第百十三節  大切なものを取り戻せ

 第四階層でエイリークと別れてから、レイはスピードを上げて螺旋階段を駆け上がっていた。

 エインのことを引き受けてくれた仲間たちのためにも。自分の手でルヴェルと決着をつけたいという我儘を聞いてくれた、みんなの気持ちに応えるためにも。この戦いに必ず終止符を打つ。

 女神の巫女ヴォルヴァである以前に、レイ・アルマとして。奪われたものは今度こそ、全部取り戻すんだと。


 謁見の間の扉が見えた。扉を壊す勢いで力いっぱいに開く。その瞬間、眩い光がレイの目に飛び込んできた。思わず手で目を覆い、ゆっくりと瞼を開く。


 謁見の間にある玉座の奥。背後に鎮座している巨木の幹の中央部分。そこで煌々とと輝く黄金の光は、以前ルヴェルに案内されたときに見た光よりも、より強くなっていた。

 それを見て確信する。女神の巫女ヴォルヴァの力は、もうその殆どがルヴェルに奪われてしまっている、と。

 光の前にある玉座には、にんまりと笑みを浮かべているルヴェルの姿。


「ルヴェルッ!!」

「やぁ、来てくれたのだねレイ・アルマ──最後の女神の巫女ヴォルヴァよ。見てごらん、私の目的の黄金のリンゴがここまで成長したのだよ」


 黄金のリンゴ。三人の女神の巫女ヴォルヴァに宿っているそれぞれの力を、一つに合わせた時に現れる結晶体。伝説の果実と呼ばれ、手にした者は世界の神として君臨することができるといわれている代物。

 それが、巨木の幹で輝いている光の正体。あの果実を完全に成熟させる前に、ルヴェルとの戦いに決着をつけなければならない。


「ほかの二人の女神の巫女ヴォルヴァからは、ほとんどの力を吸収させてもらったよ。あとはレイ・アルマ。お前の力さえ完全に奪い切れば、私はこの世界に神になれる!さぁ、その力を私に寄こすんだ!!」


 そう言うなり、ルヴェルは手にしていた「聖なる宝玉」を発動させた。この中に対象となる人物に近しい触媒──体液や髪の毛など──を入れることで、その人物のマナに直接作用させられるパイプが繋がる宝玉。その力でルヴェルは、レイの中に残っている女神の巫女ヴォルヴァの力を、一気に奪いにかかってきた。


 背中がぞわぞわとする。何かが抜け出ていくようで、思わず自分の腕を抱えて体を屈ませる。必死に抵抗しようとするレイに、ルヴェルはからからと笑う。


「言っただろうレイ・アルマ!この触媒が作用する限り、この城の中のキミは私の玩具だと!キミは私を止めに来たのだろうが、勘違いも甚だしい!私がキミを呼んだのだよ、キミを一生私の愛玩具にするためにねぇ!」


 触媒である「聖なる宝玉」が光を増す。

 しかし──。


「……?」


 ルヴェルが何か感じ取ったのだろう。こちらを見下してきたのを、盗み見た。彼はどこか、訝しんでいる様子だ。それは何故か。

 理由は簡単。レイから黄金のリンゴへ、女神の巫女ヴォルヴァの力が流れないからだ。

 レイは小さく笑い、杖の先端に光のマナで槍の穂先を作り出す。次の瞬間には玉座へと駆け出し、ルヴェルにそれを振り下ろした。


「せやっ!!」


 自分の行動にルヴェルは動揺した様子を見せたが、彼は間一髪でレイの攻撃を避ける。何故自分が自由に動き回れているか、理解できないのだろう。


 とはいえ、それを教える義理なんてない。魔剣ダインスレーヴから作り出した腕輪の効力を実感しながら、これならいけると杖を握りしめた。


「……はは、どうやら前ほど簡単にいかないみたいだな」

「当たり前だ!これ以上、お前のいいようになんてさせない!!」

「ほう、できるのかね?女神の巫女ヴォルヴァの力を使えないキミに?」

「できるできないじゃない、やるんだ!!」


 再び駆け出し、光の槍を振るう。対してルヴェルもどこからか剣を取り出し、レイに相対する。


 衝突し、弾き、弾かれ。

 距離をとる。間合いを整える。タイミングを見計らう。


 三度動こうとしたレイに対し、ルヴェルはにやりと笑みを深くする。

 彼の笑みに気付くのに一瞬遅れ、動きが止まってしまう。


"大地に降り注げ氷の鉄釘"レーゲンアイスツァープフェン!」


 突如地面から氷の支柱を出現する。その支柱の面から、鋭い氷の矢や降り注がれた。氷の支柱のありとあらゆる面から多方面に放たれる氷の矢。それは己の師である、ヤクの使う術のはずだ。

 反応が少し遅れたが、レイは慌てて槍の穂先を解除し防御に入る。


"月明かりからの恩恵"モーントゲファレン!!」


 薄いヴェールのような膜で対象を包む防御魔法。自身の周りに張られた淡い光の膜は、向かってくる氷の矢を受け流す。

 しかしさすがは自分の師匠の技。膜は完全に氷の矢を受け流すことはできず、膜のところどころを突き破ってきてはレイの身体を掠めていく。


 吸収した女神の巫女ヴォルヴァの力の副産物。その人物の習得している技や術を、ルヴェルも行使できるという効果。

 自分やエインとして使役する魂たちを騙すだけでは飽き足らず、人の力を勝手に使うなんて。レイの怒りは膨らむ。


「この……猿真似変態ヤロー!!」


 氷の矢が止まる。

 その瞬間、防御膜を解除。マナを集束する。怒りを込めた一撃を放つために。


"降り注げ、闇夜を照らす星の瞬き"シュトラールレーゲングスッ!!」


 それは集束砲の一つ。ばら撒いた光のマナを再集束させ、巨大な一撃とそれを取り囲むように細かい砲撃を同時に放つ技。光の槍の穂先と、防御膜分の光のマナを集めたその一撃は、ごう、とルヴェルへと向かう。

 それをルヴェルは、涼しい顔をしたまま対処する。


「"秘剣 風神貫"」


 スグリの技。自身を中心に巻き起こった竜巻がルヴェルを覆い、向かってくるレイの砲撃を受け止める。レイはその風を突破しようとさらに力を籠める。が──。


「っ……!」


 砲撃の威力が弱まる。集束させた光のマナが尽きようとしていた。一瞬緩んでしまったレイの背後に回ったルヴェルが、攻撃を仕掛けてくる。

 それに気付いたのは、足元に気配を感じてから。今度は間に合わない。


「やば──」

"氷樹よ聳え立て"グリザ


 レイの足元で、マナが爆発する。まるで十字架に拘束するように、ルヴェルのマナで編まれた氷柱が何本も出現し、レイを取り囲む。

 それだけでは終わらず続けてルヴェルは──。


"永久凍土の抱擁"コキュートス


 その氷の支柱の体積を膨張させる術も展開。抵抗する前に、レイは氷の支柱によって身動きを封じられる。この技の組み合わせは、己の師が得意とする戦法の一つだった。

 手はおろか、指の一本すら動かせない。歯軋りしてルヴェルを睨みつけることしかできない。こちらの恨みがましい視線を浴びながらも、ルヴェルは恍惚の表情を隠すことなく近付き、レイの頬を撫で上げる。


「ああ、いい眼だ。実に美味しそうな表情カオをしてくれるね、レイ・アルマくん?」

「こっの……師匠たちの技をいいように使いやがって!」

「吸収した力の副産物を有効活用しているだけじゃないか、何が悪いのかね?」

「ふざけるな!それは二人の技だ!奪い取ったお前が使っていいものじゃない!!」

「そんなのキミに言われる筋合いはない。随分とまぁ、憎まれ口を叩くようになったじゃないか。あんなに、私に身を委ねていたというのに」


 ルヴェルに顎を掴まれ、くい、と上に持ち上げられる。レイはそんな彼に対して最大限の侮蔑の視線を込めて、ルヴェルを睨みつける。身動きできないことが、こんなにももどかしい。


「そんな目で睨まないでくれよ、嗜虐心が煽られるじゃないか」

「この、変態……!!」

「なんとでも。ああ、それこそここでキミを犯してあげようか。大切な人たちもいる、この場で」

「えっ……!?」


 ルヴェルの言葉に反応したのか。玉座の背後に聳えている巨木の両脇が蠢く。やがてその間から、二人の人物が現れた。

 気を失っているが、間違いない。それはルヴェルに囚われていたヤクとスグリの二人だった。身動きが取れないようにと、彼らの身体には幹がまとわりついている。変わり果てた二人の姿を見て、思わず叫ぶ。


「師匠!スグリ!!」


 呼んでも、二人からは全く反応がない。くすくす、と笑うルヴェル。


「無駄だ。あの二人の魂は今、夢の牢獄に幽閉されている。穏やかで安らかな夢の中で、彼らは永遠に私に囚われ続けるのさ」

「お前っ!!」

「女神の巫女ヴォルヴァの力を吸収した後の身体に用はない。人形を抱いたところで、面白くもなんともない。しかしキミは別だ、歓迎してあげよう。キミのような若く瑞々しい肉体は、私の大好物だからねぇ」


 そのままルヴェルは顔をさらに近付け、レイの唇を塞ぐ。


「ンんっ……!」


 目を見開く。こちらが動けないのをいいことに、やりたい放題だ。

 深く塞がれた唇。強く結んだ上唇と下唇の間を、舌で撫でられる。背筋をぞわりとした感覚が走る。気持ち悪さに思わず小さく口を開けば、狙ったかのように咥内へルヴェルの舌はねじ込まれる。


「んぅ、あ……!」


 歯の間をこじ開け、奥に奥にと進んでくるルヴェル。そして彼はレイの舌を絡めとり、飴玉を転がすように翻弄してくる。執拗に唾液を擦り付けてくる感覚に、これ以上はさせてたまるかとレイは反撃。ルヴェルの舌を、思い切り噛んでやった。

 そこでようやく諦めたのだろう、ルヴェルの口づけから解放される。


「ああ、やはり美味だ。キミは最高の愛玩具になれるよレイ・アルマ!」

「ふざ、けるな!」

「とはいえ、その反抗的な態度にも飽きてきてしまったな……。そうだ、先程キミは私のことを猿真似野郎と言ったね。ならば、私自身の術をお見せしてあげよう」


 ルヴェルはレイから数歩離れると、パチンと指を鳴らす。

 すると、今までレイを拘束していた氷の支柱に変化が生じる。それらは透き通った氷から、黒く淀んだ、粘着質なものに変わる。さらにレイの足元からそれと同じ、淀んだ沼のような液体が湧き上がってきた。身動きが取れず、底なし沼に入ってしまったかのように身体が沈んでいく。


「なんだ、これ……!?」

「それは、私がこれまでに堕落させてきた魂たちのなれの果て。私はヒトの魂に直接作用させる術が得意でね。まぁ、だからこそ死んだ魂たちを蘇生させることもできたんだが」

「この、離れろ!」


 藻掻いてみるが、藻掻けば藻掻くほどそれらはレイに絡みつく。もう腰の位置まで沼に浸かってしまっている。


「淀んだ魂たちは、純粋な魂が苦手なんだ。見つけるとたちまち、自分たちのところに引き込もうとするのさ。今のキミのようにね」

「く、そっ……!」

「その沼に沈んで魂が染められてしまえば、その人物は堕落して自我を失う。そうしたら、じっくりと楽しんであげよう。キミの身体の隅々まで……ね」


 ルヴェルのその言葉を最後に、レイは淀んだ魂たちに引きずられ、沼へ完全に沈んでしまうのであった。

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