第百十七節  まだ終わりじゃない

 静かになった謁見の間。肩で息をするレイに、エダが手を貸してくれた。どこからも反撃は来ない、ように感じる。

 ルヴェルの近くにいたエイリークとアマツが、床に倒れて身動きしない彼に近付いた。アマツが手の甲を彼の口元に翳す。息が返ってこなかったのか、エイリークに向かって一つ頷いた。

 つまりは、無事にルヴェルを倒すことができたのだと。嬉しそうにレイを呼ぶ彼の声色で、そう理解できた。


「やったんだ、俺たち……!」

「ええ。頑張りましたね、レイ」

「エダ……ありがとう」


 笑顔で返事をして、寝かされているヤクとスグリに近寄る。

 ルヴェルを倒したというのに、二人はピクリとも動かない。息はしているが、どうして目を覚まさないのだろう。

 ルヴェルは、二人は夢の牢獄に囚われていると言っていた。彼を倒しても、そこから解放されるというわけではない、ということなのか。不安と疑問が残る。


 自分に近付く仲間たち。ひとまずはこの城から出ようと、全員の意見が一致したときのことだ。ゴゴゴ、と地鳴りのようなものが謁見の間全体に広がる。何事かと玉座の方に視線を移せば、その奥に鎮座している巨木が蠢き始めたのだ。


「いかん……アレに囚われてはならん!」


 緊迫とする状況で、アマツが告げる。

 彼が言うには、巨木には特殊な術を施してあるとのことだ。寄生先となる宿主と定めた人物のマナを吸い上げ、自らの栄養素に変えてしまうのだとか。玉座の後ろに聳えている巨木は所謂、植物全体の中心部。

 宿主を失ったその植物が、新たな苗床を求めて暴走を始め、それが巨木にも伝わったのではないかと。


「じゃあもし、あの巨木に捕まったら……」

「おそらくその人物のマナを搾り取るまで、寄生し続けるだろうね」


 ルーヴァが寝かせていたヤクを抱え、レイたちに状況を伝える。スグリはエイリークに抱えてもらうことにした。急いで離脱しよう。全員が立ち上がり、駆けだそうとした瞬間。巨木が幹をうねらせ、レイたち目掛けて手を伸ばすように襲ってきた。

 考えるより行動しなければと、先に言葉が出ていた。


「みんな逃げろ!!」


 誰かの言葉を皮切りに、仲間たちは謁見の間の出口へと駆け出す。先頭はグリムとアヤメが務め、殿はレイが引き受けることに。

 次々と向かってくる幹の腕。絶対に捕らえられてはならないと、必死に走る。

 時折ラントが振り向きざまに矢を射って、幹の腕の動きを止めてくれはするが。勢いはあまり衰えず、マナを吸収したいと幹を伸ばし続けてくる。


 第四階層、第三階層、第二階層、第一階層。それぞれの階層を駆け下り、螺旋階段を下ったその先にあるのは長廊下。出口まで、あと少しだ。

 長廊下を抜け、ダンスフロアを走り切り、エントランスへ。その場の床には、身動き一つしないヒト型が、多く倒れていた。それらの足首には、贋作グレイプニルが嵌められている。生気をまるで感じないそれらは、おそらく死者の戦士たちだったものだろう。

 ルヴェルによって蘇生させられ、死後も使役させられ続けていた魂たちの、成れの果て。床を一瞥して、それでもレイはぐっと前を見据える。

 今は構っていられない。出口はもう目の前なんだから──。


「っ、やば……!!」


 捲れていた床のタイルに躓く。身体のバランスが崩れる。その隙を、幹の腕が好機と睨んだのだろう。急速に蠢いて、レイの足に絡みつく。そのままくん、と引っ張られ、レイは床に倒れこんだ。


「レイ!!」


 レイの異常に気付いたラントが立ち止まる。足に絡みついた幹の腕は、魔力を餌にするためにと、レイを奥へ奥へと引っ張ろうとする。

 連れていかれてたまるかと、レイは捲れた床のタイルをどうにか掴む。それでも諦めずに、自分を引っ張ろうとする幹の腕の力は強い。足が引き千切られそうだ。


「く、ぅ……!!」


 やばい、もう限界だ。指に力が入らなくなり、タイルから手が離れてしまいそうになった、その時。


「レイから離れろこの、変態植物が!!」


 ラントが自身の武器を双剣の形に変えて、そのうちの一本をレイに絡みついている幹に向かって投擲。見事それは命中。千切られたのは幹の腕の方だった。

 ラントの手を貸り立ち上がり、彼の手を強く握る。


「走んぞ!」

「ありがとう!!」


 ラントに手を引っ張られる形で走り出す。

 追いかけてくる幹の腕。城の出口はもう目の前。

 逃がしてたまるものかと、幹の腕は最後の抵抗といわんばかりに、レイとラントを取り囲むように蠢く。


「いい加減──」


 突然ラントにぐいっと引っ張られ、彼の腕に抱え込まれる。ラントはもう片方の手に持っていた残りの双剣を、ブーメランを放るように投擲した。


「邪魔すんな!!」


 向かってきていた幹を回転しながら切断していく、彼の双剣。もはや剣の回収は最初から考えていなかったのか、ラントはレイを抱え込んだまま地面を蹴り、背中から滑るかたちで城を脱出。勢いそのままに地面を転がる。


「閉めろ!!」


 ラントの声に、準備していたエイリークたちが城の扉を閉めていく。なんとか幹の腕が外に出る前に、扉は閉じられた。しかし、幹の腕も諦めが悪い。ドンドン、と扉を叩き壊さんとしているようだ。

 どうする、この城全体を包むほどの力なんて、この場にいる誰も持っていない。誰しもがそう思った直後。


 ドォン、と地面を揺らすほどの衝撃と共に、目の前を炎が包み込む。


 何が起きたのかと、最初は誰しも混乱した。ひとまず巻き込まれないようにと走り、安全な場所まで距離を保つ。息を整えながら背後を一望すれば、城全体が炎に包まれているのだと理解できた。いったい誰が。


「ん……?」


 ふとレイが森へ振り返ると、そこから立ち去っている人物が見えた。

 緋色の髪の、男性?


「レイ?どうかしたか?」


 ラントに呼ばれて彼へ向き直り、見たものを伝えようとする。


「え、ああ、なんかそこに……」


 誰かいたような。呟きながら改めて森を見るが。そこには誰もいない、鬱蒼とした木々があるだけだった。

 気のせい、だったのだろうか。首をかしげる自分に、疲れているんじゃないかと声をかけられた。そうなのかと考えているうちに、見た人物のことは、すっかり記憶の中から消えてしまっていた。


 そんなことよりも、大切なことがある。落ち着いた一行はまず、ヴァラスキャルヴ、アウスガールズ本国、ミズガルーズといった三国の兵士がいるテントに戻ることにした。

 中にいたミズガルーズの兵士に、医療班のいるテントに行きたいと伝える。いまだ意識の戻らないヤクとスグリの状態を、医療に通じている人物に診てもらいたいのだ。

 ミズガルーズの兵士は、ひとまずの無事を確認した己の上司たちの姿を見て、すぐに案内してくれた。医療班のテント内にあったベッドを二つ借りる。


 二人の見た目に外傷はない。だというのに、彼らは一向に目を覚まそうとしない。不可解な状態に、その場にいた軍の医療班はお手上げとのことだった。


 原因不明の昏睡。症状から最初に考えられたのは、精神汚染の呪いだった。

 精神汚染の呪い。それは精神が呪いなどの何かしらが原因で汚染されることで、精神と直結されているマナを汚染させることから始まる。

 生み出された穢れたマナが全身に行き渡ることで、身体が拒絶反応を引き起こす。その拒絶反応の反動で意識は混濁し、やがて維持が出来なくなる。これを精神汚染と呼ぶ。処置を施さなければやがてその人物は植物状態となり、そのまま脳死することもある、非常に厄介な呪いだ。

 しかしヤクもスグリも、身体を巡っているマナに異常はなかった。別に原因があると考えられた。レイの脳裏に、ルヴェルの言葉が蘇る。


「夢の牢獄……」

「レイ?どうしたの?」

「あ、いや……。ルヴェルの野郎が言ってたんだ。師匠とスグリは、その魂を夢の牢獄に幽閉されているって」


 レイの言葉に、エダが反応する。


「夢の牢獄……。そう、ルヴェルは言っていたのですね?」

「うん。穏やかで安らかな夢の中で、彼らは永遠に私に囚われ続ける……。そんなことも言ってた」

「そう……。それならば、彼らを救うことができるかもしれません」

「それは、本当ですか!?」


 彼女の言葉に、レイたちはもちろんルーヴァとアマツも反応した。エダは一度頷くと、その方法について話し始める。


 女神の巫女ヴォルヴァの能力の一つである、夢渡りの能力。その力で、囚われている夢に介入することができれば。夢の中にいる本人を、夢から目覚めさせることができるかもしれない。そう彼女は説明した。


「しかし、私だけの力では夢に介入することができません。私は、すべての時間軸に干渉できる"戦の樹"では、ありませんので……」

「すべての時間軸に干渉できる……?」


 意味が理解できず首をかしげる仲間に、レイが説明する。


「"戦の樹"は、干渉者とも言われているんだよ。干渉者は、全ての時間軸に介入できる存在のことで、過去、現在、未来に影響を与えることもできるんだ」

「それって、つまり……」

「"戦の樹"である俺の力も使えば、師匠とスグリの夢の牢獄に干渉して介入することができる……。そうなんだね、エダ」


 エダを見据えて尋ねれば、彼女は一つ頷いた。この場にいる女神の巫女ヴォルヴァのレイとエダ、二人の力でなら、夢の牢獄に介入することができる。その夢の中にいるヤクとスグリの魂を、呼び覚ますことができれば。二人の意識は戻るかもしれない。

 ただしこの方法を行うには、相当量のマナが必要となるのだそうだ。夢渡りの能力は、基本的に無意識化で人の夢や未来の事象を視る能力だ。意識的に対象の人物の夢に介入し影響を齎すには、また別に力が必要となる。


「つまり、どういうこと?」

「簡単に説明すると、マナが足りなくなると夢に介入することができなくなって、魂を呼び起こすことができなくなるってことだよ」

「その通りです。夢の牢獄の中から対象の夢に辿り着き、その上そこに捕らえられている魂を解放するとなると、多くのマナを必要とします。私たちは今、戦いを通して消耗している……。とてもではありませんが、私とレイの二人だけでは……」


 エダは口を紡ぐ。彼女の言う通り、自分たちは今ルヴェルとの戦いを終えたばかりで、消耗している。夢の牢獄に辿り着けるだけのマナなんて、とても足りない。

 とはいえ、そんなことでは二人はずっと昏睡状態のまま。どうすればいい、と拳を握り締めた瞬間。一人の人物が口を開いた。


「なら、僕のマナも使ってください」


 声の人物へ視線を向ける。その先にいたのは、ルーヴァだった。


「元はといえば、ヤクたちがこうなってしまった原因は、僕にもあります。だから、彼らを救うためなら。僕にも協力させてほしいんです」

「……私も、彼と同じだ」


 ルーヴァの声に続くように、今度はアマツが言葉を紡ぐ。


「すべては我らの不徳の致すところ。なればこそ、私は彼らを救わねばならない。エダ殿、レイ殿、率直にお尋ねする。私とルーヴァくんの力……マナがあれば、二人を救うことは可能であるか?」


 レイとエダは互いを見合わせる。

 一度俯いてから、レイが絞り出すように言葉を紡ぐ。


「……確かに、二人のマナを借りれば、師匠とスグリを助けることはできます。だけど!」

「わかっていらっしゃるのですか?貴方たちは今、蘇生躯体に魂が入った状態で蘇生させられている。その状態でマナを使うということは、魂を削られるということなのですよ!?そうなってしまったら貴方たちは!」

「確かに。マナを使用すれば魂の残量は減り、蘇生躯体に定着しつつある魂は、乖離してしまうかもしれませんな」

「でもそれって、エダさんだって同じことでしょう?」


 ルーヴァがにっこり笑い、静かに告げる。


「貴女ばかり背負わないで、僕たちにも贖罪させてください」

「然り。我らは一度は死んだ身。今こうして再び生きている時間は、ほんの泡沫の夢に他ならん。その夢は、終わらせなければ。我らは同胞ですぞ、エダ殿」

「っ……ルーヴァさん、アマツさん……」


 言葉を詰まらせるエダに優しく微笑みかける、ルーヴァとアマツ。三人の様子を見守っていたレイたち。やがて覚悟ができたのか彼女たちは振り返り、レイに向かって頷く。

 それに対してレイも強く頷き、エイリークたちに視線を送った。その意味をエイリークたちも理解したのだろう。こう言葉をかけてきた。


「みなさん。俺たちの大事な仲間を、お願いします」


 一言告げて、頭を下げる。エダたちも言葉を返す。


「はい、必ず」


 そして、ヤクとスグリを救うため。レイたちは準備に取り掛かるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る