第百十八節 山桜が散る前に
今日はいい天気だ。陽は暖かいし、穏やかな風が吹いている。そんな過ごしやすい気候の今日を好むのは、人間だけではない。
村の周りの山には最近、動物のほかに魔物も湧き始めていた。うり坊程度の大きさの魔物から、熊のような体長の大きい魔物まで、様々。
その魔物たちが、山の動物たちを食い散らかしている。そのせいで狩猟の結果が散々であり、家計に響いてしまっていると、村人たちから報告が上がってきていた。一刻も早く障害を取り除き、安全に狩猟を再開させてやらねばならない。
それだけではない。もし山の動物がすべて食い荒らされてしまったら。食料を求めて、今度は村まで下りてきてしまうかもしれない。そんなことになれば、村は一大事だ。村人たちは安全に生活ができなくなる。
そんなことはさせない。村は、自分が守るべき大切な場所だ。村人たちも、守り抜きたい大切な存在だ。彼らの平和の障害となる魔物たちは、自分が一掃する。
抜刀の構えをとる。
目の前には、唸り声を上げてこちらを睨みつける狼の魔物の群れ。四体ならば、自分一人で十分御せる相手だ。間合いを図り、タイミングを見計らう。
痺れを切らした魔物が、自分に向かってくる。だが甘い。
「"抜刀 鎌鼬"!」
最初に向かってきた狼の魔物を一閃。あっけなく散る一体目。
次に向かってきた二体目の魔物には、手首を返して袈裟斬りに切り伏せる。
牙をむいてきた三体目の魔物の攻撃は、一歩後退して躱した瞬間返り討ちにする。
刃にマナを付与させる。
炎のマナが刀に宿る。
四体目も自分に向かって、牙を突き立てようとする。
しかし遅い。
足を踏み出す。
「"秘剣 烈火"!!」
動きは一瞬。
呆気ないもので、納刀しているときには全ての魔物は息絶えていた。
これで今日の分の魔物はすべて駆逐した。ふう、と息を吐けば、背後から声が聞こえてきた。
「お見事でした若様」
「爺か」
ぱちぱち、と拍手をしながら悠然とこちらに向かってきた人物は、己の祖父ヤナギだった。彼の後ろから、自分の配下の者たちもついてきていた。
思わずため息を吐く。この年になっても、まだお目付け役とやらか。
「また様子見に来たのか、爺。俺はいい年だし、剣の腕だって免許皆伝を貰っているんだ。いい加減、俺を子供扱いするのはやめてくれないか?」
「そうはまいりません!若様はガッセ村の次期領主にございます。大切なお体に傷でもついたら、どうするおつもりですか!」
「だから、大丈夫だっていつも言っているじゃないか。お節介も大概にしろよ、爺」
「お節介とは何ですか!爺は若様の将来を案じているからこそ、口酸っぱく忠告しているのですぞ?次期領主とは何たるかを!」
これだ。ヤナギは事ある毎に、自分に領主とは何かを説きたがる。もう耳にタコができるほど聞かされた内容だというのに。素直に聞いてやる道理もない。
「ああもうわかった、わかりました。とにかく、今日の討伐は終わった。俺はもう村に戻るからな」
「お待ちなされよ若様!まだ話は終わっておりませんぞ!?」
「そうだ。ナカマド、魔物の牙は採取しておいてくれ。あとで矢じりに加工して、村人に配れるようにな。魔物の牙は頑丈だから、狩猟道具にとっておきだ」
「承りました若様。ヤナギ様のことは、自分にお任せください」
「ああ、頼んだ」
「若様!!」
非難の声を上げるヤナギを無視して、村へと戻る。ヤナギの説教は長ったらしいうえに、同じことを何度も繰り返すだけだ。聞いているとこちらが馬鹿になりそうだというのに、まったく。
村の入り口まで戻ってくると、自分に気付いた遊んでいた村の子供たちが、わらわらと駆け足で寄ってくる。
「あ、わかさまー!」
「わかさまだー!」
「おかえりなさーい!」
「ああ、ただいまみんな」
近寄ってきた子供たちのうちの一人を抱き上げる。きゃっきゃと笑う子供に、自分もとせがむ子供。手を繋ぎたがる子供も出る。
「わかったわかった、順番な」
「ねぇねぇわかさま、今日ね、ぼくたちね、これ貰ってきたの!」
はい、と差し出された手には沢山のクワの実。鮮やかな赤や黒紫色をした小さな実には、茎や葉っぱも付いていた。聞けば近くで栽培している村人から、綺麗だからと見ているうちに、数個分くれたのだそうだ。
「これ、とてもキレーでしょー?」
「そうだな。お前たちはこれ、なんの実だか知ってるか?」
「しらなーい」
「わかさま、しってるの?」
きらきらとした目で訊ねてくる子供たちに、笑いながら返事を返す。
「ああ。これはクワの実といってな、食べられる実でもあるんだ」
「おいしーの!?」
「んー、このままだと酸っぱいな。よーく洗って、汚れを落としてから砂糖と一緒に煮詰めると、甘酸っぱいジャムになる。パンと一緒に食べると美味いかもな」
「ほんとー!?」
「俺が嘘吐いたことあるか?」
「ないー!」
「だろう?親に作ってもらうといいさ」
抱き上げていた子供を下ろしながら教えれば、子供たちは期待に満ちた眼差しをしながら、元気よく頷く。
「ありがとわかさまー!」
「ジャムできたら、わかさまにもあげる!」
「はは、ありがとな」
軽く手を振りながら、村に入っていく子供たちを見送る。
さて、と自分も村に入り、屋敷に戻ることにした。道中で、道行く村人たちから声を掛けられる。
「おお若様、魔物討伐のお帰りですか?」
「ああ。そっちも仕事上がりか?」
「いえいえ、今から田んぼの雑草取りにございますよ」
「あんまり無理するなよ。この間腰をやったばかりだろう?」
「なんの、まだまだバリバリ働きますよ!」
「まぁ、程々にな」
他愛のない会話を交わしながら帰ったものだから、予定よりもだいぶ遅れて屋敷に到着した。玄関を開ければ、ちょうどよくとある人物が出迎えてくれた。
「ああ、戻ったのかスグリ」
「父上」
己の父親、アマツ・ベンダバル。このガッセ村の現領主だ。優しく微笑みかける彼に、返事をする。
「今戻りました」
「うむ、無事で何より。して、魔物の被害はどうであった?」
「今はまだ村に降りてくることはないかもしれないが……。徐々に強さが増しているような気がする。魔物内の食物連鎖が変わったんだろうな」
「そうか……。すまんなスグリ、私がまだ戦えていたらよかったが……」
「父上は戦で怪我を負って、それが後遺症になってしまったんだろ?仕方ないじゃないか。それに俺はまだまだ動けるんだから、存分に使ってくれよ」
慰めるように笑えば、アマツは申し訳なさそうにしながらも、何処か遠くを見るような瞳で笑う。
アマツは過去に一度、村が戦に巻き込まれかけた時に数人の部下を引き連れて出陣した。だがその際、大怪我を負ってしまったのだ。怪我は完治したが、後遺症によって刀を思うように振えなくなり、そのまま前線から引退してしまったのだ。
動けない父の代わりに、自分が動くことでみんなを守れるのならと。魔物討伐の仕事を引き受け始めたのだ。
最初は渋られたが、魔物は待ってはくれない。それにこれは、自分の剣の修行にもなる。何度も説得したのちに、ようやく相手が折れてくれたのだ。
「スグリ、今晩一杯付き合わんか?村人から良い酒を頂いたのだ」
「父上から誘ってくるなんて珍しいな」
「まぁ、な。たまには息子と飲んでみたいと思ったのだよ」
「そうか。今晩は特に用事もないし、ご一緒させてもらおうか。つまみは俺が適当に用意しておく」
「はは。では、期待させてもらおうか」
父の言葉に適当に返事をして、屋敷にある自分の部屋へと向かっていく。
しかし本当に珍しい。父が飲みに誘ってくるなんて。自分と違って、酒にはそれほど強くなかったような気がしたんだが。
どこか不思議に思いつつも、それでも晩酌の時間を楽しみに待つことにした。
その日の夜。
今夜は穏やかな夜だ。雲も出ていない。星々はきらめき、空には満月が浮いている。月見酒とは、乙なものだ。
縁側に座りながら、アマツと共に酒を嗜む。口当たりのさわやかな清酒は、するりと喉を通っていく。つまみには、大根の漬物を用意した。これはアマツの好物だ。
ひと時の晩酌を楽しんでいると、ふとアマツからこんな言葉を投げかけられる。
「スグリ……この村は、とても良い村だな」
「父上?」
「空気も、人も、心でさえ。とても穏やかだ。争いごとなど何一つない。まったく幸せな村よ」
「……酔ったのか?」
「お前はそう思わんのか?この村が、良い村だと」
それは、と一度月を見上げる。
そんなこと、思わないわけがない。何もない田舎の村ではあるが、その分穏やかなことに変わりはない。この村のことが好きだと答えれば、満足そうにアマツは笑う。
「……私は、この村を好いている。だから、今まで私なりに村を守ってきた。それが私のやるべきことだと、考えていた」
「ああ……」
「お前はどうだ?お前は何が大切で、何を守りたいのだ?」
「……父上と同じさ。村の人たちのことが、何よりも大切だ。その人たちがいるこの村を、俺は全力で守っていきたい」
「……お前が村人たちを大切だという、その理由を問うてもよいか?」
「え?そんなの決まってる。俺は──」
……あれ……?
……おかしい。
言葉、が。
続きの言葉が、出ない。
俺が村の人たちを大切だと思う、その理由が。その言葉が。
頭を抱える。なぜ、どうして言葉が出てこない。
村の人たちが、大切。そう思っていることに変わりはないはず。だというのに、その理由が、どうしても思い出せない。
「スグリ……。お前には村や村人たちの他に、もっと守りたいものがあるのではないか?」
「そんなの……」
あるわけない。俺はこの村以外のことを知らないのだから。
そんな、村の人たち意外に守りたいものなんて──。
「あるはずだぞ。お前が、誰からも何からも守りたいと思った、その存在が」
「父上……?何言ってるんだ。俺にそんなものなんて……」
「……。……明日は、雪でも降るかもしれんなぁ」
独り言ちて酒を煽るアマツ。
雪だなんて、そんなの。
「今は春だろ?そんな、雪なんて──」
視線を上げる。屋敷の近くにある桜の樹が、風に煽られて花弁を舞わせる。
優しく広がる桜吹雪。
その奥に、一欠けらの雪を見た。
細すぎる手足、傷だらけの身体。空色の髪に、怯える碧玉の瞳。
自然と、口からその名前が零れた。
「……ヤク……」
……そうだ、ヤク。
自分が一番に守りたい存在。
家を捨て去っても、何からも守りたいと思える人物。
俺の、本当に守りたいもの。
我に返る。なんだこれは。
この夢は、なんだ。
「思い出したようだな」
アマツの声に気付いて、彼に振り向く。そこにいるのは確かに、己の父親であるアマツ・ベンダバル、その人だ。十四年前に、亡くなったはずの。
満月が一段と輝き、自分の前に扉が現れる。それは、この夢からの出口だ。
はっきりと、そう断言できる。アマツはいまだ座ったまま、酒を煽っている。
「戻りなさいスグリ。大切な人がいる元に」
「父上……」
「私はそんなお前のことを、誇りに思っているのだから」
にこりと笑うアマツ。スグリは彼を見て、しかし何も言わずに扉へと駆け出す。
その背中を、満足そうに眺めるアマツ。成長した我が子を、愛おしそうな眼付きで眺めながら。嬉しそうに、酒を煽る。
やがて月明かりの扉が開くと、その夢を光で満たすのであった。
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