第百十五節  すべてを奪い返す

 レイは黄金のリンゴへと飛び上がった。この身に宿っている殺意を感じたのか、巨木の幹が急速に蠢く。レイを目掛けて、攻撃を仕掛け始めた。


「ッ!?」


 突然の行動に驚くも、なんとか寸でのところで躱していく。巨木はまるで近付くなと言わんばかりに、幹の先端を鋭利な刃物のように尖らせ、レイを貫こうとする。


 そんなに邪魔されたくないのか。

 そんなにその果実を壊されたくないのか。


 進む道を塞ぐように、妨害するように。幹の槍が何本も交差しながら、レイへと向かってくる。一つ一つ躱そうとするが、そう上手く全てを躱しきれない。


 頬に、腕に、足に、身体に。掠めた槍で擦過傷が出来る。

 軍服は破れ、血が布を染める。それでも構わずに突き進む。黄金のリンゴまで、あともう少しというところなのに。


 しかも妨害はそれだけでは終わらない。背後からルヴェルが吠える声が聞こえた。その直後、攻撃を仕掛けられた。


 背後から迫り来るいくつもの砲撃。

 目の前から振り下ろされる槍の突撃。

 直撃を受けるのは、時間の問題だった。


「くぁっ!!」


 背後からの攻撃を読み切ることができず、一つの砲撃がレイに直撃する。その攻撃で体勢を崩されたところに、すかさず迫り来る巨木の幹の槍。


 これは、避けきれない。

 覚悟して目を閉じ、眼前で何かが弾かれる音が耳に届き、思わず目を見開いた。


「氷の、盾……?」


 ぽつりと言葉が零れた。目の前にはまるでレイを守るように、透き通った氷の盾が広がっている。レイに迫っていた幹の槍を、この盾が弾いてくれたのだろうか。


 誰が、と考えるだけ野暮だ。

 だってそれは、見覚えのある盾だから。


 まだだ。まだ、終わってなんかない。

 全てを諦めるのは、自分ができることを全部やった後だ。


 レイは避けた幹を足場にして、体勢を整える。ぐ、と踏み込んだ時に、足の裏に風のマナが集まった感覚を感じた。その風は、自分に進めと言ってくれている。レイは、その風の正体を知っていた。


「二人とも……ありがとう」


 ──行ってくる!


 踏み込んだ足で、勢いよく幹を蹴る。その一蹴りに風のマナがブースターとして重なり、一気に黄金のリンゴまで駆け抜ける。迫りくる幹の槍や砲撃からは、氷の盾が守ってくれている。黄金のリンゴを包んでいるオーラに突入する直前、


 ──ああ、いってこい。


 聞き覚えのある二人の声が、レイの耳に届いたような気がした。


 黄金のリンゴのオーラへは、無事に突入できた。中へ突き進みながら考える。ほぼ確信に近い憶測で飛び込んだとはいえ、このオーラの奥に、中心部となっている核が本当にあるのかと。

 一瞬不安になったが頭を振るい、その考えを捨て去る。

 いや、あるはずだと、考えを切り替えた。


「くっ……!」


 向かってくるのは強烈な逆風。押し返さんとするその風は、身体をいとも簡単に持って行ってしまいそうだ。衝撃に目を細める。伸ばしている腕さえも、骨が折られそうな勢いで風は強くなる。

 踏ん張りがきかない。少しでも油断したら、一気に押し戻されてしまう。


 それでも、ここまで来たんだと。

 レイは必死に、手を伸ばす。


「うぉお、おおお!!」


 届け、届け、届け。


 軍服なんてもうボロボロだ。感覚も剥ぎ取られていくようだ。

 だとしても、進みを止めてなるものか。諦めてたまるものか。


 キラリと奥で何かが光る。目指していたのはあれだ。


「もう、すこ、し……!」


 進んでいく。衝撃が強くなる。体の感覚なんてとうに消えた。

 生きているのか死んでいるのかも分からない。今はただ、視界に映ったキラキラしたものを壊すことしか考えられない。右手に握っているであろう杖に、自分なりに力を入れて握りしめてみた。大丈夫、まだそれは手の中にあるようだ。


 キラキラしたそれは、もう目の前。


 核だろうか。いやきっと核だろう。静かに鎮座しているそれを、杖の槍で突き刺してみよう。そしたらきっと、壊れるはず。


「ッ……つか、ま、え……たっ!!」


 右腕を伸ばし、キラキラに杖の槍で作っていた穂先を突き刺す。

 強度はそんなになかったのか。衝突する際に小さな衝撃はあったものの、槍の穂先は確実にキラキラに突き刺さった。何も起こらないと思われた、直後のこと。


 それは徐々に、パキパキと悲鳴を立てて。

 破裂音と共に砕け散り、その衝撃でレイを吹き飛ばしたのであった。


「うわっ!?」


 さすがにその衝撃には耐えられず、レイはそのまま黄金のリンゴのオーラの外まで吹き飛ばされ、謁見の間の床をゴロゴロと転がった。受け身なんて取れるはずもなく、床に叩きつけられた。転がり終わり落ち着いたところで、何が起きたのかと上を見上げる。


 巨木の中心部で光り輝いていた黄金のリンゴと、そのオーラ。それの至る所に亀裂が入り、やがてパリンとガラスが割れたような音を立てる。瞬間、その光は粒子に代わって消滅していく。巨木自体にも大きな亀裂が入った。


 粒子はオーラから零れ落ちると、レイとヤク、スグリの身体へと戻っていく。奪われていた女神の巫女ヴォルヴァの力が、身体の内に戻る感覚を覚えた。透き通った力が、巡回していく。

 それでレイは確信した。やったのだと。とうとう女神の巫女ヴォルヴァの力を、取り戻したのだと。痛む節々を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。


「なんと……なんということだ……。私の力が、計画が、希望が……!!」


 次に聞こえてきたのは、慟哭に満ちた声だった。目の前にいたルヴェルが、よろめきながら崩壊していく黄金のリンゴへ向かう。


「私の計画は、完璧だったはず……。何度も思考を繰り返し、何度も蘇り、がいないのをいいことにこの拠点を奪い、魂たちを奴隷にしてきたというのに!!」

「……」

「そして女神の巫女ヴォルヴァ共から力を奪って、私は神になるはずだったものを!!」


 くる、とレイに振り向いたルヴェルの表情は、憤怒で染まっている。


「それを……貴様のような小童風情に!潰されていいはずがあるまい!!」


 叫ぶや否や、感情任せにレイへと攻撃を仕掛けてくる。レイはその攻撃に対して咄嗟に盾を展開するも、黄金のリンゴを破壊する際に負ったダメージがまだ癒えていなかった。

 すべての攻撃を受け止めきれず、盾は破壊され、攻撃の余波によって床に叩きつけられる。それでも諦めてはならないと、力を上半身を起こす。


「許さんぞ小僧……よくも私の計画を潰してくれたな!?」

「許さないのは……こっちだって同じだ!」


 痛み悲鳴を上げる身体に鞭打って、どうにかその場に立ち上がる。


「エダたちを騙して、師匠たちを誑かして、仲間を侮辱したお前は!!絶対に許さない!」

「黙れ!貴様の考えなど、私が知ったことではない!!私の計画の前に、貴様らはただの駒でしかない!駒ごときがゲームマスターの私に楯突くなど、あってはならん蛮行だ!」

「それがお前の本性か!」

「ああそうだとも!私は奴とは違う!ただの傍観者であった、とは!!」


 (あの男……?)


 レイの疑問をよそに、ルヴェルは吠える。


「私は証明する!すべてにおいて私はあの男より上なのだと!!」

「そんなこと、させてたまるか!」

「ほざけ!その状態で何ができるというのだ!?」


 ルヴェルの言う通り、レイは満身創痍だ。そんな状態の自分の様子を見て、次にヤクとスグリを一瞥した彼は、にやりといやらしい笑みを浮かべた。


「……そうだ、貴様は私の計画を潰した。つまり私の大切なものを奪ったのだ。ならば私も、お前から奪うことにしよう……」


 彼の言葉に、まさかと嫌な予感が脳裏を掠めた。動こうとしたが、思ったように身体が動かない。急に動こうとした身体はついていかず、足がもつれて地面に倒れる。


 ルヴェルは槍を模ったようなマナを、ヤクとスグリの二人に向ける。二人の意識はまだ戻らず、身動きしない。


「お前の、大切なものとやらをなぁあ!!」


 攻撃が放たれようとした。目一杯に声を張り上げる。


「やめろぉおおっ!!」


 放たれた攻撃。

 防御が間に合わない。

 強烈なマナが二人を殺してしまう。


 そんな中で、ある声が聞こえた。


「事象顕現!"晩鐘告げる管理者"デアトート"正転"ゲナウ!!」


 声が聞こえた瞬間、ヤクとスグリに向かっていた槍がバキン、と大きな音を立てる。何事かと見上げれば、槍が消滅する光景が目に入る。声はまだ聞こえた。


「"抜刀 暴風"あからしま


 鋭い切れ味すら感じる声。直後に巨木はバラバラに切り刻まれ、囚われていたヤクとスグリが解放される。地面に落下する前に彼らは誰かに抱えられ、レイがいる方向に戻ってきた。その人物たちを見て、目を見開く。


「あ……」


 ヤクとスグリを救った人物たちは、ルヴェルのエインとして使役させられていた人たちだった。ヤクの命の恩人に、スグリの父親であるその人たち──ルーヴァとアマツだ。


 さらに倒れていた自分を起き上がらせ、傷を癒す人物がいる。身体に宛がわれている手の先を見れば、その人物は優しくふわりと笑う。その人物の名前が、口から零れた。


「エダ……?」

「よかった。間に合いましたね、レイ」

「あ……!」


 優しい声色の彼女。援軍は彼らだけで終わらなかった。

 その人物たちはいつの間にか、自分を守るように立ちはだかっていた。そのうちの一人、毛先が赤く染まっている変わった金髪を持つ人物が振り返り、レイに笑顔を見せる。


「おまたせ、レイ!」

「エイリーク!みんな!」


 思わず笑顔になる。レイたちの前には、エイリークたちが構えていたのだった。

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