第百十節   夢の担い手

 第四階層。そこではエイリークが暗闇の中、繰り出されるエダの攻撃を受け流していた。階層に広がるのは、漆黒に近い闇。一歩進んだだけで飲み込まれそうなほどの、その空間。

 エイリークは自分の周りに、雷のマナで作った球体を浮かべて光源にしていた。相手からこちらの居場所が丸わかりになってしまうが、少なくとも攻撃がどこから向かってくるかはわかる。


 それにしても、とエイリークは思う。結構広範囲にわたって攻撃しているにもかかわらず、エダの姿を一度も捉えることができないでいる。本当に彼女は、この階層にいるのだろうか。そんな疑惑まで浮かんでくるほどだ。

 早く彼女を見つけて贋作グレイプニルの宝石を破壊し、ルヴェルから救い出さなければならないのに。ただでさえ時間がないんだ。こんな場所で、立ち止まってなんていられない。焦りが徐々に積もる。


 そんな自分を見下ろすかのような、くすくすと笑うエダの声が木霊する。


「さすがの身体能力ですね、バルドル族。これでも私、本気で攻撃しているのに。全然当たらないだなんて」

「くっ……この、出てこい!」

「嫌ですよ。戦闘狂相手に自ら殴られに行くのなんて、まっぴらです」


 ごう、と目の前から何かが来る。

 気配はどうにか読める。身体を逸らして攻撃を躱した。


「それに、貴方はすでに私の掌の上です。いくら攻撃を仕掛けても、私には絶対に届きませんよ」

「そんなこと、ないっ!」


 声が聞こえてくる方向に向かって大剣を振るう。

 ……これといった手ごたえはない。大剣を握り直す。


 どうする、いっそのことこの空間を壊すほどの大技を撃つか。

 と、ふと足元に何かがあることに気付く。赤いこれは、花だろうか。

 なんでこんなところに花なんて──。


「気が付きました?」


 動かない自分の様子に、エダが何かに気付いたようだった。くす、と小さく笑う声が聞こえる。聞けばその花は、エダが用意した花だとのこと。

 それを聞いてすぐさま離脱しようとしたが、一歩遅かった。


 エダの術が展開する。花が咲き乱れ、そこから光の玉が出現。まるでエイリークを包むように、花弁と共に光が舞い上がる。


"芥子の花よ、眠りに誘え"モーンメディカント!」


 光が炸裂する。眩しさに思わず目を覆う。

 とはいえ、いつまでたっても痛みはない。恐る恐る目を開けば、やはりそこは闇に包まれた空間のまま。

 いったい何をしたと吠えれば、お楽しみだと返事が来る。


 ふざけるのも大概にしてほしい。そう思いながら、あてもなく闇の中を駆ける。

 彼女の笑い声のする方へ。


 どこまでもどこまでも続く闇。

 ここの階層は、こんなにも広かったか。走り続けていたら、一点の光が見えてきた。近付くたびに大きくなるそれに、その先にエダがいるのだと考える。


 迷わずにそこに飛び込んで、強烈な光に目を閉じるしかなくて。

 もう一度目を見開いた先に、飛び込んできた光景は──。


「えっ……!?」


 風の匂いが懐かしい。忘れもしない、始まりと終わりの場所。


 エイリークは己の目を疑った。

 だってまさか、こんなこと、ありえるはずがない。

 なんで、どうして。


 混乱をよそに、そこに住んでいるであろう村人が村の中を歩いている。彼らはエイリークを見つけては、笑顔でこちらに手を振り名前を呼ぶ。その光景にまたしても混乱する。

 エイリークの記憶の中の最後の彼らは、自分を蔑む目をしていた。それがまるで、何事もなかったかのように振舞われている。


 エイリークの目の前に広がっていた光景。

 それは己が幼少期から魔物に強襲されるまで過ごしていた、ブルグ村の景色だった。


「なん、だ……これ……」


 おかしい、自分は今の今まで戦っていたはずなのに。

 大剣を持って、闇の中に姿を晦ましていたエダを見つけるために。

 その戦闘中に、光が見えたからそこに飛び込んでみたら、こんな。

 なんで──。


 混乱が混乱を呼ぶ。思わず頭を手で押さえる。そんな自分の様子を訝しんだ村人の一人が、エイリークのそばに寄る。


「おいどうしたエイリーク?大丈夫か?」

「っ、触るな!」


 肩に置かれた手を、咄嗟にエイリークは弾いてしまった。

 面を食らったような村人の表情に、思わずなんとか弁明の言葉を述べようとするも、上手く言葉が出ない。

 村人は自分を責めるかと思いきや、笑ってバシバシと背中を叩いてきた。


「はは、まだ寝ぼけてんのか?シャキッとしろって~」

「あ、いや、その。俺は……」

「もしかして、朝飯まだ食ってなかったか?それならそうと早く言えよ~。そんな調子だと、またマイアさんに叱られるぞ?」

「えっ……!?」


 今、なんて。


「師匠が……!?」


 ひどく狼狽するエイリークに、いよいよ真剣に向き合う村人。自分につられるように、周りで作業していた他の村人たちも近付く。その誰もが。自分の知っている顔ばかりだ。

 彼らは口々に、どうしたとか大丈夫とか声をかけてくる。その質問に答えるより先に、村人の一人に手を引かれて、ある場所へと連れていかれる。


 見覚えのある通り道。村の端にひっそりと建っているその家。

 まさか、そんな──。


 村人の一人が扉をノックする。中から返事がきた。

 聞こえてきた声に、思わず身体が硬直する。

 聞き間違えるはずもない、それは。


 扉が開かれる。中にいたのは、あの日──魔物に村を襲われた日に、自分をかばって亡くなった、大切な恩人。


「まったく……。また村の人に迷惑かけおってからに!ええ加減自立せんか、この馬鹿弟子が!」


 自分を育ててくれた師匠──マイア・ダグの姿が、そこにあった。


「し、しょ……?」

「マイアさん。どうもエイリーク、変な様子なんです。なんというか、今も夢を見てるかのような顔してて……」

「はぁ。ありがとうね、お前さんがた。また面倒をかけたね」

「いえ、このくらいお安い御用ですよ」

「お礼と言っちゃなんだが、これを持っておいき。マナを加えて改良した、新しい肥料だ。これで作物もよく育つだろうよ」


 自分をよそに会話する己の師匠と村人たち。置いてけぼりの自分をよそに談笑していた彼らだったが、話が終わったのかマイアの家から村人たちが帰る。

 パタン、としまった扉。さて、と振り返ったマイアの表情は険しい。


「さて、お前さんにはどこから説教を始めようかね!?」

「……」

「何ボケっとした顔して突っ立ってんだい!ここに座んな、エイリーク!」

「……師匠……?」

「まったく、成長したと思ったらこれかい!いったいいつになったら、私を安心させてくれるんだろうねお前は!」


 懐かしい師の声。この説教。

 もう二度と会えないと思っていた、話せないと思っていた相手が、ここにいる。

 間違いない、この人は。自分の親代わりをしてくれた、大切な──。


「返事はどうしたんだい馬鹿弟子──」

「師匠ッ!!」


 たまらず駆け出して彼女に抱き着く。

 突然の行動に慌てたマイアだが、関係ないといわんばかりに必死に彼女にすがり、泣き始める。それで何かを感じたのだろう。それ以上は何も言わず、マイアに背を撫でられる。

 その手から伝わってくる温度に、彼女が生きているということに、ひどく安心して。

 思わず子供が泣きじゃくるように、エイリークは声を上げて泣いたのだった。




 しばらく泣いたのち、エイリークはようやく落ち着いた。

 マイア特製のホットミルクを飲みながら、今は二人で夕食を食べていた。今日の献立はソラマメのスープに、ジャガイモとベーコンで作ったジャーマンポテト。そこにバケットといった、懐かしいメニューだ。


「うっまい!」

「まったく、現金なやつよ。あんなに泣いておってからに」

「う、うるさいよ!別にいいじゃんか」

「その年になって、子供のように泣きわめく馬鹿があるか。恥ずかしくてならんわ」

「なんだよもー……」


 文句を零しながらも、ジャーマンポテトを食べる。エイリークの中で、先程まで戦っていたという事実は、すっかり抜け落ちてしまっていた。


 食後、趣味である星見をするために庭に出る。見上げればキラキラと輝く綺麗な星々が、静かにエイリークを見下ろしている。


 ……すべて夢だったのかなと、考える。


 こうして師匠は生きていて、村も無事でいて。村人たちは自分をバルドル族だからと蔑んだりしないで、気軽に話しかけてくる。

 ずっと夢見てきたことだ。


 もしかして、今までの方が悪い夢だったのではないか。もしかしたら自分はヘマをして頭なんか打って、ずっと眠っていたんじゃないか。そんな中で夢を見て、その夢の方を現実だと勘違いしていたのかもしれない。


 そう、きっとそうだ。

 師匠が死んだのも悪い夢、村を追い出されたのも悪い夢。村人たちに迫害されていたことも、その先で人間たちに理不尽に暴力を受けたのも、なにもかも。


 ぜんぶぜんぶ、



 わるい、ゆめ。



 目を閉じる。瞼の裏に、夢の中の出来事が流れていく。それも意識しなければ途端に輪郭がぼやけて、消えていった。

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