第百八節   主たる者として

 第三階層にて。


 アマツは微動だにしないまま床に座っていたが、やがて眼を開いてケルスを視界に捉えた。こちらを見ると優しく微笑むが、やはり一切の隙を感じさせない雰囲気を纏っている。

 この場から逃がすつもりはないと、この階層の空気が伝えてくる。もとよりケルスも、逃げるつもりはないのだが。


「……其方が私の相手で相違ないか?」

「……はい。僕は、貴方たちを止めるためにここに来ました」

「それはそれは。しかし良いのかね?一国の王たる者が、手下の一人も共もせずに敵の本拠地に乗り込むなど」

「手下なんて……。彼らには、彼らがやれることがあります。だから僕も、僕のできることをするまでです」


 視線をそらさずに答えるケルスに、どこか遠い目をしたアマツが言葉を紡ぐ。


「……なんとも数奇な運よな。よもやリョース家の息子が、私に立ち向かってくるとは。其方の父も母も、心の澄んだ其方を戦場に放りたくはなかったろうに」

「父様と母様のこと、ご存知なんですか?」

「生前に、時折こちらに遠征に参られたものよ。穏やかな方々だった」


 その言葉で、ケルスは遠い昔に父から教わったあることを思い出す。


 約五百年前に行われた第三次世界戦争終結後。当時アウスガールズを治めていたリョースアールヴ族は、協力関係にあったガッセ村のベンダバル家の領主に、ある刀を授けたのだと。それは両者の間に結ばれた和平条約の証のようなものだった。

 第三次世界戦争終結後の勝利者──人間による種族差別や狩りの歴史が始まっても、その土地では種族の壁を隔てずに共存していた。

 つまりアウスガールズ本国とベンダバル家は、深い仲であるのだと。


 そのことをよく、ケルスは父から教えられていた。だから、そこと親交を断ってはいけないということも。アウスガールズ本国とベンダバル家が、こんな形で争うことになるなんて。


「……戦場など、其方が一番似合わぬ場というのに」

「よく言われます。僕自身も、戦いが好きというわけではありません。ですが……それでも、戦うことでしか大切なものを取り返せないというのなら。守れないというのなら。僕は戦います」


 彼に向けてはっきりと宣言すれば、一段と笑みを深くしたアマツが満足そうに頷いて答えた。


「よく申された。それでこそ、主たるものの風格よ」


 アマツが立ち上がり、刀を腰に下げる。


 たったそれだけのことなのに。彼が纏う雰囲気が一気に殺し屋に変わる。冷たく鋭い、刃のような空気。それが彼から階層全体へ充満していくようだ。


 ケルスも手首に嵌めている銀のブレスレットに、マナを籠める。

 アマツは強い。

 最初から全力を出さなければ、一瞬で勝負がついてしまうだろう。マナを強くブレスレットに籠める。ケルスの足元に、召喚の際の魔法陣が二つ、浮かび上がった。


 一つは淡い月明かりのような光の陣。もう一つは、揺らめく灼熱の炎のような赤い陣。


「"召喚するは宵闇の破壊者。天蓋を照らす者、夜を制せ"!"マーニ"!」


 淡い月明かりのような光の陣から、男性の召喚獣が姿を現す。

 そこで終わらず、次の詠唱を唱える。


「連続召喚!"召喚するは晴天の守り人。大地を照らす者、天を包め"!"ソール"!」 


 もう一つの揺らめく灼熱の炎のような赤い陣から、女性の召喚獣が姿を現す。


 ケルスはリョースアールヴ族が使える、召喚術のエキスパートだ。

 通常、一度の召喚で呼び出せる召喚獣は一体に限られる。だがケルスは、連続で二体までの召喚が可能なのだ。


 光が収まるとそれぞれの召喚獣は目を開く。最初に女性の召喚獣が背中を伸ばしながら、口を開いた。


『んん~!ご主人、おっひさー!』

『お前はいつも空気を読まないな、ソール』

『マーにいがかったいんだよーだ。それでご主人、今回はどしたの?』


 緊張感を壊しかねないほど、ソールと呼ばれた召喚獣は明るくケルスに尋ねてきた。そんな彼女を、まるで頭痛の種みたいな表情でため息をつく、マーニと呼んだ召喚獣。

 この二人は、ケルスの召喚術で呼び出せる召喚獣の中でも特に、戦闘能力に秀でている召喚獣だ。強力な魔術を行使するマーニと、棍棒を使った接近戦型のソール。ちなみにこの二人は兄妹のような関係性である。


 ケルスは二人への挨拶もそこそこに、目の前で対峙するアマツに視線を送った。


「彼を救いたいんです。二人の力を貸してください」


 ケルスの言葉に、マーニとソールはアマツへと振り向く。しばし彼を眺めて、成程と二人は納得したようだ。マーニはマナを展開し、ソールは棍棒を構えた。


『なぁるほど。アレ、よくないものが憑りついてるね』

『主、彼をどのように救いたいのですか?』

「まず、彼の体のどこかに装着されている贋作グレイプニルを見つけてください。見つかったら、そこに嵌められている宝石だけを破壊します」

『贋作グレイプニルそのものを破壊しなくてもよいのですか?』

「はい。僕の目的は、彼をルヴェルのエインから解放することですから」


 こちらの作戦会議を眺めていたアマツが、ふと、こんなことを口にした。


「ほう……以前とはまた違う召喚獣か」

「複数で挑む僕を、卑怯となじってもよいのですよ」

「まさか。私一人にそれ程の戦力を揃えるということは、それだけ其方が本気であることの表れなのであろう?それは武士である私にとっては誉よ」


 アマツもいよいよ刀に手をかけ、構えの体勢をとる。ケルスも自身の琴を取り出して構えた。空気が澄み切っていく。


「ルヴェル様のエインが一人、アマツ・ベンダバル。推して参る」

「アウスガールズ本国国王、ケルス・クォーツと召喚獣マーニ、ソール。全力で貴方を、止めます」


 睨み合いがしばらく続く。最初に動いたのは、棍棒を構えたソール。


『それじゃあ……お手並み拝見と、いこうかなっ!』


 彼女は一気に距離を詰め、上段から棍棒を振り下ろす。

 アマツは構え、抜刀術を繰り出す。


「"抜刀 紅蓮"」


 彼の刀を抜く動作が、ケルスの目では追えなかった。

 いつの間にか繰り出されていた刃が、棍棒を真っ二つに切ろうとしている。


 しかしそこは召喚獣の潜在能力というものか。ソールは棍棒にマナを籠め、その刀を真っ向から受け止めた。

 衝撃で、二人の間に風が舞う。


 鍔迫り合う刀と棍棒。視線が交錯する。

 アマツが棍棒を弾き、ソールはそれを軽く受け流しくるりと回転。空いたアマツの胴体に突きを繰り出す。

 されども、それよりも早くアマツが動く。


「"秘剣 天狗風"」


 棍棒を上に弾き、刀を振り上げたままの状態から、一気に振り下ろす。

 彼が踏み込んだ地面は抉れ、振り下ろされた刀からは衝撃波が発せられた。

 まるで、上から下の地面に叩きつけんばかりの暴風。


 それは遠く離れたケルスとマーニのところまで届く。

 そこでマーニがケルスを守るために、前に出た。


"満ち足りる月光の抱擁"プレールリュンヌ!」


 マーニの前に、まるで満月を現したような盾が展開される。

 盾が衝撃波を受け止め、四方八方へと弾く。


 その間にソールが再びアマツへ向かう。今度は足元を掬い上げるように。

 アマツの刀は納刀されている。このままでは対抗されてしまう。

 そうはさせない。


 ケルスが琴を爪弾く──彼女に、何物をも寄せ付けぬ速さを。


"状態変化付与"トランス "風神の加護"アクセラシオン!」

『せーの!"咲き誇れ陽の花々"マルグリット!』


 ケルスが発動させたのは、味方の身体能力の活性化の術。素早さを上げ、光速にすら届きそうな速さを付与させることが出来るのだ。

 召喚獣にもその術は有効だ。


 一手こちらが早い。

 アマツが抜刀するよりも早く、ソールの棍は彼を捉える。


 足元を掬い上げる一撃目。

 体勢を崩したところへの二撃目。これで横っ腹を狙う。

 完全に構えを崩したところへ、最後の突きの三撃目。


 ソールの棍棒に纏われていた花弁のような火花も相まって、アマツの身体の数か所に火傷を負わせた。それにもかかわらず、彼はその場に崩れ落ちることはなかった。


 ……思ったよりダメージが入っていない。どうして。

 そんなケルスの混乱に答えたのは、マーニだった。


『主。あの者、只者ではありません。抜刀が間に合わないと察するや、自身の身体に魔術で防御膜を張りました。なんて判断力と反応速度だ……』


 ソールもそのことに気付いていたのか、やるねとアマツを褒める。


『ご主人の加速まで付いていたのに、あたしの攻撃のダメージをそこまで減らすなんて。ただの人間のクセしてやるじゃん』

「お褒めに与るとは恐悦至極。しかし、流石人間とは異なる存在。私の技も悉く弾かれてしまうとは……。ふふ、ここまで胸が高鳴るのはいつ振りか」


 再びアマツが構える。


「領主として戦に出た時でさえ、感じることのなかったこの高揚。嗚呼、今強く思うぞケルス陛下。私は、貴殿らを完膚なきまでに斬り伏せたいと」

「アマツさん……」

「和平の象徴である貴殿を、斬り伏せたいのだ。惰弱で醜悪なこの世に、平和などという言葉がどれほど無力であるか。こんな腐りきった世界に搾取されるために、女神の巫女ヴォルヴァたちは生まれ落ちたというのならば……。私はこの世界を、否定し続けようぞ」


 アマツの表情から笑みが消える。眼光がより鋭くなる。

 ギラリと睨みつけられれば、震えが起こりそうなほど。


「……それが、貴方の答えなのですね」

「応とも。私は女神の巫女ヴォルヴァたちを守るために、この世界に混沌を齎していこう。我が身が再び深淵に落ちる、その時まで」

「……そうですか……。ですが僕は、それを認めるわけにはいきません。本当の貴方を僕は知らない。けど少なくとも、守るために破壊を求める、そんな人ではないはずです!それを、貴方を止めることで証明します!」

「呵々、やってみせるが良い。ひ弱なリョースアールヴ族!」


 そう叫んだアマツが、今度はこちらへ仕掛けてくるのであった。

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