は最後の蘇生の力を使ったではないか。敗北したのだよ、お前は。彼らにな」
それに、と男は謁見の間を一瞥する。今は燃える前の絢爛な光景は見る影もなく、煤と灰に塗れてしまっている。
「この拠点も。元々私のものだったというのに、勝手に使いおってからに」
「き、貴様が死んだ時点でこの城の所有者はなくなったのだ!そそ、それを私が有効活用して、何が悪い!?」
「悪いとは言っていないではないか、早合点はよしてくれ」
「そ……そもそも、貴様は何のためにここに来た!?この城はもう貴様のものでは、なかろう!?ならば用事などないはずッ!!」
「まぁ、そうだな。この城は私にはもう不必要なもの。そんな私がここに来た理由は、ただ一つ」
──城の主と共に城を廃棄するためだ。
あくまでもさらりと告げる男に、今度こそルヴェルは恐怖したらしい。男の顔に張り付いている笑顔が、彼には嫌に恐怖に映っているのか。はたまた、金縛りにでもあったのか。身体全体が小刻みに震え、目は見開かれて瞳孔が開いている。
「彼らはお前の蘇生能力については、何も知らないようだったな。この城が炎で包まれ、それに巻き込まれてお前が死んだと誤解したままだ。その誤解を誤解のままにしてやるのも、大人としての務めだろうよ」
「な、なな、なにを……」
「なに、たいしたことではない。彼らの中に、私の友人がいるのでな。その子のためになることはしてあげたいと思うのが、正しい友の在り方だろう?」
男が手中にマナを貯めていく。うねる様に空気が動き、やがて揺らめく炎のように変化する。その炎に殺されてしまうと、ルヴェルは恐怖したのだろう。ずりずりと後ずさるが、その背には破壊された玉座しかない。
「ヒィ!くく、来るなぁあ!!」
「それに、勘違いしてもらっては困るのだが……。私は城を勝手に使ったことを悪いとは言ってないが、同時に許すとも言っていないぞ?」
「そそそ、それは謝罪するっ!許可なく勝手に使ったことも、改造したことも全て謝るからだから!!」
「今更遅いなぁ、反省が」
にっこり笑ったままの男。一歩一歩近付きながら、そうだと言葉をかける。
「ああ、最後に教えてやろう。お前が彼らに負けた要因を。私や彼らにあって、お前には決してないものよ」
「ッ!ぎゃぁああ!?」
玉座にぶつかったルヴェルをそこに縫い付けるように、どこからか黒い針が投擲されルヴェルの体に突き刺さる。深々と突き刺さった黒い針。いったい何処から攻撃を受けたのだとルヴェルは辺りを見回すも、そこには男しかいない。
目の前の男は炎を片手に、ルヴェルの目の前まで迫る。逃げ出そうにも、完全に玉座に身体が縫い付けられているこの状況では、顔を逸らすのが関の山だろう。ルヴェルの虹彩に男が映り込む。恐怖で全身が竦むルヴェルに対して男は笑ってから、遠慮なしに炎の手刀で彼の体を貫いた。
「がふっ!」
「お前にはないもの……それは人望だ、ルヴェル。お前には、決定的に"仲間"という存在が欠けていたのだよ」
男はルヴェルの体内で何かをつかんでから、一気に手を引き抜く。手を抜かれた身体から血が溢れ出し、男の顔や体に飛び散った。目玉が飛び出さんほどにルヴェルは目を見開き、悲鳴を上げられないまま絶命したのであった。
男の手には、ルヴェルの身体から引きちぎった、あるものが蠢いている。どくんどくんと動くそれは、彼の心臓だったもの。それを静かに見下ろす。やはり笑顔で見つめたまま、男はそれをあろうことか丸呑みした。
ごくん、と飲み干した心臓。はぁ、と溜息を吐く。
「ああ、これはひどい。三下な男のゲテモノさ加減、そのものの味わいだな」
そんな感想を呟く男の後ろに、控える人物が一人。
その人物は男の前に跪き、頭を垂れた。
「お疲れ様でございます」
「お前が手助けしてくれて助かったぞ」
「ありがたいお言葉です」
「さて、これで目障りな羽虫の駆除も終わった。私たちも、最後の準備に取り掛かることにしようではないか」
「では、いよいよ計画を進めるのですね?」
「ああそうだ。それと、招待状の準備も忘れないように頼むぞ」
「御意に」
くつくつと、楽しそうに笑い声を零す男。控えていた人物はその様子を一瞥し、では、と立ち上がる。
「参りましょう、ロプト様」
「ああ、そうだなカサドル。すべての終わりを、始めよう」
それだけの言葉を交わすと男たち──ロプトとカサドル──は、静かに謁見の間を後にするのであった。
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