第百十二節  捕らわれた魂の解放

「そら、受け止めて見せろや女ァ!!」


 その頃現実世界では、裏人格のエイリークとエダの戦いが激しさを増していた。

 裏人格のエイリークは容赦なくエダに向って攻撃を仕掛けていく。その一つ一つが強力なものであること、爆薬の塊が吹き飛んだかのような威力の強いものであるために、エダは防戦一方。徐々に追い込まれつつあった。

 しかしそこはさすが、元女神の巫女ヴォルヴァ。いまだ大きな致命傷は受けていなかった。時間の問題ではあるが。


「くっ……!」


 彼女が防御膜を張る。しかし今の、裏人格のエイリークにとってそれは薄衣とさして変わらない。大剣を横に一閃するだけで、あっけなく砕け散る。それは衝撃波に変化し、余波となってエダを襲う。そこに追撃の手を緩めないのが、彼だ。


"命の灯、解き放たれしとき"シャルールリベラシオン!!」


 マナで生み出された炎を大剣に纏わせ、吸収させる。すると刀身が炎熱により赤く煌めく。まるで灼熱の剣。裏人格のエイリークは勢いよくそれを振り下ろす。

 触れた瞬間に全てを焼き尽くす力が宿った刃は、その地面すらをも一瞬にして灰塵へと変える。勿論、防御のために展開させた術すらも飲み込んで。


「あぐっ……!」


 エダの術が崩壊する。衝撃波は彼女を飲み込むと、勢いそのままに壁へと衝突。

 エダも丸ごとそこに叩きつけた。衝撃に吐血するエダ。さらに彼女にとって予想外の出来事が起こる。


 彼女の近くを浮遊していた光の球体──表人格のエイリークを閉じ込めていた夢の牢獄──が、突如音を立てて割れたのだ。ありえない、と彼女の表情がそう物語っている。彼女の狼狽ぶりを見た裏人格のエイリークが笑う。


「どうしたクソ女。なにかよくねぇことが起きたみてぇだなぁ?」

「……貴方には関係のないことです」

「ハッ、そりゃ結構。どのみちテメェには俺様に殺される以外の選択肢なんざ、ありっこねぇんだもんなぁ!!」


 駆け出す裏人格のエイリーク。

 エダは術を展開。相手の動きを封じようと仕掛けるも、


「ハッハァ!おせぇんだよっ!」


 戦闘能力に特化している裏人格のエイリークには、かすりもしない。なんという速さと反応速度、とエダは混乱する。そんな、隙だらけの彼女に攻撃を当てることは、裏人格のエイリークにとっては造作もないこと。


 大きく振りかぶる。

 いまだに炎熱を纏っていた大剣の面を使い、エダの体を吹き飛ばす。


 彼女の身体は勢いに負け、地面を滑る。

 周囲に服の焼ける臭いと、人の肉と脂が焼けるような臭いが一気に漂う。


 どうやら今の一撃で彼女は気を失ったらしい。身動き一つしない。

 ようやく殺しやすくなったかと、裏人格のエイリークがエダに近付く。実際のところ、彼はエダに対してむかっ腹を立てていた。


『バルドル族が双極種族だなんて事実は、存在しないのですから!!』


 その言葉が、いやに鼻につく。そんな事実は存在しない?

 馬鹿を言え。現にこうして自分は存在している。もし彼女の言葉が真実なら、今ここにいる自分自身はいったい何なのかと。……いや、考えるまでもない。


 俺も間違いなく、エイリーク・フランメなんだよ。


 足元には気を失っているエダ。彼女に対して大剣を突き立てようとして──。


『やめろ!その人を殺すな!!』


 いつの間にか身体に戻っていた表人格のエイリークに、止められる。裏人格のエイリークは舌打ちして、表人格の己に噛みつく。


「チッ、のいてろや弱虫!俺様の邪魔すんじゃねぇ!!」

『いいや邪魔する!!俺たちの目的はその人を救うことだ!殺すことじゃない!』

「黙ってろ!このクソアマは殺す!これは決定事項なんだよ!!」

『ふざけるな!その人は、レイのお母さんなんだ!!』

「だからなんだ!俺様には関係ねぇ!!」


 大剣を振りかぶる、が。身体の自由が利かない。表人格のエイリークが、彼の行動を精一杯制限しているようだ。ままならない状況に、怒りのボルテージは上昇し続ける。


「ざっけんな!!テメェ、俺様にぶっ殺されてぇのか!」

『殺されるもんか!俺はその人を守る!!』

「さっきまでこのクソアマにやられてたくせに大口叩くんじゃねぇ!このクソはゼッテェ殺す!じゃなきゃ俺様の気が収まらねぇ!」

『それこそ俺には関係ない!!やめないっていうなら、俺にも考えがある!』


 その声の直後、とたんに自分の意志とは反して体が動く。右手にマナを収束させられている。狙いは大剣を掴んでいる左手。それでようやく、表人格の己が何をしようとしていたかを察した。


"雷神の裁定"エクレールジュワユース!!』


 その術は、彼自身が使用する術「"小さな雷撃"プティトネル」の上位互換。手中に雷のマナを臨界点ギリギリまで溜めこんで放つ術だ。直撃した相手の筋肉に痙攣を起こさせ、マヒ状態とさせるそれを、あろうことか自らの利き手である左手に向けて放ったのだ。

 裏人格のエイリークは身体の自由が利かなかった影響で、その術が避けられるはずもなく。攻撃の衝撃で左手からは大剣の柄がずり落ちて、エダの横の地面に落下。ビリビリと左手が痙攣する形となった。


「何しやがる!」

『お前が言うこと聞かないから、こうする以外にないじゃないか!!また大剣掴んでみろ、今度は右手にもかましてやるぞ!』

「冗談じゃねぇぞテメェッ!!」

『それはこっちのセリフだ!その人がお前に何したっていうんだよ!?』


 その言葉に対して、裏人格のエイリークは吠えるように叫んだ。


「このクソアマ、ワケわかんねぇことほざきやがったんだよ!!バルドル族が双極種族だなんて事実は、存在しないだなんて言いやがって!!人間如きの分際で俺様を否定しやがって!許さねぇ!!」

『バルドル族が双極種族だなんて事実は、存在しない……?』

「だから俺様はコイツを殺す!たたっ斬ってやらなきゃ気が済まねぇ!!」

『それ、お前はちゃんと事実かどうか確認したのかよ!?』

「ぁあ!?」


 感情を逆撫でされるような表人格のエイリークに再度噛みつく。そんな自分に動じることなく、彼は言葉を続けた。


『その言葉が本当かウソなのか確かめたのかって聞いたんだ!』

「確かめるまでもねぇ!現にこうして俺様がここにいる時点で、ンな事実はありえねぇんだよ!!」

『お前がそう考えてるだけかもしれないじゃないか!確認もしてないのに決めつけるなんて、そんなの横暴だ!そんなの、お前の言う人間と何も変わらない!!お前は俺のことを散々弱虫っていうけど、お前だって弱虫じゃないか!!』

「ンだと!?もういっぺん言ってみろやテメェ!!」


 いよいよ殺意まで湧く。己より弱いはずの存在が、自分を愚弄するのかと。脅しをかけても、表人格のエイリークは怯まずに言葉をつづけた。


『だってそうじゃないか!お前はその人の言葉が本当かウソかもわからないくせに、ウソだって決めつけて本当のことを知ろうとしないで逃げてるだけじゃん!それを弱虫と言わないなら、なんなのさ!逃げ腰野郎って言えばいいの!?』

「はぁ!?俺様が逃げてるだ!?」

『そうだよ!ウソだと思うならそう思ったまま胸張ればいいのに、真実を知らないままで決めつけたことを決定事項にして、殺そうとするなんて!!弱くて情けない臆病者じゃないか!バルドル族が聞いて呆れるよ!!』


 声を大にして言い切った表人格のエイリークの言葉に、思わず言葉に詰まってしまった。何故言い返すことができない。こんな弱虫の言葉に、気付かされる何かがあったとでもいうのか。ああまったく、考えがまとまらない、腹立たしい。

 この馬鹿と問答する気も段々失せてきていた。何もかもが面倒だ。


「チッ……」


 裏人格のエイリークは考えることを放棄して、表人格のエイリークを表に突き飛ばす。人格の裏側に戻った裏人格の己に、表人格の彼は恐る恐る声をかける。しかしちゃんと答えることすら、もう面倒に感じてしまった。


「どう、して……?」

『……うるせぇ。馬鹿とのお喋りで疲れたんだよ。休ませろや』

「……わかった」

『チッ……』


 忌々しい舌打ちの音を最後に、裏人格のエイリークは完全に人格の裏へと消えていった。内心安堵の息を漏らした表人格のエイリークは、いまだ倒れているエダに近付いた。気を失っている今のうちに、贋作グレイプニルを見つけなければ。

 しかしいくら探してもそれらしきものは見つけられない。本当に装着しているのだろうかと疑問が浮かんだとき、視界の端でキラリとするものが見える。


「え……?」


 恐る恐る、布で隠れているそこを拝見することに。布の端を持ち上げてそぉっと捲る。そこは彼女の太腿部分。なんだろう大変申し訳ない気持ちがこみあげてくるのだが。そこに、あったのだ。贋作グレイプニルが。


「な、なんちゅーところに……」


 思わず赤面しつつ、しどろもどろとしながらもそれの宝石部分に手を翳す。彼女の身体を傷つけないよう細心の注意を払い、威力の弱い「"小さな雷撃"プティトネル」を発動。攻撃が直撃して宝石が割れる。そしてすぐさま核を嵌めて布から手を放す。それだけなのに、まるで一仕事終えたような、しかしなんだか後ろめたいような気分になってしまった。すかさず彼女から離れて大きく息を吐く。

 ええ、もう、はい。めっちゃ疲れました精神的に。おのれルヴェル許すまじ。


 そんな風に一人恨み節を呟いていると、エダが身じろぎをする。どうやら気が付いたようだ。彼女はゆっくりと起き上がり、目を開く。やがて視界にエイリークを捉えると、顔を歪ませて謝罪してきた。そんな彼女に、魂がルヴェルから解放されたと確信するエイリーク。


「……ごめんなさい。貴方には、散々迷惑をかけてしまいましたね……」

「そんな、謝らないでください!俺は大丈夫ですから……!」

「いいえ。操られていたとはいえ……貴方に暴言を吐いたことに、変わりはありません。それに、貴方方をここまで巻き込んでしまって……」

「……エダさん」


 エイリークはエダの肩に手を置くと、にっこりと笑う。


「反省も、後悔も。まずはこの戦いを全部終わらせてからにしませんか?それに、申し訳ないと思うのなら……レイの力に、なってほしいんです。レイはまだ、戦っているから」

「あの子が……?」

「はい。全部を取り戻すためにって、頑張ってます。俺はこれからレイのところに向かいます。だからエダさんも、一緒に行きませんか?」

「……私は、あの子の力になれるのでしょうか……?」


 不安げに俯いて呟く彼女に、エイリークは元気よく頷き返事を返す。


「当り前じゃないですか!だってエダさんはレイのお母さんなんだから!」


 その言葉でようやく、エダの瞳に光が戻る。俯いて一言、そうですねと答えてからエイリークの手を借りて立ち上がった。優しく笑いかけられる。


「そう、ですね……。私はあの子の、母親でしたね」

「そうですよ!エダさんの力があれば、レイの力は百人力ですよ!」

「ふふ……ありがとうございます、エイリークくん」


 笑いあっていると、第三階層から続いていた階段から複数人の足音が聞こえる。振り向けばそこにはラントたち仲間と、エインとして捕らわれていたルーヴァ、アマツが駆けてきている。仲間たちも解放に成功したんだと、自然と笑顔が綻ぶ。


「よかった、みんな無事で!」

「はい、エイリークさんも無事でよかったです……!」

「へへ、当然!」


 ケルスに笑いかけた直後。第四階層の奥、レイが向かった謁見の間がある方向から衝撃による揺れが起きた。一同が緊張の面持ちでそこを見上げる。


「とにかく話はあとだ。レイのところに行こうぜ!」

「うん、そうだね!」


 ラントの言葉を皮切りに、全員が頷く。そして謁見の間まで続く螺旋階段へと駆け出していくのであった。

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